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生きていたいと思えない
僕は今大学4年生なのですが、最近は毎日「生きていたくない」とばかり考えています。そう思うのには理由があります。 まず、何をやってもうまくいかないのです。今は就職活動中なのですが、全くうまくいきません。色々とスキルアップを試みても、いっこうに効果が表れません。恋愛もうまくいかず、22年間で女性とお付き合いをしたことがありません。そして交通事故に遭ったり、悪質な業者に騙されたりと、過去を振り返れば不運なことばかりです。 また、前に楽しめたことが楽しめなくなりました。前は音楽が好きでバンドとかをやっていたのですが、今はそれほど楽しめなくなりました。ギターを毎日弾くほどだったのに、最近はギターを触るのが面倒になりました。それはいけないと思い、他に興味のあることに手を出したりしたのですが、まるで自分が自分じゃないみたいに熱中できないのです(以前僕は興味のあることにはすぐ熱中してしまっていたんです)。友人とのコミュニケーションも少なくなり、一人で過ごす時間ばかりになりました。 生きていてもちっとも楽しくありません。いいことなんて何もありません。いったい何のために生きているのか考えてしまいます。やらなきゃいけないこと、前は普通にできていたこと、みんな億劫に感じます。そして自分にはいいところなんて何もないダメ男だと思うようになり、毎日心が絶望感みたいなもので支配されています。何をやってもうまくいく気がしません。 自殺も考えたことはあるのですが、考えていたら親の顔が浮かんで、一人泣いてしまいました。そして自分の夢のことも考えてしまいました。生きていたくないと強く思う一方で、心のどこかでは生きることを望んでいるのかもしれません。 僕はどうしたらいいのでしょうか?絶望感に満ち、何も楽しめなくなった今、なんのために生きていけばいいのでしょうか?または生きていくべきではないのでしょうか?
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お返事ありがとうございます、再度の7です。 事故の件は大変辛いと想いますが、感情論を抜きにして考えないといけないところなんです。 私情をはさまないで「自然の法則」として理解して欲しいんです。物理です。 感情論で言えば、誰だって事故には遭いたくないし健康で平和に愉快にすごしたいんです。 私だってアメリカの大富豪の家に生まれて、派手に贅沢に何不自由なく暮らしたかったです。 でも、徹底的に冷酷なまでに人生を物理的な法則として、客観的に考えれば、やっぱり原因があるから結果があるんです。 蜜柑の樹からは、蜜柑しかなりません。 蜜柑から林檎が成ることは、絶対にないんです。 もし異例があるとしても、それにも、100%、原因があるんです。 自然は、この法則を、絶対!!!にミスしないんです。 ≪ この世には偶然というものは無く ≫、全て必然的に相応の結果が出るように出来ているんです。 この単純明快な自然の法則で、我々の心も人生も、全部が出来ているんです。 ですから事故の件も非情に言えば、必ずその原因があったハズなんです。 しかし、それは前世においての原因だったかも知れないんです。。。。 ・・・と、いう話になるとオカルトチックになるので引くと想います^^ でも、我々が「生まれる」ということにも、必ず、原因があるとだけ覚えておいてください。 でも、結果が出たからといって、それは、終わりではないんです。 むしろ始まりなんです。 階段を一段上がったら、それまでと違う景色が現われた・・・・というだけなんです。 この意味、通じますか?? 人生に起こる全ての出来事は、進化、成長のためのプロセスなんです。 蜜柑の種をまいたら、実がなるまでに、時間がかかりますよね? 自然は、時期=経過=プロセスを経ないと成長できないようになっているんです。 >>自分の力だけではどうにもならない「結果」もあるのではないでしょうか? もう、階段を一段上がってしまったのですから、後戻りは出来ませんよね。 それでも「この階段じゃなきゃ嫌だ!」と頑張っても良し、別のルートに変えても良しです。 「結果」を受けてどうするか? が「人生」であり「冒険」なんです。 人生の真価は、ここにあるんです。 これをするために生まれてきたようなものです。^^ No.23さまが、 >>。「私が集めた知識が他の誰かの役にたってるんだ」「私の経験が同じ経験をしてる他の人の役に立ってる」・・・・・なんとも不思議な感覚でした と、おっしゃっています。 これはキリスト教でいうところの「求めよ、さらば、与えられん」なんです。 私も質問者様の1000倍は「死にたい」と願って生きてきたんです。 世間も親も、私に対して虐待はするけれど、誰も助けてはくれないんです。 だから、ずっと、ものごとの本質というか、心から納得のいく真理・真実を求めて続けていたんです。 そうしたら、いつの間にか、核心にまでたどり着いてしまったんです。 そうして、自分が本質を伝える人に””成って””いたんです。 (まあ、伝わっているか解りませんがね・・) パンの作り方を一生懸命理解・学習した人は、パン屋に”成る”でしょ? 一心不乱にギターの練習をした人はギタリストに”成る”んです。 これが「求めよ、さらば、与えられん」です。 「望むもの」が与えられるのでは無いんです。 その人が抱えている原因に相応しいものに”成る”んです。 つまり、我々、一人、一人が「原因(種)」であり「結果(実)」なんです。 この意味、通じますか・・・?? 心の中で、至上の曲を求め続けていれば、その人の心の中に、その人にとっての至上の曲が芽生え出すんです。 求めたから、与えられたんです。(簡単でしょ?) ”成る”といったほうが、より解りやすいと想います。 質問者さまが絶望するのは、正しいです。 絶望したということは、確実に階段を昇っている(成長している)という証拠なんです。 さあ、では、次に、何を求めるか?です。(なにに”成る”か?)です 練炭を求めれば、自殺者に”成り”ます。 アルコールに救いと癒しを求めれば、アル中患者に”成り”ます。 ギャンブルに求めれば、破産者に”成る”かも知れない。 ぐれて喧嘩に明け暮れれば、不良に”成り”ます。 言い換えると、人生に無駄なモノなど、一つもないんです。 障害さえも、人生の肥やしになるんです。(ヘレン・ケラーもそう言ってます) 上↑のほうで、≪ この世には偶然というものは無く ≫と書きました。 この人生で起こる全ての出来事が、必要なものばかりなんです。 全てに必然性があるんです。 あとは、そこから何に成るか?が、自然から問われているんです。 「あなたは、何になりたいですか???」と、自然が問いかけているんです。 「あなたに相応しいあなたに、いつだってしてあげますよ」 「あなたが成りたいのなら、私は、いつだって完璧にお手伝いしますよ」 ・・・と、自然が言ってくれているんです。 わかりますか? 「私たちは、自分の想うとおりの人間に成っているんです」 これは、ビジネスの成功哲学の中でも言われていることです。 その秘密は「原因があって結果がある」です。 超~~単純なんです。 この簡単な理屈に「私情」をはさんでしまうから、人生が複雑になってしまうんです。 >>気づいて・・・どうすればよいのでしょうか? 気づき続けるだけでいいです。 査定も、否定も何もしないで、ただ淡々と自分の中の自然の動きを観察し続けてみてください。 心の動きも100%、自然の法則に従って働いています(因果、縁起、無常) この自然の動きを観察し続けるだけで、自然による他律的な支配から、自律的に自然を支配する側になれるんです。 こちらの#4を読んでみてください。 http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1800783 ・・・ちょっと、長くなりすぎましたね、ここらで止めましょう^^; PS No.23さま、身に余るお言葉に感謝しています。 お互いに、自然の不思議なやり方に翻弄されつつも、これからも頑張っていきましょう!
