もし2011年のセンバツが中止になっていたら?
東日本大震災で多くの高校スポーツ大会が自粛する中、選抜高校野球だけは強行開催されたが、
もし中止されていたらその年と、今の高校野球界はどう変わっていたでしょうか?
まず基本的な情報はこのくらい
・東海大相模の優勝回数が1回減っていた
・大館鳳鳴、総合技術、佐渡、城南の甲子園出場が幻になっていた。
・前橋育英と創志学園の甲子園初出場が遅れた(場合によってはこっちも幻に)
ここからは自分の推論ですが、まず創志学園も大館鳳鳴、総合技術、佐渡、城南と同様に甲子園出場は幻になったままその後も初出場を果たせず、そのまま県内中堅以下に成り下がっていたような気がします。
史実では創志学園は2016年に高田萌生投手を擁して春夏連続で甲子園出場しましたが、もし2011年のあの選手宣誓がなければ創志学園に入学する有力選手が減っていたでしょうから。
あと履正社と九州国際大付もその後低迷していたかもしれないと思います。この大会で九州国際大付は初の準優勝、履正社はベスト4進出を果たしましたが、それがなかったとしたら2012~2013年に結果が出てなかっただけにこちらもその後の入学者に影響が出ていたでしょう。
履正社は2014年春と2017年春に準優勝、九州国際大付は2015年夏にベスト8に進出しましたが、それもなくなっていたかもしれません。
東海大相模は前年夏の準優勝もありますし、元々県内で横浜と並ぶ強豪校だったので優勝回数が1回減るだけでその後の活躍には影響なかったと思います。前橋育英も県内で上位常連だったので2011年春の初出場が幻になっても、数年後に甲子園初出場を果たせてたと思います(ただ2013年夏の優勝がなくなってたかも)。
他に皆さんはどのようなことが考えられますか?
お礼
お返事ありがとうございます★OB球児のその後みたいなのも見れるし甲子園ファンの私にはうれしい1冊です♪早速購入します!!(笑)