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仏教の宗旨を変えるのは
私の実家は先祖代々地元に一つしかない寺の檀家です。私は分家でまだ檀家になっておらず、家に仏壇もありません。将来檀家になるとしたら、私は別の宗派の寺を選びたいと考えています。 宗派を変えるのはよくないことでしょうか。
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- les-min
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こんにちは。。 他の方々のご回答にありますように、信教の自由が保障された社会において、なりたい宗派に宗旨替えすることは、まったくの自由です。そういう意味合いにおいては「よくないこと」ではありません。 また、「宗派」というものも、さまざまな背景あってのことではありますが、一般の方には珍妙な区分に見えるのは止むを得ないことでしょう。別に何宗であれ、望んだ宗派に入られることも「よくないこと」ではありません。 とはいえ、とくに地方では、実際には困難が生じる可能性も多々あります。(都市部では、よほど事情がないかぎり、あまり問題にならないことでしょうけど・・・) 受け入れていただくお寺さんに目星はついておられますか? 地元にお寺さんが一つということは、他の地域か、少し遠方のお寺さんにお願いして、入檀(檀家にしてもらうこと)することになるでしょうが、受け入れていただくお寺さんがあるかどうか、が当然問題になります。 宗教法人法上の代表役員(←たいていの場合「住職さん」のことです。)の職権は強く、入檀を望んでも断わられた場合、覆すことは実際上はできない、といってよいでしょう。お寺さんの一存ひとつです。 とくに質問者さんのお住まいが、ある程度地方であるなら「望めば入れてくれる」という意識は持たない方が賢明だと思います。 文面のみでは判断しづらいところですが、ご質問のようなケースは、宗派が違っても、お寺さん方は、かなりナーバスになるのではないかと思います。 別に「考え直せ」というつもりではないのです。日本の社会で「人と違う事」をする際について回る困難が、こういうケースではより強くあらわれることもありますよ、という老婆心からです。 お寺さんと日常的に接する仕事をしていますので、その上で見てきたことを記してみました。ご参考になればよいのですが。
- nozomi500
- ベストアンサー率15% (594/3954)
「檀家」といういいかたそのものが、「家制度」の名残です。 もともと、戸籍制度のない時代に、庶民を管理するシステムとして、お寺がつかわれたので。 民主主義の時代なんですから、宗派まで世襲する必要はないと思います。 (そもそもが、ほとんどの人たちは、宗派の意義をしらずに慣習的にやってるように思います。法事やらのしきたりなど。)
お礼
ありがとうございました。参考になります。
- kyoromatu
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全くの個人の自由です。別によくないことなどありません。 ただ、お身内本家には前もって、一言話を通しておいたほうが良いかも知れませんね。 あらたに檀家になる際は相当の金額が最初かかります。 寺によっては数十万~百万単位までバラつきがありますから、充分下調べしたほうが良いですよ。 最初安くても、しょっちゅう多額の寄付を要求される場合もありますから注意が必要です。
お礼
ありがとうございました。参考になります。
お礼
ありがとうございました。たいへん詳しくアドバイスいただき参考になります。安易に考えておりましたが、もう少し研究してみたいと思います。