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過去の名言

競馬ファンになって数年まだまだ素人ですが、名勝負もいくつか見てきてますますはまっています。 フジテレビで放送されている「あしたのG」の中の「Gの名言」というコーナーでもいくつもの名言が紹介されていますが、皆さんがご存知の明言がありましたら、教えてください。もちろん時代、騎手、関係者などどんなものでもかまいません。もちろんグレードも関係なく下級条件でもかまいません。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

「菊の季節に桜が満開」ですかね~ 背景を・・・ 父のサクラショウリはダービー馬だったのですがとにかく気性の激しい馬ということもあり種牡馬になったら仔は走らないと思われていました。実際、気性の激しさばかりが参駒に伝わり「サクラショウリの仔は走らない」という評価になりかけたころにサクラスターオーが産まれます。デビュー4戦目の弥生賞で重賞を初制覇し期待を集め、皐月賞では最後の直線馬群を割って抜け出す勝負根性を見せ2着に2馬身半の差をつける圧勝でした。しかし不運にも両前繋靭帯炎が発覚しダービーは敢え無く回避します。しかし、7か月の休養明けで臨んだぶっつけ本番の菊花賞を9番人気ながらも勝利し、実況の杉本清アナウンサーが発したセリフが冒頭の言葉です。 ですが、続く有馬記念で悲劇がサクラスターオーを襲ったのです。左前繋靭帯不全断裂、第一指関節脱臼という致命的故障を発症。本来ならばすぐに予後不良の措置が取られるほどの重度の故障でしたが、関係者の熱意により懸命の治療が施されます。しかし、夢かなわずついに翌年1988年5月12日永遠の眠りにつきました。走ったのはわずかに7戦だけでまだ5歳でしたが、奇しくも父サクラショウリがダービー制覇だけで終わった三冠レースをその仔サクラスターオーが残りの皐月賞と菊花賞を制覇し父仔での三冠を達成したのです。

shino2004
質問者

お礼

回答ありがとうございます。この言葉は有名ですね。

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回答No.8

「あっと驚くギャロップダイナ」 背景を・・・ 父ノーザンテーストと良血ながらもなかなか条件を勝ち上がれなかったギャロップダイナは6歳になって2月の銀嶺S3着の後、重賞初挑戦となるフェブラリーSを2着としました。しかし、京葉Sを4着に敗れてから、エイプリールSを2着、京王杯SCを3着、安田記念5着と健闘するものの中々勝てないレースを繰り返します。そこで事件が発生するのです。続く札幌日経賞はスタート直後に東騎手を振り落としてしまったのですが、好位から差しきりカラ馬のままで1着(当然失格です)になってしまいます。それが話題になり次走道新杯は1番人気に応えて快勝します。その後青函S2着、アジア競馬会議25周年2着とし、そこで陣営は思い切ったカケに出ます。なんと、その年の天皇賞秋に出走させることを決めます。父ノーザンテーストの血を信じたのでしょう。しかし、このレースは史上最強馬シンボリルドルフとマイルの皇帝ニホンピロウィナーが出走することもあって13番人気に甘んじます。そのシンボリルドルフが最後の直線で先頭に立ち誰もがルドルフの勝ちを確信した瞬間外から上がってきたのがギャロップダイナだったのです。そこにフジテレビ堺正幸アナウンサーから出たセリフが冒頭の言葉です。 そのときの単勝配当8820円は今も破られていない天皇賞秋最高配当です。

shino2004
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • mota_miho
  • ベストアンサー率16% (396/2453)
回答No.7

「 ベガ は ベガ でも、ホクトベガ 」。 第18回エリザベス女王杯(1993年11月14日)では、2頭の「ベガ」が出走していました。 1頭は、武豊騎手騎乗の「ベガ」。桜花賞、オークスと春のクラシックの覇者で、このレースに 3冠がかかっていました。 もう 1頭が「ホクトベガ」です。桜花賞が 5着、オークスは 6着。前哨戦の ローズ・ステークスでは 3着の実力馬ですが、エリザベス女王杯では他に有力と見られる馬が多く、ホクトベガは人気がありませんでした。 3冠のかかる ベガに対して、9番人気だった ホクトベガは直線内から伸びて、勝利を収めたのでした。 この時のテレビの実況が 「ベガはベガ でも ホクトベガ 」 だったのです。 1996年、ダート路線へ転じた ホクトベガは、日本各地を転戦し、重賞を勝ちまくりました。 翌1997年には、ドバイへ遠征したのですが、レース中に故障を発生して、帰らぬ馬となりました。

shino2004
質問者

お礼

回答ありがとうございます。強い馬同士で似た名前なのでちょっと迷いそうですね。

  • piyo1969
  • ベストアンサー率21% (92/428)
回答No.6

No.3の方の参考URLに出てますが…90年有馬記念は国民的アイドルホースオグリキャップの引退レースで感慨深いものがありますね。 その参考URLの中の(ライアン!)と叫んでしまうのは故大川慶次郎氏。オグリキャップはもう終わったと公言しまっくっていたので勝たれるとまずいとでも思ったのかかなり気合入ってしまったようです。 ちなみにラジオたんぱの実況では「さあ頑張るぞ、オグリキャップ」とかやっていて、あの「前畑頑張れ」を彷彿とさせるものでした。 あと個人的に好きだなと思ったのは96年の東京優駿(ダービー)のフサイチコンコルドを評しての「音速の末脚!」。僅か3戦目でダービーを制覇し、でも結局5戦目で引退を余儀なくされた彗星のような名馬でした。

shino2004
質問者

お礼

回答ありがとうございます。オグリキャップはリアルタイムでは見ていないのでわかりませんが、凄い人気だったようですね。

noname#68662
noname#68662
回答No.5

99年の天皇賞秋でスペシャルウィークが 調子不安説で人気を落として勝った時 サイレンススズカが最後背中を押してくれた って武豊が言ってました。

shino2004
質問者

お礼

回答ありがとうございます。スペシャルウィークもサイレンススズカも好きなのでいい話ですね。

回答No.4

たびたびすみません。 「ミスターシービーしちゃった」もいいです 時代背景を・・・ シンボリルドルフの馬主和田共弘がルドルフと同じ父母を持つ馬に、馬主になって初めてシンボリの冠名をつけなかったのがマティリアルでした。1984年シンボリルドルフで三冠を達成した岡部騎手は前年の三冠馬ミスターシービーの追込スタイルを現代競馬に背を向けていると批判していました。その岡部幸雄を鞍上にした1987年のスプリングステークスでマティリアルは断然の一番人気でしたが、スタート直後から終始最後方からの競馬。3コーナー・4コーナー付近でもまだ後ろで、誰もが「無理だ」と諦めかけた直線、なんと11頭の馬をごぼう抜きしました。その後、岡部騎手が発したセリフが冒頭の言葉です。 このレースはいろんな名勝負ビデオにも収録されるくらいのレースですが一見の価値あります。めずらしく岡部騎手がガッツポーズをしているのが印象的です。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000068P2U/250-2692460-8270605
shino2004
質問者

お礼

回答ありがとうございます。追い込みの競馬は好きなので嬉しいです。

回答No.3

すいません#2です。 こんなサイトがありました。

参考URL:
http://aimar.s18.xrea.com/
shino2004
質問者

お礼

回答ありがとうございます。いろいろ載っていていいですね。

  • arumino
  • ベストアンサー率15% (53/352)
回答No.1

菊の季節に桜が満開!って、そぉゆうのじゃないのかな? その番組は見ていないのでわかりませんが。 上の文句は62年の菊花賞で、直線サクラスターオーですね。

shino2004
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

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