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私が中学生くらいのときにデビューしたのかな。 「すごいやつ出てきた」と音楽雑誌などで話題になっていました。あるコンサートのとき、スピーカーの上に乗った彼は客席に向かって「俺はお前たちのためなら死ねる!」といって飛び降りて足を骨折したのです。 大人になって冷静になれば「ただのアホ」なのですが、思春期の若者たちのハートはわしづかみされてしまいました。もちろんちゃんと「ただのアホですやん」と冷静な子もいました。そんな中で発表された曲が「卒業」だったのです。YouTubeにも残ってないのですが「卒業」のMVでは足にギプスをつけている尾崎が出ています。それがその「伝説のダイブ」の名残りです。 当時は生徒の数がピークの時代で、また一方で学校が荒れていた時代でもありました。「ビーバップハイスクール」や「湘南爆走族」みたいなツッパリはどこにでもいたのです。なにせ数が多いので管理しきれるわけがなく、当時は管理教育も全盛の時代でした。今だったら人権侵害になるようなことも平然と行われていたのです。例えば、生徒の髪の長さが校則に違反しているからと見せしめのためにバリカンで坊主にしたり、校則違反で持ち込み禁止のものを没収して返却しなかったり。学校に持ってきてはいけないものを持ってきたから捨てられて当然と誰もが思っていたのです。不良生徒を抑え込むのに先生方も必死でしたから、いじめなんて相手している場合ではありませんでした。いじめは自分でなんとかするのが当然と誰もが思ってもいました。ドラマ「スクールウォーズ」のOPにもあったように偏差値が低い高校では生徒同士のカツアゲも珍しくなかったんですよ。 もちろん学業に関しても、落ちこぼれはどうぞ勝手に落ちこぼれてろで救済措置は一切ありませんでした。数が多いから、優秀な子も多かったのです。力を入れるのは、優秀な子に対してですよね。 だから「卒業」は、そんな大人社会への反抗として思春期の少年少女に刺さりまくったのです。そして尾崎豊は「反逆のカリスマ」になりました。 けれど時代も変わってバブルの好景気から爛熟期となると、そういう単純な反逆もそれはそれでダサいに変わってきました。 90年代はサブカル全盛期です。小山田圭吾さんが自分がやっていたいじめを自慢げに(しかもホラを交えて)語るのがある意味オシャレになる時代になってきたのです。思春期の多感な若者の心を掴むのが尾崎から筋肉少女帯になったのです。 また尾崎自身も自分自身が大人になってきたことと、奥さんやら子供やらができて自身の立場が文句をいう側からいわれる側に変わってきたのです。当然彼にも葛藤はあったでしょうし、曲の内容も変わってきました。 しかし大勢のファンは尾崎には「反逆のカリスマ」であって欲しかったのです。その軋轢はファンと尾崎との間にも生じていました。 そんな中で彼の薬物事件と、あのような亡くなり方が起きたのです。私は今でも「尾崎を殺したのはファン」だと思っています。 一方で、尾崎は若くして亡くなったので「伝説」になったのだとも思います。ジェームス・ディーンみたいなものですね。スクリーンの中では永遠にイケメン。尾崎も若くて美しい姿のまま永遠になりました。もし存命だったら、「昔売れていたイタいおじさん」だったかもしれません。あるいは長渕剛さんみたいに「好き勝手やってもファンは絶対に離れない無敵の存在」になったかもしれません。
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- nagata2017
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全盛期の浜崎あゆみぐらい。