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- Syo-ya
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再度の7です。 これは、みんなの勉強になると想うので、しつこく追記します。 (もちろん、私も勉強中の身ですが・・) ある禅僧の本に【人間万事塞翁が馬、あるのが愚痴だけ】とありました。 http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/koji/kj004.html 私たちの身の回りで起こることは、単なる「縁起」の繰り返しだけなんです。 xxに縁って起こって、また、xxに縁って起こって・・・の繰り返しだけなんです。 事故もそうです。病気もそうです。家庭問題も、み~んな、ただの物理現象「縁起」なんです。 その一つ一つの事象に対して「良い、悪い」の選り好みをするからおかしくなってしまうんです。 「ああなれば良かったのに、こうなれば最高なのに・・」という「欲目(執着)」で縁起を見るからおかしくなってしまうんです。 ありのままが、ありのままに観れていないんです。 ところが、自然の摂理は人間の欲目とは無関係に粛々と進んでいるだけなんです(苦笑) この間のスマトラ沖地震では、地球の形まで変わってしまって、地球の自転速度が早くなってしまったそうです。 この地球という星にさえも何の保障も無いというのが現実です。 あるのは自然の摂理(因果・縁起・無常)だけです。 それなのに自分勝手な「欲目」を投影させて物事を考えるからおかしくなるんです。 これらの欲目を捨てて「地球にさえ何の保障も無い、どうせ死ぬんだ」と割り切ってしまうことが出来れば、心が「無」になり、無執着になるので、ありのままがありのままに観れるようになり、、自然の摂理と一体になることができるので下記の図のように、気も強くなり、愛も強くなり、原因と結果の法則により全てが好転していくんです。頑張れば自由自在の人生になるんです。 愚痴さえいわなければ、人生なんて単なる物理現象なんです。 望みさえしなかったら、全てが与えられるんです。 それに相応しい原因さえ抱えていれば、必ず、それに成れるんです。 人生を複雑にしているのは、「欲目(執着)」です。 これが暗雲のように張り巡らされると、太陽が見えなくなってしまうんです。 私も家庭問題をグチグチと想ってきたんですが、それは、ただ単に私が移ろっていく中の途中経過にすぎなかったと思えるようにまで成りました。だって、もしあの家庭やその後の生き辛さが無かったら、仏教に出会うこともなかったんです。 ただの「移ろい(無常)」「縁起」でしかなかったのだろうと思えるんです。 その単なる「移ろい(無常)」「縁起」に対して、辛かったとか、痛かった、苦しかった、悲しかった・・と愚痴を言うからおかしくなってしまうのではないかと思えるまでになりました。 その心こそ!が、問題であったんです。 家庭環境という他律的な支配に流されるがままに流されて、ジェットコースターのように舞い上がるか、落ち込むかだけの、全く統治されていない、未発達な私の心こそが、諸悪の根源であったんです。自律していない脆弱な心です。 「欲目で見るか、見ないか?」で「他律か、自律か?」が決まり「不安定か安定か?」が決まります。 この地球さえも不安定であり、何の保障もない、自然の産物であると悟ってしまえば、欲目もなくなるんです。 「どうせ、死ぬんだ」と覚悟を決めてしまえば、人生に不必要な重荷がなくなり、楽になり、自由になるので音楽にも没頭できるので、その原因に従って相応しい結果が出るんです。「道狂」に成ることが出来るようになるんです。 そうなると、さらに「無一物無尽蔵」といって、何も所持しない、欲目がない、執着が無い心からは、無尽蔵なエネルギー、パワーが湧いてくるというんです。 だから欲目を無くすと、欲が叶うんです。 これを「無欲は大欲に似たり」というんです。 これを実践している経営者の人もめちゃくちゃ多いんです。 なぜならば、欲目(執着)がなくなると、私利私欲が無くなるんです。 私利私欲がなくなると、愛も気も強くなり、「世のため、人のため」という公利公益のために働くようになるんです。さらに思いつめるということが無くなってきますので、ひらめき、直感が優れてきて、世の中の役に立つような、いろんなアイディアが湧いて出てくるようになるんです。 で、公利公益のために働けば、その原因に相応しい結果が「報酬」として得られるからです。 下記の図通り、自分の心が安定していれば、自由(自らに由って生きる)に成れるんです。 ちなみに私の敬愛する「道狂」は、ジミ・ヘンドリックスなんです・・・^^ 「心」という自然を支配し、統治する者。 つまり神、仏の境地になれば、全ての苦悩からも解放されるという理屈です。 (・・と、いうか、これが人間が生まれてくる理由だと想います。) またまた長くなりましたが、伝わるでしょうか? 人生と幸福の方程式です。 おそらく「真理」ってヤツです。 以下の二つの故事成語も面白いと想いました。 http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/koji/kj014.html http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/koji/kj011.html 我々は自分のことを何も知らないのに、絶望したり、泣いたりしているんです。 また長くなりましたが、ご参考になれば、幸いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >その一つ一つの事象に対して「良い、悪い」の選り好みをするからおかしくなってしまうんです。 その通りかもしれません。毎日の一つ一つの事象に対し、僕は必ず「良い、悪い」の選り好みをしてしまいます。ありのままをありのままに見ることができていません。自分という人間さえも、ありのままとは違った姿で捉えていますね。人生はただの物理現象だとわりきれれば、苦悩から開放されるものなのかもしれません。でも人間なんて欲の塊みたいなものですからね、欲目をなくすのは大変な修練が必要じゃないですかね。 でも欲目はできる限りなくしたいですね。私利私欲という原因で与えられる結果は、決していいものではなさそうですね。欲目をなくすことは難しくても、公利公益のために動くということはできそうです。公利公益のために動けるようになれば、愛も気も強くなって少しずつよい方向に向かっていけそうな気がします。 僕はここにこの質問をしてよかったと思っています。まだ完全な解決には至っていませんが、もし就活や恋愛がうまくいっていたら、こんな素晴らしい考えにめぐり合うことはありませんでした。こんな素晴らしい考えと無縁のまま人生を送っていたら、就活や恋愛がそのときはうまくいったとしても、ことあるごとに悪い方向へ歩んでしまっていたかもしれません。人生の転機と言っても大袈裟ではないような、心の中の革命が自分の中で起きているような気がします。
