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人を信じること&頼ること

私は友達もそれなりにいますが、その子のことを信じることが出来るか?と聞かれると、何て答えればいいかわかりません。すごく仲が良くなっても、信じきるってことが出来ないです。 それと人に頼ることもなかなか出来ません。ある悩み事があった時に、自分のことを頼ればいいと言ってくれた人がいました。しかし、こんなことまで頼っていいんだろうか?ここまで頼ってしまうと逆に嫌がられるんじゃないだろうか?と考えてしまい、素直に頼ることが出来ませんでした。 ある程度は人を信じたり、頼ったりはしてますが、最後の最後でとまどってしまいます。それ以上進もうするとなんだか怖くなってしまうんです。 これって変なんでしょうか?それともただ自分の殻に閉じこもろうとしてる、自分への甘さへの表れなのでしょうか? すごく分かりにくい内容かもしれませんが、よろしくお願いします

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.8

こんにちは。 お友達に頼りたいとき、何を期待していますか? また、どうなることを恐れていますか? それがわからないと、漠然とした不安が立ちはだかって、頼らないでおこうと いう気持ちになるのではないでしょうか。 どこまで付き合ってくれるか、見捨てられたり軽蔑されたりするのではないか と不安なのではないですか? 逆に考えてみましょう。友達に頼られたら、どこまでつきあえるか。 友達が辛い状況になっていたとき、話を聞くぶんには大丈夫でしょう。 でも、最終的な決断や行動までは立ち入らない。で、とにかく、 その話を聞いて、辛いことを知っていてあげて、近くにいるだけ。 これなら、相手に妙に期待したり失望したりとかしないと思うのです。 私はこのスタンスが一番いいと思います。 それ以上のこと、というのをしてしまったり、してもらったりすると、 居心地の悪い状況が発生することがありますから。 そういう頼り方、頼られ方なら、できる!と思いませんか? もしそうなら、そのようなスタンスでお願い、と前置きして、 あなたの話を聞いてもらえばいいのです。 知っていてくれる人がいる、というのはすごく力になります。 そして、あなたもときどき、友達にそうしてあげればいいと思います。 楽だと思うのですが…いかがでしょうか。

yuina2way
質問者

お礼

回答ありがとーございました。 そうですね、ここで質問させていただいて、みなさんから回答をいただいてそれだけでも気が楽になりました。 私は何か友達に期待しすぎてたのかもしれませんね。 最後の決断、行動は自分自身にしか出来ないことで、話しを聞いてもらったり、聞いてあげたりするのがせいいっぱいのことなのかもしれませんね。

その他の回答 (7)

回答No.7

私は本当に自分が苦しい時って、誰にも相談できないですね。むしろ、落ち着いて自分に余裕ができて初めて、人に話せるという感じでしょうか? 友人も多く、親友もいるのですが、最後はやっぱり自分だって思います。人に相談するときに、相談する相手を選んだりしてしまって、結局、自分の答えを後押しするような意見をもった友人にだけにしか相談できなくなってしまってるような気もしますが・・・ それだけ自分の意見に反論されたり、することが怖いのだと思います。末期はYesマンしかまわりにいなくなってたりして・・・ この質問とはかけ離れてしまうかもしれないけど、頼ってるからといって、深夜に長電話して相談したり、休日呼び出して何時間も話されたりしたら、相手だって迷惑ですよね。親しき仲にも礼儀あり・・・ですよね。 あなたの考えはちっともおかしくないです。 むしろ常識的ですよ。 そういう相手に対する思いやりがあってこそ、あなたを助けてくれる友人が多いのではないでしょうか?

yuina2way
質問者

お礼

回答ありがとーございました。 私を助けてくれる友達は確かに多いかもしれません。 でも、そんな友達を信じきれない自分がイヤになってきます。 相談事もしますが、本当に悩んでることはsleephoneyさんと同じく、後で話すっていう感じですね 1人で悩みすぎってもよく言われます。 でも、信じるとかとは別に、時には話す勇気も必要なのかもしれませんね。 話すだけでも気持ちが変わる気がします。

