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ジェンダフリー

ジエンダフリーという考え方がどうして、子供の教育の現場で一部評価されているのでしょうか。 ナカタはやはり、男の子は、男らしく。女の子は、女らしくという教育のほうが自然だと思うのですが。 ホモセクシャル、レズビアン、性同一障害の人を差別しようとは、もちろん思いません。

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回答No.4

男女の差は生まれた時には無い、という思想に基づいています。 その後の環境によって男女が決められる。男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしくと育てられ窮屈な思いをせねばならないのだ、と。だから、教育の現場から男女の区別無く育てるべきという発想です。 「ブレンダと呼ばれた少年」という本を読み、その思想が間違いで、どれだけ怖いものか驚愕しました。 自分らしく生きられたらいいよね? という、もっともらしい言葉を利用し、誰も否定できないような切り口からなし崩しに性差をなくそうとしてきます。 私は女らしく生きたいです。自分らしいからです。 その個性は認めてもらえないのか。 #2さんの回答にある、 >本来のジェンダーフリーと言うのは”社会的な”男女格差を無くそうと言うもので、”生物学的な性差を否定するもの”ではない。 そうであれば、こんなに反対されるでしょうか。 確かにそのようなうたい文句で税金を使って活動しているんですよね。 しかし実際に行われていることは「生物学的な性差をも否定するもの」だから反対しています。 反対派は誤解している、と最近推進派がよく言いますがそうでしょうか。 思想に興味がなく、事情をしらない人でさえ「何かおかしい」と気持ち悪く思っています。 よくわからないけど変だ、その気持ちは正しいと思います。 男女別名簿、ランドセルやトイレ表示の色の違い、中学生以降の男女別の体育、修学旅行での部屋割りのような一般には”区別”と呼ばれるものをも差別だ性差だと言い出すのですから、私たちにとってはそんな教育をされてはたまらないという気持ちです。 お父さんが新聞を読み、お母さんがお茶をいれる、そんな家族風景ですら「女性は損をしていませんか?」どんな教育なんでしょう。 私もナカタさん同様、そんな不自然な考えを親の目の届かないところで勝手に押し付けないで!!と思うのですが、男女共同▲推進派の意見はまったく逆で、個人を尊重するという名目のもと、性差を否定し、前にあげたような区別を「不自然な考え方」だと思っています。 教職員組合の女性部さんの中には、男女混合名簿もなまぬるい!女男混合名簿と言い換えようという動きもあるようです。 一般的なことを抜きに「男より大きくて強い女性もいる」「細やかな男もいる」「制服でズボンをはきたい女の子もいる」と言ってきます。 マイノリティを認める社会であって欲しいし、もちろんホモセクシャル、レズビアン、性同一障害、ISの方が差別にあわないようにとは思います。 しかし、ではそのような人が困っているのだからと、トイレは男女のわけ隔てなく使えるように一つにしたらよいのだ!というのは一般的かどうか。 (実際に、そういう意見があるのです) 区別は必要、差別は差別ごとに対応すればよいのだと思います。 生徒に格差をつけさせないようにしているのも教職員組合のかたがたですよね。 平等、人権、おなじ思想から出ています。 社会主義、共産主義の考えが強い方たちで、脱落者が出る(と思われる)競争をよしとしないからです。抜きん出ることもよしとしない。 ”すべての生徒が平等の機会を得ることを確実にする”ことが目標だそうです。 クラスから足の速い子を選ぶ選手リレーは足の遅い子もいるのだから駄目と。 早い子もいる、遅い子もいる、それで平等だと思います。 それが個人を認めるということですよね。 ソラシは学校で役員をしていて、 区PTAにも市PTAにも働きかけています。 学校でおかしな資料が配布されていないか、偏った思想の先生はいないか、情報収集にもつとめています。 男女共同▲室が動いた冊子も差し止めるよう運動しています。 万が一、そのような冊子が発行されても、使うかどうかは学校で判断を任されていますので、PTAが動いて学校で使わないように働きかけます。 役員にフェミニストが多いと、逆もありだと思います。 どれだけの親がこの実態を知っているのか不安になります。

nakata-san
質問者

お礼

ありがとうございます。 これは、やはり全体主義的な発想から出ているのですね。多分フェミニズムという発想の中からジェンダフリーという手段が出てきたのではないかと感じました。でもこれは「家庭崩壊」「少子化」の問題の元凶になっていく問題でもあるなとナカタは感じました。フェミニズム的なイデオロギーがまだ、物事の判断がつかない、子供たちの教育とう現場に持ち込まれることをナカタは非常に疑問を感じます。

その他の回答 (3)

回答No.3

ソラシもそう思います。 男女共同▲を推進する方がたとは、どうやっても意見が合わないことはわかっていますので、一生勝手にやってなさいと思います。 ただ、学校教育の現場に入り込むのだけは許せない。 私はそのために日々戦っています。

nakata-san
質問者

お礼

ありがとうございます。 できれば、幾つか教えて下さい。 ジェンダフリーを良しとする、教育者は何を根拠に、子供に不自然な考え方を押し付けてるのでしょうか。 ソラシさんが学校教育の現場で戦っているという内容も、よければ具体的に教えて下さい。 それと、もうひとつお聞きしたいのですが、生徒に格差(成績や運動会など)をつけないような学校教育もジェンダフリーと関係があるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

  • mth-mmk
  • ベストアンサー率38% (35/90)
回答No.2

本来のジェンダーフリーと言うのは”社会的な”男女格差を無くそうと言うもので、”生物学的な性差を否定するもの”ではないのです。 ところが、故意に拡大解釈したり、誤った使い方や教育をする人が多いのでジェンダーフリーと言う言葉は、誤解を与えるのでジェンダーフリーと言う用語は使ってはいけない、もしくは利用には十分注意するようにと言う事のが現在の教育界や政府の見解になっているはずです。

nakata-san
質問者

お礼

ありがとうございました。 ジェンダフリーというのは、もう死語なんですね。

回答No.1

「男らしく」「女らしく」とは、 具体的にどんなことを指すのでしょうか?

nakata-san
質問者

お礼

早速のご返事ありがとうございます。 ナカタが考えますには、性と言う個性(区別といっても良いかもしれません)があり、その個性に対して素直に生きていくという事です。

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