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>ここに質問するかどうかもかなり迷いました、「どうせ質問したところで解決の糸口にはならないのではないか」と。 今回あなたが解決の糸口を得られたとしたらそれは・・・ここでのアドバイスを受け入れる準備が、あなたにできていた、ということです。言い換えれば、あなたの理解のレベルが既にそこに達していた、ということなのです。同じアドバイスをしたって、受け入れ側の準備ができていなければ、ただの文字の羅列です。 これから先、あなたの理解が深まるたび、同じ文章を読んでも、また別の意味を発見するでしょう。例えば、今の段階であなたが納得し理解してるNo.7さんのアドバイスを、再び読みかえしてる時、「あ~!そういう意味だったのか!」って思うことも、近い将来、きっとあると思います。いいアドバイスは、噛んでも噛んでも味が出てくる、のです。本当に。 音楽も、これとまったく同じです。 ある曲を歌い込むうち、突然その歌詞の違う意味を感じたり、その曲のもってるGroove感に突然ピンときたり、今まで漠然と歌ってきた簡単な曲の難しさに気付いたり、・・・・。そうする中で、音楽に対する理解が深まり、表現力や創造力が磨かれていく・・・。 でも、そうなるには、頭で理解、納得するだけでは足りなくて、実際自分で経験して、自分で感じ、「本当の意味の理解」をしなくちゃいけない。時間がかかるんです。だから忍耐が必要なのです。 私も、何年も前に理解してたと思っていたことを、今になって初めて「本当の意味の理解」に達した、と感じること、よくあります。今すぐ理解できなくても、ず~と答えを求めてさえいれば、ある瞬間、あなたの準備ができたとき、答えの方からあなたの所にやってくる・・・そういうもんだと感じます。 >もう少し心が落ち着いたら、またオーディションを受けてみたいと思ってます。そして自分はミュージシャンになるべき人間なのか確かめたいと思います。もし落ちたとしても、そこにいる自分は今の自分とは違う自分のような気がするんです。結果から絶望ではない何かを学び取れる自分がいる気がするんです、何となくですけど。未来の僕を創る要素になると思うんです。 私も、あなたの心の中の革命は、もう既に始まっていると思います。どんな行き止まりにも、道をつけていける人だと思います。 あと、覚えておくと、結構役に立つ言葉・・・・ 「You can’t please everybody.」 これは、プロのサックスプレイヤーである友人が、よく言っていた言葉です。「皆を喜ばせることはできない」、つまり・・・人の好みや価値観は様々であるから、自分のサックスの音や音楽を、気に入ってくれる人もいれば、そうでない人もいる、皆に気に入ってもらうことは不可能だ、という意味です。彼は、仕事の依頼が絶えないミュージシャンですが、そんな彼でもそう感じているんです。 私はこれを、「自分の音楽を貫き通せ」というアドバイス、と受け取っています。 この世に、絶対的な価値を測る物差しなどないのです。誰かに否定されたからといって、誰の心にも響かない音楽、とは限らない。 努力を怠らず、常に柔軟な気持ちで人の感想やアドバイスに耳を傾けることは非常に大切ですが、それをした上で、自分の感覚を信じ、自分がいいと思うものを創り出していく・・・結局、それしかないのです。 音楽だけでなく、人生においても同じだと思います。 >お忙しい中、僕なんかの質問に時間を割かせてしまって、僕は迷惑をかけているだけですから・・・。 迷惑なんて、全くありません。今回も、嬉しくてまた長々と書いてしまいましたが・・・・(^^; これも、No.7さんもおっしゃってるところの「必然」なんです。お互いにとって何らかの意味を成す必然だからこそ、ここで出会い、コミュニケーションがあった訳ですから。(^-^)
お礼
ご回答ありがとうございます。 >今回あなたが解決の糸口を得られたとしたらそれは・・・ここでのアドバイスを受け入れる準備が、あなたにできていた、ということです。 「どうせ質問したところで解決の糸口にはならないのではないか」と思いつつも質問したのは、少なからず解決の糸口となることを期待していたからです。以前からずっと答えを強く求めてましたから、ただの文字の羅列とは見られなかったです。 >これから先、あなたの理解が深まるたび、同じ文章を読んでも、また別の意味を発見するでしょう。 >音楽も、これとまったく同じです。 これは僕にも経験ありますね。単なる基礎練といえども、時間が経てばまた違った角度からその大事さが解るようになってきますし、より深く細かなところを追求するようになりますね。 以前に述べた僕の好きなミュージシャンも、昔聴いたときには「曲がいいな」程度しか感じませんでしたが、最近はその詞の素晴らしさに感動を覚え、コード進行や歌唱力など以前は気にしていなかったところにも魅力を感じるようになりました。何年も前から聴いていたのに、彼が僕の最も敬愛するミュージシャンになったのは最近です。以前久しぶりに聴いたとき、「ピン」ときたのを覚えています。 >この世に、絶対的な価値を測る物差しなどないのです そうですよね。世の中の一部の人に否定されたからといって、自分はダメな人間だとか言うべきじゃないですよね。僕を必要としている人が全くいないとは限りませんよね。日々鍛練をして、自分を信じて生きていきたいと思います。
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No.16です。 >深いご意見ですので、100%ではないかもしれませんが、回答者様が僕に伝えたいことは概ね理解できたと思っております。というより理解できるように”成った”んです。僕が自分にとって必要な意見を求め、その意見の意味・本質を知ろうとしたからです。当たり前のことですが、できていませんでした。 No.24のお礼欄に書いてらっしゃったものですが・・・・・・質問を書かれてから一週間・・・・日々あなたが考え、気付き始めたのが、手に取るように感じられて・・・・なんだかお礼欄を読むたび、うれしくて震えすら覚えます。 同時に、「あ~この人はずっと、この質問を書くず~~っと以前から、答えを追い求めていたんだ・・・」と思いました。 私もあなたと同じです。孤独感をいつも、自分以外の何か、自分以外の誰かでうめようとしてきました。自分以外の誰か、何か、に自分の存在意義を見つけ出そうとしてきたんです。でもどうしても、うまくいかなくて絶望しました。 私は小さい頃から常に人や物を観察してる子で(しかも理屈っぽくって。笑)、もう30何年観察してきて、観察しつくして人生に絶望したので、「もう自分の人生、良くなりようがない」という、ある種の自信があったんです。でも同時に、心のどこかで、その自信が覆されることを切実に願っていたと思います。そんな頃、あの前に書いた「君は自分を被害者だと思っていないか?」と言ってくれた人に出会ったんです。