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満たされてるが故に人生消化試合になってきた感じが…
齢37の男です。自分で言うのも何ですが幸せな人生を送っていると思います。 性格がよくて綺麗で基本いつも仲良しな妻、やんちゃで元気な可愛い(自分で言うのも何だが本当にイケメンで可愛い)息子、 エンジニアで残業20H程度で年収800万はあり、贅沢はできないが不自由はない暮らしをしています。 仕事も大好きってわけじゃないですが、社会的には意義はあると思うモノを設計する仕事なので嫌いではありません。自分自身も特に病気などなく、健康体です。 強いて言えば2人目が欲しいがなかなか恵まれないことと、自分の頭髪がやや薄くなってきたことが悩みです。 恵まれた環境にいると思います。しかしながら、恵まれてるがゆえに、なんだか人生が消化試合というか、このまま特に何の障害もなくゲームクリア、みたいな感じがしてきてしまいました。 これが中年の危機ってやつなのかは分かりませんが、後悔なき人生を送るうえで、人生の先輩方から何かアドバイスやヒントがあれば頂けないかと思い質問いたしました。 喝でも説教でもなんでも構いません。よろしくお願いいたします。
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中年の危機のような症状だと思いますが、まだまだお若いですよね。 私も似たような経験で苦しんだことがありましたが、40代後半のときでした。 大抵は50歳前後で行き詰ることが多いような気がしますが、人によっては30代とかまれに20代で始まった人もいます。 物質的なことや経済的なこと、家庭や仕事の状況など何もかも問題ないはずなのですが、心は将来の不安や虚無感、絶望感などで苦しい、けれども病気でもないし一体この先どうすれば良いのか全くわからない、といった感じでしょうか。 私の場合は、精神的な絶望のどん底まで行ってしまい、次の日にもう人生を終わらせようと思うところまで行きました。 このように、人によって現れ方はさまざまなのですが、外側の社会的成功や物質的な豊かさではなく、内面の探究を始める時期に来ているサインなのだと思います。 別の言い方をすると、「本当の自分とは何なのか?」、「人生とは何なのか?」、「どうせいつか死ぬのになんで生きるのか?」といった問いに対する答えを探したいのだと思います。 私自身や他の人の体験から、最初は宗教団体の門を叩いたりスピリチュアル関連の本を読み漁ったりするケースが多いようです。 そこで答えが見つかると思って探究するのですが、結局はまだ自分の外側に何かあると思っていて、苦しみは無くならないどころか余計に苦しくなったりして、そこでもまた行き詰ります。 その後、純粋に「私とは何か?」という問いに対する探究に変わっていきます。 そこでまたいろいろやって、最後にやっと「人生という夢から覚める」という流れが大体の典型的なパターンです。 とても怪し~く聞こえるかもしれませんが、実は全てが私だった、というか、私と言う個人的なものがそもそも最初から存在していなかった、という深い理解に至ります。 ですので、今の苦しみは真の幸福の始まりであり、喜んでいただいて大丈夫です。
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- zabusakura
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このまま特に何の障害もなくゲームクリア それがベストだと思います。 が、まだ判らないですよ。子供が大きくなれば色々と有るし年齢も上がれば病気になる人も増えます。親の介護問題も出て来るし。 これからですよ。
お礼
ありがとうございます。そうですね、確かにまだ子供が小さいのですが、思春期などになったらまた色々あるのかもしれません。つかの間の平穏なのかもしれません。
- izumi044
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>なんだか人生が消化試合というか、このまま特に何の障害もなくゲームクリア、みたいな感じがしてきてしまいました。 なら、なにかに挑戦したらいいんじゃないでしょうか。 たとえばですが。 インドア派なら、アウトドアの世界を覗いてみる・体験してみる。 アウトドア派なら、インドア派の世界に足を踏み入れてみる。 自分の得意とは違う世界に飛びこんでみると、これまでの常識が瓦解することもあります。 もし、質問者さんが自分の人生を「正解」だと考えているならなおさら。自分の人生を、一度別の角度から眺めてみるのもいいのではないでしょうか。 障害がないことを懸念しているのなら、自ら苦労に飛びこんでみるのも、いいんじゃないかと思います。 山歩き、寺の修行、DIY。 自ら設計して飛行機を飛ばすとか。 質問者さん自身が、楽しみながら苦しめるものもあるんじゃないでしょうか。 とはいえ。 人生って、ある日突然「こんなはずじゃなかった」は起こります。 両親や家族の病気や怪我や事故、自分自身の病気や怪我や事故。 会社の倒産、リストラ。なにが起こるかわかりません。 突然の悪い知らせを受け入れる間もなく、悪いことが度重ねって、心身ともに疲弊することもあるかもしれません。 むしろ、今の平穏無事がずっと続くとは限らないので、今のうちに存分に楽しんでおかれることをお勧めします。
お礼
まだ子供が小さいので普段は趣味=子供というか、それ以外の趣味は抑制せざるを得ないところがあるのですが、育児の合間を縫って何かコツコツと出来るような趣味が欲しいですね。 おっしゃる通りこの平穏はつかの間のものなのかもしれません。 そう考えるとこの平穏にも感謝しなければいけませんし、そういう敬虔な気持ちを持ちながらありたいものです。。。 ありがとうございました。
- eroero4649
