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お風呂屋のお姉さんについてご存知ですか?

誤解されませんように。この場合、銭湯のことですからね。 昔、品川区に住んでいたのですが、銭湯に若いお姉さんが脱衣所にスタンバイしていて、小さな子供が母親より先にあがってきても、ちゃんと服を着せてくれていました。赤チャンの場合は洗い場から母親が赤ちゃんをお姉さんに手渡しし、お姉さんは赤ちゃんをベットに運び、おしめから服まで着せていました。 私は「お風呂屋のお姉さん」としか呼称が浮かんでこないのですが、どなたか、このようなサービスについて見聞をお持ちの方、いらっしゃいませんか? 昭和36年頃までは銭湯へ行っていたので確認しています。時代と地域も判りましたらご教示願えますか?  もしかすると私が利用していたお風呂屋さん独自のサービスだったかもしれませんが、ある時から、気になり始めましたので質問させていただきました。よろしくお願いいたします。

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回答No.5

もうひとつ 「鶴の湯ヒストリー」 当時の営業時間は、朝11時から夜の11時まで。 燃料確保の為、その時はまだ紅顔の美青年だった(自称)つる爺は毎朝5時から高雄の製材所まで3輪トラックで走って、杉皮や木屑を集めて廻ったとのことです。 従業員さんもいて、脱衣場で子供に服を着せたり、赤ちゃんのお守りをする女性のお手伝いさんが2人、ボイラー番の男性が1人住込みで働いていました。 http://www.turunoyu.com/merumaga81.htm

cuba2004
質問者

お礼

再三の回答、ありがとうございます。 今日は早朝(深夜)から、早々と一日分のお仕事をなさったような疲労感が残りはしないかと、心配です。 お風呂屋さんのサイトって有るものなんですね。皆さん、頑張っていらっしゃるんですね。「庶民」の底力ですね。 

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  • hiro-2005
  • ベストアンサー率29% (205/705)
回答No.6

北区に住んでいました。 いましたね、そういうお姉さん。 昭和40年頃でした。 そのころは、脱いだ衣類はロッカーではなく、丸いカゴに入れていたので、防犯上の面からも、脱衣場の従業員の存在はなくてはならないものだったように思います。 ずらっと並んだベビーベッドに赤ちゃんが寝かされ、従業員がお世話をしていました。 なので、お母さんは安心して上のお子さんのお世話や自分の洗髪などができたと思います。 銭湯に来る人はみんな顔見知りで、従業員のおねえさんやおばさんも「○○ちゃん、大きくなったねぇ」などと気さくに声をかけてくれるたり、しばらく顔を見せなかったお年寄りの近況を心配するなど、「浮世風呂」の名残のようなコミュニケーションの共同体であったと記憶しています。 かつてTBSテレビで「時間ですよ」というドラマが人気でしたが、そのときの「浜さん」「みよちゃん」がそれにあたると思います。

cuba2004
質問者

お礼

回答を下さった皆様、朝早くからのご協力、本当にありがとうございます。ご迷惑をおかけしてしまいました。反省大です。 昭和40年代にもまだあったのですね。先に紹介していただいたサイトの記事でも40年代まで銭湯が繁盛していた事がわかり、そうですね、高度成長期に家風呂が増えてきたという変化が起きたわけなのですね。 赤ちゃんがいてもお母さんたちはちゃんと洗髪もできたし、湯船にも浸かることができたのも、「お風呂屋のお姉さん」のおかげでした。私の弟もお世話になりました。 「時間ですよ」は残念ながら一度も見ませんでした。裏番組は何だったか・・・。忘れました。

回答No.4

こんなサイトを見つけました。 「物知り辞典/***銭湯編***」 戦後、昭和30年代(銭湯の最盛期)には、お店には女性従業員が2~3人、 そして釜場には釜焚きの男性従業員が1人居た時代には、 お客様が来られますと、女性従業員が、行李をとんとんと床に当て、中のゴミを落として、 お客様に手渡した物です。 http://pro.tok2.com/~ryuguu/perl/wide_use/wide_use.cgi/jiten?genre=4&dispmode=4&itemno=4-1

cuba2004
質問者

お礼

恐縮です。下調べがされていない事を晒してしまいました。ご親切に探していただき、感謝しています。(反省もです。) そういえば私の行っていたお風呂屋さんの場合は、番台の横、入り口近くに円形に柳でスカスカに空間が多い編みかたで形作られた籠が積み上げられていまして、お金を払ってから、それを自分で好きな場所に持っていき、中のごみを軽くさかさまにしてトントンと、やりました。

回答No.3

呼称はわかりませんが、確かに普通にいたようです。 「当時は子供が多かったので、男女共にベビーベッドが置かれ、若い女性の従業員が赤ん坊にオムツをさせたり、小さな子供の服を着せたりして、忙しく動き回っていた。」 (昭和30年代のあのころ 銭湯編 町田忍著)

cuba2004
質問者

お礼

深夜なのか早朝なのか、いずれにしても、ご協力、本当にありがとうございます。ベットは一列に並んでいました。現在、家庭で使われているベビーベットとは違い、高さは大人のお臍くらいで、赤ちゃんの足がお姉さんのお腹に向くよう縦長に位置し、4~5台、ピッタリつけて並べられていました。

  • hiroko771
  • ベストアンサー率32% (2932/9040)
回答No.2

↓にないかなぁ?(ーー;) あまりにも字しかないので「速読」の技術を以っても挫折ちゃいました。w 「女湯」「昭和」などので頁内検索して、その前後でヒットするかもしれません。 あとは今でもやってる古くからのお風呂屋さんのHPが有ればメールしてみるとか ご町内の諸先輩方に聴かれてみては???

参考URL:
http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/gr00/ms2/01.html
cuba2004
質問者

お礼

hiroko771さん、どうもありがとうございました。せっかくの美形なお顔に、深夜の「速読」で疲れが漂っています!でも、可愛い!! 実は会社でしっかり印刷してしまいました。 (月曜日なのに何をやってるんだろぅ・・,フッ。><) で、この件は学生さんの視野には無かったことが判明しましたが、おかげさまで、「東京都公衆浴場組合ホームページ」なるものが載っていましたので足がかりができました。質問する前の下調べが欠けていました。恥ずかしぃっ!   http//www.1010.or.jp/

noname#10298
noname#10298
回答No.1

母(S22生まれ)が幼いころ、新橋で育ったそうですが銭湯に赤ちゃんのお着替えを手伝ってくれるお姉さんがいたという話を聞いた事があります。 呼称はわかりませんが。。。 たいした答えでなくてスミマセン。

cuba2004
質問者

お礼

いえいえ、大変参考になります。ありがとうございました。質問を出してから眠ってしまい、早速の回答のお礼が遅れましてすみません。私は今、会社なのですが、ri-mu327さん、寝不足でないとよろしいのですが・・・。 お母様も覚えていらしたのですね。質問を出す前は、このような仕事に就いていたご本人と関係者以外は、恐らく記憶にないのでは?と、思っていました。 ところで、お母様も遅くまで起きていらっしゃるのですね。もしかして、質問に答えるために、揺り起こしたりなさっていませんよね。 ;(^^); お母様にもどうぞ宜しくお伝えください。

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