そして私がただ一つだけ観察し忘れていたもの・・・「自分の心」を観察し始めた時、私のその自信はみごとに、覆され始めました。 人生とはホントに・・・本当に不思議なもので、まさにNo.7さんがおっしゃっているように、起こること全てが必然なんですよね。 これでもか、って位悪いことが起こって絶望して、・・・そんなことも全て、今の自分に至る為に、欠くことのできない要素でありプロセスだったんです。 一度、物事の本質、真理が見え始めたら、それが自分の周りにあるありとあらゆるものの中に、浮き彫りになって見えてくるようになります。そうなれば、何をしてても、「あ!そうか!!」という発見の連続です。今まで見ていたものが、新しい意味を持ってみえてくるようになります。今まだ疑問だらけだと思いますが、焦らず、忍耐強く、その発見を楽しんでください。 No.7さんがホントにズバリ、大事なことを書いてくださってますから・・・・もう私は、言うことないです(^-^)。あとはあなたが自分で実践する中で気付き、発見していくだけです。 >「誰しも悩みを抱えているが、それを理解し乗り越えていけるのはやはり自分自身だ」と、僕の大好きなミュージシャンが言っていたのを思い出しました きっとそのミュージシャンはその人生の教訓を、音楽をやる中で学んだんだと思います。 「音楽をやること」と「人生を生きること」は同義だからです。私はこのことが、今までずっとピンとこなかったんですが、最近やっと、わかるようになりました。 だから、たとえ今、音楽をやっていなくても、焦る必要は全くありません。人生を学ぶこと=音楽を学ぶこと、です。その逆もまた真です。何をやってたって、無駄など一切ないのです。 こうやって、質問者さんと対話していく中でも、いろんな発見があり、本当に感謝しています。 私も、まだまだ勉強不足ですし、未知の壁にぶち当たるたび泣いたり笑ったり、いまだに忙しいですが・・・(笑) 自然の不思議なやり方に翻弄されながら(^-^)、自分のペースでやっていこうと思ってます。 頑張りましょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >同時に、「あ~この人はずっと、この質問を書くず~~っと以前から、答えを追い求めていたんだ・・・」と思いました そうなんです。ここ何日かではなくて、ずっと前から答えを追い求めてました。相談する人もいなくて、ただ一人考え込んでいました。でも出てくるのは悪い考えばかりで・・・。ここに質問するかどうかもかなり迷いました、「どうせ質問したところで解決の糸口にはならないのではないか」と。 >一度、物事の本質、真理が見え始めたら、それが自分の周りにあるありとあらゆるものの中に、浮き彫りになって見えてくるようになります。 まだそんなレベルには達していません。未だに情緒不安定で、暗い考えばかりが僕の頭の中を埋め尽くすことさえあります。でも何かをつかみかけているのは確かです。その何かが明確に見えたとき―それが壁を越えられるときなんだと何となく感じていますが・・・、まだまだ先のような気がしますね。 もう少し心が落ち着いたら、またオーディションを受けてみたいと思ってます。そして自分はミュージシャンになるべき人間なのか確かめたいと思います。もし落ちたとしても、そこにいる自分は今の自分とは違う自分のような気がするんです。結果から絶望ではない何かを学び取れる自分がいる気がするんです、何となくですけど。未来の僕を創る要素になると思うんです。 >こうやって、質問者さんと対話していく中でも、いろんな発見があり、本当に感謝しています。 とんでもないです。感謝をするのは僕のほうです。お忙しい中、僕なんかの質問に時間を割かせてしまって、僕は迷惑をかけているだけですから・・・。
- Syo-ya
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再度の7です。 これはおっしゃるように深いんです。「真理」ってやつは、超~簡単なんですが、それだけに、全てに低通していますし、実際に自分自身を改革しないといけない話なので、必殺に難しくもあるんですね・・・・。言うは易し行うは難しです。 だから「仏陀の教えは月をさす指だ」という言葉もあって、教えはあくまでも月をさし示す指にすぎないのであって、実際に月に行かなきゃ無意味なんだよ。というんです。 だから、瞑想を実践して、実際に月に行ってください。 本当に自殺すべき、愚かな自分を殺すんです。 そして、あなたは生き続けてください。 不安定 ├─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┤ 安定(自律的な) 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 (愛不足、気弱) ←執着 無執着→ (愛満足、気強) ・ものごとに執着すると他律的支配下に入ることになりますので、必然的に不安定になってきます。 ・ものごとに対する執着が無くなってくると、自律的な支配下に入りますので、心は安定してきます。 (不安定になる)=(執着心が強い)=(「愛」が足りない)=(「気」が弱い)と、 依存的、貧相な心、怒りっぽい、憂鬱が止まらない、衰弱した心、思いつめやすくなる、ヒステリックになる、気弱、気違い、臆病・・・と、感情の暴走を抑える「平常心」が欠如してきます。 つまり「心(自然)」を安定に保つ、または安定に導くためのエネルギー(愛)=(気)と言って良いと想います。 逆に、安定した状態は、愛に満ちているので、ものごとに対する執着もなくなり、気も大きくなりますので、些細なことでは動じない不動の心に成ってくるんです。 (※ ただし、他律的に縁って得られる安定では無く、自律的に得られる安定です) >>悪い結果の原因に気づいた時、その原因を消すための行動を起こす必要はないのでしょうか? >>気づいた後にどうすればいいのか分からない これも「執着」ですよね。 こういう発想さえも、不安定ならではの発想なんです。 なんとしてでも幸福になりたい!という切実な願いだと想いますが、逆行している願いなんです。 「思いつめて出るのはウンコだけ。知恵は出ません。」なんです。。。。(斎藤一人) まず、どんな姿勢でもいいですからジッとして、自分の中にもう一人の自分を感じてみてください。 自分の中にボッーっとした、もう一人の自分の存在を感じ取ってみてください。 全体的にボンヤリ、手先はピリピリ、足先はジンジン等々、いろんな感じがあると想います。 これが「気」と呼ばれているものです(特別なものではないんです) 心が不安定なときって、頭がのぼせ上がるので、身体感覚はおろそかになりますよね。 つまり「心、此処に在らず」の時って、「気」が弱ってくるんです。(愛の弱りです) 特に呼吸のときの身体感覚に集中してください。 お腹のあたりが膨らんだり、縮んだりすると想います。 この膨らみと縮みを感じ続ける練習をしてみてください。 これが、全ての始まりです。 でも、絶対に雑念が湧いてきます。 不安定な心は何処かへ行ってしまうんです。 