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道連れは愛なのか
中津川の一家殺人事件で犯人の夫は妻を殺すことは考えていなかった、といっています。 これについて「夫は妻を愛してなかったのだ。他の家族はほんとの家族と思い愛していたので、道連れに心中しようとしたのだ」という人(男性)がいます。 こういう考えは理解できません。できれば「夫」の方の感想、ご意見をお聞きしたいです。 犬ほどにも愛されていなかった妻は気の毒ですが、 まあ、殺されるよりはましだと私は思いました。
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「愛があるから、わたしの辛さを理解してもらえるのは当然だ。だから一緒に死んでもらえる。」と思い込んでいる。 これは、愛とは言えませんね。 勘違い、単なる押し付けです。 幸せを願うのが、本当の愛のはず。 言葉の本質を勘違いしてしまえば、誰でもこういった結果になる可能性があります。 この人は愚か者としか、言えません。
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- tukimayu
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一部報道で言われていることですが、長女夫婦と同居したかったのだが断られ、嫌われていると思って殺したようですよ。 なので長女、孫二人も別居なのに殺されてますよね。 長女のご主人は男性ですから何とか逃げたようですが。 自分の母親と犬を殺したのは奥さんに面倒を見させるのは無理だと思ったからでしょう。 長男を殺したのは同居だったこともあるし、長男の仕事の件でも周囲ともめていたから、こういっては何ですがついでみたいなものだったのでは。 だから逆に奥さんのことは愛していたのだと思いますよ。
お礼
その報道が真相ならば、犯人の動機は「愛」ではなく「恨み」ですね。事件は大変な悲劇ですが、「愛してたから殺したんだ」などという人よりよほど普通です。 ありがとうございました。
- you201
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愛にもいろいろありますから、少なくとも慈しみ育む愛でないことは確かですね。 妻は必要ないと考えていた可能性は捨てきれませんが、逆の場合もあるかもしれません。他の家族は自分のもの(物)と認識していても妻だけは、自分のよき理解者として別人格(自分以外の者)で愛していたかも知れませんよ(我ながら苦しい考えですが) >殺されるよりはましだと私は思いました。 未来への可能性が残されているという点で認めますが、生きているからこその悲しみ苦しみもありその心中を考えると、ましとは私にはいえません。 ただ苦しみや悲しみ絶望に押しつぶされないで欲しいと祈るだけです。
お礼
直接にこの事件の奥さん、ということでなく、 「愛してたから殺した。妻は愛してないから残した(除け者にした)」というのなら、そのような愛はいらない。ということを言いたかったのです。言葉が足りなくてごめんなさい。 残された奥さんと娘さんのご主人は、ほんとうにお気の毒に思っています。 回答ありがとうございました。
- sharl
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理由はともあれ。 愛してる相手は殺せないです。私は。 たとえ、殺してくれと願われたとしても。 まあ、普通はこういう感じではないでしょうか。 殺人者が「普通じゃない」のはある意味当然ということで。
お礼
人を殺すのは、普通じゃない心理、 なのはたしかにそうですね。 ありがとうございました。
愛と言えるでしょうね。もっとも「自己愛」という奴ですけど。 自己を投射した「物」に対する愛情であって、人に対する愛情の感じ方ではありませんね。
お礼
そうですね、相手を思いやる「愛」ではないですよね。 聞いた時、心の底から冷え冷えしました。 そういう愛なら、いらない、と思いました。 ありがとうございました。
お礼
>勘違い、単なる押し付けです。 自己中心的な愛を「愛」だと勘違いされるのはたまりません。 ありがとうございました。