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失ってしまいました。
去年の9月19日にメールを入れた者です。 あのときは皆さんあたたかいメッセージありがとうございました。 私の最愛のゴールデンレトリーバーは11月9日の夕方、永眠しました。 リンパ癌が発覚して、あのメールの後、一度は弱ったのですが、また元気になり 安心していた矢先、急に歩けなくなり、介護生活が始まりました。 おしっこなどはオムツの中にしていいよと何回も教えたのですが 結局死ぬまでおむつの中にはせず、私たち家族が抱きかかえて、庭に連れて行き、トイレをさせました。 賢い子だったので、オムツの中にすることはプライドが許さなかったんだと思います。 ある日、仕事の昼休みに一度家にかえってきて、昼休み中ずっと彼女の横で過ごした後、 また仕事へ行くとき、「おねえちゃん、仕事に行ってくるからね、待ってってね」といって 玄関のドアを開けようとしたら、彼女は珍しく「キューン」となきました。 「寂しくないよ、夜には帰ってくるからね」といって寝たきりで頭も上げることができない彼女の頭をかがんでなでて出かけました。 彼女はそれからちょうど1時間後に逝きました。 みなさんに「悔いのないよう愛してあげてください」と励ましのメールをもらったのに、私は悔いを残してしまいました。 ドラえもんに彼女の心が読める道具を貸してもらっていたなら、彼女が「行かないで」といいたかったのは確実なのに。 一人で悩んでいたら頭がおかしくなりそうです。もう3ヶ月たつのに、辛いです。 また皆さんのご意見、聞かせてください。
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行かないでっていいたかったんじゃないよ。 ありがとっていったんだよ。 あなたが仕事へいかなくったって。 もしかしてあなたがトイレへいってるあいだに。 あなたがお風呂へはいっているあいだに。 電話がきて電話している間に。 ・・・・・・だったかもしれない。 24時間ひとときも目を離さないでいることなんて 不可能なんです。 あなたの大好きなわんこは 「仕事頑張ってね」って励ましの声をだしたのかも しれない。 「ありがと」っていったのかもしれない。 悔いのないように、看取ってあげられるのは 極わずかな人たちだけ。 あなたは3ヶ月間、いえ、彼女といっしょにすごした 時間、愛情をたくさんあげて、愛情をもらったでしょ。 それでいいんです。 あなたが後悔していればわんこは眠れないですよ。 今までの愛し方に後悔はしていないでしょう? あなたのいえにきて、喜んでたとおもいますよ。 だから泣かないでね。
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- rinkoshin
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『人は死んで人の心の中で永遠に生き続ける』 これ…私の大好きな言葉の一節です あなたのワンコはあなたが忘れない限り心の中でずっと生きてるのです 今は思いっきり泣いて良いと思います 悔いのない様にしたつもりでも…言葉の言えないワンコだもの 絶対に悔いは残るんですよ 愛していたら余計に… 今は思いっ切り泣いて… 虹の橋で待ってる彼女が心配にならないように…最後には乗り切れば良いのです 彼女はこんなに愛してくれて幸せだったはずです どうか心の中の彼女に…虹の橋で待ってる彼女に笑顔で会えるように… 悲しみに呑まれる事だけはしないでくださいね こんなありきたりの事しか言えませんが…あんまり思い詰めないでください 彼女はきっとあなたの事を見ていますから!! 彼女の為にも思いっきり泣いたら早く元気になってくださいね 今はまだ泣く事も我慢しなくて良いのだから… 彼女のご冥福を心よりお祈り申し上げます