さっきまで「気」を感じていたハズだったのに、いつの間にか雑念の世界に入っていると想います。 そんな時には、この「もう一人の自分」をベースにして、雑念するいつもの自分を観察するんです。 ボンヤリ落ち着いた、何の面白みも刺激も無い、ただひたすら呼吸をしているだけの、つまらない自分がベースです。 この自分と、顕在意識の自分を比較して、感じ続けるんです。 この少年のように・・・・! http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051128-00000261-reu-int 雑念のときは「妄想している」「雑念が起きた」でもいいです。 他にも感じたことは全て感じ取るんです。 「腕が痒い・・」「お腹がすいた・・」「飽きてきた・・」とかです。(ここらへんは自分で勉強してみてください) 「ミャンマーの瞑想」(マハーシ長老、著)がお勧めです。 「気づいた後にどうすればいいのか分からない」という発想が湧いてきたら、”そんな自分をも!”客観的に観察するようにしてください。「混乱してる」でもいいし「焦ってる」「心配してる」「不安定になってる」でも、なんでもいいです。 もう一人の自分の感覚をベースにして、顕在意識で起こるありとあらゆる感覚を実況中継していきます。 顕在意識が1のときは、もう一人の自分を2に置いて、感情に呑み込まれないようにして、ただひたすら淡々と客観的に観察するようにします。 顕在意識のレベルが5くらいになっても、さらに上の6のレベルから冷静に観察するんです。 そうして1cm、また1cmと、樹が伸びるように不安定な世界から、安定の世界へと育っていくんです。 そうすると潜在意識も活性化されて、右脳だとか、アルファ波だとか、・・・いろんな良いことが心身ともに起こるようになってくるんです。 こんな説明で通じますか? これは、日頃の日常生活からやってみてください。 どんなときにも「気」を感じることをベースにして、心の動きも感じるようにするんです。 これがヴィパッサナー瞑想です。(詳しくは勉強してください) お互いに、月にたどり着けますように頑張りましょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >これも「執着」ですよね。 こういう発想さえも、不安定ならではの発想なんです。 なんとしてでも幸福になりたい!という切実な願いだと想いますが、逆行している願いなんです。 執着ですか…。僕は執着心が強いんですよ、昔から。分からないことや興味があることについては徹底的に調べますし、納得がいかない出来事があったりすれば、しばらくは頭の中はそのことでいっぱいです。だから申し訳ないと思いつつも、回答者様に対して質問ばかりを投げかけてしまうのです。でもその執着心が、幸せになりたいという願いと逆行している願いとは思いませんでしたね。昔から心が不安定で、他律的に心の安定を果たそうとしていた(果たしていた)結果が今の状態なんですかね? 途中から瞑想についてお話されていますね。心が健康でない僕にとって、本当に必要なことかもしれません。簡単なことではないと思いますが、少しずつ安定の世界に自分を成長させていけるように努力していきたいと思います。
- theonti
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#9です 全ての回答者に丁寧な返事を書いているあなたは実直で、自分の考え方に信念を持っている方だとお見受けいたします。 それぞれの皆さんにお礼をいい、感謝していますが、・・・ が・・ あなたに足りないものが有る様な気がします。 あなたは、自分に対して感謝していないようです。 こうして皆さんと話をしている自分が此処に居る事に。 就活が上手くいかないと悩む力を持っている事に。 事故にあっても命を無くさなかった事に。 みんなに喜んでもらいたいと願う心を持っている事に。 自分の心が健康でなければ、人は心配はしてくれても喜んではくれません。 もっと自分を褒めても善いのではないでしょうか。 気の持ちようでかなり違います。 今、面白い実験をしています。 同じ釜のご飯を、煮沸消毒をした2つのビンに入れ、1方には毎日「有り難う美味しかったよ」。もう1方には「不味かったよだめだね」と声を掛けています。1ヶ月になりますが「ありがとう」の方は、白いカビは生えていますが綺麗です、「だめだね」の方は真っ黒になりました。 偶然かも知れ無いので、容器を煮沸消毒をして再度開始しました。気の持ちようで変わる証明だと思います。あなたもやってみて下さい。 それと、東京近郊なら東京フォーラムB1Fに在る相田みつお美術館へ行って見てください。あなたの気持ちを暖めてくれると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >自分の心が健康でなければ、人は心配はしてくれても喜んではくれません。 それはわかってきたのですが、僕の心が健康になるにはまだまだ時間が必要な気がします。気の持ちようとは言っていただいても、変えるのは非常に大変なことです。自分を褒めようとしたって、褒める部分がありません。
#19です。 バンドはただの趣味ではなく、かなり本気で打ち込んでいたのですね。 苦渋の思いで音楽の夢を諦めて就活に臨んだのにそれも上手くいかない… 絶望的になる気持ち、わかるような気がします。 多分現在、人生最大の壁に突き当たってしまった思いでしょう。 現在があまりに辛い心境なので、今までもそしてこれからも辛い事ばかりに違いない、と言うのはちょっと違うと思います。 事故に遭われたことは確かに防ぎようもなく不運であったかもしれません。 だからと言って人生に失望するほどの不幸な出来事だったでしょうか? 起きてしまったことは変えようがない。 しかしそこから何を学ぶかは個人にかかっているのです。 事故のショックで精神的に不安定になって外に出ることが出来なくなる人もいるかもしれない。 #7の方のようにそこに宇宙の法則、因果の法則を見出す人もいるでしょう。 質問者さまは自分の不幸な人生の象徴と受け取っているようですが、果たしてそうでしょうか。 あなたは命を落とすこともなかったし、体に障害も残らなかったでしょう? それは見方によってはとてもラッキーなことなんです。 そのとき命を落とさなかったからこそ、いま生きて、将来のことに悩んでいられるのです。 仕事のことにしても、この先自分の希望する職を得られたとき、あの時就職が決まらなくて良かったと思えるのではないでしょうか。 いまは目標が定まらなくて苦しいでしょうが人生を決める大事な事柄なのだから悩み甲斐がある問題なのです。 すんなり就職が決まっていたら考えもしなかった、自分自身のこと、未来のあるべき自分の姿をもっとよく考えるための良い機会を与えられたと思うことが出来ないでしょうか? 余談ではありますが、私は昔、レコード会社に勤めていたことがありました、普通の事務ですけれど。(レコードという言葉に時代を感じますね) 業界では新曲や新人を売り出すときある程度売り上げの予想を立てて売り出すのですが、これがなかなか予想道理にはいかない。 