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夫の発言に義姉激怒。嫁が土下座すれば解決するのか?

夫の親と同居10年目の出来事です。 夫の姉一家は毎年盆と正月は一ヶ月間 子どもの春休みにも2週間まるまる、 航路はるばる帰省します。 (その間義兄は一人暮らしです) その間私は嫁として、10年間義姉一家を一生懸命お世話をしてきたつもりでした。 今回、帰省した義姉一家は4泊して帰ったのですが、 夫の母親の実家で不幸があり(母親の姉死去) 義姉一家は再度帰省してきました。 無事葬儀も終わり、やれやれと思って 私が台所で支度をしていると 夫が義姉に「姉ちゃん、いつまでいるのか?」と聞きました。 「そうねせっかく来たし、あと2日程いるわ。」と言う返事に 私は「え!もっといればいいのに!せめて週明けまで・・・4.5日くらいのんびりしてくれればいいのに。」と心の中で思いました。 すると夫が「おい、姉ちゃんあと2日居座るんだって!」と私に言うのです。 私が全身に冷水を浴びせられた気持ちになったのは言うまでもなく。 なんという失礼な発言 私が滞在を嫌がっているかのような誤解を受けかねない発言。 当然義姉は激怒して 「いますぐ、荷物をまとめて帰る!」 夫は「はあ?なに怒ってるの。冗談なのに」とその場から立ち去りました。 その後義姉は「あなたが弟にいわせた のだろう。」 「私が帰ってくるのが気に入らないのか」「親の家に帰るのに何であなたに気兼ねしないといけないのか」 「これから帰っても世話してもらわなくて結構」 散々罵倒されました。 私はそんな考えないこと、いつも気持ちよく迎える気持ちでいること 言いましたが聞く耳を持ちません。 義父母も知らん顔で誰もかばってくれませんでした。 土下座して謝ってなんとか怒りは収まりましたが 夫は「おまえが頭を下げとけばいいんだ」と 悪びれる様子も無かったのです。 やはり嫁が下手に出て 頭を下げることでしか解決できないことでしょうか?

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noname#17334
noname#17334
回答No.17

