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気持ちの二面性
はじめまして。よろしくお願い致します。 私は17歳の女です。高校3年生です。 タイトル通りの事なのですが・・・ 私は心配性です。毎日、寝る前にはお祈りをしています。 別に宗教は関係ありませんが、しないと不安でたまりません。 自分自身、辞めたいと思っていますが。心配でやめられません。 タイトルの気持ちの二面性は、小さな頃から悩んでいる事です。 例えば、「パソコンをやりたい」と強く思っているとします。 でも気持ちのどこかには「やりたくない」と言う気持ちがあるんです。 どうしても、パソコンが「やりたい」んです。 でもなんでうらはらな思いが出てくるのでしょうか? この現象はいろいろな気持ちに当てはまります。 ウラハラな思いを思ってしまって、あわてて「そうしないで下さい」とお祈りした事もあります。 私は、心身共に健康なんですけど、このことだけが私の頭を悩ませています。 とても、怖いです。 よく分からない説明だったかもしれませんが、 どうぞよろしくお願い致します;
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>例えば死にたくないのに、死にたいと思ってしまったり。 僕はこう思います。「生きている」ということを考えたら、みんな時間の中で存在しているわけなので、誰でも歳を取り、そしていずれみんな死にます。つまり、生きるということは、死に向かうということだと僕は思っています。人生全体を見たら、死に向かうことが生きること…つまり死にたいと思うことは、本当に生きたいということなんです。 現代は科学の発達により、本当に便利で安全です。何もかもスムーズに事が進み、何か生きている実感がない。生きがいもない。本当の人生がまた別にあるような…。そういう日本人は多いと僕は思ってます。つまり、生きているけど生きていない。本当に生きたい!眼が覚めるような、強烈な人生を経験したい!と思っていませんか?つまり、自分の中で矛盾があるわけです。生きているけど生きている実感がないという。矛盾があるからこそ、悩む。しかし悩むことによって人は成長します。(そこには実践が伴いますが) >幽霊が出て来てて欲しくないのに、出て来て欲しいと思ったり。 おそらく多くの人もそう考えていると思います。出てきてほしくなければ、ホラー映画やお化け屋敷なんてなくなっちゃいます。ホンモノの幽霊は出てきて欲しくはないけど、だけどどこかで期待してるんです。つまり、幽霊なんていないと思っていると同時に、もしかしたら出てくるかもしれないという気持ちがあるんです。じゃなきゃ、キモ試しもホラー映画、お化け屋敷などないと思います。幽霊なんてハッキリしないものです。つまり未知なんです。未知ゆえに怖い、と同時に、多くの人を魅力する。 他にも、UFOやネッシーとか、オカルト現象などに惹かれる日本人は多いです。なぜかといえば、それは未知だからです。正体がわからない!謎だ!知りたい!そういう欲求を人間は持っています。(これは恋愛にも言えますよね^^;)しかしその未確認のものの正体がバレたら、な~んだと飽きてしまいます。つまり、ネッシーの正体を知りたいけど、その正体を知ってたら魅力を失うんです。つまり、幽霊が出てきて欲しいと思う、と同時に、出てきて欲しくないと思うんです。 ちょっと解りづらかったらすみません。 「お祈り」とあるので、少しだけ宗教について話をします。神様…それは何教でもいいのですが、愚かな人間と違い、次元が高い絶対的な存在です。そういう宗教がほとんどです。つまり、神様とは永遠に謎なんです。僕たち人間と次元が違うわけだから。見ることも理解することもできないはず。もの凄い力を持っている。それに比べて人間は愚かで弱くてどうしようもない。ゆえに宗教を作る。神様に頼らなければ生きていくのも辛い。どうしようもなくなったとき、誰だって神様に頼むはず。 つまり、神様という未知な存在の正体を知りたいとか、得たいとか思う人もいると思うけど、しかし実際に正体を知ったり、力を得たりしたら、その人は、人間存在として矛盾してしまいます。人間は矛盾していますから。矛盾して悩む。自力で悩みを解決しようとするから成長できる。なかなか悩みを解決することができなかったら、今のように他人に相談してみたり、神様にお祈りをしてみたりするんです。そもそも人間は一人として完璧じゃないわけですから、他人に相談しなければ、生きていくのも困難です。人間誰だって完璧を望むんです。