蓋を開けてみなければわからない一種のばくちみたいなものです。 業界の人々は何が起きるかわからないその世界を楽しんでいるのです。 芸術や芸能の世界は努力や実力や才能だけではダメなんです。 時代の波みたいなものがあってそれに合わないと成功しないんです。 死んでから有名になる人もいることはご存知ですよね。 結果が見えないと不安だとしたら長くその世界で生きていくのはきついかもしれません。 成功如何にかかわらず続けている人はどうしょうもなく好きだから、の一言に尽きると思います。 一番好きなことを仕事にしてしまうと行き詰ったとき逃げ道がないというリスクも考えに入れてこの先のことを考えてみてください。 いま大きな石につまずいて転んだと思ってください。 しばらくは痛みで起き上がることは出来ないかもしれませんがそのうち痛みは消えます。 そしたら起き上がってください。 皆さんの回答へのお礼を読んで、質問者さまは自分で起き上がることの出来る人、それだけのエネルギーを持っている人だと感じました。 また前を向いて歩き出してくださいね、今度は足元に気をつけて。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >しかしそこから何を学ぶかは個人にかかっているのです 皆様から色んな意見を寄せていただいているうちに、それはわかってきました。でも交通事故から学ぶことなどあるのでしょうか?皆様のおかげで何かをつかみかけてはいるのですが、まだそれはモヤモヤとしていて、完全な形として見えていません。 >いま大きな石につまずいて転んだと思ってください。 しばらくは痛みで起き上がることは出来ないかもしれませんがそのうち痛みは消えます。 肉体的な痛みは全くその通りだと思います。でも心の痛みはいつまでも消えません。過去の出来事が未だに胸を締め付けます。夢にまで出てくることもあります。なぜならただの不幸ではないからです。一生懸命努力した末の結果が、不幸な出来事だったからです。努力も何もしないがゆえの不幸であったら、痛みはすぐに消えていたことでしょう。
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No.16です。 >…とは言っても、やはり過去からの呪縛を解く方法がわからずに、現在も絶望感が付き纏う暗い人間になってます。 どうも理屈で説明できないので、ひたすら自分の経験を話しますが・・・・ 私の場合は、ある病気に罹ったんです。心の病ではなく体の。生死には係わりないのですが、現在の医学では治癒の見込みのないもので、精神的苦痛も大きいですし、人によっては身体的苦痛もかなりなもの、という結構厄介なやつなんですけど・・。 病気にかかったことは自分のせいじゃないですしね、まさに自分は呪われてると・・・私の不運にとどめを刺された、と思いました。 最初は、とにかく何か治癒の方法はないか、その希望の光を追い求めて狂ったように情報をかき集めました。でもどんなに探しても、ないものはないんですよね。最終的には・・自分の力でどうすることもできないのだ、ということを受け入れざるを得なかったんです。絶望、でした。 その頃、情報集めのためにある自助グループに参加していたんですが、たまたまそのグループに情報や知識をたくさん持ってる人が少なかったんです。助けてもらおうと思って入ったのに、結果的に助ける側にまわされるハメになってしまって・・・。でも、自分が持ってる知識や考えをシェアしていくうちに、ハッとしたんです。「私が集めた知識が他の誰かの役にたってるんだ」「私の経験が同じ経験をしてる他の人の役に立ってる」・・・・・なんとも不思議な感覚でした。ただの謂れもない不幸であったはずの事実が、私に、今まで思いもしなかった新しい希望の光を与えてくれたのです。そして、どんな苦悩からも必ず、何かプラスのものを生むことができる、ということに気づかせてくれたんです。 相変わらずその病気は持っていますが、今となっては、自分にそれが与えられたことに感謝しています。結果的にこれがあったから、私はその大切なことに気づくことができた。これがあったからこそ、最後の壁を越えられたのです。 そして、他人を幸せにする、というのは、自分が幸せになったことに伴う結果である、と思います。 自分が、泳ぎ方が分からなくて溺れているのに、どうして溺れている他人を助けることができるでしょう。まず自分が泳ぎを覚えれば、こうやれば泳ぐことができるんだよ、って伝えてあげることができる。そうすれば、その人は泳ぎを覚えて岸にたどり着くことができるんです。 まずは自分自身が、幸せになること、これがなければ始まりません。 それと、No.7さんに、この機会にお礼を申し上げるとともに・・・・ 私は、No.7さんの過去の回答を、今まで数々眼にしてきましたが、・・もし、人生の個々の悩みに対する答えがそれぞれ違うなら、いくらNo.7さんとて、これほどありとあらゆる質問に端的な回答をつけることは難しいと思います。No.7さんが、すべての問題の一番底辺の部分に言及されているからこそ、できることだと思います。つまり・・・(いつかどっかで書いてらっしゃったと思うのですが)究極のところは、すべて心の問題なんです。私も本当にそうだと思います。 しかも、困難を乗り越えられた過程で、ご自分が実際に経験し学ばれたことを書いてらっしゃるので、真実であり説得力があるのです。そうでなければ、これほど読むたび共感を覚えることはないと思います。まさに、自分のせいではない不運な境遇をここまでプラスに転じることができる、という最高の一例です。質問者さんも読んでみてください。それに、ギターを弾かれる方なので、共感できる部分がたくさんあると想いますよ。(^-^) 自分の意思ではどうすることもできない事実、自分のコントロールを超える何か、が与えられた時にどう生きるか・・・そこに、その人間の「生きざま」が表れるのだ、とつくづく感じます。 我々、自分に起きた不幸を一生嘆き悲しむこともできるし、そこから何かプラスのものを生むこともできる。 それは我々の選択にかかってるのです。 交通事故に遭われたこと自体は、もちろんあなたのせいではないですし、どうすることもできない不運な事実です。 けれども、それを幸運に変えるか変えないかの選択は、あなたのコントロールの及ぶものであると、私は思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 No.7様がおっしゃるように、やはり他律的に心の安定を求めるのはよくないのですね。回答者様のご意見を読んでいて、「誰しも悩みを抱えているが、それを理解し乗り越えていけるのはやはり自分自身だ」と、僕の大好きなミュージシャンが言っていたのを思い出しました(先日回答者様が話をしたミュージシャンは、彼のような気がします)。 どんな苦難を迎えようと、それを受け入れなければならない。そしてそれをどう解釈し、壁を乗り越えていくか。壁を乗り越えるために、自分と向き合い、自分という人間を知り、自分をコントロールする。 ・・・誰のどんな悩みも結局はそういうことなのですね。ただ絶望しているいるだけじゃ、どんどん不幸になっていくのは当然ですよね。不幸を自ら呼び込んでいるだけですよね。努力が足りないとかそういうことではなくて、結局のところ自分自身を知れていないというのが、今の絶望感の「原因」であるように思います。 >そして、他人を幸せにする、というのは、自分が幸せになったことに伴う結果である、と思います。 そうですね。まずは自分が幸せにならなくてはいけませんね。不幸な人間が他人を幸せにできるはずがないですよね。どうして僕は自分を知る前に、人をどうしたいとか考えてしまうのでしょう?原因の前に結果を持ってこようとするのでしょう? >それと、No.7さんに、この機会に~ そうですね。今度読んでみたいと思います。 それにしてもNo.7様といいNo.16様といい、素晴らしい方ですね。これほどまでに勉強させていただけるとは思ってもいなかったです。感謝しています。いつかお会いしてみたいくらいです。