>15年間尊重されたことがなく、旧家の一族の中、自分の居場所を確立させようと >あらゆる努力をしてきたのですが結局瓦解したわけです。 人の生きるプロセス。出会う人。出来事には、ひとつも無駄はないのだと思います。 過去の結婚で、目指してきたこと、学ばなければいけないことを ただ、質問者さまは「学ばれた」のでしょう。 何が出来て、何が出来なかったかではなく そのことを経て今のご自身が存在するのは紛れもない事実です。 何だったのか。そう思うことはあります。でも答えが見つからないからといって 過去と今との隔絶と捉えないほうがいいでしょう。 無駄な努力というものはないです。 私も20年間、ことに子供が生まれて15年間。全く間違った相手と夫婦関係を 継続してきて、結婚20年目、45歳で過去を断ち切って離婚しました。 質問者さま同様に、10年前には、離婚を決意させるような告白を受けました。 土下座をしたのは、私でなく先妻の浮気相手の男でした。 それも告白から2年も前の話。 いまでも、あのとき私は男を捕まえ家の戸口までひっぱってきてなぜ 妻と二人並ばせて謝らせなかったのか 私ができたのは、怯える男の姿と修羅場を避けたくて「あわせて何になるの 子供の前で何を見せたいの」の叫ぶ妻の虚勢に気勢が萎えて、 すべてが馬鹿馬鹿しくなったこと。 質問者さまのようなご苦労こそありませんが、私も、間違った信念の上に 砂上の楼閣を築こうとして15年(子供が生まれるまでは夫婦仲は円満でした) 無駄な時をすごしたという思いはあります。 しかしありがたいことに、子供は育ってくれていて、今は離れてくらすわが子ですが 時の意味は確かな手ごたえとして感じます。 その分幸せなのかもしれません。 >「では何故、あの人たちは私を愛してくれなかったのか?何故前の夫はあんな仕打ちを私にしたのか? >そこまで憎い人間だったのか?そこまで価値のない女だったのか?」と >悔しさが生まれてくるのです。 人間のさがというか、嫁と小姑と言う関係は、本来自分が娘として親に甘え親の世話をして それなりに責任を果たしたい立場を、弟の嫁という存在によってふさがれる理不尽な悔しさ というものがあったのでしょうね。 私は、いまでも自分の子供を傍で可愛がりたい、成長を見届けたいと思う反面、 その立場を別れた妻が好き勝手に蹂躙していることに憤りを感じます。 鬼のように身勝手な義姉さまを擁護する気は微塵もないですが、義姉様は親孝行や親に 援助してもらったりして甘える肉親の関係をじゃまされた意識があったのでしょう。 兄弟は他人のはじまりとはよくいったものです。また親子の絆は深く重いけど親子が 一緒にいられる時間は長くても50年。普通は同居しないわけで、ともに過ごす時間は 30足らずというのが一般的でしょう。 夫婦というのは健康に生きれば30歳で結婚して80歳で死んだとしても50年は一緒に 生きる。人生のほぼすべてをともに過ごす相手です。 私は48歳で再婚して、今のカミサンと32年は幸せに生きていこうと思ってます。 そう思えば、先妻との20年なんて修行のようなもの。 とにかくこうしたら夫婦は壊れるという貴重な経験をお互いに積んできているので 大切なものを大切にしていこうという意識はお互い強固なわけです。 無駄な努力はやったけど、そのおかげで無駄な喧嘩をしないようになりました。 なにが無駄でなにが無駄でないかはおぼろげながらわかるようになった。 >「もっと君はちやほやされていい人間だったはず。 >これからボクがちやほや沢山してあげるからね。」と言ってくれますが(実行もしてくれます) 今の自分自身の価値を正しく認めてくれる存在こそが誰にとっても必要なのです。 子供にとっては親であり、夫婦にとっては配偶者です。 >「同じ夫なのに、どうしてあの人は私を大事にしようとしなかったのかな。」 >過去の仕打ちがよみがえり悲しくなります。 同じ夫ではないです。今の御主人を感謝できるあなたを育ててくれた試金石だと 考えましょう。 私たち夫婦にとっても妻の先夫のおかげで、ずんぐりむっくりの貧相なおじさん(私のことです)でも 妻は、大変大切に扱ってくれます。まるで、ベンチャー企業の大社長のように、あるいは 名家の御曹司のように、朝は私の身支度をそろえ玄関先に磨いた靴を置いて、社長が 秘書にしてもらうようにコートを肩にかけてくれて、窓から手を振って見送ってくれます。 私は、嬉しくて涙が出ます。 そういうことは、してもらういたいなんて思ったこともないし先妻はしようとも思わなかったです。 「あなたは、とても大切な人よ。頑張ってね。」 そういう気持ちを毎日背中に受けていたら、どんな男でもこの女のために一生掛けて 報いてやりたいと思うのではないでしょうか。 >離婚してもう7年ほど経ちますが 不思議ですね。 わたしも丁度離婚して7年です。 >私は抵抗したり怒鳴ったり夢の中でもがきます。 心の傷ですね。 私は、先妻との生活は思い出しません。でも、私が首根っこを押さえられるなかで 遊び半分で書いた他の女性へのラブレターを読んで激怒して腹いせにした浮気 その後も、何ども東京に出てきた相手を寝たことなど時々思い出します。 質問者さま同様、自分が決めた結婚を全うしようという意識と、できなかった悔しさと は私にもあります。先妻の母親は、今でも私を恨んでいます。 息子も、おそらく私を身勝手な男と思っていて、自らも家を出て働きながら大学に 通っています。 しかし、私が勝気な妻にこびへつらって、自我を抑えて生きてきた結婚生活が いかに歪んだものであったかは、7年目 毎月滞りなく払ってきた28万円の養育費を42万に値上げしてほしいといってきた 先妻の手紙によって、私は明白に思い知りました。 それらしく書いてきた計算書はまるで、犬を預けるペットショップの請求書のような 印象でした。 無論わたしにそんな額の金が払える余裕はないし、わずかな貯金を食いつぶして 子供の卒業まで耐え忍んでいるこちらの状況を想像さえできない非情な先妻の 精神を強く恨んだ次第です。 >怒りが頂点に達しては、大声で「馬鹿野郎!」「ぶっ殺す~~!」絶叫して泣き叫んでは、 >横にいる夫に揺り起こされます。 癒やされてないのですね。 おそらくこのままでは来世まで引きずります。お幸せな再婚をなさってのだから これは静かに忘れていかないといけません。 >夢の中で前夫やその親の首を、満身の力を込めて絞めている私もいます。馬乗りになり泣き叫びながらタコ殴りに殴ったり・・・。 >壮絶な夢です。 あまり他人に語らないほうがいいのです。語ることで反芻してしまいます。 今世の恨みは今世で浄化していかないと、来世であなたが加害者になりかねません。 >合わなかった服・・・何故その合わない服を選んでしまったのか それは業ですよ。科学的な言い方をしたら、親から受けた影響。私の場合、父が母を殴り 母が私をあいてに愚痴を言い続けたこと 父母が仲たがいする原因は、父親の経済力への不満。だからボクはエリートサラリーマンに なって金を稼いで妻を幸せにする。 先妻はいつも母親から、夫は無口で私の話を聞いてくれないと不満を言われ しかし経済的には結構めぐまれていたから夫は稼ぎよりも家庭を大事にする温和な父親で あればいいという思いがあった。また母親がなれなかった高校教師の夢を背負って自ら が生きようときめていた。 お互い親の刷り込みのなかで同じ屋根の下夫婦として違う目標目指していきてきたのです。 >合わない服を無理に着続けていたのか みんなこんなものだろうと勘違いしていた。辛抱することが美徳なのだと。 >その服は合わないと脱ぐチャンスがあったのにそれを逃していたのか それはないです。身体に合わない服以外の服を着たことがないのだから。 >またどうすればその服が似合うようになったのか 身体をむりにあわせればいいのでしょうね。足を削るか腕を削るか。 肋骨をとって肩の肉をそげば身体にあったのかもしれない。 >問題の根本を正そうとせずに >土下座という安易な方法でその場を収めようとした >あの時の私を情けなく思うのです。 悔しい思いはだれにもあります。楽しい思い出を積み重ねて埋葬していくのが一番いいです。 もっとももっと御主人を大切になさって幸福な記憶を積み重ねていってください。 >「もっと君はちやほやされていい人間だったはず。 >これからボクがちやほや沢山してあげるからね。」 読み返す涙がこぼれます。 幸福な記憶が積もって、質問者さまの心の傷が癒されますように祈念いたします。 離婚7年同士、過去を振り返らず前向きに生きていきましょう。

