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いい年の取り方、重ね方

疲れが溜まりやすく、ムリがきかなくなってきているなーと実感する今日この頃です。あれもやりたい、これもやりたいと気持ちだけは先走ってはいるのですが、悲しいかな体がついていきません・・・(笑)時間も飛ぶように過ぎて行きます。今まで、人にパワフル、好奇心旺盛と言われ、それを自負し進んできた私ですが、この辺でひとつ「いい年の取り方、重ね方」について考えてみようと思うに至りました。 私の年齢と前後するくらいの方々、あるいはもう少し上の諸先輩方、「年」を実感されたのはどんな時ですか?そしてどんな風にいい年の取り方、重ね方をしようと思っていらっしゃいますか?そのためにどんな努力をされていますか? 是非、お聞かせ下さい。男女を問いません。 あ、言い忘れましたが、私は皇太子殿下(愛子様のパパ)と同い年です。 最近、お昼は「笑っていいとも!」を見るのがめっきり減り、みのさんの「思いっきりテレビ」にチャンネルを合わせ、健康ウンチク物を見ることが多くなりました。(笑)

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noname#1422
noname#1422
回答No.6

gomuahiruさん、今晩は。 良い年の取り方というのは、自分に無理なく、わがままでなく、というスタンスを確立していく事だと思ってます。振り返ってみれば若い頃はとにかく人並みかそれ以上、という強迫観念みたいなものがあったように思うのですが、年とともに、自分は自分、人は人、というサトリ(=あきらめ?)の境地が見えてきたような感じです。 年を感じるのは、物欲が随分衰えてきたなあ、ってふと気付く時ですね。あれが欲しいこれが欲しいと思っている間はやはり私もエネルギッシュでアブラギッシュだったと思うのですが、年とともにアッサリ、サッパリ、というのが心地よくなってきました。欲が薄れると生産的でなくなりますよね。これが老化ということなのかなあ、って思ったりしてます。 客観的に見て良い年の取り方をされてるなあ、という方は沢山いらっしゃいますが、私はあえて真似ようとは考えないようにしています。ものの考え方や精神的体験、具体的な人生経験などは人それぞれなのだから、その結果として形成された人格は様々に異なっていて当然だと思うし「これが正解です」という事もないように思います。素敵な人は素敵だと認めた上で、自分は自分なりにその時々においてベストの判断、行動を心掛けておればよい、と思っています。結果として世間のスタンダードからはずれた年の取り方になってしまってもどうということはありません。 世間体とか人並みとか人以上とか、そういう他人との比較で神経をすり減らすのも馬鹿らしいような気がしております。どうせ一生、死ぬまで生きるだけの事です。公序良俗に反しないなかで自分を可愛がってやって良いと思ってます。御質問にある「努力」というのは私の場合、人を気づかうばかりではなく、もっと自分も可愛がれよ、という事ですかね。もう少し自己主張しよう、と。「ワガママ」にならない境界線というのはこれまでの人生経験でしっかり身に付いている!ということで自分を信頼しております。 将来、イジけた卑屈な老人にだけはなりたくない、というのが私の願いであり、そういう方向にいかないように日頃から心掛けておく、というのが私のポリシーでしょうか。 ・・・なんかカッコよくないですか? にゃはは。 というわけで、スポーツをやると翌々日に筋肉痛に襲われ、その回復には数日を要し、昔とった杵柄とばかりにバッティングセンターに行けば30球で息も絶え絶えになり、スピードガンに挑戦して肩も抜けんばかりの全力投球での86キロの表示に「機械が壊れている!」と文句をつけながらも内心ガクゼンとしたokanouenobakaでした。