- Sleep-Boy
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色々な方から意見がでていますが、とりあえず最初の貴方の質問に対して。 まあ、世の中理不尽ですw 自分が悪くないのに悪者にされることもあります。 絶望して自殺する人もいます。 それほどまでにこの世は確かに厳しいかもしれません。 私は人は「人は自殺をする権利がある」と考えています(だからといって人に自殺は勧めませんよ?) 自殺したした人が悪とも地獄に落ちるとかの迷信も信じていません。 そんな私でも貴方が死ぬのは、すべてを投げ出すのは・・・・・早いと言うかもったいないと思います。 まだ夢を追えるじゃないですか。 まだ楽しいことを探せるじゃないですか。 楽しいことというのはどこかに転がっています。道端とか、または海の向こうとか。それを探してみるのも面白そうだと思いますが。 死ぬなんていつでもできるんです。 いつでもできるなら、自分が納得するまで追いつくして、探しつくしたほうがお得ではないでしょうか?単純に損得勘定です、倫理ではありません。(元々倫理とか大嫌いなんで)まあ平均寿命ぐらいの暇つぶしにはなると思いますよw 視点を変えてみましょうよ。 死ぬことはいつでもできる。だから貴方は自由で、自由に夢と楽しさを追えばいいのです。悲しい事、絶望にぶつかることもあるでしょう。それしか見つからないかもしれません。それでもまだ見ぬ場所に面白いものがあればそれは成功したと言えるでしょう。 死は負けでも悪でもありませんが夢も面白くもない・・・・と思いますよw(やったことないのでわかりませんがw) 自分は一度死にたくなるような状況になってこう思うようになりました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >死ぬなんていつでもできるんです。 いつでもできるなら、自分が納得するまで追いつくして、探しつくしたほうがお得ではないでしょうか? 今の僕にはそれができるほどの気力はないですね。肉体的なことは大丈夫なんですけど、精神的な疲れはかなりのものなんです。好きだったことも楽しめなくなったほどですから、そんなことできそうにありません。というより楽しいと感じるものがなくなった今、何を追いつくし探しつくすべきなのか・・・といった感じですね。
- Syo-ya
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再度の7です。 16番さまの意見を読んでて「凄いな」と想いました。 16番さまは、真理・真実を述べていらしゃいますので、これは、一生役立つご意見なので、質問者さまも今後の人生のために肝に銘じといたほうがいいです。それくらいのご意見だと想います。 #7に紹介した「原因と結果の法則」も、是非、読んでください。 で、自分の中に原因があることを認めるというのは、別に、自己否定しようというワケではないんです。 自分を虐めて、自責の念でガンジガラメになろうというものではないんです。 ちょっと試しに、30分間でいいですから、ゆっくり行動してみてください。 絶対!!に、自分の意思に従って動いているんです。 絶対!!に、意思に反したことはしていないことに気づくと想います。 (読んで理解するだけでなく、本当に実験してみてください) いろいろな過去の出来ごと、体験が、現在の行動を支配してることも事実です。 辛い経験が多ければ、発想も暗いものになりがちです。 痛い想いをたくさんしてくれば、弱腰になって当然です。 でも、そこで終わってはいけないんです。 人間には、そこを乗り越えて、セルフコントロールする能力が与えられているからです。 確かに宿命はありますが、運命は自分で変えられるんです。 宿命が<他律的>なものだとしたら、運命は<自律的>に創造できるんです。 そのためには、自分の心に気づくことなんです。 悪い結果が出るには、それ相当の想いがあったハズなんです。 だって原因がないところには、絶対に結果も出ないからです。 ただ、気づくだけでいいんです。 徹底的に観察してみてください。 これが仏教の修行法の「気づきの瞑想(ヴィパッサナー瞑想)」というものなんです。 人間は、気づくと変われるんです。 だって、気づくために必要なのは、平常心です。 平常心なくては気づくことも出来ません。 だから、自分の心に気づき続けることで、心が安定、成長してくるんです。 そして運命も自由自在にコントロールできるくらいになれるんです。 ちなみに「自由」という言葉は仏教用語で「自分に由って生きる」という意味です。 自律的に自分をコントロールして、自在に生きるというような意味なんです。 まあ、それくらい、修行を積まないと駄目ですけどね。。。。 ご参考までに。。。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >悪い結果が出るには、それ相当の想いがあったハズなんです。 だって原因がないところには、絶対に結果も出ないからです。 質問文でも述べましたが、僕は昔交通事故に遭ったことがあります。青信号で横断歩道を渡っていると、横から信号無視の車にはねられました。前後左右を確認してから渡ったのにはねられました。停止線のところで止まるはずの車が止まらなかったのです。・・・この悪い「結果」にも「原因」があったのでしょうか?それ相当の想いがあったのでしょうか?決して回答者様に対して屁理屈を言うわけではございませんが、この事故が自分に絶望感を与える1つの理由になっているのは事実です。原因だけでは、自分の力だけではどうにもならない「結果」もあるのではないでしょうか? >人間は、気づくと変われるんです。 回答者様の意見により、気づこうと努力するようになってきました。今、気づきかけている段階かもしれません。でも、どうしても過去からの呪縛を解くことができません。過去の経験により、恋愛や就活その他に恐怖を感じることもあります。気づいて・・・どうすればよいのでしょうか?
