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塙団右衛門や霧隠才蔵などの歴史本?

どうぞ宜しくお願いいたします。友人の父(昭和9年生まれ)が,最近よく昔語りで「小さいころ,塙団右衛門(ばんだんえもん)とか霧隠才蔵の本を布団にもぐりこんで夢中になって読んでいた。」という話をするそうで,その友人いわく「もうすぐ誕生日なので,もし古書で売っているんだったら,プレゼントしてあげたい」とのことです。年からして昭和10年~20年代に出版されていた本ということになろうかと思いますが,こういった本を扱っておられる古本屋さんをご存じないでしょうか。また,その本についての情報でも結構ですので,お寄せ頂けますと幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • nakaizu
  • ベストアンサー率48% (203/415)
回答No.3

おそらく立川文庫そのものではなく、その類似品でしょう。 立川文庫は大正時代でほぼ出版を終えていて、昭和になってからは非常に細々と出版されているだけです。立川文庫は明治44年に出版が始り、大正時代前半が最盛期と思われます。大正10年を過ぎると新刊が激減し、昭和になると重版を含めてほとんど出版されていません。 私が持っている50冊程の中で最新のものは昭和2年発行のものでこの時期が事実上の立川文庫の終焉と思われます。ただ、昭和7年発行のものが実存しているということなので、ごく僅かの出版は続いていたようです。 詳しいことは出版社の立川文明堂が空襲で焼けて関係資料がほとんど残っていないので不明です。 ほぼ同じ内容のものが他の出版社からも続々と出版されていて、これがだいたい大正3年から昭和30年くらいまで続いています。ただし、昭和17年から終戦にかけては物資の不足もありほとんど出版されていません。お読みになったのはこういった本でしょう。 立川文庫は普通の文庫本より一回り小さく、単行本の調度半分の大きさです。他社から出ていた類似の本は同じ大きさのものや、普通の文庫サイズ、単行本サイズ(B6判)のものなどさまざまでした。 普通の古書店で入手するのは難しいと思います。古書店主でも見た事がない人がいるくらいの本です。ただ、こういった分野に強い古書店があるのも事実で、東京、京都、大阪にあります。 古書店を何件も回るよりも、インターネットで販売している古書店の目録を検索する方が楽で、たとえば日本の古本屋へリンクしておきますので、こちらで検索してみてください。何冊かは見つかります。 http://www.kosho.or.jp/ 新刊書でも読めないことはないです。たとえば三一書房の少年文学大系 別巻2 少年講談集は少し高いですし、10年前の発行ですが、出版社のホームページでは品切れになってないので購入可能かと思います。

tamu3
質問者

お礼

詳しくご教示頂き有難うございました。当時のものを50冊もコレクションしておられるのですね。すごいですね~。できるだけ当時の雰囲気に近いものの方が喜ばれそうですので,インターネットも含めて古書店などを探してみます。本当にどうも有難うございました。

その他の回答 (2)

回答No.2

一昔前に子供も夢中になった「塙団右衛門」「霧隠才蔵」の本といえば、真っ先に思いつくのは立川文庫ですね。 立川文明堂が明治から大正にかけて出版した一連の講談本です。一世を風靡したといってよいシリーズだと思います。 立川文庫の全貌については『立川文庫の英雄たち』(足立巻一氏著。中公文庫)に詳しいので御参照下さい。 さて、私の手元には、膨大な立川文庫の内二十冊だけを初版そのままの形に復刻出版した「立川文庫傑作選」(昭和四十九年発行、講談社)があります。 二十冊の中には勿論、「霧隠才蔵」「塙団右衛門」の巻も含まれています。昔、古本市で二十冊函入りで2万数千円で購入した記憶があるのですが、詳細は失念しました。 が、立川文庫といえば、昔ながらの古書店であれば、大抵わかると思います。お近くのお店でお尋ねになってはいかがでしょうか。 これだけ書いておいて、もし的はずれの本だったらごめんなさい。立川文庫は手の中に収まる小さな本です。一度御友人のお父様にその点なども御確認なさってみればと思います。 御参考になれば。

tamu3
質問者

お礼

早速ありがとうございます。ほぼ間違いなくその本だと思います。「立川文庫傑作選」二十冊函入り,いいですねぇ。近くに古本屋がないのですが,何としてでも探しあてて入手したいと思います。貴重な情報をどうもありがとうございます。また宜しくお願いいたします。

noname#16600
noname#16600
回答No.1

本についての情報ではありませんが、人物については知っているので情報を添えておきます。 ・塙団右衛門(ばんだんえもん)  本名・・・塙直之 元、加藤嘉明のもとで鉄砲隊長として仕えるもその待遇が不満で浪人に(その後小早川秀秋→松平忠吉に仕えるも急死している。)後の大阪冬の陣に参加するため大阪城に入る、その後夜襲を仕掛けるも失敗するもその豪胆さで名を上げる(このとき自分の名の書いた木札をばらまいたとも)大阪冬の陣が豊臣側の和議で終結後大阪夏の陣が勃発、徳川軍を待ち伏せにて打ち破ろうとするが、激しい戦闘のすえ塙団右衛門は討ち死にします。このとき真っ赤にちに染まった塙団右衛門は「血達磨塙団右衛門」(ちだるまばんだんえもん)と恐れられました。 どうですか?少しは参考になりましたか?書籍についてはインターネットで調べてみてきださい(もう眠いのでこれ以上は無理・・・)

tamu3
質問者

お礼

早速ありがとうございました。

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