  • gelgel
  • ベストアンサー率16% (4/24)
回答No.6

現在日本には伝統的・アジア的なやり方と、近代的・欧米的なやり方が相克していて、この質問もその混乱の一つの典型例だと思います。 日本社会では、伝統的に「甘え」というものがあり、人を信じる時はトコトン信じきるのがよいとい道徳があります。中途半端に信じることは不誠実、という概念ですね。それが質問者の不安「これって変?」の原因だと考えられます。 一方、戦後日本では欧米流の「自立した個」という道徳 が流入し、そこでは人を頼り切ることは罪悪、という正反対の概念が展開されました。その影響を受けて、特に若い世代では自分の殻を持つことが当然という風になっています。しかし、この二つの相対する概念はまだ昇華できておらず、質問者のように葛藤を起こしている訳です。 このバランスをうまくとるには、場数を踏んで自分なりのポジションを会得するのがよいでしょう。自分を打ち明けられる人がいなくても、それはそれで構わないと思います。アメリカではそういう人も少なくありません。その場合はカウンセラーとかにお願いすればいいのですから。

yuina2way
質問者

お礼

回答ありがとーございました。 文化的な面から詳しく説明してくださって… これも原因の1つなんでしょうね。 少しでも原因が掴めることは、次につながることだと思うので、そのことを心に止めておき、考えすぎないようにしたいと思います。 カウンセラーですか… 何度か相談してみたいと思ったことはありますが、なぜか遠い存在のように思えてしまいますね、私には。

  • wasuke55
  • ベストアンサー率0% (0/4)
回答No.5

 その気持ち・・・わかる!と言うと「ほんとかよ」と思われるでしょうか? でも自分も似たような気持ちでいます。 心配してくれても、そこに素直に甘えて行けなくて、 そういう自分に嫌気が差しもするけど、 「この人が自分を友達と思ってくれるのは、自分が甘えたり頼ったりしないからじゃないか?」と思って堂堂巡り。自分はそんな感じですが・・・。    焦っちゃいますよね。他人の心の中の構造ってわからないし。 自分は一回だけ、友人に自己開示を試みました。でも、一時期だけでその試みを やめてしまった。怖くなってしまったんですね。本当の自分、より深いとこの 自分をさらけだすのが。嫌われるんじゃないかな、と。 やめなければ、そういう関係が築けたかもしれないけど・・・ 結構優しい人って多いんですよね。実は。 わかっちゃいるけどやめられない。ってとこですが。    今は、親子ほども歳の離れた方に、少しずつ少しずつ自分の話をしています。 自分を丸ごと受け入れてくれる人というのは、必ずいると思いますよ。 そう多くはないかもしれないけれど。  何だか自分のことばかりでごめんなさい。でも、貴女はひとりじゃないよ。  焦らず、ゆっくり、見る目と勇気を養っていきましょう。    貴女のそういう自分を厳しく律するところ、ある面ではとてもいいところだと思います。  自分にも言い聞かせつつ・・・

yuina2way
質問者

お礼

回答ありがとーございました。 wasuke55さんのお気持ち、私とよく似てるところがあると思います。 私も心の中を打ち明けようとした人がいました。 でも…ダメだったです。 すごくその人との繋がりがいつまでも続いたらいいのに…と思えば思うほど、どんどん言えなくなっていきました。 結局、それは逆効果だったわけですが…。 私にもちゃんと話せる人が現れるでしょうか…? それを願いながら、少しずつ話せる勇気も蓄えていこうと思います。

  • cid-37
  • ベストアンサー率35% (94/265)
回答No.4

変ではないと思います。むしろ、友人知人をねたんだり嫉妬したりする 感情のほうが危惧するべき感情です。文面を見るかぎりyuina2wayさんは 単に自分で自分を責めているだけです。世の中には他人を恨んだりねたん だり嫉妬したりの感情がうずまいています。yuina2wayさんが信じれる人 に巡りあるまで、そのピュアな感情を防衛してください。無理に人を信じ れば、そのシッペ返しは膨大なものでしょう。でもそれが現実です。私だ って、他人を全くうらんだり嫉妬したりしていないかと言われれば、はい とは言い難い・・・・・とにかく全然変じゃないですよ。

yuina2way
質問者

お礼

回答ありがとーございました。 信じられる人が現れてくれればいいのですが… そうですね、しっぺ返しは出来れば受けたくないことですがそうもいかないことかもしれませんね。