rurinohana
質問者

お礼

有難うございます。有難うございます。 何度も申しあげたいです。 見ず知らずの私に、ご自身のご体験を語って下さり、 心の底に積もっていて 時々水底から舞い上がる汚れのような気持ちを 掬い取って、外へ出してもらっているような そういう気持ちになりました。 今までの経験が今現在の私を作り上げていること その経験をも含めて、愛しいと認めてくれる伴侶が いること、 過去の苦しみは今の果実を味わうための 苦しみだったと その通りですね。 親の影響というのは 少し思い当たることがあります。 親が手に入れることが出来なかった 幸せな夫婦像を、私こそ早くに手に入れる。 それが人生の目的!と思っていました。 ですから早く結婚したかったし 結婚した以上は、どんなことがあっても 離婚はしないと。 また親を見てきて、夫婦とはいがみ合い 憎しみ合うのが当たり前と思っていたので 「これくらいのことはなんでもないこと」と考えるようにしていました。 あなた様も大変な過去の想いを抱えて 葛藤の中、道を歩いていらっしゃるのですね。 皆背中に何かしら 大きな荷物を持って 歩いているんですね。 その時にそばに一緒に歩いてくれる人が いてくれれば・・・・。 こんなに嬉しいことはないですね。 私もあなた様ご夫婦を見習って いつまでも仲良くいたいと、改めて思いました。 くよくよしていないで GWに行く予定の旅行の事や 新作映画を2人で観にいくことを考えます! 私のために貴重なお時間を割いていただき 暖かい胸に沁みるお言葉を頂いたこと 幾重にも感謝いたします。

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回答No.18

おはようございます 私も借金返済を第一に考えてた訳じゃなく、親しくなった女性に借金返済の事が知れると「こんなハズじゃなかった」と捨てセリフと共に去られる事が多かったです まぁ「自営業=楽な暮らし」と思われてたのかもしれません(ってある意味当時の私の女性を見る目が無かった訳ですが・・・笑) 自分自身これまで書いていませんが、時折rurinohanaさんとは異なる自分自身の心の闇に自身の行動を遮られる事がありましたが、そんな時友人(今は妻です)の「自分自身の心の闇は自分自身が光を当てる事で変える事ができる。それができるまで私は待ちます」一言で変わる事ができました。 正直当時の妻は痩せ型で気持ちぽっちゃり好みの私の恋愛対象外でしたが、それからは惚れメガネで・・・。(o^<^)o クスッ 今は帰宅後片手で子供を抱っこしながら残りの手で妻を触ってます(^v^)フフフ プヨプヨの触感は息子で楽しんでます(*^^*) 時々思うのですが「人生って辻褄が合うように出来ている」と感じてまして15年間辛かったかもしれませんが、その事があるから今の旦那さんと縁を結ぶ事ができた(当時の考え方では対象外かも?)でしょうし、今を大切に出来るのやもしれません。 良くも悪くも人は忘れる事ができますし、楽しい思い出が多ければ多いほど過去の事は引出しの奥に行ってしまい、いずれしまった引出しの場所すら忘れてしまうかと思います スグに変えようと思えば思うほど思い出す訳でして、今の生活を心から楽しめば自ずと過去の事を考える時間が減ってくるかと思います。 止まらない時の流れで身に染みたもの、経験した事は後の人生に大きく関わってきます。 無駄な人生はありませんが、自身の経験を無駄にしてしまうのも実は自分自身だったりします。 イヤな過去を思い出してしまった時は旦那さんをギューっと抱きしめて今の現実(幸せ)を感じて下さい お話しの旦那さんなら何も言わず抱きしめて下さるかと思います いろんな意味で前回の最後に「今は幸せですか?」とお聞きしたのです 頑張ってる方に「頑張れ」は言わない主義ですので、今の幸せを大切に日々をお過ごし下さいね 最初の頃と比べて明るい話題が多くなったと感じてるのは私だけじゃないと思いますよ

rurinohana
質問者

お礼

私のためにお時間を割いていただいて 有難うございます。 あなた様をはじめ皆様の あたたかいお言葉の数々、 心に響きました。 でも、また再び反省中です。 先ほど別の方の相談で 「2000万の慰謝料減額したい」という相談に 思わず書いてしまいました。 前夫との事を・・・・。 書いているうちに、また前夫にされたことが よみがえってきました。 まさに私の心の闇の部分です。 書き終わってすぐに、気持ちを切り替えました! うんうん、今はもう大丈夫です! 今すぐこの瞬間に 心の闇が綺麗になくなることはないですが、 一日一歩前進で、前向きに前向きに ひらすら前向きに歩いていきます。 今日は桜が綺麗です。 実家の母と桜を見て 美味しいお昼を食べて 春のバックでも買います。 そういうことすらも、前の結婚ではできなかった。 それが出来る喜びで、今日は過ごします。 有難うございました!

