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イスラム教世界の女性
私は先日、イスラム教世界の女性のお話を直接聞く機会があり、 自分が持っていたイメージとのギャップをかなり感じて衝撃を受けました。 私の持っていたイメージとは、 「ベールを強制させられていてかわいそう。」とか 「女性だけ外にでることができないなんてひどい。」 という、勉強不足がゆえのネガティブなものでした。 そこで、皆さんにも皆さんが持っているイスラム教世界の女性のイメージ を聞きたいと思います。 そこにギャップを見いだし “日本人が持つイスラム教世界の女性のイメージと実態にはなぜこれほどまでにギャップがあるのだろうか” “そのギャップを埋める方法はないのだろうか?” ということを考えてみたいです。 イスラム教に詳しくないかたの意見も心待ちにしております。
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中東と長くかかわり、アラブのイスラム社会での居住経験も長いので、その観点から書き込みます。 まず、イスラム世界はアフリカ~中東~中央アジア~インド~東南アジアにまたがる広大な地域に数億人の人口を持っています。となれば、「イスラム世界の女性」といっても、国・地方、社会階層などできわめて多様で、とてもひとくくりに一般化はできません。 ベールについて言えば、社会制度で強制されている国(サウジ、イラン…)以外でも、世間の圧力で多くの女性が被らざるを得ない国は多いです。そもそも、夫や兄弟にベールを強制されてかぶる女性がひじょうに多いことを知ってください。(もちろん自発的にかぶる女性もたくさんいますが、女性の権利・尊厳上問題になるのは強制がある場合です。ちなみに、ベールといっても、現代イスラム世界全体では、髪を隠しても顔は隠さないタイプが多いです。) ベールは、女性に対する抑圧のひとつの象徴に過ぎませんが、女性にベールを強制するようなメンタリティの社会やファミリーでは、女性の他の自由や決定権も抑圧されやすいのは想像できますよね。 イスラムという宗教の支配する社会で暮らしている私は、残念ながら多くのムスリムが実践しているイスラムは、人間の権利の一部を無視していると考えざるを得ません。すくなくともアラブではそうだと思います。 宗教の醜い面ですね。 しかも、考慮に入れなければいけないのは、イスラムといっても信者それぞれによって多様な解釈があり、いわば信者の数だけ多様なイスラムがあるのです。ベールは断じて強制ではない、とするイスラム法学者もいます。それに、大半の一般ムスリムは、何も四六時中、宗教を気にして生活しているわけじゃありません。信仰の深さも人それぞれで、いちおうムスリムだけど宗教を生活や判断に基準にはしていない人もたくさんいます。 長くなりましたが、もし日本人が理解を深めようとするなら、このように、相手集団を簡単に一般化せず、多様性を理解の前提にしなければ、現実を捉えられません。また、イスラムという宗教の教義を論じているのか、(ムスリムである)生身の人間を論じているのか、分けて考えることも重要です。
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- mokoa6710
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<なぜギャップが・・> 日本人の宗教観が、世界においてとてもユニークであり、 イスラムに限らず、ヒンドゥー、キリスト各派の戒律、特性を、 そもそもその存在、意義など理解しづらいのではないでしょうか。 <ギャップを埋める・・> 常に「なぜ」と問い掛けるくせをつけること。 これは理解を深めると思います。 次に世界に出て行くことでは。 第三に、国の政策として、より外国人の受け入れを促進することでは。 ただしその場合受け入れる私たちの社会のいろんな「力」をつけないと難しいでしょう。 以上結論的なことです。 以下蛇足ですが、 日本人はいつからこんなにモラルや規律をないがしろにするようになってしまったのでしょう。 「個性を大切に」 「異なる価値観の受け入れ」 「自由」 という名のもとに、大切なものが失われたように思います。 某国大統領がしきりに「自由」と言いますが、 自由って無法ではないと思うのです。 もし、今の日本がイスラム国だったとしたら、 ベールも食肉も礼拝も何も、個人の勝手でボロボロ・・。 まじめに考えたり、悩んだりすることが美徳とされなくなってきた日本は、 イスラム他、他文化とのギャップはもはや修復不能なところまで行ってしまいかねないのでは。 ガン黒はもう昔かもしれませんが、 かつての日本女性が持っていた謙虚さを失った女性が増える中、 私はイスラムの女性を素晴らしいと思います。 以上私見を長々とすみません。 参考になればと思います。
お礼
貴重なご意見ありがとうございました。 質問に対する答えだけでなくmokoa6710さんの考え方も知ることができ大変参考になりました。