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いつも空洞感を感じています

僕は22の男で学生です。 人との付き合い(特に女性)がどうしても上手くいかないのです。 話題が見つけられないというのでもないし、人が僕を避けているというのでもありませんが…昔から面白い話は得意で、むしろ話は好きなのです。 だけど今は、僕自身が拒絶のオーラを出しているようです。どうしても人と親しくなることに恐怖感を感じてしまう。 昔ですが、ベッタリ信頼していた友達に裏切られたり、部活でムリヤリ(ふざけてですが)服をぬがされたり、レイプの真似事をされてちくびを舐められたりした。そういうことがあったからかもしれない。 他にも、付き合って欲しいと言われた女の子に暴言を吐きまくったり、別の子にはセックスを強要しようとして、激しく拒絶され、そのときに人を愛する資格が自分には無いのだと強く感じたことを思い出した。 ↑は全部中学時代のできごとです… 「自分と親しくなったら、その人を不幸にしてしまう」という思い込みがあって、どうしても一歩踏み込めない。事実、不幸にしてきた。 やっぱり、深い人付き合いなんて、しないほうがいいし、そうした方がお互いのためになるに違いない。と、そう思ってしまいます。 僕はどうしたら一番よいのでしょうか?誰か教えてください。

みんなの回答

回答No.5

kaitaradouです。岸田秀さんは、結構有名な精神分析学者です。人間が持っている壁は原則的には壊せないと思います。壁を見ない人には壁は無いのと同じなのかもしれませんが、人間は本質的に孤独であるということだと思うのですが・・・

O-Isotya
質問者

お礼

再びの回答ありがとうございます。 教えてくださってありがとうございます。著書を読んでみようと思います。 人はみんな壁の中に住んでいる。壁は壊せない。私たちは本質的に孤独… あなたの回答をまとめると、そういう風に理解できます。 しかし、あなたは、苦労はするが乗り越えられるという風に書いていますね。 乗り越えられるということが、本当の人付き合い、ということでしょうか。 そうなのだとしたら、それを信じたいと思います。

回答No.4

#2です。お返事ありがとうございました。 >ターニングポイントなのかどうかは解りませんが、そもそもある一つのマンガを読んでしまってから一気に色々思い出してしまったようです。 私もあることをきっかけに昔のことを一気に思い出しておかしくなりました。 質問者さんも書いてらっしゃいますが、私も思春期の思い出を強烈に思い出しました。 それだけ敏感で繊細で多感な時期なんだと思います。 でも、親に忠実に生きよう、とすることは自然なことだと思いますよ。 だって親に守ってもらわなければ誰に守ってもらえますか? 自分で自分を守るのにも限界があるでしょう。 同級生で道を外れて不良になった人がとても羨ましかったです。 自分もあんな風に自由になれたら、って。でも無理なんです。 親が子供に無償の愛を注ぐように、それに無意識に応えようとする子供、 きっとそれは理屈なんかじゃなく普通に芽生える気持ちだと思うんです。 マザコンだと決め付けて自分を陥れなくてもいいんです。 >自己憐憫というのは、いわゆるナルシシズムの一種なのだそうですね。僕は結局、実のところ、自分のことしか愛していないということでしょうかね。 ナルシズム・・・そういう意味で書いた訳ではないんです。誤解があったようならごめんなさい。 私は「しかし、あなたの言うとおり、今さら何を言っても、もうどうしようもない。」と言いながら「何もかももう手遅れだからね。」と自分を貶めている気持ちでは何も生み出さないと言いたかったのです。そういう気持ちでは過去と決別することは難しいと思うのです。 お母さんの期待に応えようと辛かったでしょう。自分で自分をコントロールできなくて大変だったでしょう。本当の自分を見せれば誰かが傷つくのではないかと怖かったでしょう。あなたは十分に人のことを考え、自分より他人を大事にし、人を愛する気持ちを持っていると私は思います。だからこそ「もう手遅れ」だなんて言わないで欲しい、これからは人を大事にすることと同時に自分も大事にして愛して欲しいと思っています。 私がどうやって過去を乗り越えたか・・・月並みですが時間が解決してくれたとしか言えません。私が大人になったのか、それとも親が丸くなったのか本当の所はわかりませんが、見えない血の繋がりを感じ始めたのはつい最近のことです。キレイな言葉で言うなら「無償の愛」でしょうか。実際そこまで辿り着けていませんが、それに近い位置まで来ている気がします。でもあんなに憎んでいたのに死ぬまで憎みきれない自分を恨んでいますよ。それなのに今は昔に比べて少しは幸せです。随分矛盾しています、どうしようもないですよね(笑) 子供は親を選べません。だからあなたの場合も「親がこんな親じゃなかったら」と何度も思ったと思います。でもこればかりはどうにも覆らない事実なのです。後はあなたが過去の自分を否定することなく認め、自信を持ってください。あなたは凶暴なんかではない、人の期待に応えようと真っ直ぐな気持ちで人と向き合えるし、人のことを真っ先に考えられる心優しい人です。そんな自分に早く気づいてあげて下さい。