rurinohana
質問者

補足

奥様とのエピソード 拝見いたしました。 いいお言葉ですね。 人生において、何度か心に残る一言に出会いますが あなた様には、この奥様から言われたお言葉が それなんですね・・・。 心の闇を闇のままで終わらせるか 光をあてるか、自分自身でいくらでも決められることですよね。 奥様は始めのお好みとは違うタイプですか。 今ではぞっこんのご様子。私も拝見しながらニヤリとしました。 蛇足ではありますが、今の夫の名誉のために。 もし、前の夫と出会う頃に 今の夫と会っていたら 絶対今の夫のほうがタイプです。 というのは 今の夫は私の初恋の相手なんです。(10歳から) もう好きで好きで。性格も外見も、何もかもが! 当時の夫自身は初恋など考えたことがないほど 幼く、 ただ毎日一緒に遊ぶ私とのことを 周りに冷やかされないように 「わざと何げないふうに装っていた。」とのことです。 なんとも幼い可愛い恋ですね。 私の男性の好きなタイプは 全ての根源がこの初恋の少年なんです。 しかし、なにが狂ったのか 前夫はまったく180度違うタイプでした。 前の結婚中の辛い時も 消息不明になってしまった初恋の男の子を思い出しては 「私はあなたに恥かしくないように、精一杯自分にできることはする!まだ我慢できる!」と自分を鼓舞していました。 その男の子は、私とって特別の心の神殿に住まう、永遠の少年でした。 そして離婚後、神様がその男の子に引き合わせてくれました。 ですから、やはり全てが今現在のために 必要だったことなんでしょうね。 読んでいただいて有難うございました。

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回答No.16

10年以上前の事ならもう良いんじゃないですか? そんな事よりこれから残りの人生の事で悩まれた方が建設的かと思いますが・・・。 前回の御結婚の内容ですが、親の甘やかしが子供をダメ人間してしまった ダケかと思いますが・・・。 適度の甘やかしは良いかと思いますが、甘やかし過ぎは堪え性の無い性格にしてしまう場合が多いです 空き巣の件も親御さんが援助するから痛みを感じてない為反省していないダケなのです。 それと常々感じてるのですが、「かわいがる」と「甘やかし」を混同なさってる親御さんが多い昨今ではあります。 無用に厳しくする必要はありませんが、道を間違った時それを教える事が出来るのは誰でもない親しかないんですよね。 前の結婚生活を嘆くのではなくこれからの為の反面教師(御自身が自分のお子さんの配偶者に対してそうならない為)されるべきかと思います。 我が家では嫁いだ姉妹、新しく家族を持った弟共に実家の鍵は渡してません。 なぜなら戸籍が違うからです。 「嫁いだ以上は実家だけど他人の家」と教える事ができるのは実の家族ダケなのです。 亡き父がよく言ってましたが「長男は長男の次男は次男の育て方があり、法律上は一見平等であるが実際は平等ではない」と言ってました。 家を残す事が相続であり出た人間が家系を絶えさせるような行為は慎むべきかと思います 22歳で御結婚を選択なさったのも御自身ですし、15年耐えたのも御自身の選択なのです。 自ら歩んできた人生無かった事にはできませんが、経験した事を新しい自分を生み出す糧にする事は可能です 私自身27歳の時父が他界して借金返済等で死に物狂いで働き縁に恵まれ家庭を持つ事ができたのは38歳でしたが、今はもう1人新しい家族が増え幸せです 11年の時が妻と巡り会う時間を与えてくれたと感じてますし、そういう経験がチョットやそっとじゃヘコたれない性格になってます 今は幸せですか? 30代後半男です

rurinohana
質問者

お礼

お言葉有難うございます。 人生の修行期間であったと思えば 今の私が打たれ強い人間になったのも この経験のおかげとも思います。 あなた様は別のご苦労をなさったんですね。 働いて借金を返済することが第一優先で なかなかご縁がなかったと。 ご立派だと思います。若くして自立心旺盛 独立独歩の気概で人生を歩んでこられた・・・。 前夫よりもはるかにお若いのに。 (前夫現在48です) 前夫の親健在です。 鬼籍に入らない限り、前夫は真の大人になれないのかもしれませんね。 甘やかし親の功罪・・・同感です。 一つ一つ納得がいくことばかりでした。 有難うございます。

rurinohana
質問者

補足

今現在は幸せ、それも 今ままで経験したことが無いくらいの幸せです。 責任ある仕事を任され、もったいないことに人様から先生と呼ばれて 日々人様のお役に立てることを喜びに感じます。 また世界でただ一人の男性に かしずかれ、尊敬され、このうえもなく愛されて それが日々薄れるのではなく 日増しに強く熱く感じます。 外食もできますし、好きなときに電話もできます。 離婚して携帯も持てるようになりました。 化粧をして美しく装う楽しみもあります。 綺麗な桜色の靴を買っても「派手」だの 「結婚した女がかかとのある靴を履くなんて、おかしい。」など年寄りに言われません。 「似合うよ!今度はそれを履いて出かけようね!」といってもらえます。 友人を家に呼んでも、とがめられません。 実の母に孝行しても、嫌味を言われません。 夫からは誕生日や記念日に 暖かい言葉とプレゼントをもらい、美味しいものを食べに連れて行ってもらえます。 以前は実家の母やきょうだいがこっそり「おめでとう」と電話をくれただけの寂しい日でしたが・・・。 離婚して初めて、居酒屋に入りました。 映画も見に行けるし、大好きな本を読んでも怒られません。(前夫は私が本を読むと、頭でっかちだの 知識ばかり増やして生意気だの・・・) 好きな勉強も自由時間ですることができます。 今の夫と2人で一緒に勉強したり 本を読んだ感想を話し合ったり・・・ 夫は私の勉強する姿を、目を細めて嬉しそうに見守ってくれます。 なによりも夫たる人から 「おばはん」だの「ブス」だの 「お前みたいなおばはんと、結婚してやったんだ。 ボランティアで結婚したんだ。 親が気に入ったからお前にしたんだ お前のような女、男は誰も相手にしない。」 「お前を女だと思ったことは一度もないし、今後も絶対無い。」 「女は金を使わなくても、男遊びできるんだから、外で適当に男を作って解消しとけばいい。」 など暴言を言われないのが嬉しいです。 今の夫は「綺麗だ」「かわいいよ」と毎日褒めてくれるし 「他の何もいらない。君が一生そばにいてくれれば それ以上何も望まないから、結婚して欲しい」と請われて結婚し、 「君と結婚して俺は本当に幸せだ」といつも言ってもらっています。 こう書いてみると 本当に前の夫の亡霊にいつまでも 囚われるのは馬鹿馬鹿しいことだと 改めて思います。 気持ちが大変前向きになってきました。 有難うございます。