gomuahiru
質問者

お礼

okanouenobakaさん、ご回答ありがとうございます。 おっしゃる通り、いい年の取り方は”人それぞれ”ですね。下の方へのお礼にも書かせていただきましたが、何から何まで人の物まねでは滑稽ですよね。 確かに、年を経るに従って、私も「自分」が見えてきました。そうそう、人間って変われるものではないです。先日、25年ぶりに高校の同級生達と会いましたが、皆、性格や中身はちっとも変わっていませんでした。(私もそう言われましたけど)四十路に入って、変わらない自分をありのままに捉え、いい点も悪い点も認識した上でそんな自分とのお付き合いを続けていく覚悟は出来てきましたね。 さて、私は「物欲」はまだ充分にあります。(笑)これは女性の方が一生、強いのかも?でも、もったいない精神もそれと同じくらいあるので、娘達が飽きて捨てた服を拾って着たりしています。昔、私の母が、私が捨てたボートハウスのトレーナーを着て買い物に行っていたのが、死ぬほど恥ずかしかったんですが、気が付くと私も同じ事をして娘達にブーブー言われているわけです。(笑) 淡泊といえば、私も段々と最近は怒らなくなってきました。 若い時は納得行かないことがあると、「ガルルゥ~~」っていうようなかんじでよく相手とケンカしてましたが(笑)最近はちょっとムカッときても、本格的に爆発することは少なく、ケンカは「時間とエネルギーの無駄」だと感じるようになりましたね。 「自分を可愛がる」ということに関しては、私の場合、気をつけないと「とことん大甘」になってしまうのでは?と恐れています。世間のスタンダードから外れていつの間にか「蚊帳の外」なんて具合にならないように気をつけたいですね。意外と小心者なので。 自分の満足することを追求していったら、いつの間にか人様のため、世の中のためになっていたーというのが理想の「年の重ね方」ですね~。(虫が良すぎます?) スピードガン、86キロって凄くないですか?(でも、プロにすれば超スローボールになるのかな?)私も、3年前は出来た「エアロのハードクラス2時間ぶっ続け」がもう出来なくなりました。(身が重いという事情もありますが)でも、これからは、自分の体の中の声に耳を素直に傾けつつ、運動していくことが必要だと痛感しています。 *追記(老婆心より)okanouenobakaさん、風邪薬、アルコールで流し込むのは厳禁ですよ!ヘタするとトリップしちゃいます。あと、cサマの質問での鉛筆の答え、同じだったので笑ってしまいました。

その他の回答 (14)

  • Eivis
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回答No.4

 gomuahiruさん、久しぶりです。。。お嬢さんとお二人で参加されているとか、ところで私は皇后陛下より一週間、年長者です。 さてその「年」を感じた時、、、体力とか気力とかいろいろな段階があるような気がしますが。。。  1)真冬のワカサギ釣りはもうごめんだと思った45才。  2)49才で盛り場(バー・クラブ)とお別れしたとき。    同時に女房とばかり食べ歩きをするようになったときかな。  3)50才で無理していて腹膜炎入院したときと、慌てて入院保険に入る気になったとき。 矢張り50の大台っていうのは何か気をつけた方がいいような気がします...私の50代はバブルに向って花開いた時代で 団塊の世代に比べれば面白おかしく暮らせた時代で、仕事もした代わり何十回も東南アジアに食事に行ったりと楽しんだのですが 好事魔が多し、好事もなきに如かず・・・60才の節目には大腸ガンに罹ってしまいました。。。まさに「生活習慣病」です。 余談ですが丁度、病院のベッドの上で阪神大震災のニュースを聞いていて画面に比べて緊迫感がなかったのを覚えています。 退院後は無理をしなかったせいか全治、ただ喫煙の悪影響のせいで今度は肺気腫という難病に係り、これまた何と「生活習慣病」! ~というわけで、あまり好い年の取り方とは云えないですが[OKWeb]に参加したりしていると自分の歳と時間のたつのを忘れます。 ここで若い人に混じっていろいろ書いたりしていると、いろいろ教えられることが多いですね...お互いに頑張りましょう! でも私は貴女よりも若いと思いますよ!...なぜなら、みのもんたさんより「笑っていいとも!」を見るのが好きだから(爆)! ・・・いろいろしたから一応経験者?、一体なんの自信があるんだろう、、、多分生き延びた自信かな!

gomuahiru
質問者

お礼

Eivisさん、ご回答ありがとうございます。 いつもその慧眼ぶりとユーモアには脱帽のgomuahiruであります。(ヨイショしても何も出ない?)実は告白すると、私、Eivisさんのことを最初の内は、私と数才くらいしか離れていない方だと思っていたのです!ところがいろいろな回答を読ませて頂く内に??? どうも世代がかなり上らしいーということに気がついてショックでした。(何のことやら)裏を返せば、とても若々しい感性の持ち主でいらっしゃるということです! しかし、グルメがたたって「病気のデパート」状態とは大変でしたね。 楽しいことの代償とはいえ、それもまた辛いですよね。「健康管理」は老後の必須アイテム!?でしょうか?しかし、ここで若い人からも学び続けようとするEivisさんの姿勢には感心させられます。私もまだまだ負けないように頑張ります。