それは裏返せば、人間は未熟というわけです。未熟ゆえに完璧を望み、強さを望み、神様をつくり、それにすがろうとする。yuipi-noさんがお祈りをするのは人間だからです。それでいいんです。みんな同じようなことを心の中に持っているはず。 この世界は、複雑であり、またシンプルです。その二面性に気づくセンスは凄いと思いました。科学者や哲学者、芸術家などセンスのある人は、その絶望を知っています。二面性、つまり矛盾。そしてそこにある断絶。その二面性は相互依存関係で、仏教だとそれを嫌います。つまり、それを乗り越えることができたら、悟りの境地なんです。科学だと、光りはフォトン(光子)と言いますが、粒なのに波の特性があるんです。これは矛盾してるんです。時代が進めば解明されていくとは思いますが、しかしまた、新たな矛盾にぶつかるとおもいます。それでいいんです。人間なんだから。17歳なんて思春期まっさかりじゃないですか。思いっきり悩んで、傷ついたり、色んなことがあって楽しい分、暗い部分もあるんです。誰だってそのような思春期を乗り越えて、成長していくんです。 >変な相談を持ちかけてしまって申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願い致します。 変な質問ですか?変じゃない、普通の人たちはこのような質問の疑問すら思い浮かばないと思いますよ。正直な人は、その分成長できると思っています。なので、解り辛いところがあったら指摘してください。できる範囲でお返事したいと思います。
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- nonenone
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こんばんは! 気持ちの二面性、私もあります。二面性というより頭の中に2つの人格があるような感覚といっていいでしょうか。私は現在20代後半でこの感覚はかなり落ち着きましたが、10代後半の頃は暴走する過激で感情的なAという人格と理性的で温和なBという人格が交互に、ときには同時に意見をいうような脳内状況で、本当に疲れることもあったし異常ではないかと悩みました。 いろいろ心理的な本を読んだ結果、良い子を演じすぎてきた結果抑圧された部分が云々、右脳と左脳の声云々と色んな説がありましたが現在も納得のいく答えはなく謎ですね。回答になってなくてすみません。 ただいえるのはこれはたぶん異常ではないこと。(この悩みを持つ人は少数派だとは思いますが)これら二つの人格?を用途用途に応じて使い分けられたら便利ですよ。特殊能力だと思って前向きに。もう少ししたらコントロールもできるようになると思います。頑張ってください。
お礼
こんには。ご回答有難う御座います。 私は寝る前にお祈りをしています。 そういう時に心の中で2つの声があるんです。 1つはお祈りをしている声。 もう1つはお祈りにケチをつけている声。 べつに人格が2つあるって言うわけじゃないんです。 両方とも間違いなく私の心の声です。 確かに疲れますよね・・・どうして良いのか分からないし。 良い子を演じすぎていた結果抑圧された部分・・・なんだか心当たりがあるような気がします; 確かに私はいつでも良い子、という目標を背負っています。 だからなのでしょうか・・・お祈りの内容も戦争がなくなれば良いという内容ですし; 異常で無ければよいのですけども。 でも異常ではないようなので安心、はしました。 特殊能力ですか(笑)そうですね、何事もプラス思考で行きたいと思います。 どうも有り難う御座いました!
こんにちは。 お祈りするのは良いのではないでしょうか? 宗教と関係あるなしに関わらず、心が休まるなら良いことだと思いますし、最近、大人の間では瞑想や座禅がちょっと流行していますよ。 写経したり、そういうのも少し似ているのではないでしょうか。 私はたまに旅行しますが、行きたいのと行きたくないのとで揺れ動くことがよくあります。 面倒になったり、不安になったり。 こういう人は世間にはけっこういるみたいです。何度も旅行して、それが好きな人でも。 人間の心はフクザツで、きっちり2つに分けられないことも多いです。yuipi-noさんは大人になりかけているところなのではないでしょうか。だから余計にいろいろ揺れ動くのでは? 皆さんも言っているように、あまり心配しなくていいと思います。
お礼
そうですか・・・大人になる過程なんですね。 なんだか淋しいような、微妙な気持ちです。 ご回答、ありがとうございました!