回答No.15

時々、あなたの質問を読ませてもらっています。 あなたの中では全然解決していないのですね。これはもう夫や周りの協力では解決できない問題です。 ですから心療内科か精神科へ行くことをおすすめします。なるべく早いうちがいいですよ。あなたの精神が崩壊してしまう前に。過去のことで今ある幸せを手放してしまうには本当に惜しいでしょう? あなたは何も悪くはないですよ。離婚して正解だったわけです。今が幸せなんですから。今の幸せに巡り会うためにそのような経験が必要だったのかもしれません。 今の幸せに感謝して、大切にして下さい。昔の自分よりも今の自分の方が好きでしょう?それとも若さのために昔に戻りたいですか?私も10年前よりも、20年前よりも今の自分が好きです。それは自分の生き方に自信を持っているから。間違っていないと確信しているからです。あなたもきっとそうですよね?

rurinohana
質問者

お礼

お言葉を頂き、有難うございます。 離婚して正解ということは 何度も噛み締めております。 今の幸せにめぐり合うために必要だったことであるということ、 そして同居15年が忍耐力や許容力のあるタイプの人間へと、変えていったこと。 あの時期は修行だったのだと思うときもあります。 心療内科への受診は考えていた時期もありました。 夢を見るのが週に2,3回に減ってきましたので (以前は毎晩泣き叫んでいました) 15年のつらさだから、15年かけて消えるのだと ハラをくくっています。 お言葉の通り、今現在の私のほうが 本当の姿だと思います。 また今の結婚で、若さも戻りました。 30代前半で40代に見られていたほどにやつれた私でしたが、 本当の40代になった今は 30代半ばに見てもらって、好きな服を着て 好きなことをしています。 外食や外出が自由に出来ることが どれだけ人生に潤いを与えるか 解りました。 今の夫の愛に包まれて 少しずつ癒されている実感はあります。 時間が解決してくれるのでしょうね。 そう祈ります。 あたたかいお言葉を感謝いたします。

noname#17928
noname#17928
回答No.14

10年以上も前の話なんだから、 きれいさっぱり忘れちゃえばいいのに。 --と思うのは、私だけでしょうか? にしても。 以前も回答しましたが、質問の時点で >実は、この事件は前の結婚の時の事です。 ということを明確にしておいた方がいいと思いますよ。 「後だし」がアウトなのは、ジャンケンだけではありません。 回答者も混乱しますしね。

rurinohana
質問者

お礼

有難うございます。 そうですね、「前の結婚のこと」と始めに書べきだったかもしれません。 言い訳のようになりますが、 10年前のことだから・・・ 前の結婚の事だから・・・ 「忘れてしまって、これからの事を考えてくべき」 (その通りと自分でも思います。) それ以外の皆様のお考えを 伺いたいと切望していました。 そのためにも、リアルタイムでの出来事ということで 皆様のお考えを伺いたかったのです。 また、私の中では いまだにリアルタイムの出来事で 昨日のことのように感じています。 そういう事件があまりに多すぎて 毎日のように入れ替わりによみがえります。 (妻の外科手術に付き添わない夫。という問題もありました。) 有難うございました。

回答No.13

No.7です。 他で回答されていることも読まずに軽率な回答をしてしまいました。 お気に障ることを書いているかもしれません。ごめんなさい。 どうしたら離婚にいたらずにすんだのか・・・とおっしゃっていますが、このような考え方のご主人にそもそも奥さんを迎える資格などなかったのではないでしょうか。 どういう経緯でご結婚なさったのかは分かりませんが、お若い時に結婚生活がスタートしているようなので、嫁に行って初めて義理の家族の実態がわかったということでしょうか。 (これもあくまでも想像ですので、失礼があったらすみません) そのような辛い結婚生活であったのなら、むしろ離婚されたことがベストな選択だったように思えて仕方ありません。15年もよく我慢されましたね。 妻の代わりがいくらでもいるというようなことを平気で言えるような男性に、妻など必要ありません。(質問者さんを否定するわけではないですよ) お互いに「代わりなどいないかけがえのない人」だから結婚するのだと思います。 私の主人の前の奥さまも、20歳の若さ(主人より一回り以上年下だったそうです)で当家での同居生活を始め、色々なトラブルの後1年足らずで離婚にいたったようです。 どちらが悪かったのかなど、判断できるものではないのですが、主人も義理の家族もその失敗から学んだことが沢山あるようです。 私自身は初婚でしたが、結構な晩婚でしたので、ちょっとした嫌味なら軽く流せる程度の図太さはありましたし。(悪い嫁ですけど) お互いに嫌な思いをしたことは何度かありますが、大事にならないように上手くフォローしてくれています。 質問者さんご自身も「どうすればよかったのだろう・・・」と思い返すことが、今のご主人への思いやりに繋がっているのではないですか? 前のご主人の言動を見る限りは、全て質問者さんが悪いことにして、あちらは何も反省をしそうにないですね。 どこかの若い娘さんをだましてお嫁さんに迎えているのでしょうか? 最近はアジア人女性を嫁に迎える家も多いようですし。 ああ・・・やっぱり、ムカつきます。。。