うちのわんこも15歳でガンで逝ってしまいました。 家で寝たきりで、自力でおしっこが出ないため、毎日病院に行って注射器で抜いてもらっていました。 肛門のガンだったので薬を塗る時にもものすごく痛いはずだと先生は言っていましたが、必死に痛みをこらえているような様子でした。 居間の隣の部屋に寝ていて、常に家族から目が届くところにいました。 でも、最期は本当に一瞬でした。 私は仕事に行って留守でしたが、両親がそばで頭を撫でてやり、父がトイレに、母が台所に立ったほんの2~3分の間に息を引き取っていました。 ちょっと吐いたようでしたが、本当に安らかな眠るような表情だったそうです。 sara7125さん、あなたのわんこちゃんは、あなたに死の瞬間を見せたくなかったんです。 どんなに安らかな死でも、「今、息を引き取った」と見届ける瞬間は、はかり知れない衝撃があるはずです。 わんこちゃんは、今までこんなに愛してくれたお礼に、せめてあなたにだけは自分の死の瞬間を見せずに済むようにしたんですよ。 あなたと一番仲良しだったのかもしれませんね。 前の方が書いているように、「キューン」は「ありがとう」ですよ。絶対ですよ。 最期を看取ることができなくても、それまでの間、介護に何か手を抜きましたか?できることはすべてやったのではありませんか? 私たち家族も、「自分にできることは全部やった。それはあの子もわかってくれたはず」と思うことができたから、ゆっくりではありますが、徐々に立ち直ることができました。 でも、「もう3ヶ月」なんてことはないですよ。 10年たったって悲しいものは悲しいです。辛いのが当り前です。 無理に気持ちを切り替えようとしないで、ちょっとずつ自分が納得できるのを待って下さいね。
- idont
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おはようございます。 私は、この質問に対して答える気がしませんでした。 私も去年相次いで愛犬に逝かれてしまいました。この文面を見たとたん、その記憶が蘇り涙が出そうで必死にこらえております。 この記載をする気になったのは、愛犬が可愛そうだと考えたからです。 悲しむ事を否定しているわけでは有りません。むしろ悲しんで上げて欲しいです。しかし、愛犬は、今の貴方の姿を喜んで見守っているでしょうか。 私には、悲しんで心配して見守っている様に思えます。私は、生まれてこの方、犬と過ごして参りましたが、犬は、飼い主との関係が深ければ深いほど飼い主の幸せを願っていると思えます。何十頭もの犬と別れて参りましたが、どの子も私より先に逝ってしまいました。自然の摂理ですから仕方の無い事では有りますが。 その中で感じている事は、愛犬は、例え自分の命を削ってでも愛する飼い主のためには平気なのではないかと言う事です。私も同様です。しかし、此ればかりは、どうにもなりません。 そんな中で思うことは、愛犬は、悲しんで後悔の念にとらわれている貴方を、心配で見ていられなのではと思うのです。安心して見ていられないのではないかと思います。 犬は、本能として子孫を残す事を大一義と考えます。この為にはどんな苦痛であろうが耐え忍びます。子孫と考えた時にその愛犬の子孫だと考えなくてもよいように思います。犬種にこだわるのは、人間のエゴで、犬は、こだわっておりません。 今は、私の考えも変わりました。今傍らでストーブに当たり寝ております我が家の娘は、保健所より譲り受けてきた子です。愛犬を無くしたときに、長女よりの申し出で、保健所に居る子を引き取ってもらいたいと言う事を言われました。早速、明くる日に保健所へ出向き引き取ってまいりました。事情をお伺いすると何とも信じがたい事情でした。私は、無き愛犬達に教えてもらった事のすべてをつくし育てました。どうにか人を信じ恐怖心から立ち直りつつありますが、今後の事は何とも言えません。家へ来て四ヶ月に成ろうとする所です。 私は、今無き愛犬達から教えてもらった事を精一杯子孫の子供たちに活かしたいと思っております。 私は、もう此れ以上書けません。矢張りつらいです。 私は愛犬の死を決定したわけですから。 しかし、こんな私でも愛犬の事を考え愛犬の望んでいた事を叶え様としております。
- haru_papa
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お心の深い痛みお察しいたします。 私も昨年12月初旬最愛のラブラドールを亡くしました。 内分泌系の重病からいろいろな病気を併発して入院中でした。 病院へは1日1回の面接しかできませんでした。 うちのコは我慢強いコでしたので家に帰りたくても泣き言もいわず、面会の私たち夫婦が帰宅する時も後追いすらしませんでした。 最期のとき私達は幸いにもお別れをすることができましたが、家で暖かい自分のベッドで好きなものを食べお水をたくさん飲まして逝かせてやりたかったと。。。今でも悲しく寂しく悔やまれて仕方ありません。 でもうちのコは私たちに大きな苦労を背負わさないよう、フルタイムで働く私たちに大きな負担をかけまいと、自分で自分の犬生の幕を引いたと思っています。 私の友人のワンコもいつも通りパパの出勤を見送りママの家事の手をわずらわすことなく独りで逝ってしまいました。 その友人も看取れなかったことを悔やみました。でも、日常の中ワンコの最後で最高のお仕事をして逝ったようだと言っておりました。 深い悲しみは悲しみで向かい合いましょう。 泣いたってかまわないと思います。だって、悲しいのですから。 悔いが残って当然です。だって愛していたのですから。 だけど・・・・ いつかは楽しかったことだけが思い出される日がやってきます。 必ずやって来ます。 そのこと信じて愛犬のことを偲んであげましょう。
