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皆さんは本当に人を信用しているのですか?

私は他人を心から信じる事ができません。 両親も恋人もです。 それはごく普通のことでしょうか? 私は時々、友人や恋人といて違和感を感じる事があるのです。 友人や恋人は、裏切られる事を恐れていない、というかすごく前向きで 恐れを知らない、そういったものが一緒にいて伝わってきます。 私は逆に、人に期待する事がとても恐いのです。 先日、最も親しい知人に「壁を作っている、屈折している」と言われました。 どこか私には冷めた感情があり、結婚に対しても前向きになれません。 皆さんは、本当に両親や恋人を信用しているのですか? また、信用できる理由等、教えてください。 よろしくお願いします。

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回答No.22

#11です。ご返信ありがとうございました。 補足ではないのですが、きっと質問者様と考え方の違いがあることと感じましたので、補足できる点を再度記載させていただきたく存じます。 >後者のBですが、何故Bは、愛情を注いでくれる彼を信用してみようと思ってるのに、自分に原因があるかもしれないとまで考えているのに、何故さよならを言うのですか? まず、この文章を書いたときに私は勝手に【彼が浮気した結果Bさんは彼女に彼を取られてしまいふられて分かれてしまう】といった事を前提に書かせていただいておりました。もし浮気して彼が反省するのであれば【彼を許してもう一度やり直す】といった別の結果もあることと思います。 しかし、どちらの結果にしても同じなのはBさんの信頼は彼に対する愛情が前提にあるので彼が浮気したことによって【浮気は決してしないものと期待】していなかった為、彼が浮気をした結果【自分が信用した結果に対して彼が裏切ったとは】感じていないということだと思います。 あくまでBさんの【信用する、信じる】という感情は【彼を愛しているので浮気はして欲しくない】という感情にとどまり決して彼が浮気をする事が【裏切りの行為だ】と決定づけていない点が相違点になるのだと思います。それに反しAさんは【信用する感情が期待するという行為だったので】結果【裏切られた】と感じてしまったのではないのでしょうか? 信用するには【愛情の表現】以外にも【その人の事を信じて自己の判断基準に適応させる】といったニュアンスも含まれていると思います。しかし、そこで考えなくていけないのは【判断】を下すのはあくまで自分です。信用して愛し、判断基準を相手を信用してその事に重きを置くことが【信用】に値すると思いますが、その結果どのような結末になっても【自己の責任は自己が負わなくてはいけないことに】変わりはないはずです。 >私は彼の事を本当に愛していたけれど彼の愛情は私が彼に感じる程ではなかったのかもしれない・・・と思い、さよならを言う事は彼に自分と同じような愛を求めていたのではないでしょうか? まず、【彼に自分と同じような愛を求めていたのではないでしょうか?】は愛を示して欲しいという【期待】になると感じます。きっとその点が理解できなのですね。 質問者様のいわれる愛の意味を憶測すると【自分は浮気をしないのだから、相手が浮気をするのは間違いだ】ということでしょうか?そうされますと論点がずれますが、それは【真の愛情という感情】ではないと思います。その愛と思われている感情には必ず【見返りが必要になってくるからです】。しかし、純粋に人に対して愛情を感じる事に見返りは必要ないはずです。愛の一つに親が子供に愛情を示す【家族に対する愛情ストルゲー】というものがありますが、子供は話すことや行動するのもままならいので当然見返りを期待しても愛情に対して何か親にすることはできません。しかし、それでも親は子供に対し【見返りを求めることなく】愛情をそそぐのではないのですか?つまりこれが本当の【愛】という感情だと思います。【愛情とは何かの見返りを求めるものではありません。】自分が誰かに対して感じる【感情】の一部でその人に対して行為をもっているといった感情になります。 しかし、【彼に対して同じような愛を求める】事は自分の感情だけではなく他の人に同じように自分も愛して欲しいとう【期待】を抱いているのであって純粋な【愛情】というものではないと思います。愛という感情には大まかにまけても5つの細かい感情に細分化できますが、そのどれをとってみても自己に【見返りを求める】ために持つ感情ではなくどれも【自発的で】【見返りを求めない】感情の事を指します。 もしそうではないのならそれは純粋な愛ではなくあくまで【他の人に見返りを求めるために示した偽りの感情】ということになると思います。見返りが求められないのなら【その人に対して愛情がなくなる】というのは【本当の愛情ではありません】。 >家族も恋愛もギブ&テイクではないのですか? >家族については、大切に育ててくれたからこそ感謝しそして、親孝行の気持ちが芽生えると思うのです。 >恋人についても、大切にしてくれるからこそ感謝し相手を大切にしようと思うのです。 >大切にしてくれない恋人に、無償の愛で傍にいることができるのでしょうか? これは前述しましたが【見返りを期待する感情であって】【真の愛情ではない】と強く感じます。何故なら愛は自発できで決して見返りを求めないものだからです。 質問者様は【家族や恋人にたしてもギブ&テイク】とおっしゃておられますね。しかし、それは違います。では誰かが与えなくては【誰も愛することはできない】ということにはならないですか? 世の中に生活する人は、この法則に当てはめると誰も与えてくれなければ【愛さない】のでもちろん【すべての人に対して愛情を感じることはない】となってしまいます。何故なら、【すべての人が見返りを求めている】ので【誰かが一番初めに自発的に愛情や親切を見返りを求めずに示そうと思わないから】です。 しかし、本当に愛情という感情はその様なものでしょうか?私の周りには初めて会ったのに親愛の情を自発的に示してくれたりする人がいます。後にそういった人と親友になったりします。また自分から初めてお会いする人に対して【見返りを期待せずに親切にする】こともあります。 もし、質問者様の言っている愛情の感情が正しいいみなのであれば、その親友は私が何もしないのに何故愛してくれたのでしょうか?また私は自分になにも返してくれないと分かっている人に対して親切を示すのでしょうか?愛は自発的に相手を好意的とらえに【自発的に前向きに考えその人の事を想う】という感情です。 私は自分の周りにいる人すべてが【様々な状況から考えても不可能ですが】愛情を示しあって幸せな生活を送れれば良いなぁと心から感じております。 その補足によって少しでも考えが理解できれば幸いです。

