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癒しとさげすみの関係

水戸黄門でも分かるのですがちょっといじめられ役の八兵衛を黄門さまもひどくはないけどけなして癒しを得る、日本の癒しの基本は人をバカにして得るレベルの低さがありませんか?笑い・つっこみでも落ちは人をバカにしてラチをつけたりしますよね?

みんなの回答

  • kneissl
  • ベストアンサー率30% (97/320)
回答No.3

人の愚かさを笑いのタネにするのは、世界各国どこの文化でも共通の事柄です。 笑いというのは裏返してみれば、愚かさや悲哀、惨めさであったりするのです。 物笑いの種にされることを不愉快に感じておられるのかも知れません。 しかし、それを日本の癒しの基本に存するレベルの低さと捉えるのは偏った見方です。 また、そういった笑いと蔑みを一緒くたにするのも間違っています。 そもそも、ちょっとしたバカバカしさや愚かさを笑いにタネにするには、裏側に「好意的態度」がなければできません。 水戸黄門の例ですが、黄門様は八兵衛に好意を抱いているからこそ、彼をけなすことができ、八兵衛もその周囲の人間も、その愚かさに笑い=癒しを得ることができるのです。 大阪でも、「アホ」と突っ込みを入れたりしますが、それは“けなし”が主意ではなく、「好意的態度」を含んだコミュニケーション方法のひとつです。 ですから、蔑みと「好意的態度」を含んで笑いにしているかどうかを見極めなければならないですね。 自分の間抜けさ、愚かさを笑えないとなると、人生はあまりにも窮屈です。そして、人の失敗も笑ってあげることができない。 笑いになることで救われることもある。 ガチガチの世の中では生きづらい、だからこそ、人間は愚かさや間抜けさを笑いに変換することを学んだのです。そして、それは全世界に行き渡っています。

mersess
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • garibar2
  • ベストアンサー率23% (29/123)
回答No.2

人の失敗や弱点や失言や悪癖を笑い飛ばすということは精神の健康にとって大事なことだと思います。 逆に、時には自ら弱点をさらけだしたり、バカを演じたりすることも大事なことだと思います。 笑うという事は、その笑った対象を受け入れるという事でもあります。バカをやっても笑ってすまされるうちはまだ大丈夫ですし、だからこそ私はヘマをした時やバカな発言をしてしまった時に、人に笑ってほしいと思います。 もちろん、そうでない陰湿な笑いというものもありますが、それは実際には「笑い」ではないと思います。 優越感からくる安心感などで顔が緩んでいるだけで、腹から笑っているわけではないと思います。 つまるところ、個々人の能力や行動パターン、思考パターンに隔たりがある限り、mersessさんがいったような笑いは他人を受け入れる手段として絶対に必要になってくると思いますし、その笑いにこそ、リアルな愛があると、私は思います。

mersess
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • yoyoman
  • ベストアンサー率22% (153/683)
回答No.1

あなたが、 家族や友達など、心許せる誰かが失敗をした時に、 「あはは」と笑ったとします。 さげすみの気持ちはありますか? 私はないね。 心からリラックスして笑う。 「バカだねー」なんて言っても、さげすんではいない。 そして癒される。 あなたの言うとおり、 人をバカにして笑いをとる手法もある。 けど、そればかりではないと思うし、 それに、人の失敗やへまやドジを笑うのが、 自分の優越感を感じる時ばかりではないと思う。 さげすみとか優越感とか、 そんな気持ちを感じさせる時、癒されはしないと思うな。 「癒される」って、とてもリラックスして、 他に何も感じたり考えたりしないで済むときじゃないのかな。

mersess
質問者

お礼

ありがとうございました。