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ラオス中老鉄道について

ラオスにで最近建設された就労鉄道について、信号機が何者かに盗まれるなど物騒な事件が起きています。日本で新幹線が当初を作られた時はこのような事件起きたのでしょうか?それとも、高価な乗車券のせいで、一部のラオス人しか乗れないと言ったことが起因しているのでしょうか?

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  • eroero4649
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回答No.1

>日本で新幹線が当初を作られた時はこのような事件起きたのでしょうか? 日本で新幹線が開通したときは日本全土の隅々まで鉄道線が行き渡っていましたので、そのようなことはありませんでした。 日本に鉄道線が建設されたのは明治から大正にかけての頃で、当時はまだ信号機はありませんでした。線路くらいしかなかったので、盗みようがなかったでしょう。 ただ当初はやはり鉄道という見たことも聞いたこともないものに対するアレルギーは強く、反対運動は各地で起きました。 有名なのが中央線で、元々中央線は江戸時代から宿場町として栄えた調布宿を通る予定でした。しかし地元の強硬な反対運動があり、調布が通れなくなったので、中野から立川まで一直線のルートになったのです。その後鉄道の普及によって調布は衰退し、中央線沿いの吉祥寺などのほうが繁栄するようになりました。同じような話は日本全国各地にあります。 ラオスは鉄道が一切建設されなかった珍しい国なんですよね。なにしろ内陸の山岳地帯で、熱帯モンスーン気候。国は山とジャングルと川でできてるので、鉄道を通すにはジャングルをかき分けながらトンネルと橋を沢山作らなければなりません。 それなのに国内にこれといった産業も鉱物資源もないので、鉄道で物資や人を大量に運ぶ理由もありません。そりゃ鉄道建設もないってことになりますわね。国全体が群馬と栃木と新潟の県境みたいなところだもの。

Kazon9
質問者

お礼

なるほど。日本でも大きな反対運動があったのですね。 ありがとうございます。

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