kao900
質問者

お礼

再度、回答ありがとうございます。感謝いたします。 Bに関して 彼が浮気した結果Bさんは彼を取られてしまいふられるといった前提であるならば、自分が信用した結果に対して、彼が裏切ったとは感じていないというふうにも受け取れるので、理解できます。 ですので、AとBの相違点も理解できました。 今回沢山の方に回答を頂き、驚いた事があります。 私の認識では、期待する事と信じる事は結局は同じであると。 しかし、回答者様や他の回答者様はその2つは別のものだと。 具体例のA、Bのおかげで明確にその違いは理解できています。 ありがとうございます。 >質問者様のいわれる愛の意味を憶測すると【自分は浮気をしないのだから、相手が浮気をするのは間違いだ】ということでしょうか? ここまでいくと、愛というより倫理観になってしまう気もします・・・ 愛の本質については、 >自分が誰かに対して感じる【感情】の一部でその人に対して行為をもっているといった感情になります。 という一文で大変よく分かりました。 では、私が言うギブ&テイクは(見返りを期待する感情) 自己愛ですよね。その慈愛は相手にではなく自分に向かっているように思えました。 私は哲学も何にも知りませんが、本を読む事は好きで、 いろんな本を読んできました。 回答者様のご意見は、大変興味深く、本当はもっと伺いたい事が 沢山あるのですが、伺えなくて残念です・・・ 皆さんの回答を何度も読み返して、また新たな発見を見つけたいと思います。ありがとうございました。

その他の回答 (22)

回答No.12

 信用しているかどうかは別として、期待はしません。たとえば「裏切らないでほしい」とかいう期待とか。  自分自身に、相手を裏切らせない自信があるので。  だれかに「信じさせてほしい」「信じられる人と出会いたい」と期待するより、自分自身でなにか行動する方が生産的だと思うので、わたしはそうするようにしています。

kao900
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 回答者様はとてもシンプルで建設的だと思います。 相手を裏切らせない自信を私も持てるよう いろんな事を考え、行動しているのですが、 なかなかうまくいきません。 今まで読んできた、どの自己啓発の本よりも 今回、みなさんから頂いた回答の方が 私の心を揺さぶる結果となりました。

