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‘自分さえ良ければいい‘と考える人間が増えたのはなぜ??

こんにちは。TVドラマ女王の教室でも‘自分さえ良ければ良いの、みんな。まあ、今は日本中そうだけど。‘というセリフがありましたがなぜそんな人間が増えてしまったのでしょうか?義務は果たさないが権利はきっちり主張する!!ここでもそんな質問を多く見かけます。【自己破産したら海外旅行に行けませんか?】(借金踏み倒して旅行に行こうという考えが怖いです)【自分の資産は手放したくありませんが生活保護受けたいです】など法的には大丈夫かもしれませんが倫理的にどうなの?と思いますよね。自分も医療機関で働いていた時【待ち時間が長いのは他の患者に時間を掛けすぎるからだ。他の人は適当に診察して自分をじっくり診てくれ!!】とおっしゃる方が結構いまして面食らいました・・・。 日本はどうなってしまうのでしょう・・・・??

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  • north073
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回答No.11

実際どうなのかわかりませんが、本当に自己本位的な考え方が増えているのだとしたら、それは、「共同体」「コミュニティ」の崩壊によるものだとする考えができると思います。 かつて、会社経営が家族主義的と言われた時代には職場がひとつのコミュニティでした。また、マイホームのある一帯もコミュニティでした。 しかし、昨今、雇用が流動化し、会社に依存することが必ずしも生活の安全をもたらさなくなっている状況では、職場のコミュニティは事実上解体されています。地域コミュニティも、非都市部では担い手の流出、都市部では新規住民の急増などの要因もあり、今までのようには機能していません。 このような状況では、自分を守るものは自分しかありません。共同体は、個人の自由を制約する一方で、その上位にある社会的主体からの介入を退け、外部からの攻撃から個人を守る役割を果たしてきました。しかし、ここにきて、個人は、共同体の呪縛から解放されるかわりに、自分で自分を守るという課題に直面することになったわけです。 しかし、伝統的に我々の倫理・道徳は「共同体」に基礎を置いていました。そこから解放された時代にあっては、個人が直接外界と接する新しい倫理・道徳が必要となる、又は今まで「共同体」に意味づけられていた倫理・道徳を新しく定義しなおす必要があるはずなのですが、それができずに、倫理・道徳なき個人が暴走している(というよりむしろ過剰防衛に向かっているというべきか)、という説明が可能かと思います。 ステロタイプな言い方になりますが、欧米では個人と絶対者=神の関係が意識されているのに対し、日本では横のつながり(たとえば世間)が重視されるといいます。その横のつながりが壊れて、絶対者の意識もないところに、どのような倫理が打ち立てられるのか。 対応策としては、個人を主体とする新たな倫理を模索すべきだ、という議論と、何らかの形で共同体に回帰すべきだ、という議論があります。 なんか、新書とかでいい文献がありそうな気がするのですが、今すぐに思い浮かびません。社会学関係で「共同体主義」などに言及しているものを探してみてください。本来、何かの文献に当たってからご回答するのが筋なのでしょうが、この手の考え方に言及したものがなかったので、こういう考え方もあるというご紹介までに。なので、回答内容の自信は「なし」です。

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  • redowl
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回答No.6

「何事においても、自分が損するのは、嫌だ」と思うからでしょう。これは、昔も今も変わらないし、これから先も同じでしょう。 龍之介、作「蜘蛛の糸」のカンダタ状態。不安になればなるほど、周囲には目がいかなくなる。 それと、金を持っているからとか、高学歴だからとか、地位が上位とか、勝ち組負け組(善し悪し)で選り分ける環境の存在も大きい。 損得で判断する術を得てしまったが故に、もうこの術から逃れられないのだと。

