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創作における、禁じ手とは?
ジョーカーって映画のレビューに、「創作として体裁を成していない。妄想に気付いた…のも妄想?とキリがない。」 って言われてて、ほとんど禁じ手だけで構成された奇抜な映画 って評論も一部ありました。 気になったんですが、創作における禁じ手ってどんなのがあるでしょうか? 王道お約束な展開を破るとかでしょうか。?
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わりとたくさんありますよ! ですが大別すると、 ・お客さん(読者/視聴者/観客)を裏切ったり、騙したり、バカにしてはならない ・現実世界に迷惑をかけるな に分類されるだろうと思います。 まず後者から。 たとえば、実在の団体や有名人物と同じ存在を作中に出したあげく、その名誉を棄損したり、実際以上に美化する。 これは問題です。 たとえば、今上天皇を名前もそのまま出して不品行に及ばせたら問題視されるのは想像に難くないですよね。 ライバル会社を敵役として小説に出し、ありもしない悪行をでっちあげて本当にやっているかのように作中で描く。その会社から訴えられるでしょうね。 実在する難治の病気、たとえば精神疾患を患った登場人物に、その精神疾患のせいで重い犯罪に手を染めたと描き、世間に偏見を植え付ける。 これが単なる差別意識の発露にすぎなかった場合、訴えられて出版停止・回収処分になったり、修正に至る場合があります。 最近だと藤本タツキの漫画「ルックバック」がこれをやらかしちゃいましたね。作者は病気に対して深く理解していたわけではないようで、ウェーイというノリで、実在する病気を強く想起させるキャラが突然発狂して人を殺す描写を通じ、その病気を単なる装置として扱ってしまいました。特定の属性の人間を軽いノリでモンスターに見立てるのは単なる差別です。軽薄のそしりは免れない。 というわけで、修正されました。現実で病気に苦しんでいる人に迷惑かけちゃいけないよね。 逆に、悪名高い存在をヒーローとして描き、あたかもその高潔な精神が事実かのような印象を多くの国民に植え付けたら?これは表現の自由と抵触しますのでさじ加減が難しいところですが、プロパガンダであれば後年には問題とされるでしょうね。 他に、たとえば、漫画「デスノート」の主人公は名前が月と書いてライトと呼ばせるのですが、この唯一無二の命名には作者の「大量殺人鬼なので、現実世界の同じ名前の人に迷惑をかけないように(たとえば子どもならいじめられたりするリスクがあるので)、誰ともかぶらない名前を考えた」という思いが込められています。 これらのような、現実世界に作品と関係のない部分で影響を与えるのは雑音のはずですから、禁じ手とされます。 あとは「創作における禁じ手」というより感覚としては「人間としての禁じ手」ではという気がしますが、他人に作品を剽窃するのも禁じ手です。 前者について。 客を騙すな、これを具体的に挙げると多様です。 たとえば、読者を裏切るためだけに登場人物に行動させてはならない。ある登場人物に秘密があるとします。その登場人物が一人きりで他に誰もいない場面なら、その秘密に関して「他人にばれないように」という警戒行動を取り続けるのはおかしいですよね。 なのに、読者にその登場人物がその謎を知らないと思い込ませるためだけにそういう行動を取らせる、これは読者への裏切りになるので禁じ手です。 説明が難しいですね。 実をいうと、2002年ジェット・リー主演の映画「HERO 」が念頭にありました。 この映画の中盤で、暗殺者と護衛が戦うシーンがあります。周囲にはこの二人しかいない死闘です。ところがこの「護衛」は実はスパイで、暗殺者と同じ組織から送り込まれているのです。そしてこの二人はお互いのことをよく知っています。なにしろ恋人同士なのですから。 つまり、その「二人きりしかいない場」でこの二人が戦う必然性がまったくないんですね。 ふつうなら、あたりに誰もいないと見るや駆け寄って親密な会話でも始めそうなものではありませんか? ですが、脚本家(あるいは監督)は、ここにアクションシーンを入れたかった、そしてその護衛がスパイだと明かすのはもっと後にしたかったのでしょう。