回答No.11

>皆さんは本当に人を信用しているのですか? はい。その様に自分が愛している人に対しては積極的に【信用】したいと自発的に思っております。それは【みえない自己のその人に対する愛情表現だと思うから】です。しかし、ここで考えなくてはいけないと思う事は【自分が相手を信用しようと思った結果】【自身がどのような行動、また感情になるのか】ということが大切なのではないのかと感じました。  思いますのは人は【信用される】という受身の生き物なのではなく、自分が誰かを自発的に【信用する】ことによって相手に対して言葉には出していないけれども感じている信頼感や愛情の一部の表現なのではないのかと思います。 例えば、彼氏の【浮気】について考えてみましょう。 彼に対して愛情を持っていますので、いつまでもそばにいて欲しいしいますし、浮気などして欲しくないと誰でも思うと思うのです。 そして人はその人に対して愛情が深まった時に、相手の事を思う強い感情から【この人を信用しよう】という自発的な感情の行動に移る事ができると思うのです。ところでこの【信用は言葉に出すわけではないのであくまで自己の中での感情ということを明記しておきます】。 そんな最中彼氏が予想に反して実際に浮気をしてしまいました。この行動に対してあるAさんとBさんの感情の動きについて考えてみましょう。 Aさんは彼に対して 【この人は自分に対して愛情を示してくれているので浮気などは決してしないと信用できる】と感じていました。しかし、そう思っている最中、彼が実際には信用していると【自分が】感じていたにもかかわらず浮気をしてしまいました。【あんなに信用していたのにひどい。裏切られたわ】と心の中でAさんは感じました。 それに対してBさんは彼に対して 【彼は私に対して愛情をたくさん注いでくれているのをとても感じているからこの人を信用してみよう】と感じていました。その結果彼が浮気をしました。それに対して【私は彼の事を本当に愛していたけれど彼の愛情は私が彼に感じる程ではなかったのかもしれない・・・。私にも何か原因があるかもしれないわね・・・。でも今まで彼と過ごせた時間はとても楽しいものだったから、私の彼に対する愛情は本物だったと思うわ。今まで良い時間を過ごせたことを心から彼に感謝できるわ。ありがとう】と心の中でBさんは感じました。 このA、Bさんは同じ【信用する】ことに対してここまで違った感情をもっていましたが、原因は結局【信用する】という行為また感情そのものが【自発的な事から始まる】点にあるのだと思います。つまり自分が信用した結果どのようにまた考え前向きな行動を取れるのかが大切ということではないのでしょうか? しかし、一番Aさんの間違っていた点は自分が自発的に信用【自発的に抱いた感情】していたのにもかかわらず、相手の行動や気持ちを本当の面で理解していないのに、すべて原因は彼にあると【心の中で考えている】事があげられると思います。 【信用する】のも自分ですが、その結果どのように相手の事を思い行動できるかも自己の責任にかかってくるということではないのでしょうか?Bさんのようにいつも【前向きで積極的な考え方】ができているのなら【人を信用】していても【決して恐いものはありません】。その結果さらに自分にプラスになるように人間として成長できるのだと思います。 【信用した】という行為は自分でしたのですから、例え相手が自分の考えと相反する行動に出たとしても【裏切られた】とは考えず自分の判断能力の誤りを認め誰かのせいにする事無く自分で良い判断ができるのなら人を【信用するのは恐いことではなくなるのではないのでしょうか?】 >人に期待する事がとても恐いのです。  とのことですが、【期待】する必要はないと思うのです。信用した結果自分がどのような行動を取ろうともそれは自己が下した決断なのでその行動の責任はもちろん自分が取ると考えると人を信じるのは恐いことではないと感じます。他の回答者の方もおっしゃられておられるように【信用する】のとその人の行動を憶測して【期待】するのはまた別の感情ではないのでしょうか。確かにAさんのように感じてしまう人も多いとおもうのですが、もし誰かが自分に対して信用してくれているという強い愛情があることがわかったのならもちろん嬉しいのではないかと思います。それはカドに期待されるという意味ではなくて【言葉にしない自己の愛情表現の一部】ではないかと私は考えております。そういった意味では質問者様は【信用できない】のではなく【期待できない】ということになると思うのですが、人に対して何かを期待する必要性はないと思います。 そう申しましても私も人間です。色々な事を予測してもその通りになるわけではありません。その時に傷付くことも実際にありますよ。ですが、自分が信用することによって表面化されない相手に伝わる【愛情】もあるのであれば、そう行動したいですし、ました自分が考えた判断に対して自分で責任をとることができれば少しでも【人を信じよう】と考えることができるのではないのかと感じました。 少しでも参考になれれば幸いです。