rurinohana
質問者

お礼

いえいえ!とんでもないです。 私が前の結婚の事と書かなかったのがいけないのです。 私の気持ちの代弁をしてくださって 有り難く嬉しく感じました。 前の結婚の経緯は 右も左もわからない小娘の私が 結婚の何たるかもわからないまま 交際した男性とは必ず結婚しないと ふしだらという価値観に縛られて 結婚したのです。 それに今思うと 義家にとっては思いのままに洗脳できる 自我の芽生えていない小娘の方が 嫁に仕立て上げるのに都合が良かったと事と思います。

rurinohana
質問者

補足

長くなりますので、補足致します。 前の結婚で 15年間自分なりに精一杯努力し 前夫の希望に沿うように、義親のおめがねにかなうようにと 22歳から37歳の一番美しい時を 自分を殺して生きてきました。 一度はここが自分の骨をうずめる場所と 覚悟を決めたにもかかわらず あえて重ねて書きますが 一番美しいときを捧げた献身に対して 受けた仕打ちがこの一件です。 そして最後は私が義父の介護で、 病院へ世話に通っている時に 前夫は人妻とSMごっこで、 不倫をしていることが発覚したので THE ENDです。 私のその時の憤怒はご想像におまかせします。 家に放火して義親ともども無理心中してやろうと 思いつめました。 (前夫の一番大事な親を奪ってやろうと) さて、義姉ですが 事件後でも長期帰省は変わりませんでした。 私は義姉から「実家」を奪うつもりはもともとなかったので。 しかしその後長期帰省中に、義姉宅に泥棒が入りました。 正月があけて家に戻ると、荒らされていたそうです。 それを聞いた時私は 「もうこれで、長期帰省はしなくなるかな?それにしてもこれって天罰?いい気味!」とニタリと笑みがもれてしまったのです。 ああ自己嫌悪。 人間の根性までひねくれてきたのです。 義姉のパールの指輪やネックレスまで取られて 子どもの入学などの行事に困っていると 聞いた義母は 早速「これで新しいの買いなさい」 「とりあえず、これを使いなさい」と自分のネックレスを送ったり大金を送っていたようです。 私はもうひねくれきっていて 「はいはい、美しい親子愛ですね!」と冷笑していました。 で、泥棒が入ったから もう留守はしなくなったか? いえいえ、相変わらず長期帰省してました。 それにはびっくりしましたが。 (私が今度は泥棒に入ってやろうか?と一瞬想像しました。どんどんひねくれてきた。) 味方が誰もいない結婚生活が いかに一人の人間をひねくれ物にするかの いい見本ですよね。