だから、この二人を敵対する者同士として戦わせるシーンを選び、観客を騙した。 これは観客に対する裏切りです。禁じ手といっていいでしょう。 他にも、いろいろ積み上げた後で「実は今までのことは全部夢でした☆」とやる夢オチも、最終段階で全部放り投げることですから、禁じ手と言われますね。 作中で開示した設定とそれに基づく描写で積み上げてきたものを、説明や理解の手掛かりとなる描写なしにいきなり変えるのも禁じ手です。 ご質問の「ジョーカー」のレビュワーが指摘しているのは、これに近いのではないかと思われます。 シーンがジョーカー本人の妄想なのか現実なのかがはっきりしない、注意深く繰り返し見ても手掛かりがないので観客はどちらなのか理解ができずイライラさせられる。そうしたシーンだけが延々続くことを禁じ手で構成していると批判したのではないでしょうか。 たとえば夢と現がはっきりしないという共通点がある映画「マルホランド・ドライブ」も手掛かりは少ないのですが、いちおう重要な場面では青い小物が写るなど、注意深く見返せばわかるようにはなっています。 結局、創作のお客さんは金を払い、多くは娯楽として作品に接してくれているわけです。その人たちを裏切るような真似はしてはいけない。 それをやる行為が禁じ手になるでしょう。 ですから、従来禁じ手とされている手法でも、お客さんが満足すればいいのです。 たとえば推理小説、ミステリにおける禁じ手としてはノックスの十戒が有名ですよね。 ノックスの十戒(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%8D%81%E6%88%92 これはイギリスの推理小説家ノックスが提唱した十戒ですが、厳格かつ真面目な戒めとして提唱されたわけではないのでは?とも言われます。(本人がそう書いてる…) ですからWikipediaにも >「十戒」を意図的に破った作品や、「十戒」の記述を逆手にとったトリックを用いた作品も数多く存在している。ノックス自身「すべての作家にルール厳守を望むわけではなく、げんにこの選集に採録した幾編にも、ルール違反が明らかに見受けられる」[8]と認めている。ノックス自身も「十戒」を破った作品を発表しており[注 1]、ユーモア精神から冗談半分に書かれたとする見方も多い。 とあるように、厳密に守られるべき絶対の規制ではありません。 意図的に破りつつ、「客が満足するような面白い作品」であればよいのです。 これはより真面目なヴァン・ダインの二十則でも同じですね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%89%87 しかし同様に、これは半ば真面目な提唱でもあります。 これを破っても客が満足すればよいが、客のほとんどが騙された、とがっかりするような体験にさせてはならない。 上述の映画「HERO」はヴァン・ダイクの二十則の2番を破ったわけですね。 >2.作中の人物が仕掛けるトリック以外に、作者が読者をペテンにかけるような記述をしてはいけない。 このせいでせっかくの美しい場面も台無しです。 これは禁じ手の一例になるでしょう。 王道お約束な展開を破るのはまったく禁じ手ではありません。 それは作品の自由です。完全な自由です。 王道展開を破った作品は世の中に多々あります。そしてその路線で客の期待を上回ったなら、それはより優れた作品と見なされています。 逆張りして失敗したと見なされる作品も多々ありますが、失敗の理由は王道展開を破ったからではありません。世界観の構築と十分な描写に不足していたから、だけです。
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- eroero4649