- floating
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再度のNo.16です。 あなたの質問文や回答へのお礼欄を読むにつけ、まるで一時期の自分の言葉であるように感じます。 私自身の体験が、ほんのちょっとでも、あなたが自分の生き方を確立していくためのヒントになれば、と思います。 >>「自分に原因がある」ということを100%認められないんじゃないでしょうか?それが今あなたが直面してる壁、なのではないでしょうか? >どういうことでしょうか?現時点の自分を受け入れたとき、何がどうなって壁を乗り越えられるのでしょうか?自分に原因があるというのを100%認めて、今よりひどい精神状態にはならないですかね? それが、ならないんです。 自分に原因がある、ということはすなわち、自分がその原因をコントロールできる、ということですから。原因を改めて、結果を良くすることができる、ということですから。むしろ心丈夫に感じます。 ・・・・・どう説明したらいいものか、一生懸命考えてみたのですが、うまく説明できる言葉が見つからないんですよね・・・。 でも当時の私は、まさにあなたがおっしゃっているのと酷似した状態だったんです。もうとにかく不運だらけで、「こんなことが一生続くのか?」まさに絶望感でいっぱいでした。 そんなある日、そんな私の状況をある人に話したとき、こんなことを言われたんです。「君が辛いめに逢ってきたのは良く分かった。不運なことだと思う。ホントに辛かっただろうと思う。だけど君は、自分のことを被害者だと思ってないか?もうそろそろ、自分を被害者だと思うのをやめなきゃいけないよ。」 これを言われた時、ひどい憤りを覚えました。「だって被害者だもん!!その事実をどうすることもできないじゃない!!実際私の立場に立ったことない人に、そんなことを言われる筋合いはない!!」・・そう思いました。でも同時に、「確かに私は、自分は被害者だということをずっと言い訳にして、それに起因する不幸が降りかかってくることに甘んじていたのかもしれない」という、自分のちいさな心の声を聞いたのです。その心の声が日に日に大きくなって、遂にある日、それを事実として受け入れたんです。その瞬間、涙があふれ出たのを覚えてます。とにかくもうホッとしました。こんなにホッとしたのは生まれてはじめて、というくらい・・・自分の心を縛ってた縄がほどけたような、そんな安堵感を覚えました。 そして、言い訳をするのをやめたとき、物事がクリアに見え始めたんです。そして、言い訳をせず、自分が正しいと思ったことを実行し始めた時、自分の中でどんどん力が湧いてくるのを感じ、「自分に言い訳をするから、心が病み、物事が悪転していたんだ」ということを実感したんです。 >>あなたが、自分には無理だと思って別の就職を探そうと決意したことも、あなたという人間の資質を知るための大きな手がかりです。 >こんな考え方もあるのかと素晴らしいと思いましたが、僕はその前の有名シンガーの裏話を聞いてまたオーディションに受けてみようかとも思いました。果たして自分はここまでバカになれていたのか、どこか手を抜いていたんじゃないかと。過去を振り返ってしまいました。 ひとつの考え方であり、私の実感です。 私はある種の音楽バカですが、成功バカではなかったんです。つまり・・社会的ないわゆる成功や名誉を望む気持ちや、それに対する執着が一切なかったんです。そもそもプロになろうと思ってこの世界に入ったわけではなかったですから。 音楽が好きで好きでたまらない・・・その原点に戻った時、いくつもの他の選択肢が現われたんです。 あなたがまた、オーディションを受けてみようと思ったなら、やってみるべきだと思います。何が自分に向いているのか、それは自分がやってみて初めて分かることだと思いますから。 ショービジネスやミュージックビジネスは、「ビジネス」と名がついているように、もはや純粋に音楽をやることとはかけはなれた世界です。音楽のみならず、音楽以外のことからくるプレッシャーは、多分想像以上のものです。それに耐え切れずドラッグに頼ったり心を病んでしまったりする例も、数多く見ました。けれども、そこでやっていくかどうかは、あなたが、自分自身で感じ、決めることです。 そしてもう一つ・・・ 社会的成功を得ることと、幸せになることとは、全く別のことだということを、いつも覚えていてください。 いくら社会的評価を得ても、幸せでない人はたくさんいます。前述したシンガーもその一人で、あれほど歌がうまく、あれほどいいアルバムをつくり、あれほど社会の評価を得ていても、彼自身は自分に自信がもてず、摂食障害やはげしい感情の起伏に振り回された生涯だったようです。 幸せは、あくまで自分の精神的成長からくるものです。社会や他人からの評価に左右されるものではありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 回答者様の文章を読んでいて色々考えさせられました。 就活がうまくいかない原因。 就活中といえども、頭の中はいつも音楽のことでした。 自分が一番やりたいことは音楽だ。もし就職することになったら、やりたいことでも何でもない仕事をしていくことになる。これから一生後悔するのではないか。 そんなことを考えていました。今になって冷静に考えてみれば、うまくいくはずないですよね。音楽か就職か大いに迷っているのに、良い結果が出るわけないですよね。 恋愛も… どうせカッコイイ彼氏がいるんだろうなぁ。 あの人と自分みたいなダメ人間じゃ釣り合わないなぁ。 あの人が自分を愛してくれる要素なんてないなぁ。 とか、「どうせ自分には無理だ」という考えを持ちながら相手に好意を抱いていました。今までの結果がそういう考えを生まれさせたわけですが、いつまでも過去に縛られていてはダメですよね? …とは言っても、やはり過去からの呪縛を解く方法がわからずに、現在も絶望感が付き纏う暗い人間になってます。 >社会的成功を得ることと、幸せになることとは、全く別のことだということを、いつも覚えていてください。 そうですね。今の僕が思うのは、人を幸せにしたいということ。そして幸せになった人を見て、自分も幸せになりたい。社会的成功はあってもなくてもいいです。 こうして皆様の回答を読んだり、自分の気持ちを素直に文章にして書いていると、自分の気持ちが整理されてきたり新しい考え方を知ることができたりして、ほんの少しですが気が楽になってきました。皆様ありがとうございます。
お礼
度々のご回答ありがとうございます。しかもこんな長文で・・・ まず始めに誤っておかなければなりません。申し訳ございませんでした。 正直なところを申しますと、僕は最初に回答者様の意見を拝見したとき、「小難しいような意見言ってるな」と思いました。しかしご意見をいただくにつれ、次第に意味を理解し、素晴らしい意見であると思うようになりました。そして自分は愚かであったと実感しました。今までに述べた「ダメ男」なる愚かさでなく、何か全く別物の愚かさを感じました。うまく表現できませんが、「結果の出ない自分」ではなく、「悪い結果の原因を作っている自分」に腹が立ちました。 >この意味、通じますか・・・?? >わかりますか? 深いご意見ですので、100%ではないかもしれませんが、回答者様が僕に伝えたいことは概ね理解できたと思っております。というより理解できるように”成った”んです。僕が自分にとって必要な意見を求め、その意見の意味・本質を知ろうとしたからです。当たり前のことですが、できていませんでした。 >気づき続けるだけでいいです。 悪い結果の原因に気づいた時、その原因を消すための行動を起こす必要はないのでしょうか?あるいは、本当の意味で原因に気づいたときは、無意識に行動が起こる(起きている?)のでしょうか?気づいた後にどうすればいいのか分からない僕は、本当の意味で気づいてないのでしょうか? URLも拝見させていただきました。 >自分以外の何かに頼る「愛」「安定」「心の平和」は、とてももろいものなんです。 最近は強い孤独感を感じておりまして、いつも何かに頼ろうとしてました。例え悪い結果ばかりで辛くても、「恋人ができれば、心の支えができさえすれば…」と、いつも考えていました。まさに「自分の心の安定を他律的に果たそうとしていた」のです、原因に気づく前に。愚かでした。愛の生産・・・、意識していきたいと思います。 >・・・ちょっと、長くなりすぎましたね、ここらで止めましょう いえいえ、もっとお話を聞かせていただきたいです。回答者様のご意見は、とても勉強になります。