- ベストアンサー
今更ながら・・・・。近鉄 オリックスの合併の疑問
1.イチローがメジャーに行く前と後のオリックスの観客動員はどう変化したのでしょうか? 2.数年前の横浜フリューゲルスの球団存続の問題とダブります。あのときの横浜Fファンは必死でした。 近鉄ファンも必死でしたか?? 3.近鉄ファンがもっと近鉄を応援しに大阪ドームに足を運んでいたら、球団は存続していたでしょうか? 4.なぜホリエモンは「近鉄を大阪に残す。」と当初言っていたが、途中から「仙台へ。」にかわったのですか? 関西には阪神があったから??(それは始めから分かっていたハズですよね。) じゃー、近鉄ファンのホリエモン、古田への他力本願的な態度に愛想尽きた? 5.(関西は昔、南海・近鉄・阪神・阪急と名門球団が4球団もありました。) プロ野球の人気衰退ばかりクローズアップされていますが、関西経済の沈下とは関係無かったのでしょうか? わかることだけでかまいません。 ご回答下さいませ。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
1.イチローの放出により確かに観客動員数は激減していますが、 実際はイチローが抜ける前から減りだしています。 このため、オリックス球団は当時球界最高年俸のイチローを 保有しつづけることが非常に厳しい状態となり、 イチローも観客が減りつづける中で自身のモチベーションを 保つことが非常に困難になっていたといいます。 この件に関してはオリックス球団の経営手腕だけではなく 常にグリーンスタジアム神戸(当時)を満杯に出来なかった オリックスファンにも責任があるといえるかもしれません。 2.近鉄ファンの方々は間違いなく必死だったと思います。 合併後の大阪ドームでの観客動員数の伸び悩みを見れば いかに近鉄ファンの方々が落胆したかが読み取れると思います。 3.その可能性は否定できませんが、阪神が幅を利かせている関西地区で 客を呼ぶプレーが出来なかった選手たちにも責任があるかもしれません。 この合併にいたる原因の一つに01年のリーグ優勝があります、 この年は近鉄いてまえ打線が大爆発をした年で リーグワーストの失点(&防御率)ながらもそれ以上に 得点(当然リーグトップ)を取り返しています。 しかし、「打線は水物」といわれるように翌年以降まで その好調を保ちつづけることは出来ずに リーグワーストクラスの防御率に足を引っ張られる形で チームは低迷、当然ファンは失望、 優勝に伴って上がった(上げざるを得なかった)年俸が 球団経営を圧迫するという皮肉な結果となりました。 岩隈などの新しい芽が出始めたばかりなだけに他に やりようはなかったのかなという気はしないでもないですが。 4.仙台は新球団のフランチャイズとしてあげたものです。 当初は近鉄球団を買取そのまま大阪に置く予定でいました。 ところが、近鉄はどうあっても球団の売却をせず、 合併に伴う分配ドラフトから漏れた選手を中心とした 新球団設立に方針を転換します。 このときもまだフランチャイズは大阪を予定していました。 しかし、合併後も大阪をフランチャイズとして 利用し続けるつもりでいたオリックスと折り合いがつかず 最終的にプロ野球空白地帯でかつてロッテが 準フランチャイズとして利用していた実績のある 東北(仙台)をフランチャイズ予定地にするに至ったわけです。 5.経済の沈下に伴うクラブチームの冷遇はプロ野球や関西に 限ったことではないと思います。 プロ野球に限って言えば、フランチャイズ制度のできた当初は、 場所の確保や交通の利便性の関係で東京、大阪の2大都市圏に 集中せざるを得なかったという事情がありました。 しかし、全国中継というドル箱があるセ・リーグに対して パ・リーグは地域密着を武器にして行かなくては生き残ることが出来なかった事と、 地方での敷地確保と交通の問題が大幅に解消されたことが パ・リーグの地方分散を促し、もともとパ・リーグ球団が 集中していた関西地区の球団数減につながったのだと思います。 残った近鉄と旧オリックスはオーナー企業(旧オリックスは前オーナー企業)が 鉄道会社だったためにフランチャイズを移せなかったという事情があります。 個人的な意見も混ざり無駄に長文となってしまいましたが参考になれば。