  • khoney
  • ベストアンサー率25% (3/12)
回答No.3

頼るということは相手に自分の弱さを見せることなので それはプライドが許さないとか馬鹿にされるのがいやだという人がいますが それでは真の人間関係は築けないのではないかと私自身は思います。 なぜかというと心を閉じているからです。 自分の弱さを見せる(心を開く)ということは 人間関係を築く上で、相手に自分のことをより知ってもらえる良い機会です。 自分のことを頼ればいいって言ってくれたお友達は yuinaさんに悩みがあったら心を開いてなんでも話して欲しいと 思ったのではないかと思います。 と同時にyuinaさんのことを信頼できる、心通わせることの出来る人だと 思ったのでしょう。 人間は皆、周囲の人たちに支えられて生きています。 言い換えると、その支えが無ければ、生きていけません 悩みを相談されて その人の事を嫌いになる人なんてあんまりいないと思いますよ。 「この人、こんな事で悩んでるんだ~。馬鹿みたい!」なんて 思う人はあんまりいないですよ。 ずっと自分の弱さを隠していけば あの人は心を開いてくれないとだんだん人が離れていって 自分が本当に辛くなった時、周りにだれもいないなんて状況になってしまいます。 人間って基本的には心を開いて接すれば 相手も心を開いてくれることが多いです。 自分のことを頼ればいいと言ってくれたお友達に もし何か悩み事があったら (特別に悩みが無くても、日常生活の中での嫌なこととかでもOK) 少し勇気をだして話してみてはどうですか? そのお友達との距離が話す以前より もっと近くなると思います。 長くなってすみません。

yuina2way
質問者

お礼

私の分かりにくい質問に対して、たくさんのアドバイスをありがとーございました。 khoneyさんの言うとおり、自分が心を閉じたままだと相手も開いてはくれませんよね。 勇気をだして、小さなことからでもいいから話してみようと思います

  • jun95
  • ベストアンサー率26% (519/1946)
回答No.2

こういう疑問は、文学においても、一つのテーマになっています。夏目漱石の「行人」は、その作品のなかで、一郎と呼ばれている人のこころの葛藤を描いているのですが、その一つのテーマとして立ち現れてくるのが「信じる」ということです。このテーマは、次の「こころ」に持ち越され、親友を裏切るというところから、すべてのことをうち明けてしまえるほどの「私」と書かれている人を見つけます。しかし、最後まで、そのひとは、奥さんには本当のことが言えませんでした。 こういう体験により、このような文学作品の理解は深まることになります。 なかなか、困難な課題ですが、わたしは一つの特性と見てもいいと思います。

yuina2way
質問者

お礼

1つの特性ですか…そんな考え方もあるのですね。 そう言われると、私は物事を多面的に見るのを苦手としてるかもしれません。 貴重なご意見、ありがとーございました

  • knock
  • ベストアンサー率14% (4/28)
回答No.1

いいえ。yuina2wayさん。あなたは正常だと思います。 私も同じ考えです。 いくら仲の良い、親友と呼べるような人でも、 打ち明けることが出来ない悩みはあるのではないでしょうか? 頼りたいけど、頼れない。 頼れば楽になるんだろうけど、どうしても先に進めない。 そういうことだってありますよ。 人間なんですから。 逆に、yuina2wayさんは自分に厳しいともいえるのでは? 友人を頼れば楽なのに、自分で解決する。 それは強い人にしか出来ないことなのでは? それでもどうしようもないと思ったら相談すれば良いと思います。 あまり深く考え込まないで、相談できることから相談すればいいのです。 長い文章ですが。参考になれば幸いです。

yuina2way
質問者

お礼

ありがとうございました。 そうですね、深く考えすぎとも言われたことも何度かあります。これからは少しずつでも話せることがあれば話していこうと思います。

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