O-Isotya
質問者

お礼

ふたたびの回答ありがとうございます。 複雑な気持ちです。気持ちが交錯して、何を書けばいいかわからない。 さっきから、何回も読み返して、書いては消しています。 過去を認めろといわれても、やっぱり、そんなに簡単には認められません。 ただ、自分を縛っているものが何なのかが、少しだけわかってきたような気がします。 ムギチョコさん、僕はそんなにいい人間じゃないです。人を好きになれないでいます。複雑です。大丈夫といわれても… 僕は親類に愛されて育ったような気がします。それは「有償の愛」だったのか、「無償の愛」だったのかよくわかりません。 ただ、とにもかくにも、イーコイーコされて育った。「○○くんはえらいね、いいこだね、やればできるよ」っていう感じで…です。なんで周りは自分のことをそんなに褒めるのか、よくわからなかったです。 でも、本当の自分はイイコでも何でもありません。 ムギチョコさんは時間が解決してくれたのですね、僕の場合はどうなんだろうか。結局、時間が立たないと解らないのかもしれない。 だから、あなたも「時間が解決したとしか言いようがない」と書かれたのかもしれないですね。

回答No.3

岸田秀さんが人間は一人であるという意味のことを書いていると思いますが、貴方が壁といっているのもそのことと関係があると思います。他の人も壁の中に住んでいるのではないですか。自分だけが壁の中に住んでいると思うから、相手の壁を壊しても気がつかないとかそういうことではないでしょうか。壁の向こう側に行くためには大変苦労するものなのではないでしょうか。

O-Isotya
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 仰りたいことが、今ひとつ理解出来かねます。 僕は相手の壁を壊したんですか?岸田秀さんとは、誰のことですか。 …皆それぞれ苦労しているんだ、ということでしょうか?

回答No.2

人間は良くも悪くも色々な経験をして大人になっていきます。 それは周りの人間や環境にもよるだろうし、その人自身が望まないことを経験することだってたくさんあると思います。 その時は何とも思わなかったことでも、成長して、ふと立ち止まった時に思い出すこと、それがいい思い出でも悪い思い出でも、それをあなたは今思い出した・・・ということは今があなたにとってある意味人生のターニングポイントなのではないですか? 今まで過去のことを何も思い出すことなく楽しく人付き合いが出来ていたからこそ、過去を思い出すことを無意識に避けていたのかも知れません。でもやっぱり思い出してしまった、そのギャップが余りにも大きくて、急に人付き合いに戸惑いを覚えたのではないでしょうか。 でも過去は過去でしかないのです。どうやっても戻ってやり直すことは出来ません。だからといって悲観しないで下さい。あなたが今そうやって過去を振り返ることが出来た、ということが新しいスタートへの第一歩になるのです。 今あなたと付き合っている人たちは、あなたの過去と付き合っている訳ではありません。今現在のあなたと向き合って付き合ってくれているはずです。そこに自信を持って欲しいです。 過去のことを悔い改めることも大事ですが、悔いてばかりでは先には進めません。それではただの自己憐憫にしか過ぎないのです。自分を哀れんでいるばかりでは何も生み出さないのですよ。もしあなたが今の状態を打破したいと思っているのなら、過去は過去として認め、それと決別し、今の自分に自信を持つ事だと思います。

O-Isotya
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ターニングポイントなのかどうかは解りませんが、そもそもある一つのマンガを読んでしまってから一気に色々思い出してしまったようです。 その後、斉藤学さん等の著書を読んでいて、結局自分自身がただのマザコンで忠実に母親の意志にそぐおうと(無意識のうちに)していたということがわかった。 性的に抑圧された環境だった。Hな本を目の前で暴かれたりしたし、部屋で女の子と話をしていても、しきりに内線電話をかけてきたりされた。 実家の隣に女の子の友達がいて、その子の家に遊びに行こうとするとあからさまにイヤな顔をされた。何処に行っても女の子から僕は遠ざけられていたような気がしますね。今でも母親は僕に抱きついたりキスしようとしてきます。 それらのことが僕を性的に屈折させたような気がしないでもない。 しかし、あなたの言うとおり、今さら何を言っても、もうどうしようもない。何もかももう手遅れだからね。 たとえ友達は今の僕を見てくれていても、当の僕は過去の記憶から逃れられない。凶暴な自分がまた目覚めるかと思うと、結局その子が泣く顔しか思い浮かべられない。 自己憐憫というのは、いわゆるナルシシズムの一種なのだそうですね。僕は結局、実のところ、自分のことしか愛していないということでしょうかね。 あなたは過去と決別できたのですか。何があなたを乗り越えさせましたか。

回答No.1

最近、女性から昼飯時に、こういう相談受けたんですが・・・はっきり言って、ここまでくると親が甘やかして育てたな・・・と、絶句してしまいました。 (失礼承知であえて言ってます。身近に教え諭す人間に恵まれなかった場合、こうなってしまうと思います。) 何言ったって、馬耳東風に終わるというか・・・ 若いゆえ、まだまだ頑固な時期が続くと思います。 それとは全く関係なく、とりあえず今の苦しさは、感じて当然に思います。 中学時代にレイプや男性からの虐めに遭った子は、軽く30代になったって、苦しむもんなんですよ。 罰が当たって苦しい日々が続くって思えませんかね? 女性が嫌いなら嫌いで、別に良いんじゃないでしょうか? 思いやりと笑顔を心がければ、また随分、違って来ると思いますよ。 思い込む前に、「ぼくは幸せになりたいなあ。。」とか、思う種類をたまには変えてみる、って、まずは出来ませんかね?

O-Isotya
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 罰としての苦しい時間が続くということなのだとしたら、それでいいと思う。 貴方のいうとおり、僕の周りには罰する人がいなかった。 馬耳東風に終わると思いつつも、それでも回答してくれたことに感謝します。 その罰というのは、加害者としての罪と、被害者としての罪ですか。 女性のことが嫌いなのではありません。幸せになりたいと思うから苦しむし、だから質問した。 思いやりや笑顔で接しても、どうしても人との間に大きくて厚い壁があるように思えるんです。