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どう思いますか?
遠距離の就活生の彼はいつも電話をかけてくれて、朝まで電話を繋げています。起きたらどちらかが切ります。いつもは「またね」と言って彼が切るんですけど今日は「行ってきます」でした。昨日は彼が暗くてあまり雰囲気がよくなかったのでいつもと違うことを言われると不安になります。なにか嫌なことあった?と聞いてもないと言っていて、疲れた?とか聞いたら疲れたと言ってました。昨日までは2人の将来の話をしていたり私の誕生日について話してくれていたのになぜでしょうか。またねと行ってきますの違いはありますか?
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- blazin
- ベストアンサー率50% (20251/40149)
違いは心の疲労感。またねという言葉が出てくる時は、あなたとのダラダラコミュニケーションで多少なりともエネルギーが貯まっている(貯められた)サイン。またね≒また貯めようね。対して、行ってきますはあまり貯まっていないというサイン。溜まっているのは、ダラダラ電話の単純な疲労感や前途に対する漠然とした不安感の方。そっちに重きがある場合、またね「以外」の言葉が出てくる(時がある)。どちらも彼。行ってきますという言葉には、しんどい気持ちを自ら振り払う(重たい腰を上げる)ニュアンスも含まれている。あなたが何かした訳じゃ無い。ダラダラ電話をして英気を養える時もあれば、ダラダラが単純に疲労感になったり、朝になっても全然エネルギーが上手く貯まっていない時もある。どちらの彼も等身大。遠距離を健やかに続けて行く為には、変化に対する耐性(柔軟性)がいる。同じものだけを善としない、その時その時の自分たちの適量やコンディションをしっかり見極めていく姿勢も必要になる。少し彼任せにしていたあなた。こっちから要求しなくてもいつも電話をかけてくれる♪思われのアドバンテージに安心し切っていたなた。気づいたら、ずっと変わらずにいてくれると思い込んでしまっていた。その結果、変化にとても過敏で弱いあなたになってしまっている。彼だって常に同じコンディションでは無い。いつもの電話はルーティン的なリズムにはなっている反面、本当に繋がりたくてしているのか?昨日まで同じペースで繋いできたから、とりあえず今日も(なんとなく惰性で)。自分の心の自発性が分からなくなってしまう事がある。疲れているなら、電話を控えてくれても全然構わない。電話が息抜きや英気を養う時間になるなら私は勿論嬉しいけれど、朝に疲労感やぐったり感が溜まるようなら、少しリズムを変えても良い(無理はしなくても良い)。その位を言えるあなたであってこそ、彼との将来という言葉にも誠実に向き合える。まさかの時にこそ、真の二人の成熟が見える。あなたのパートナー力が問われているとも言えるんだと思うからね☆
- are_2023
- ベストアンサー率32% (988/3034)
>朝まで電話を繋げています。 そんなダラダラした関係、鬱陶しいね けじめをつけよう 就活生は結構大変ですよ、応募書類を書いたり、面接の対策したり、面接会場までの交通機関の調査とか宿泊地の手配とか...... そんな彼への気遣いは無いのでしょうか? またねと行ってきますの微々たる言葉の違いで狼狽えずに彼を信じて彼を気遣い、彼を大事にしましょう
- couchadaisuki
- ベストアンサー率28% (794/2825)
遠距離の就活生の彼はいつも電話をかけてくれて、朝まで電話を繋げています。起きたらどちらかが切ります。 これが鬱陶しくなってきたのでは? 年代が違うので何とも言えませんが面倒くさい、鬱陶しいとなりますね