noname#1465
noname#1465
回答No.3

gomuahiruさん。こんにちはでござる。 年を感じた時ね、 そうねえ、余り夜の街を徘徊しなくなったこと。 仕事がら、高い所に登るのですが、はしごが急に怖くなった時。 つい新聞から目を遠ざける自分に気がついた時。 子供に子供ができた時、しかも私に向かって「ジージ」という時。 草花を愛でたり、美術館にむしょうに、行きたくなった時。 いい年の取り方ねえ、私にも教えていただきたいくらいです。 自分は、とにかく死ぬまで、仕事を続けようと思います。まっ、仕事があればね。 こうやってOKWebさんで、皆さんとお話ができるのはいいんですが、つい馬鹿やったり、怒られたり、けなされたり、 身も心もボロボロになり、出て行ったり、出戻ったり・・・・と、 いい年の取り方より、あほな年の取り方をしてるのは事実であります。 今年の正月友人と二人で山陰に蟹を食べに行き、一泊しましたが、 温泉につかった瞬間は、これまで生きてこれて本当に良かったと、思いましたよ。 ではまたね。とりとめない話ですいません。

gomuahiru
質問者

お礼

koronosukeさん、お久しぶりです。ご回答ありがとうございます。 人間、「守り」に入ったと実感した時、年を感じるということでしょうか? いままで築いたものとかを振り返ったり、これから大事にしていかなければならない命に思いをはせたりー。 近所のオバサマ方とお茶することがあるのですが(私より10才くらい年上の方が多い) ホントに「孫」って可愛いものらしいですね。子供の自慢ってみっともないけれど、孫の自慢は微笑ましくっていつまでも聞いちゃいます。 「仕事」も一つのポイントですね。仕事があるということは(まあ、主婦の場合は無償のことが多いですが)世の中に必要とされているということですものね。 私もいつまでもそうありたいな~。 格好良く年を取ろうなんて考えてたら、かえってそうはいかないのかもしれませんね(笑)ささやかなことに喜びを覚える気持ちは失いたくないものです。

  • tweetie
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回答No.2

同じく若輩者ですが(笑)、周りを見ていて素敵に年をとられているナァとお見受けする方はみんな、ご自分のことを大切に愛していらして、何が欲しくて何は必要ないか、ちゃんと知ってらっしゃるような気がします。 そしてご自分が欲しい物の中には大抵、愛する方が一番に入ってらっしゃって、人に気持ちを与えることの幸せを満喫されていらっしゃるようです。ま、男性と女性では違うところも多いのでしょうが・・・私もきちんと自分が欲する物を見極めることが出来るような人間になれば、上手に年が重ねられるかナァ、と思ったりします。

gomuahiru
質問者

お礼

tweetieさん、ご回答ありがとうございます。 いろいろなところで回答をお見かけして、お若いのに自分を持ったしっかりした方だなーと、かねてより敬服していました。(この言い方自体、すでにオバサンくさいですね・・・笑) おっしゃるように、「選択する」そして「何が自分にとって優先するか」を考えるというのは非常に大事なことだと思います。若い時にはあれもこれもとガツガツ欲張ることに一種の生き甲斐すら感じていましたが、それも次第にみっともないかな~という気になってきております(笑) 自分にとって本当に大切な物は何かを見失いようにしていきたいですね。

  • serotonin
  • ベストアンサー率14% (26/182)
回答No.1

私は、若輩者ですが、ひと言。 季節を満喫?すれば、良いのではないでしょうか。難しいけど。 春、夏、秋、冬、を 楽しむ。 世間話のできる仲間がいて、なるべく健康で、適度の運動とお金。 憧れだなあ~

gomuahiru
質問者

お礼

serotoninさん、早速のご回答ありがとうございます。 確かにおっしゃる通りですよね。こんな美しい四季のある国に暮らしているのですからそれを楽しみ、それにまつわる文化も大事にしていきたいですね。 しかし、最近はクリスマスの支度、飾り付けなどもおっくうで遅れがち、(おまけに電飾を取り付けていてはしごから落ちるし)お雛様の片づけも遅れて娘達の婚期を危うくするし、反省ばかりです。 理想の老後(っていうのも早いけれど)に欠かせないのはまさしく「友達」「お金」「健康」ですね~。

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