瀬戸大橋線とは、岡山-高松の全区間が瀬戸大橋線として建設されたものではありません。瀬戸大橋部分の茶屋町-宇多津間が新線の「本四備讃線」として伏線で建設され、それ以外の区間は従来からある路線をそのまま利用しました。
ですので、瀬戸大橋線を複線で開業したが、その後一部を単線にしたのではなく、瀬戸大橋線を開業した時新規建設区間は複線で開業したが、それ以外の区間は既設の路線を利用したので、単線部分が多かっただけの話です。
で、岡山側の岡山-茶屋町間は宇野線と言って、宇野駅で国鉄・JR直営の「宇高航路」(宇高連絡船)に連絡するための路線の一部でした。連絡船は本数がそれほど多くなく、宇野線自体も連絡船需要以外の需要はそれほど多くなかったので、単線で建設され、そのままでした。
ですので、瀬戸大橋線ができたときもそのまま単線でした。
しかし、瀬戸大橋開業後は高松までの利用が劇的に増え、列車の本数も増加の連続でした。この為、宇野線の一部を複線化したり、単線区間で列車同士が行き違いできる駅を増やしたりして列車増に対応するように改良してきた姿が今の姿です。
このような後付けで工事をした場合、元の線路付近に敷地の余裕等がなかったり、工事に死傷する何かがあれば、線路の増設・改良等が難しく、その部分の工事は後回しになることもあります。岡山を出てすぐの部分も複数の線路を高架で越えていくという複雑な線形で、敷地に余裕もなさそうなので、この部分を複線にする工事は困難かもしれません。
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ご回答ありがとうございました。