noname#17334
noname#17334
回答No.12

私はこう思います。・・・・(とりあえず質問を閉じずに待っていてくださいますか?) 私も離婚経験があり再婚5年目なのですが、離婚に至った経緯などいまでも 振り返ることがあります。 私の場合、若くして結婚して互いの価値観のおおきな食い違いに気がつかなかった ということが直接の原因です。 質問者さまがお書きになった母の子宮のお話は、別に男の子だけではないのですね。 うちは、経済的な便利さもあって妻の実家のそばでマスオさん状態で過ごした時期が ながく結果的にそれが、妻が無意識の母親依存を増長させて、互いに「自立した個人が 支えあう」夫婦関係の本来の姿を害ったのだといまにして思います。 若いうちは軽率でずるいものです。経済的な弱者である若者は、親を利用したり妻を利用 したりすることを「仕方が無い」と自分の中で正当化しがちなのですね。 母の実家が田舎の旧家で、従兄弟の嫁さんは実によくできた女性です。質問者さまと同じように 若くして従兄弟の家に嫁にきて夫の祖母、父母の世話をして3人の子の親をやっています。 お話のように、従兄弟の姉がいて、たまに法事などで小姑と嫁が顔をあわせますが、なかなか むずかしそうだというのがわかります。 祖母の死去の際の遺産相続では、公正証書の遺言まで出てきて遺産を独り占めする叔母夫婦の 態度には私の両親も相当に怒り、そこでも間に入った従兄弟の嫁が罵声をあびさせられ苦労した ようです。 とにかく、人間がタフでないと旧家の嫁は務まらないです。それと子供がいないと無理です。 旧家でもなくさしたる財産もなくてただ辛抱しろというのは、それは酷な話です。 同様に、24歳で大学卒業と同時に43歳の開業医の旧家に嫁にいった知人がいます。 それはそれは筆舌につくしがたい気苦労と酷使に耐えて、いまでは3人の息子を医学部にいれて 堂々と医師の妻3代目のステータスを誇っています。 鎌倉のお屋敷に住んで、青山に別宅があってたいへんな生活をされています。 ここまでくると嫁というのも一種の職業なんだろうかとも思います。 さて、人生の節目。済んでしまったことに正解はないです。自分が下した対処が正解なのでしょう。 その行動によって選択された現在の姿に満足できていたらそれでしいのです。 >そしてどうすれば離婚という結果にならなかったのだろうか。 私も時々かんがえます。 私は男だから、相手を幸せにすると言った責任もあるわけです。 しかし、別れて幾人者女性とつきあって気がついたことは、人間には趣味や価値観や 金銭感覚など大きな違いがあって、夫婦としてつきあいやすい相手とそうでない相手がいる ということです。 >未だに考えます。 身体にあわなくて、買わなかった服のことを未だに考えるのと似ています。 価格が高くて買えなかったのはあきらめもつくけど、値段が手ごろで、でも何か違和感があって 試着してやめた服 それって、やっぱりあなたに似合わない服だったんです。 買えばよかったかなぁ・・・なんて考えても。もう店頭から消えています。 消えてしまっているから、いまでもいろいろ頭の中で試着してみて楽しんでいらえるのかもしれません。 >前夫は「妻の変わりはいくらでもいるが、親の代わりはいない。」と言いつつ 別れてよかったです。 親には、配偶者がいるのです。父の代りに母を抱いてセックスできる息子はいません。 親が一人になったら、せめて近くによびよせて同居するというのが孝行の最大限。 私の知人で、一人娘が遠方にいる実父が弱っていてもうそろそろ亡くなるであろう状況になって います。本当は100%お世話をしたい。しかし、母も生きていて介護ヘルパーもいるなかで 東京の自分の生活を維持しながら100%お世話するとなると自分は体力的にも経済的にも 破綻してしまう。 そう考えてしばらく悩んでいた時期がありました。 私は、その人に 「私の爺さんが、息子の嫁である私の母にこういったそうです。 『子供には、100与えたいと思っても50しか与えないほうがいいんだよ。  そりゃ最初から100あれば完璧。でも残りの半分を自分たちで作っていくことが大切なんだ』 母は、その話を聞いたとき、義父の貧乏ゆえの負け惜しみかと思ったそうです。 しかし、自分が子を持つ見になったときにはじめてそれが正しいと思った。というのす。 私も養育費を払う身ですが、手元に100万あれば全部あげてしまいたい衝動にかられる。 でも、それが愛情というものではないし子供のためでもない。」 そういう話をしたら、御本人は 「私も、いま100%親孝行をしたくて仕方が無いけど出来ない自分との葛藤のなかで ストレスがたまっていたのだと思う。今の話は、子供が親にしてあげられることについても 同様のことだと思うの。人間は、自立しながら夫婦として支えあう。それが一番大切なのよね」 そう言ってました。 >踏ん張って私の天下になるまで、残ればよかったでしょうかね。 それは、無理でしょう。そこまでの支えになる将来のビジョンがもてなかったという ことでしょう。 弱い男は強い「親」に寄生して、弱い女性を「利用」するのも、自分が弱いから仕方が無い そうするだけの理由が自分にある。人がやらない親の世話、それだけのハンディキャップを 負っているのだから、弱いものを利用するのも方便なのだ。 そう考えます。 >私が消えたことで、親の介護を私にさせるつもりでいた元夫と義姉はさぞかし困っていると思います。 それだけの資産と長男の経済力があれば、そういうこともありえます。一部の富裕層のように。 でも一代目の長男に過大な負担を強いる親は単なる馬鹿。子供のも親に甘えて楽。親も子供を頼って楽。 それだけの相互依存関係に何の発展もないです。 >激怒して怒鳴り続ける義姉に >みんな逃げ出してしまい、私一人が義姉の前に残されました。 >「姉ちゃんはああして怒らせておけばいいんだ。ハイハイって頭下げとけ」 単純なマザコン夫ですねぇ とにかく、質問者さまに離婚されたことで彼も少しは成長の機会を得たのか 相変わらず淋しい独身生活をかこっているのか 人間というのはどうであれ人を頼ってばかりでは長い人生生きていけないという お話の典型のようですね。 ところで今はお幸せなんでしょう?

rurinohana
質問者

お礼

いつまでも過去を引きずっている 私のために貴重なお時間を割いていただき 有難うございます。 補足欄に書き込みしましたので、お時間があれば お読みいただければ、幸いです。

