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後悔は死ぬほどしてる人へ
まだ、日が浅いからなのでしょうか。その時はいっぱいいっぱいになっていて何も分かってなくて周りの人を振り回すことが耐えられず自ら選んだ決断だったのですが、もう今更どうすることもできず、ただ時間に置いていかれないように進むしかないのですが、自分のした決断にどうしても後悔が捨てきれません。冷静になるとどう考えてももう1つを選んでおけばよかったと思います。この感情はいつまで続くのか、はたまた悪化する可能性もあります。どうしたらいいのか分かりません。後悔したことがない人はいないと思います。みなさんは、どうやって気持ちの整理をつけましたか?
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- panja2021
- ベストアンサー率10% (6/57)
人生は後悔(航海)の連続です。時間が解決してくれます。気分転換に音楽を聞いたり、ひとり旅行したり、ホットヨガで汗を流したりして気分転換してみてはどうですか?
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
- ベストアンサー率20% (192/930)
a) 人生は、様々な選択肢があり、自由に選べると考える人と、人生の岐路は運命的に定められており、必然的であると考える人とがいます。言い換えれば、信仰の薄い人は偶然を信じ、信仰の深い人は必然を信じます。 b) なので、人生を後悔する人は、信仰の薄い人であり、あなたもそうなのでしょう。深い信仰を持つ人は、神仏の見えない導きも信じるので、何でも自分で選択できるとは考えません。もちろん小さな出来事なら、例えば、お菓子は何を買おうかとかは、自由に決められるでしょうが、神仏に愛されていれば、誰と付き合うかなどで、神仏に邪魔されたりはします。 c) 信仰が薄く、特に神仏に愛されていなければ、神仏による導きや妨害も少なく、結果、自由に選択して生きているように錯覚するかもしれませんが、それは信仰が薄いせいであり、悲しむべきことです。できれば、神仏による導きや妨害を感じる生き方をすべきです。
- karawane
- ベストアンサー率18% (263/1393)
何が、どのような状況を来したのかが 不明なので難しいのですが……後悔は、まぁ 取り返しがあかんケースもありますが、 一般的には、改善行動が できない証し……思考停止の証しと 云えますな。 他、諦めが肝心ということも あります。諦めることで、スパッと 気分を転換して、新たなスタートを 展開することも賢い WOL(=Way of Life)と云える のですが……アナタ様の行動は、 人生観・価値観・美意識・人生哲学・死生観を ベースにしたアナタ様自身の 内発的動機次第ということに なりますな。 Buona Fortuna![=Good Luck! =薩婆訶(そわか)] Ciao.
- admtj5234
- ベストアンサー率15% (17/107)
後悔はして良いと思いますし後悔っていう概念がないと判断が浅はかになると思うのでそれはそれで危険だと思います。ただ後悔は良いけど納得できないのはよくないと思います。平たく合うと過去自分が下した決断を否定するのは後悔よりたち悪いと思いますからその時その時自分は常にベストな選択を選んでいると納得したら後悔はいくらでも受け入れて良いと思っています。個人的な考えです
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34517)
私は若い頃から「余計な一言をいってしまう」という癖がありました。高校生の頃にクラスメートに指摘されたので、少なくともそのときからです。でも「そういえば余計なことをいってしまったな」という記憶は少なくとも小学校2年生くらいまであります。 時々指摘してくれる人はいたけれど、私もいわないと気が済まなかったのでどうしても口にしてしまいました。「そうはいうけど我慢できねえし、それが俺らしいっちゃ俺らしい」とか思っていたのです。 けれど30歳くらいのとき、そのせいでどうにも取り返しがつかない大失敗をしてしまいました。どのくらいの大失敗かというと、フワちゃんとかジャンポケ斉藤レベルの大失敗。フワちゃんが不用意な一言でキャリアを台無しにしたでしょ。もうあのレベルです。 それまで私も小さな失敗は何度もやらかしてたんです。それはフワちゃんも同じ。けれどとうとう取り返しのつかない大失敗をして「これはもうこの欠点を真剣に改善しないと同じことをくり返すことになる」と心底反省し、余計な一言をいわないようにすることにしました。 それは最初とんでもないストレスでした。いいたいのを我慢しますからね。でもその度に「余計なことをいわない、いわない。ここは黙っとけ」と自分に言い聞かせたのです。 そのうち、余計なことをいわないとこんなに人間関係がスムースになるのか、ということに気づいたんですね。けれど時々それでも余計なことを口走ってしまうことはあり、それは頻度と程度が少なくなったけど、今でも時々あります。 けれど今でも「10年、いやせめてあと5年早くこのことに気づいていたら、俺の人生は全く違っていたもになっていただろう」という後悔はします。そしておそらくその後悔は一生続きます。 でもこの後悔はなくなったらまた元の木阿弥になっちゃうから、この欠点を直すためにも必要なんですよ。 人は後悔という十字架を背負って生きていくものなんですよ。イエスが自らを磔にするための十字架を背負って自分の死に場所であるゴルゴタの丘に向かったというのは、何かを背負って生きる人の象徴的な話なのです。
- BUN910
- ベストアンサー率32% (1041/3170)
50代半ばのオヤジです。 人生で後悔なんて数えきれないほどありますよ。 あなたも今後、たくさんの後悔をするでしょう。 後悔しても時は戻せません、前を向いて歩いていくだけです。 過ぎ去ったことをうじうじしても仕方ありませんから、考えないようにして、今、目の前のことを一生懸命するしかないです。 考えないようにするしかないでしょうね。 (私も結構思い出しますが、どうあがいても今の状況は変わりませんから、あきらめて考えないようにしています)