kao900
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 分かりやすい具体例をありがとうございます。 例で言うと、回答者様はBで、私は前者のAであると思います。 しかし、一つだけどうしても解決できない事があります。 後者のBですが、何故Bは、愛情を注いでくれる彼を 信用してみようと思ってるのに、自分に原因があるかもしれないとまで考えているのに、何故さよならを言うのですか? 私は彼の事を本当に愛していたけれど彼の愛情は私が彼に感じる程ではなかったのかもしれない・・・と思い、 さよならを言う事は彼に自分と同じような愛を求めていたのではないでしょうか? そうでないと、彼にさよならを言う理由が分かりません。 「Bの自発的な信用」は、結局は何を信じていたのでしょう? 家族も恋愛もギブ&テイクではないのですか? 家族については、大切に育ててくれたからこそ感謝し そして、親孝行の気持ちが芽生えると思うのです。 恋人についても、大切にしてくれるからこそ感謝し 相手を大切にしようと思うのです。 大切にしてくれない恋人に、無償の愛で 傍にいることができるのでしょうか? 回答者様のご意見に大変興味があります。 もし、こちらのお礼内容を見てお時間がありましたら 是非、もう一度回答をお聞きしたいです。

noname#18962
noname#18962
回答No.10

父、母、妹のことは信じています。もう1人、親友のことも信じています。血のつながりのない他人をこんなに信じられるのは初めてです。もちろん、自分のことが一番好きで、自分を一番信じています。私も、ずっと人を信じれませんでした(って言っても私が信じているのも4人だけですが・・・)。今まで10人くらいの人とお付き合いしてきて、1人だけ信じられる人がいましたが、見事に裏切られました。けど、家族と親友を信用できなくなるってことはありませんでした。すべての人に自分を理解してもらおうっていうことは無理なことで、誰か1人でもわかっていてくれれば幸せなんだとそのとき分かりました。もちろん、裏切られたことは他にもあります。ショックだけど、私には分かってくれる人がいると思うと元気になれるのです。kao900さんは、自分のこと好きですか?まず、自分のことを心から好きになって、相手も好きになろうって思えます。中学生のころまでは信用できないって、私自身も壁を作っていました。壁をとるのは自分です。信用できない人はたくさんいるけど、信じても大丈夫な人はきっといます。だから、ちょっと考えてみてください。

kao900
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 今まで沢山の人に助けられて、支えてもらったのに 信じてるのは自分だけなんて私は本当に矛盾しています。 壁を取るのは自分ですね。 今日までしっかり生きてきた事に関しては 自分の事を褒めたいと思っています。

  • queen90
  • ベストアンサー率16% (11/67)
回答No.9

恋愛、人間関係で傷つくたびに人は信じる力を失っていくのかもしれません。 昔の私はバカ正直に人を信じていました。 今は極力、信じることをしないようにしていますが 信じる気持って止められないんですよね。 無意識に起きるものですから 一度、ひどい裏切りに会って誰も、何も、信じられなくなったときの私は 人の声すら信じられなくて聞きたくなくて耳をふさぎ、 もちろん人には会うことも出来ずに電車すら乗れなくなりました。 人をまったく信じられないってことは 誰とも接せられなくなると言う事では? あなたには少なからずお友達がいて両親とも一緒にいるという事は 信じてる気持が小さくてもあるんですよ。 人を信じられないと冷たいってのは違います。 そう周りに見られたり言われたりするから 自分はそうなんだって思ってるだけじゃないですか? 冷静な人って冷たいと言われたりするじゃないですか、 外見がそうであったって 人は他人と繋がっている時点で少なからずその人を信じてるんです。 大丈夫、他の人よりちょっと不器用でちゃんと冷静なだけだと思いますよ。

kao900
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 電車にも乗れなくなってしまった経験があるのに 信じる気持ちは止められないという前向きな回答者様を 見習いたいです。 私は打算的に行動していることを感じました。 親に対しては愛なんてなく、情のようなものです。 >人は他人と繋がっている時点で少なからずその人を信じてるんです。 そうですか、私も友人や恋人を信じているのですね。 今までの出来事を思い返し、周りの人に感謝し 大切にできる人間になろうと思います。

