• 締切済み

人生でイチバンのめり込めた趣味、教えて下さい。

人生でイチバン時間を使ったor没頭して楽しかった趣味と 思い出話を聞かせてほしいです。 (始めたきっかけ、一緒にやった仲間はいたか、どう楽しかったかなどなど…) 自分は夜中のサイクリングが好きでした。静かで朝方の新聞バイクやトラックしか通らない道を駆け抜けながら取り留めのないことを考えるのが楽しかった記憶があり、コンビニに寄っての買い食いや海辺など好きな場所に行けるのがクセになっていました。 皆さんのこんな話を聞きたいです。

みんなの回答

回答No.6

a) 私の場合、趣味と思って始めたことはありませんね。何かに夢中になると、没頭してしまう感じです。宇宙人問題の書籍を読み漁ったり、また、プラトンの書籍を図書館で借りて、読んだりした時期が長くありました。幸い今では、私の骨肉に、なっており、無駄ではありませんでした。

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2725/12280)
回答No.5

競馬です。成人するちょっと前から、興味を持って始めました。初めて馬券を買ったのはオグリキャップの引退レース、有馬記念。それから今年で33年目になります。今は難しくなったのは旅打ち。たまたま同僚も競馬好きで、西日本方面はたくさん周りました。 今は無き中津競馬場、懐が寂しくなって最終で大勝負して助かった高知競馬場、凄くかわいい二人組の女性をナンパし損ねた笠松競馬場。今ではいい思い出です。

  • mario0529
  • ベストアンサー率15% (452/2949)
回答No.4

OKWAVEです。始めたきっかけは週刊少年サンデーに関する質問をした事です。質問主さんの悩みに回答しているうちに、自分が癒されているのを感じました。週刊少年サンデーの知識と、食や植物など、頑張って取得した資格知識がOKWAVEで活用できていい思い出ができました。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.3

昭和40年代前半の中学生時代 ○ラジオの製作(同じ名前の雑誌もありましたね) ゲルマラジオから始まり、真空管を使用した並三ラジオ(6BA6・6AR5・5MK9)、高1中2(3バンド)6球スーパー(6BA6・6BE6・6BA6×2・6AV6・6AR5・整流はシリコンダイオード)まで作りました。当時は真空管から半導体へ移り変わる時期で、行きつけの部品屋さんが中学校のラジオクラブの私たちにST管の5球スーパーの中古品をただでくれたこともありました。(これを大きな木の台の上に実体配線図風に組み直し文化祭で鳴らして展示しました。)アマチュア無線の電話級(当時)の免許もとりましたが開局には至りませんでした。 またトランジスタでは2SA156を使った1石レフレックスラジオを作り、トランジスタの頭に火が付いた蚊取り線香を押し付けて聞こえなくし、離して冷やすとまた聞こえるようになる無茶な実験(?)をして遊んでいました。(昔の金属外装のゲルマニウムトランジスタは丈夫だった?)当時のトランジスタは現在より数十倍も高価な貴重品でしたので、直にはんだ付けしたくない人のために「トランジスタソケット」という小部品があり、よく使っていました。 昭和40年代後半の高校生から大学生時代 ○天体観測・天体写真撮影 タカハシの10センチ反射赤道儀(これは名機でした)を親に買ってもらい、地学部に入って天体観測に熱中しました。トライXやフジXレイフィルムの長巻をパトローネに詰め替えて星座や月などの写真も撮影。フィルムの増感現像や印画紙への焼付けもなども自分でやりました。ふだんは週末にリヤカーに天体望遠鏡などを載せて仲間の部員と郊外に観望に出かけ、夏休みなどには望遠鏡やカメラを背負って山に入りました。 当時は街明かりが今ほど明るくなかったため夜空の状態が今よりずっとよく、地学部の仲間と行った久住山系の坊がつるではM33(さんかく座の銀河)が肉眼で見えました。暗い星まで見えすぎるとかえって星座の形がよくわからなくなるということも初めて知りました。また12月の寒い時期にふたご座流星群をほとんど徹夜で2晩観測しながら翌日は高校で授業を受けるような無茶をしていました。(美術の時間には先生がいなくなったのをこれ幸いと隣席の女子生徒に「先生が教室にもどって来たら起こして」と頼んで寝ていました。) 大学でも天文関係のサークルに入りました。コホーテク彗星やウエスト彗星などを東京近郊でみましたが、コホーテク彗星が接近した1974年秋から冬にかけてはオイルショックで街の灯(ネオンサインなど)が暗くなって、彗星の観察には好都合で、東京郊外と帰省先の九州で合計十数夜見ました。またウエスト彗星は今まで見た彗星の中でも最も見事でした。 その後50年あまり経ちました。どちらの趣味も細々とですが今も継続中です。真空管を使ったラジオなどの製作は部品が半導体より大きいため老眼の目に優しいことも痛感するようになりました。2035年9月2日に北陸から北関東にかけて見られる皆既日食を見るまでは生きていたいと考えています。

EXIST2090
質問者

補足

趣味が多いですね…! >ラジオ制作 2008年頃に授業で作った記憶があります(回路をハンダ付けしていくタイプ?) 回路つなぐだけで音を拾って流したり光るモノで感動しました。なんじゃこれ!?って…(笑) 真空管とは本格的ですね…アマチュア無線もってる人身内に居ないんで尊敬します >天体観測 日食、話題になりましたね(金環日食でしょうか) 仲間と夜通し撮影して昼や合間に少しでも寝る…青春ですね。とにかく時間が足りない。 自分は星座の形をみても「あの星とあの星ってドレ!!?」ってなるタチでした。カタチを見てわかるだけでプロだなぁと… ラジオ作りがまだ現役なのすごいと思います。彗星もですが皆既日食はぜひ見ておきたいですね(生涯に一度レベル) お付き合いくださりありがとうございます

  • habataki6
  • ベストアンサー率12% (1182/9781)
回答No.2

若いころはスキーに毎週行っていた、誘われたり誘ったりで 人生楽しかったです、でも人生長く無いかもと気が付いたのも 、趣味のおかげです、重大決心して体を守る方針に大転換 、好きな事もあきらめて、細々と生活で、まだ生き残ってい ます。

EXIST2090
質問者

補足

スキーですか!目の前に見上げるくらいの雪山がドンとあり圧巻だった思い出が… 自分はスキーできない方でしたが、リフト乗ったり雰囲気味わうだけでも楽しかったです(ミニ雪だるま作ってました) そんなに悲観する事はないと思いますぜ

  • agehage
  • ベストアンサー率22% (2753/12076)
回答No.1

オートバイか、魚釣りか、どちらもいまだに好き 若い頃はオートバイで日本中回りまして、暑い中、寒い中、雨の中、テントを張って、転んで、怪我をして、仲間が出来て、直して、整備して、壊して、常にバイクと共にありました コロナでいろいろお出掛けが面倒になってからは、海で魚を釣ってます

EXIST2090
質問者

補足

オートバイ!各地をツーリングってやつですね! youtubeで車載動画・旅動画を見るたびに憧れます…仲間とバイク飛ばしてるだけで楽しそうですね。。 コロナで遠征面倒になるのはあるあるでした… 釣りも糸遠くに投げたり、やりながらぼーっとできる点が最高ですね 回答ありがとうございます。!