- carrot-and-stick
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私も1/5にとても愛していた犬との別れがありました。あれもしてあげたかった、これもしてあげたかった・・・こうすればよかった、ああすればよかった・・・sara7125さんと同じように悔いが残っています。 辛い気持ちを少し落ち着けるために、昨日、長野県駒ヶ根市にある光前寺の霊犬【早太郎】に会いに行ってきました。早太郎のお墓の前で話を聞いてもらって、しっかり泣いてきました。 ホンの少しだけ荷物を持ってもらったような気がします。また辛くなったら行って来ようかと思っています。 簡単に気持ちの整理はつかないですよね。少しずつでいいんじゃないでしょうかね。
- nanairobear
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胸が痛いよ~。 先年、うちの猫も「おねえちゃん仕事行ってくるからね。」の後、すぐに亡くなったですから、人事と思えなくて。 またもや看取れなかった。前の子も仕事で看取れなかった。 もっと介護をすべきだったか?あれがあの子にとって幸せだったか? 幸せをもらうばっかりで、恩返しできず、逝ってしまった。 申し訳ない・・有難う・・の繰り返し。 もっとできることはなかったのかと苦しむ日々。 いままで死んでった子達は今でも忘れられない。 私の出した結論は、新しい子を飼うこと。 一番新しい子は、捨て猫の赤ちゃん。 哀しみは、幸せでしか、乗り越えられないと実感するのでした。 死に目に立ち会えなかったから、ああ、悲しいで終わりじゃない。すぐ側にいることだけが愛じゃない。愛は死んでも永遠。私はそう思うんです(^^)/
- kitisan25
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誰もが大切な家族である動物たちの死に際しては何らかの悔いを残すものだと思います。私もそうでしたし、友人たちの話を聞いていてもそういうケースがほとんどです。 でも考えてみてください。そのように苦しむあなたの姿を彼女が望んでいると思いますか?あなたがこの悲しみを乗り越えて彼女との日々を良い思い出として今後を過ごすことこそが、彼女にとっても一番安心できることなのではないでしょうか。 こんな励ましは月並みであまりあなたの力にならないかもしれませんが、ぜひ元気を出してください。それが彼女にためでもあることを信じ、いつかは虹の橋であえることを信じて、その時には彼女と笑顔で再会を喜べるようこれから先を生きていこうじゃないですか。
お礼
7件もの暖かいメール、本当にありがとうごさいました。 ここで皆さんにお返事させていただきます。 わたしの犬、サラは10年生きました。 シベリアンハスキーがはやった時期に、お父さんの知り合いが1頭くれるというので、弟と喜んでいたのですが、 うちよりお金を積んで飼いたいという人が現れたということでその犬は飼えなくなり、お父さんが、私たちが悲しまないように日曜日ペットショップに連れて行ってくれました。 そのとき、店員さんが連れてきたのが、優しい目をした、やけに金色な、やけに大きな子犬でした。それがサラでした。 それからはサラのいない日なんて考えられないほど、いっしょに育ちました。中学にいくとき必ず姿が見えなくなるまで玄関で見ててくれました。高校の入学式の日、新品のスカートに鼻水をつけてくれました。彼氏ができて、うれしいこと、悲しいこと、どきどきしたことすべて黙って聞いていてくれました。 だから、サラが死ぬなんて、隣にいないなんて、まだ夢のようで、目が覚めたら、玄関にいるんじゃないかって思ってしまいます。 でもいないんです。 もう触れない。もうあのくさい口の匂いも、ふわふわのみみやしっぽも、あのやさしい目ももう見れません。 でももうくよくよするのやめます。確かにこんな私がくよくよしたってきっと喜んでないと思えるようになりました。逆に心配で天国にいけないですよね。 みなさんのおかげです。ありがとうございます。 ほんとうにありがとう。