- vagabond_0710
- ベストアンサー率26% (68/257)
>でもなんでうらはらな思いが出てくるのでしょうか? ずばり、人間だからです。 >この現象はいろいろな気持ちに当てはまります。 17歳でそのことに気づくなんて、yuipi-noさんはセンスがある方だと思います。 難しく書けば、二元論に発展するし、心理学者のフロイトは、その心理を、エロスとタナトスで表現しています。僕が思うに、人間という存在は、そのような二面性を持っています。ちょうど、この世界に男と女がいるように。男女どちらかが欠ければ、子孫を残すことができないんです。つまり、二面性があるからこそ、人間は生きることができる。右があれば左が必然的に存在することになります。そのことに気づかれたのは、本当にセンスがあると思います。 これは、科学的にも最先端の問題だし、宗教、哲学、論理学、あらゆる分野で見られます。また難しい表現になりますが、その二面性の矛盾を昇華する方法を弁証法と言います。yuipi-noさん、怖いかもしれませんが、それが正常だと僕は思います。人間として純粋な方なんだと思います。yuipi-noさんが何について知りたいのかわからないけど、二面性があるからこそ、人間は悩み、悩むからこそ、成長できるんです。それでいいんです。知りたいことがあったら、具体的にコメント下さいね。
補足
詳しいご回答有難う御座います。まずなるほどーって思いました。 二元論・・・難しい考えにまでたどり着いてしまうのですか! 全くそんなことは考えていませんでした(^^;) センスにも関係しているなんて驚きました。科学的にも最先端の問題ということも、知って驚いてしまいました! (無知でごめんなさい) 私は質問に書いた「パソコン」のことでなく、もっと深いというか・・・そんなことで悩んでいます。 例えば死にたくないのに、死にたいと思ってしまったり。 本当に死にたくないんです。 他の例だと、私は怖がりなので幽霊の話に弱いです。 幽霊が出て来てて欲しくないのに、出て来て欲しいと思ったり。 おかしいですよね?周りの友達は全くそんなことがないように思います。 「心配でお祈りもしていないんだろうな」と思うと羨ましくてたまりません。 自分ではあまりにも病的ではないかと思っています。 カウンセリングも受けた方が良いのかと悩んでいます。 変な相談を持ちかけてしまって申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願い致します。
- fit8885
- ベストアンサー率32% (153/465)
気持ちの二面性、心の二面性って誰にでも多少はあると思いますよ。 お祈りも、『してはいけない事』ではないので無理に辞める必要は無いように思います。お祈りという行為が他人に迷惑をかけるとも思えないし。 で、気持ちの二面性ですが、たぶん成長期によくあることで、ちょっとした事で自分に自信が持てなかったりする不安のあらわれかと思います。A型で真面目な人や完璧主義の人に多いと思います。 パソコンの例でも何か自分で納得出来る理由付けをすると良いかもしれません。 パソコンがやりたい ↓ でも、やりたくない気もする ↓ なぜ、やりたくないのか? ↓ 例)遅いパソコンだから。始めるとすぐあきるから。よく考えたらパソコンで何をしたいか考えてなかったから。etc ↓ あぁ、さほどパソコンやりたくないんだなぁ。自分は…。じゃぁ、あとでいいや。 パソコンやりたい方の理由を考えても良いかも。人間の気持ちや感情なんて、案外こんなもんです。
お礼
お祈りって確かにしてはいけないことではないですよね。 そういえば。 確かに人間の気持ちや感情は簡単かもしれませんね。 心が軽くなりました。 ご回答、有難う御座いました。
- macaron99
- ベストアンサー率25% (158/621)