その他の回答 (3)
- Jameskusa
- ベストアンサー率31% (229/718)
1.オリックスはイチロー放出から観客動員数が激減しました。またメジャーへの移籍を容認したため主力の長谷川もエンジェルスに放出したことで裏目に出ましたね。共にFAでの移籍ではないですから。彼らの後継者を決めないうちに放出したら人気が落ちるのは仕方がないことですが、球団の楽観的過ぎる認識不足は否めません。 2.近鉄はマニアックなコアのファンが多いので、そういった人たちの合併反対を訴える声は痛々しかったですね。しかし絶対数が少ないので反映はされませんでした。阪神が同じことになったら暴動になってたことでしょう。しかし少数とはいえコアなファンを踏みにじる姿勢は経営者の資質を疑います。村上ファンドの阪神に対する姿勢と形は違えども、結局は金かという思いを抱いてしまいますね。伝統を無視して経済を優先するあの姿勢を・・・これについては賛否両論ありますけどね。 3.近鉄は赤字球団だったので、企業の論理からすると経費削減の対象になるでしょう。累積の赤字金額が多額なので、親会社の経営に支障をきたすような状況なら譲渡を模索するのは仕方ないです。急に観客動員が増えても財政状況は劇的に変わらないので”近鉄”としての存続は無理だったと思います。 問題は他の企業に譲渡するのではなく、ライバル球団のオリックスと合併交渉をしたことです。ホリエモンが球団を買収するといったにもかかわらず交渉を進めたことを考えると、余計に球団を残すつもりは無かったと思います。 4.ホリエモンは近鉄を買収できたなら大阪に残したと思います。仙台については新球団の話ではないでしょうか?違っていたらすいません。近鉄を買収できてたら、大阪ドームという立派な球場もあることだし、大阪から仙台に移す意味が分かりませんので違うと思います。 5.関西の経済停滞はあまり関係ないと思います。南海、阪急を買収したダイエー、オリックス両グループは、旧経営陣との決別を意味した移転だと思います。しかし関西に4球団は多すぎたのは事実です。もちろん現在の関東も同じです。ただし首都の東京に2球団あることは問題ないですけど、できればセ、パ1球団ずつがいいと思います。実際は巨人とヤクルトですから。あくまでも個人の希望です。 事実と推測が混ざった回答になってしまいましたが、納得いただけたでしょうか?
1、オリックスの観客動員数は、2000年が122万人でイチローがメジャーへ移籍した2001年が107万人ですから、減っているのは事実ですが、パリーグで2連覇した当時には170万人くらいだったものが徐々に減っていたので、イチロー移籍の影響だけとは言い切れないと思います。 4、少し話はそれますが、楽天の三木谷氏は当初は新球団の本拠地を神戸にしたかったのですが、合併後のオリックスが大阪と神戸のW本拠地を予定していたのでオリックスが認めなかったため、本拠地を仙台にしたようです。ですからホリエモンが大阪を本拠地にしたいと思っていても不可能だったと思われます。
2,3 近鉄は何十億円という負債を抱えていました。前の年に球団名を売ろうとしましたがプロ野球機構に却下されました。経営は破綻状態でした。 4 堀江社長は、近鉄とオリックスが合併する話が表面化したときに、合併話を中止して近鉄を買収しようとしました。が、近鉄、オリックスに相手にされず合併話がとめられなくなったことを把握すると、球団買収から新規参入に方針を切り替えました。新規参入ならば、大阪にこだわるよりかはまったく新しい地域で参入したほうがよいと考えたのでしょう。
補足
ありがとうございます。 ただ、”2”が納得できません。。。 しかし。あとは分かりやすかったです。ありがとうございます!!