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トルストイの有名な言葉に「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」というのがあります。 幸せって、平凡なものなのだと思います。ジェットコースターに乗っているような人生は刺激的ではありますが、幸せかというと違いますし、そういう人生は楽しいかもしれないけど長生きは難しそうです。 変な脅しをしてもしょうがないのだけれど、質問者さんや奥さんにがんが見つかって短命で終わってしまうってことがあるかもしれないですし、お子さんが友達と悪乗りしてイタズラをSNSにあげたら大炎上して、とんでもない金額の賠償金を請求されるってこともあるかもしれません。 そう考えると「この平凡で幸せな日々」もいつ不幸のズンドコに落ちるか分からないものです。 JR西日本の福知山線事故というのをなんとなく覚えてらっしゃると思います。誰にとっても全く想像もできなかった事故です。 その事故で妻を失ってしまったという60代の男性の話を新聞記事で読んだことがあります。その日はいつものようなありふれた一日で、奥さんは出かける際にいつものように「じゃあ、いってきますね」といったそうです。旦那さんはそのとき新聞を読んでいて、新聞から目も上げずに「ん」とだけ返事しました。「それが夫婦の最後の会話になってしまった」とその男性は語っていました。 その記事を読んでから、私は「もし今日が最後の日だったら」と思うようになりました。もし恋人とデートする日が今日が最後だったら。もしこの友達と会う日は今日が最後だったら。特に「恋人と会うのは今日が最後になった」というのはまあ、恋愛じゃよくあるじゃないですか。だから私はいつでもデートのときは「今日が会える最後の日」と思って会っていましたし、いつも会う友達といつものように会っても「今日が会える最後になってしまうかもしれない」と心のどこかで思って会うようにしています。 「一期一会って、こういうことなのではないか」と思っています。 あとは「やってみたいことはやっといたほうがいい」というのもアドバイスしますかね。人生の中で、一番若い日って残念だけど今日じゃないですか。もう「若いあのときにやっときゃよかった」という後悔しかないんですよ。 息子さんが10歳だったとしたら、10歳の息子と過ごせる日は今年しかないじゃないですか。来年は11歳の子と過ごす日になるわけですし。年々頭と体力は少しずつ衰えていってしまうので、やりたいことがあったら今のうちにやっておいたほうが後悔しないだろうと思います。
お礼
福知山線の事故のニュースはうっすら覚えております。まだ自分は小さかったので事の大きさが分かりませんでしたが、そうですね、そういう思ってもいない不幸で、朝まで元気だった家族が、夕方には会えない、なんてことがいつ起きてもおかしくない。 そう考えるとこの平穏も愛おしく感謝しなければいけない毎日なはずなのですが、なぜ人はそういう気持ちを忘れて、くだらない快楽や刺激を求めてしまうのか。。。 大事なことを思い出させてくれて、ありがとうございました。
補足
改めて調べてみたら2005年なのですね・・・全然小さくなかった、大学1年生でした汗 記憶とはなんと適当なものなのか・・・苦笑
- QQQoto
- ベストアンサー率30% (36/120)
「満たされてるが故に人生消化試合になってきた感じが…」とのことですが、失礼ですが、ひとつ、質問させてもらいます。 「満たされてるが・・・」とのことですが、真実、「満たされて」いますか? 答えは、「真実には満たされていません」でしょう。満たされていなっから、このサイトで質問された訳でしょう。 まぁ、それは、おいといて、「なぜ、あなたは満たされていないのでしょうか」。どうすれば、満たされるでしょうか。 ここで、その答えを出すことは可能ですが、たいへん傲慢で失礼ですが、あえて出さないで、あなたご自身が思索し、哲学して、出すべき課題なのです。 わたしも、若い時分、「自分は何のために、生まれたのか、何の為に今後生きるのか?」とい課題を、学生時代に抱きました。そして、苦悩の後に、その解を見出し、そのご、その解を土台にして、迷いを少なくして、数十年の期間、生きて居ます。 ご自分で、解を見出してください。あなたなら、きっと、きっと、その解を見出すでしょう。その解は、あなただけでなく、あなたの伴侶やお子さんをも、豊かな気持ちにさせることでしょう。 素直に回答しないで、失礼しました。お許しねがいます。 あたたが大きく進化されることを信じています。
お礼
おっしゃる通りですね、物質的・社会的には満たされているはずなのに、心の内面は満たされていない、というのが正しい記述でした。 30代後半になり、人生もやや折り返しというか、体力的にはこれから落ちる一方の年齢になり、内面的な充実・熟成ができるよう精進して残りの人生を過ごしていきたいです。 ありがとうございました。
- kaitara1
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幸せとはつかの間の無事のことと思います。
お礼
その通りですね、いつまでも勝手に続いてくれるもの、と思うのは身勝手ですね。 一瞬一瞬の平穏に感謝しなければいけませんでした。
お礼
>「本当の自分とは何なのか?」、「人生とは何なのか?」、「どうせいつか死ぬのになんで生きるのか?」といった問いに対する答えを探したいのだと思います。 おっしゃるように、そういう内面的な戸惑いがあり、物質的にも人間関係的にも満たされているはずなのになぜか虚無感がある、というような感じがします。 >とても怪し~く聞こえるかもしれませんが、実は全てが私だった、というか、私と言う個人的なものがそもそも最初から存在していなかった、という深い理解に至ります。 怪しいとは思いません、一部の高齢の方がそういう境地に至って本当の幸福感にたどり着くらしいことは聞いており、自分もそういう人生を歩んでいきたいです。ヒントをいただけた気がします。ありがとうございました。