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最もポピュラーな禁じ手は、パクリでしょうね。これは説明不要でしょう。 他に禁じ手として「創作になっていない」というのがあります。 どういうことかというと、作家の柳美里さんのデビュー作の主人公には、彼女の当時の友人であったモデルがいました。柳美里さんはその人に「あなたをモデルにして小説を書いてもいいか」と聞き、本人は了承したのですが、発表された作品はあまりに事実に基づきすぎ、創作というよりノンフィクションみたいなものになってしまっていたそうです。 で、その友人も「モデルにしていいとはいったが、あまりに私だと丸わかり過ぎ」と怒って裁判になり、それが認められて彼女のデビュー作はお蔵入りになってしまうという事態になりました。 映画「ジョーカー」は、賛否両論ある作品ですね。確かにラストシーンを見ると、一連の出来事は全てが彼の妄想に過ぎなかったんじゃないかと思わせるようなものになっていて、そのレビュアーからすればそこは腹が立ったのでしょうね。 でも私は、それも芸術表現のひとつだと思いますけどね。芸術表現というのは何かに挑戦すると必ず否定されるものなんですよ。 私が「ジョーカー」でちょっと納得がいかないのが、主人公アーサーは後にバットマンになるブルースと出会う場面がありますが、ブルースは12歳くらいの少年。アーサーは40歳くらいのおじさんですから、後にブルースがバットマンになり、アーサーがジョーカーになるとしたら、バットマン(ブルース)が20代半ばだとしたらジョーカーは50代半ばになってしまうわけで、それはジョーカーがおじさんというか、もうお爺さんだろうと思わずにいられません。 そして今度、2作目が発表されるそうですね。ジョーカーの恋人となるハーレイ・クインとの話になるそうで、ハーレイ・クインといえば映画「スーサイドスクワッド」でマーゴット・ロビーが演じましたけど、「ジョーカー2」ではレディガガが演じるそうで。 2023年時点で48歳になるおじさんと、37歳になるおばさんの恋物語がみんなそんなに見たいのでしょうか・笑。我々おじさん世代はまだいいけど、20代の若い子たちはどんな気分で見ればいいんでしょうね?
お礼
>パクリ、説明になってない描写などがダメ。 例だと、あまりに実話になってしまい怒られたんですね… 創作は、事実とチキンレースで作るイメージもあります(やり過ぎはダメですが、、) >ジョーカーで納得いかん部分が… ジョーカーが同一人物…とすると、設定上だとブランクかなり空きますよね。 ソコが気になる声けっこうありました。 ジョーカー本編が「オレサマの供述した冗談だけど…」ってホラかもしれないんで、テキトーかもって説もあります 本編は陰鬱ながら映像として美しく見応えがあったので素晴らしいと思います! レディーガガの出る続編も期待しちゃいますね…
- chiychiy
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こんにちは 「夢オチ」は割と禁じ手です。 終わった後に全て夢だったという内容です。 「ジョーカー」はいい映画ですが、幻想と本人の妄想的な部分があります。 ただレビューは一般人が書いたものなの(?)で、そこは何を意味してるのかは 難しいところです。 主人公が描いていた夢と現実が交錯していて、 主人公が期待を膨らますほど 現実に引き戻されるということだと思います。 この役は、故ヒース・レジャーが演じたら、もっと違う映画になったと思います。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2%E3%82%AA%E3%83%81
お礼
夢オチなんてサイテー!ってやつですね 今まで何だったの…?ってのは駄目なの納得がいきます ジョーカーは妄想か?見分けが付かない部分が随所にありますね。 >ヒース・レジャー 俳優には明るくないですが、ダークナイトはいい映画でした。 アメコミ映画に入ったのはココが入り口でした。 回答ありがとうございます
- nagata2017
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>創作における禁じ手 それは パクリ だけです。これは創作ではないからです。 それ以外はなんでもありです。
お礼
パクリは立証されたらアウトですね。 しかも根拠も複数あって言い逃れできないケースが多い。 最も駄目なやつですね。。ありがとうございます!
お礼
>禁じ手は、わりとたくさんあります! 気づきませんでした…(そもそも用語を知らない、表現手法に詳しくない、ググろうにもワードが出てこん…など) フィクションって言った上でもアウトな辺はありますよね。。ナチ辺りとか。 偏見を助長するような作品(ヘイト創作にもなるかも) がアウトなのですね 以下も大変参考になりました。ありがとうございます。!