誰にでもそんな二面性は、あると思いますよ。 私の場合を書くとyuipi-noさんとは、ちょっと違うかもしれませんが、 例えば、仕事がないときは早く仕事を見つけなくちゃ!!早く仕事を!!・・・と言う具合にめちゃくちゃ焦ります。 でも、いざ採用になって勤務開始日などが決定すると面倒くさくてしょうがないですよ^^; わぁ~いついつからだっけ行きたくないなぁって感じで(苦笑) だから、きっとyuipi-noさんも自分で気がつかないところでちょっと面倒くさいなぁ。。。とか思ってるだけでしょう。 誰でも、行動を起こすときは楽しみなことでも反面案外面倒くさいものです。 あまり気にしなくても大丈夫ですよ^^
お礼
仕事の例、とても分かりやすかったです。 私にもそんなことしょっちゅうあります。 気が軽くなりました。 分かりやすい例を使っていただいて有難う御座いました。ご回答、嬉しかったです。
- Ynos9981
- ベストアンサー率0% (0/1)
はじめまして。 僕もむかーし同じような事(二面性)を経験しているので、コメントさせてください。 僕の場合こうしました… 今日はポジティブな気持ちをすべて実行する日。 んでもって次の日はネガティブな気持ちを優先する日。 毎日自分の気持ちとその結果を日記に書きました。 (内容は簡単でいいと思います) 週末にまとめて読み返してみたり、読まなかったり。 後から思うと「なんで??」って自分で思ったり、「そうだよなー」っておもったり様々ですが、全部自分の事実なので、いいと思うようにしました。 徐々にネガティブな気持ちが当初の裏腹から好き嫌い・こだわりに変わっていったように思います。 アドバイスになってないような気がしますが… すいません。 多く考えた事が後々の考える、判断する力になると思います。
お礼
Ynos9981さんも同じ体験をされているのですか! 日記って良いですよね。私も毎日書いています。 自分を見つめなおす材料になるとは気づきませんでした。 心強いご回答、有難う御座いました。
お礼
随分時間が経ってしまったので、質問を打ち切らせていただきます; 有難う御座いました。
補足
毎回ご丁寧なご回答に感謝しております。 >>つまり死にたいと思うことは、本当に生きたいということなんです。 なるほど!生きるという事は死に近づく事ですよね。なんだか心が洗われるようでした。 私はどちらかと言うと平凡な毎日を送っていると思います。 それはそれで楽しいですし、後悔はしていません。 ですが確かに刺激のある日々を送りたいという気持ちも有るような気がします。 >>つまり、幽霊が出てきて欲しいと思う、と同時に、出てきて欲しくないと思うんです。 確かに幽霊は魅力的なんだと思います。あれだけ映画にも本にもなって売れているんですから。 ネッシーやUFOにも同様な点がありますね。そういえばそうだな、と思いました。 >>神様 そうですね、神という存在は次元が高い絶対的な存在ですよね。 だから私も神様にお願い事をしてしまうのかもしれません。 私のお願い事の内容は殆ど人間にはどうにもならないことが多いと感じます。 地震が起きないで欲しいとか家族が皆健康であるようにお願いしています。 心が軽くなりました。本当に。 でも私は本当はお祈りをやめたいんです・・・ 自分もこれからどんどん環境が変わってくるでしょうし、もしこれを打ち明けたら「何このひと」って思われたら怖いんです。 周りの人は誰もやっていないことだし、恥ずかしいというか・・・ でも自分が安心するならやっても良い事なのでしょうか・・・? あとひとつ、質問があります。 よくあって、思うことなんですけども。 例えば残虐的なシーンを本で読んだり、映像で見たりします。 普通だったら「嫌だな」って思うだけだと思うんです。 でも私は「嫌だな」と思った後に「替わってあげたい」とか「私もこうなりたい」と思ってしまうんです。 絶対、絶対に上に書いたようなことになるのは嫌です! なのになんでこう思ってしまうんだろう。というのが私の心の重みなんです。マゾなのかなとも思いましたけど、それとは違う話だと思うんです。 私って異常なんでしょうか・・・この話は怖くて自分以外のひとに言った事はありません・・・ なかなか難しい世界なんですね。 仏教だと相互関係は嫌うんですね。なるほど・・・ 矛盾っていうのは人間だから良いのですか。そうですか・・・皆そんなもんだと思うと安心します。 ですが、上の問題を考えると怖くて・・・ お忙しい所申し訳ありませんが、ご回答お願い致します。