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江戸時代末期までの神仏について

日本では現代でも神道・仏教がありましたが、江戸時代の終わり頃まではどちらが庶民向けだったのでしょうか?

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  • sutorama
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回答No.3

庶民向けは、仏教です そのことは「寺請制度」に由来します 寺請制度とは、江戸時代に徳川幕府によって始められた制度で、具体的に言うと、すべての人々がいずれかの寺院の「檀家」となることを強制させられ、寺院から「寺請証文」という身分証を受け取らなければならない制度です 檀家になると、自分の所属する寺院に「お布施」を収め、葬式や法要の一切を執り行ってもらいます 一方、お布施を上納されたお寺では、お布施によって経済的基盤が整う一方、檀家となった住民の動向や戸籍上の管理を請け負う義務が生じ、これを檀家台帳と言いました 檀家台帳は現在で言うと、区市町村に管理されている住民基本台帳や戸籍原本と同じようなものであり、江戸時代の寺院は間接的に幕府の出先機関の役割を任されていたということになりますので、寺院は庶民向けであったと言えます 寺請制度とは別に「寺壇制度」という仕組みがありましたが、江戸幕府が禁止していた宗教を除外し、仏教に帰依させるためのモノでしたので、政治的にもやはり、仏教が庶民向けという位置になっていました また、江戸時代は身分制社会であったので、神職というものがありましたが、庶民向けというよりかは政(まつりごと)であったと言えます

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  • y-y-y
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回答No.2

江戸時代末期までは、神仏混淆(しんぶつこんこう)なので、神様も仏様も同じ敷地に同じ建物内にいたから、どちらが庶民向けとは言えないのでは? 明治時代の初期に、明治政府は神道の国教化政策「神仏分離令」を出した。 これを、特に旧幕府藩体制側は「廃仏毀釈」と解釈し、仏教に関する仏堂・仏像・仏具・経巻など破壊をして明治政府に取り入ったらしい。 https://en-park.net/words/7732 ----- 聖徳太子(今は、学校では「厩戸 うまやど 皇子」と教える)のころ、 仏教が日本に伝来して、日本の古来の神道と仏教が一種の宗教戦争みたいになった。 奈良時代以後~江戸時代末期までは、神様も仏様も同じ敷地に同じ建物内にいるようになり、これを神仏混淆(しんぶつこんこう)という。 神仏混淆(しんぶつこんこう)は、常用漢字に無い文字のため、神仏混交・神仏習合とも書く。 https://www.google.com/search?q=%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E6%B7%B7%E6%B7%86+%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E6%B7%B7%E4%BA%A4+%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7%BF%92%E5%90%88&oq=%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E6%B7%B7%E6%B7%86+%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E6%B7%B7%E4%BA%A4+%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7%BF%92%E5%90%88&aqs=chrome..69i57.235419026j0j15&sourceid=chrome&ie=UTF-8

  • eroero4649
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回答No.1

「庶民向け」とか「貴族向け」という概念はありませんよ。当時の人は自分の家が何宗に属するかは決まっていて、他の宗派への改宗は禁止されていました。質問者さんの家でも「ウチは何宗」って決まっているはずで、お葬式があったらその宗派のお坊さんが来ることになっています。 江戸時代のお寺では、誰が生まれた、誰が死んだという記録を残しています(今でも誰の葬式をしたかという記録はちゃんと残しています)。つまり出生届と死亡届を承る役所だったのです。江戸時代のパスポートである通行手形は、自分のお寺で発行してもらうものでした。 だから当時の寺社は、市役所みたいな役割もありました。