rurinohana
質問者

補足

まず、皆さんに解りにくい設定であったことを お詫びいたします。 今回の悩みは 前の結婚の出来事で 10年前の事です。 また夫の親のお金の無心というのは、 今の結婚の問題です。 しかし、今は夫ともよく話し合いが出来て 貸したお金は戻ってきませんが これ以上の援助は自分たちの出来る限度を越えているので 無理はしないということで落ち着きました。 今の結婚では、夫の実家の人間関係で悩むことはないし、夫は私を一番に大事にしてくれています。 私にはもったいない、素晴らしい夫だと日々感謝しています。 しかし、空しくなる自分が時々います。 今現在こんなに大事にされて、愛されて 尊敬と思いやりを受けている私自身と 15年間、ヒエラルキーの底辺で小さくなって 人の顔色ばかりを伺っていた私が つながらないのです。 15年間尊重されたことがなく、 旧家の一族の中、自分の居場所を確立させようと あらゆる努力をしてきたのですが 結局瓦解したわけです。 今愛されれば愛されるほど、大事にされれば大事にされるほど 「では何故、あの人たちは私を愛してくれなかったのか?何故前の夫はあんな仕打ちを私にしたのか? そこまで憎い人間だったのか?そこまで価値のない女だったのか?」と 悔しさが生まれてくるのです。 今の夫は 私の聞いた話でしか私の過去を知りませんが 「もっと君はちやほやされていい人間だったはず。 これからボクがちやほや沢山してあげるからね。」と言ってくれますが(実行もしてくれます) その言葉を聞くと、 「同じ夫なのに、どうしてあの人は私を大事にしようとしなかったのかな。」過去の仕打ちがよみがえり 悲しくなります。 離婚してもう7年ほど経ちますが 未だに夢で週に2,3回は 前の結婚の一族が出てきては 私を苛めます。 私は抵抗したり怒鳴ったり夢の中でもがきます。 怒りが頂点に達しては、大声で「馬鹿野郎!」 「ぶっ殺す~~!」絶叫して泣き叫んでは、 横にいる夫に揺り起こされます。 夢の中で前夫やその親の首を、満身の力を込めて絞めている私もいます。馬乗りになり泣き叫びながらタコ殴りに殴ったり・・・。 壮絶な夢です。 合わなかった服・・・ 何故その合わない服を選んでしまったのか 合わない服を無理に着続けていたのか その服は合わないと脱ぐチャンスがあったのに それを逃していたのか またどうすればその服が似合うようになったのか それを本当に考え込んでしまいます。 その一つとして あの時私のとった態度はどうだったのか。 今の私ならもっと毅然として 義姉に言うべきことも言えたかもしれない 前夫に蒙を開くべく、家出の一つもしたかもしれない。 問題の根本を正そうとせずに 土下座という安易な方法でその場を収めようとした あの時の私を情けなく思うのです。

noname#17334
noname#17334
回答No.11

回答と補足が行き違いになってしまいましたね。 >このときに自分はいったいどうすればよかったのか >未だに悩んでいます。 よくいわかります。人生の中で岐路を決める大きな事件というものは いおくつかあって、そのことを人は幾度も振り返るのです。 もし、あの時あの場をうまくやり過ごしていたらと。 私はこう思います。・・・・(とりあえず質問を閉じずに待っていてくださいますか?) これから書きます。

rurinohana
質問者

お礼

まさにおっしゃるとおりです。 よろしくお願いします。

noname#17334
noname#17334
回答No.10

ということで過去ログ参照しました。 過去の書き込みから 現在40歳で再婚3年目。37歳で再婚 これが現在の生活だと拝察いたします。 >40歳夫婦。結婚3年目、子どもなし >夫の父は病気で入退院 >母も世話で仕事できず >夫は結婚前からたびたび、母親に泣かれると >合計数百万のお金を渡してきました。 ・・・・・・ >今の結婚はその点、カンペキです。 >義親の干渉一切ないし、夫も完全に自立 >私は田舎の旧家に長男の嫁として >同居を15年してきた人間ですから >嫁姑のことは身に沁みて実感しております。 >その苦労で心身を壊して、 >壊れた家電を捨てるように、前夫に >「そんな嫁は不要」と言われて離婚になりました。 >私たちは子どもがいないので、年間100万はためて >将来に備えようと決めています。 >先祖の土地に固執し >義父は介護が必要 >ローンは兄と妹で払うそうですが信用できません。 >100万のうち、義兄は25万しか出せないということで >夫は時々「母親に全部お金を渡しても良いと思っている」というようなことを言います。 36歳で離婚したとして21歳でお嫁にいったわけですね。15年ご苦労された。 >私もNO.7さんと同じく >同居経験がある人間です。 >それも結婚当初からです。 >それは夫が守ってくれなかったと言う点です。 >同居は15年しました。 >結果は離婚です。 >私も本家分家ひしめき合う中で >義母の実家も徒歩圏内、義父の母親の実家も徒歩圏内 >周りが一族ばかりでした。 >嫁と言う親孝行の道具が一つ加わったくらいにしか >思わなくなります。 >前夫が典型的パターンでした。 >そういわれて15年やってきた嫁をやめました。 ということで (1)今回の御質問は悔しさの回想 (2)今回の結婚のなかで同様の小姑とのトラブルが生じた (3)何かの折先夫のお姉さんがまた意地悪をしかけてきた。 (4)同様の立場の友人の相談ごと

rurinohana
質問者

お礼

過去と現在が混ざってしまうような 書き方をして、申し訳ありませんでした。 お言葉一つ一つ噛み締めております。

  • hotmeu
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.9

http://okwave.jp/kotaeru_reply.php3?q=1583101 の元旦那さんの話じゃなくて、今の旦那さんの話ですよね?

rurinohana
質問者

お礼

混乱させて申し訳ありません。 前の夫との出来事です。 しかし私にとっては過ぎ去った過去と言う一言では すまない出来事です。 あの時どうするのが一番良かったのか。 土下座という安易な方法しか取れなかった自分を 情けなく思います。

noname#47050
noname#47050
回答No.8

コトの重大さを旦那様が理解してません。 理解させるために、一度実家へ帰ってみてはいかがでしょうか。

rurinohana
質問者

お礼

有難うございます。 実家に帰るなり家出するなり 怒りを表現すればよかった・・と思います。 怒りを溜め込んで我慢し続け 今でも怒りが治まっていないのでしょうね。

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