  • rinousagi2
  • ベストアンサー率14% (241/1609)
回答No.8

>それはごく普通のことでしょうか? さぁねぇ?でも、別に他人と違っても同じでもどっちでもいいでしょ。 >人に期待する事がとても恐いのです 信じること と 期待する ことは違うよ? >皆さんは、本当に両親や恋人を信用しているのですか? してますね。信じることと期待することは違います。 信じるというのは、何も要求せず、何も見返りを求めず、ただ、信じる。 というだけ。 期待するというのは、予め、『●●してね!』と要求し、見返りを求める ことです。 質問者さんの言っている『信じられない』とは、相手に何かを期待し、 『見返りをくれるもんだと信じていた』のに、 『期待に応えてくれなかった=裏切られた』 ということでは?? 家族や恋人が他人を信じている様と、質問者さんの『期待を信じる』と いうのは、信じるものが違うので比べようがありませんよ。

kao900
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >信じることと期待することは違います その認識から全く違う事が分かりました。 私はどちらも結局は同じなのではないかと思っています。 信じるというのは、何も要求せず、何も見返りを求めず、ただ、信じる。というだけ。とありますが、 例えば、そんな恋人と結婚してその相手が不倫をした事がわかった時、回答者様はどう感じますか? 裏切られたと感じるのですか?自分を責めるのですか? それとも慰謝料を請求しますか? 私の周りの人たちは恋人や旦那に対し、 自分が愛すると同時に、相手にも同じように愛する事を求め それが達成されないときには、泣くか、責めるか、慰謝料を請求しています。相手のことを信用していたからこそなのだと思います。 一方的な奉仕精神ではないような気がしていました。 ですが回答者様のご意見は、私とは全く違う解釈で大変参考になりました。

  • robin1124
  • ベストアンサー率52% (185/354)
回答No.7

こんばんは。 人間関係で一番難しい部分ですよね。信頼って。 あなたが人を信じられない理由はなんでしょうか? >人に期待する事がとても恐いのです。 ということは自分が傷つきたくないという一心で 誰も信用できないのでいるのですか? もしくは人々が口にする言葉の裏に本心を探って、 いいようには思えないのでしょうか。 誰もが本心では何を思っているかわからないから信じられないと。 何かトラウマになるような出来事があったのでしょうか? もしそうでなく漠然とした思いであるなら悲しいことです。 信用できる理由なんて友達や恋人、親に対して考えたことありません。 気の許せない信用できない人と友達になれますか? 恋人になれますか? あなたを愛してくれる全ての人たちがあなたを信じています。 周りにいる全ての人にお前は信用できないと言われ どんどん去って行かれてしまうとしたら それもしょうがないとあきらめられますか? 友達や彼はあなたを信用してくれていますよ。 そういう感情に対してあなたはそれも信用できないとおしゃるのでしょうか。 信じられる人がいなくてこの先の人生なにか困ったことがあったらどうしますか? アドバイスもやさしい言葉も慰めも同情も愛情も友情も信じられずに死んでゆくのですか? あなたの信じられるものは何ですか? それを信じられる理由は? 全てを信じられずに生きていくには この世はあまりにも多くのあなたの言う 「信じられない」キズナで繋がっています。 もっと肩の力を抜いて 信じる勇気を持ってみてください。 きっと今よりラクになってもっと楽しい毎日になりますよ。 信じられない理由はいろいろあるけど 信じられるのって理屈じゃない。 信じるってそういうものですよ。

kao900
質問者

お礼

回答ありがとうございます 人を信じられない理由はANo.2のお礼に書きましたので 読んでいただければと思います。 あなたの信じられるものは何ですか? 自分です それを信じられる理由は? 誰も助けてくれないからです。 でも、そんなふうに考え、生きていくなんて悲しすぎる事も 分かっています。だから周りの人はどんなことを理由に人を 信用し、毎日を過ごしているか知りたくなったのです。 知る事で、他者と自分の違いを認識し、自分の道を修正し 今よりもさらに毎日を楽しく生きたいと思っています。 肩の力を抜いて、、恋人にも言われました。 温かいお言葉ありがとうございました。

