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再婚して娘が亡くなったのですが・・
再婚してすぐに娘が亡くなり、養子縁組もおこなっておらず娘は私の実家のお墓に入る事になりました。 主人側の宗派とも違う為自宅にお仏壇を置くこともできずにいます。お仏壇を置くことで心のよりどころを見つけていた私にとってはとてもつらいです。何か私にできる事がありましたら教えていただけないでしょうか?私の実家は浄土真宗本願寺派で主人のほうは真言宗で何派かはわかりません。恥ずかしながら仏教とは何かとか知識もほとんどなくどうしていいのかわかりません。娘の供養がいい形でできたらと思っています。お力をお貸し下さいお願いします。
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曹洞宗の僧侶です。 法律上の姻戚関係と祭祀上の家族関係は別と考えた方が良いです。QP10さんの娘さんであれば法律上の手続きが無くても再婚されたご主人の娘さんでもあると考えることは不自然ではありません。もし、ご主人の理解が得られるなら、QP10さんのお祀りしやすい現在のお家のお墓に入ってもらうことも別に変ではありません。この場合は真言宗の儀礼で祭祀することになります。 しかし、いろいろな事情でやはりご実家のお墓に入って頂くのであれば、QP10さんがお一人でも折りにふれてお墓参りをしたり、お墓まで行かなくても、お写真や娘さんの形見になるものを大切にされて朝夕にお祈りされるだけでも立派なご供養になると思います。 蛇足ながら、浄土真宗では故人は亡くなると直ちに阿弥陀如来によって救済され”即得往生”すると教えているので、教義上は「供養」というものはありません。娘さんのために念仏を唱えるとしても、それは娘さんに回向(自分の功徳を故人に振替える)するためではなく、娘さんを即得往生させて下さった阿弥陀如来への報恩感謝のための念仏になります。 嫁ぎ先と自分の宗旨が違うという事はよくありますが、家の宗旨と個人の宗旨のふたつを兼ねて持つ事は、在家の方であれば許されるのではないでしょうか。 浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は「念仏の聞こえる場所が、即そのまま念仏道場である」とおっしゃっているそうなので、お仏壇にこだわらずQP10さんの負担にならない方法で念仏を続けられればいいのです。真言宗も念仏行を全面的に否定しているわけではなく、重要な行として取り入れている派もありますので、QP10さんが個人の信仰として念仏を護持する事は問題にはならないと思います。
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故人の供養とは残された人の安心感・満足感であると思います。 宗派や寺(僧侶)が行うものでは無いと思います。 貴女が安心・満足できる方法が最良だと思います。 仏壇を置くことで安心できるのであれば、宗派にこだわる必要はありません。 宗派や寺は供養の手段にすぎず、供養は貴女自身が行うものです。
お礼
お教え頂きましてありがとうございました。自分をしっかりもって、娘の供養をしてゆきます。ありがとうございました。
- happy_rabbit
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私には子供はおりませんが、最愛の娘様を亡くされたこと、大変お辛いことと思います。 ご質問者様の質問の内容に添っていないと思いますし、私には仏教の知識はありません。 もし可能であれば、お墓参りの機会にでもそのお寺のご住職さんにお話を一度聞いてみたらどうでしょうか。 私の体験談的なものになるんですが、 私も父を亡くしました。父は浄土真宗でした。 それまではずっと実家には仏壇がありました。 母は以前から、仏壇というものは家を継ぐ子や孫の枷になると嫌がる人でした。 そのため父の法要の際に母がご住職さんに相談したところ、仏壇というのは無くてもよい。 もし形がほしければ写真を飾って供養するのでもよい。要は供養する人間がわの気持ちしだいですよ。 形だけではいけません。と説法されたのを覚えています。 私は子供心にその通りだと思いました。 今では写真立てすらないですが、父に感謝し思い出したりするのも供養になっているのではないのかな?と思います。 そういう形もあってもいいと思います。 私は専門的な知識等もっていないし、無宗教なのでこれが正しいことなのか自信はもてませんが、お仏壇の無い家庭も世の中にはたくさんあります。適切なアドバイスではなくて申し訳ないのですが。 娘さんが安らかな場所にいることを願っています。 ご質問者様の納得の行く形でご供養ができるといいですね。
お礼
お父様のお話ありがとうございました。happy rabbitさんのお母さんは立派な方ですね、私は何かにすがる為にお仏壇が必要に思えたんだと思います。自分をしっかりもって娘の供養をしてゆきます。書き込みしていただき本当にありがとうございました。
お礼
専門的知識を教えて頂きましてありがとうございます。「念仏の聞こえる場所が、即そのまま念仏道場である」というお言葉は今の私には救いの言葉です。sgmさんの暖かい気持ちに感謝いたします。うまく表現できず申しわけありませんが、救っていただいてありがとうございました。