  • waiefu
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回答No.5

私もときどき同じようなことを思うのですが、原因のひとつとして、日本人が日本の文化を大切にしていないこと、日本人としての誇りを持たないこと、があるのではないかと思います。 日本のことをもっと大切に思うなら、自分だけではなく日本をもっと良くしたいと思うはずです。 近所の子供たちも、将来の日本を担うのだと思えば、悪いことをしたら注意したくなりませんか? 自分たちの住む地域を良くするのも、日本を良くすることの一つです。

glendale_001
質問者

お礼

回答ありがとうございます 今は自分の子供にすら親は関心を持ちませんからね・・・。無責任というかなんというか・・・

回答No.4

「自分さへよければ」という考え方ですが、これは日本の戦後60年の教育結果だと思います。最近はこのようなことが駄目だと気づく人が増加していることも事実です。何事も「行き過ぎ」はよくありません。日本人(日本社会)は、馬鹿ではありません。 北朝鮮の「拉致問題」も同じように感じます。当事者の家族を除いて、どの程度の国民が、この問題を真剣に考えているのでしょうか。この問題は、まさに「自分さへよければ、他人のことは関係ない」という考え方の一例だろうと思います。同じ問題が政治家や外務官僚の身に起これば、もう少し真剣に考えるのではないでしょうか。外務官僚は一生懸命やっているかも知れませんが、何も結果が出ていません。日本の力の限界でしょうか。それとも作戦負けでしょうか。私には、平和な安定した時代が長すぎた結果、何も国や国民を守る防備ができていない(ハードウウエアというよりソフトウエアです)ように感じます。 日本の隣国が軍事を増強しているのに、無防備でアメリカに国防を任せるにも限度があります。このようなことも、結局、「自分さへよければ」に通じるように思います。国を守る(国民を守る)ということを議論することからも、少しづつ改善・是正して行くように思います。 ご質問と少しかけ離れたことを回答したかも知れません。

glendale_001
質問者

お礼

回答ありがとうございます 日本は長年社会主義国家して‘集団との調和‘の教育は一番重要視されていたのに皮肉なものです・・

  • medica
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回答No.3

こんにちは。 今の子供たちやフレッシュ社会人の皆さんは、団塊の世代以降の親の子供です。 学生運動で自己主張するも、就職活動になればそんなことはおくびにも出さずに髪を切りスーツを着た者たちのジュニアです。 高度経済成長でイケイケドンドンで、人の気持ちより業績を上げるために生きてきた上司に抑圧され、信じられるのは自分だけ、わが子を有名大学にと、他を蹴落とすことだけに執着してきた人たちです。 受験戦争や競争社会でで自分こそすべてと刷り込まれた子供たちは、他人を思いやる心よりも、自分を守り、高めてゆくことに重きを置き、挙句の果て「ゆとり教育」と称して自分より若い世代を腑抜けにしました。 有名無実化されたプライドとかいうハリボテと、貧乏で礼儀もマナーも無いクソガキが「セレブになれるかも」などという屈折した幻想を抱き、手をつないでゴールする徒競走のある運動会をするくせに、「宅の息子は~大学ざます」と、矛盾の繰り返し。 そんな親たちの子供が、まともに育つはずがありません。 そんな国になってしまったのです。 そういう私も、同じ穴の狢です。 ご参考まで。

glendale_001
質問者

お礼

回答ありがとうございます

  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.2

団塊の世代以降の発想ですね。 自由=他人に迷惑をかけなければ何をやってもいい という思い込みで子育てや教育をしてきた成果です。 住宅を建てたのだが工事にミスがあった。クレームを言ったらいくらくらい金が取れるか? という質問は非常に多いですね。 言いがかりで金をもうけるのは右翼ばかりでは無い世の中です。 アホなことを言うやつに甘い顔をしてきたのがこれまでの日本です。 イラクで誘拐された三人組がいましたが、あれも最たる物でしたね。 あの親だから、あんな子供が育ったのです。 おかしい発想のやつは、どこかで壁にぶち当たります。 それを他人や行政が手助けしてくれるのが当然と考えている節もあります。 相手にしないようにするしか無いです。 自分で苦労して、悟るしか無いですね。 堀江も落選して勉強になったのではないでしょうか? 堀江の親は典型的な団塊ですから。

glendale_001
質問者

お礼

回答ありがとうございます ‘ゴネ得‘という言葉も良く耳にします。

回答No.1

原因は教育や環境など色々あるかと思いますが、 核家族が増え、家族同士でも干渉しなくなり、 旅行中でも子供はゲームやメールに夢中… といった人間関係の希薄さが表面に出てきたのだと 思います。家族のつながりでさえ弱いのに、 他人はまして…ですね。

glendale_001
質問者

お礼

回答ありがとうございます 特に都会では人間関係は希薄ですものね。 マンションの隣人が誰かも知らない・・・・