  • Itarufox
  • ベストアンサー率31% (10/32)
回答No.6

一言で「信じる」といっても、ピンからキリまであると思います。 例えば、恋人に10円貸した時、「わざわざ、催促しないでも、 返してくれるだろう..」と【信じて】いたとします。 でも、相手がそのことをすっかり忘れてしまっていたとき、 ある人は「まあいいか、10円くらい」と思っても、 ある人は「信じていたのに裏切られた!」と思うかも知れません。 人からの期待に100%答えることは不可能ですし、 その反対も同じです。 誰かを信じるときには、無意識ながらも「裏切られる」ことを、 そして、それを「許す」ことを、勘定に入れているんじゃないかと 思うのです。 そのことを妙に明確に意識すると、質問者さんのように、 ガードが高くなってしまうんじゃないでしょうか?

kao900
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >誰かを信じるときには、無意識ながらも「裏切られる」ことを、 そして、それを「許す」ことを、勘定に入れているんじゃないかと 思うのです。 そうなのですか。友人は恋人に裏切られて何ヶ月も泣いています。 恋人の全てを信じていたのでしょう。 それでも恋人が戻ってきてくれると願っています。 正直なところ私には考えられません。 友人の発言や行動がいまいちピンとこないのです。 「裏切られる」こと「許す」ことを、勘定に入れていれば 友人は泣かずにすんだのでしょうか。

noname#169003
noname#169003
回答No.5

はじめましてJoeSanと言います。 このような質問はこれが答えだと言うのは無いと思いますので参考程度に思ってください。 裏切るとか裏切られるなんて言うのはその時の考え方(見え方)だと思うんですが 相手が自分の都合の悪い動きをしたときに裏切られたとか思うんでしょうか 個人個人自分の都合の良いように行動しているだけだと思うんですが その中で引っ付いたり離れたりしているだけなんじゃないでしょうか わかりにくい表現ですみません

kao900
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 個人個人自分の都合の良いように行動しているだけだと私も思います。 では、何故そんな人達を信用できるのでしょうか? 信用できる理由が知りたいのです。 とても分かりやすい回答でした。 ありがとうございます。

  • t78abyrf9c
  • ベストアンサー率47% (3029/6402)
回答No.4

本当に人が信用出来ないなら、友人や恋人との付き合いが出来るのでしょうか? 友人や恋人との付き合いがあるという事は、少なからず信用している証では? 私は、身近な付き合いがあった人たちが信用出来なくなったので、今では直接付き合いのある人が全くいません。 出会える人がいるんですよね? 相手をしてくれる人がいるんですよね? なのに、信用してないって、私には、貴方が自分に嘘を言っている気がしてしまいます。 本当に信用出来なくなったら、拒絶するしかありませんよ。

kao900
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 友人や恋人に対して信用しているというよりは、 信用したいと思っているという方が適切かもしれません。 友人や恋人の事をもっと知りたいと思っています。 >信用出来なくなったら、拒絶するしかない、 私は拒絶も出来ない、ただの寂しがりやの気がしてきました。

  • marimo_cx
  • ベストアンサー率25% (873/3452)
回答No.3

親兄弟に関しては背理法というか核抑止というか。 もう付合いは産まれてからずっとですから、相手の手の内はわかっています。故に、騙されない自信がある。 友達に関してはパターンが沢山ありそう、むぅ。

kao900
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >もう付合いは産まれてからずっとですから、相手の手の内はわかっています。故に、騙されない自信がある。 おっしゃている事はなんとなくですがわかります。 私は子供ながらに自分を守る事を考えてきました。 そして両親と信頼関係をつくるという事を諦めてしまいました。 自分勝手です。