nisekant の回答履歴
- 脳内オーロラまたは脳内スクリーンセーバー
就寝時、暗くした部屋の中で目を閉じると、 まぶたの裏に不思議な模様が見えることはありませんか? この光はまぶた越しになにかの光が目に入っているとは 考えにくいもので、単純な淡い光の点や線だったり、 複雑な幾何学模様だったりします。たぶんこれは、 脳内の視覚を司るエリアでなんらかの現象がおきている のではないかと推測しています。 私の場合はその模様はオーロラのような薄い青緑の淡色をしていて、 カタチもオーロラのように常に不定形で、現れては消え、 脈絡のない変化を続けていきます。 そう、見方によってはスクリーンセーバーのようにも見えなくは ありません。 この光の模様に意識を集中しているうちに精神が落ち着き、 睡眠に入ることが出来るのですが、こういった現象は 誰にでもおきていることなのでしょうか? また、医学用語などはあるのでしょうか? 私のようなケース以外にはどんな風に見える人がいるのでしょうね? よかったら教えてください。
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- 心理学・社会学
- y_hisakata
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- その人の価値は何?
Aさんという人がいるとします。 Aさんの長所は「人に優しいところ」です。 ではなぜAさんが「人に優しい」のかと言うと、 それはAさんの親の教育が良かったためだとします。 誰かが「Aさんは本当に優しいですね。これも親御さんの教育が良かったからでしょうね。」と言ったとします。 この場合、僕にはAさんではなくAさんの親だけが褒められているような気がします。 じゃあAさんには褒められるところはないのかと思ってしまいます。 「人に優しい」のはAさん自身なのに。 ある人の長所の原因が親(必ずしも親でなくとも、本人以外の何か)だとしたら、 原因に価値があって、その人自身には何の価値も無いように思えてしまうんです。 確かに、人は親の教育で性格もかなり左右されると思います。 この例にしても、Aさんが人に優しい原因は親の教育のためでしょう。 「だから親には感謝すべき」という理論も分かりますが、そういう問題ではなくて… Aさんには何の価値も無いのかと。 具体例を出します。 僕の身の回りでも、すごいと思える部分を持った人はいます。 その人がなぜすごいかと考えたときに、「親の教育がよかったから」ということになったら 僕は落胆します。僕はその人をすごいと思いたいのであって、その人の親をすごいと思いたいのではありません。 本人には何の価値もないんでしょうか??? 変な悩みだと自分でも思いますが、答えていただけたらありがたいです。 年代・性別で考え方が違うと思うので、年齢と男性か女性かも良かったら書いてください。よろしくお願いします。
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- noname#60325
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- 外見で中身は分かるか
あえてこのカテゴリに投稿させてもらいました。 人の内面は、外見からどこまで推測する事ができるんでしょうか? 服装や髪型は、その人の社会的地位や見せたい自己像などに影響されると思うので、なるべくそれ以外の部分でお願いします。
- 個性の形成について。
高校生です。 高校の現代社会の授業で個性の形成ということを習いました。 その中で、 『個性を形成する要因には、遺伝的な要因と環境的な要因がある。この二つの要因の相互作用によって、個性は形成されていくが、その過程はただ受動的なものではなく、自我によって主体的に方向づけることが可能である。』ということを教えてもらいました。 最後の『自我によって主体的に方向づけることが可能である』の理解ができず、根拠もわかりません。知っているかた詳しく教えてください。 私が思うに人を裁くために無理やり論じている気がしてなりません。 とても気になるのですぐに回答ください。お願いします。
- 個性の形成について。
高校生です。 高校の現代社会の授業で個性の形成ということを習いました。 その中で、 『個性を形成する要因には、遺伝的な要因と環境的な要因がある。この二つの要因の相互作用によって、個性は形成されていくが、その過程はただ受動的なものではなく、自我によって主体的に方向づけることが可能である。』ということを教えてもらいました。 最後の『自我によって主体的に方向づけることが可能である』の理解ができず、根拠もわかりません。知っているかた詳しく教えてください。 私が思うに人を裁くために無理やり論じている気がしてなりません。 とても気になるのですぐに回答ください。お願いします。
- 個性の形成について。
高校生です。 高校の現代社会の授業で個性の形成ということを習いました。 その中で、 『個性を形成する要因には、遺伝的な要因と環境的な要因がある。この二つの要因の相互作用によって、個性は形成されていくが、その過程はただ受動的なものではなく、自我によって主体的に方向づけることが可能である。』ということを教えてもらいました。 最後の『自我によって主体的に方向づけることが可能である』の理解ができず、根拠もわかりません。知っているかた詳しく教えてください。 私が思うに人を裁くために無理やり論じている気がしてなりません。 とても気になるのですぐに回答ください。お願いします。
- 個性の形成について。
高校生です。 高校の現代社会の授業で個性の形成ということを習いました。 その中で、 『個性を形成する要因には、遺伝的な要因と環境的な要因がある。この二つの要因の相互作用によって、個性は形成されていくが、その過程はただ受動的なものではなく、自我によって主体的に方向づけることが可能である。』ということを教えてもらいました。 最後の『自我によって主体的に方向づけることが可能である』の理解ができず、根拠もわかりません。知っているかた詳しく教えてください。 私が思うに人を裁くために無理やり論じている気がしてなりません。 とても気になるのですぐに回答ください。お願いします。
- する、しない、以外の人間の選択肢
結婚するべきかどうか悩んだ時期があります。 最終的には結婚する事にしました。 結婚する、結婚しない。 結婚に限らず、人間には、 する、しない、の二つの選択肢しかないように思われます。 それにもかかわらず、 どちらの選択もしていない状態になっている 物事はとてもたくさんあります。 2つの選択肢しか無いにもかかわらず、ほかに何かあるような気がして 悩んだり、欲深くなったりもしてしまいます。 する、しない、以外に、人間には選択肢はないのでしょうか。 する、とも、しない、とも決めていない状態は しない、に含まれるのでしょうか。
- 理性行動/情動行動 文献を教えて下さい
理性行動について、 <「理性行動」とは思考結果に基づいて選択されるものである。> <知識を身に付けることで「情動行動に対する理性行動の比率」が高くなる。> <理性行動というのは未来の結果を予測して選択される計画行動である。> 上記の旨を論じた文献について、「どの本に載っていたか?」を思い出せず困っております。 (哲学系の文献だったかもしれません…。) どなたか、ご教示頂けるとたいへん有難いです。 どうぞよろしくお願いいたします。
- 映画鑑賞で泣くことは内面の問題の現れ?
映画を見ると、感動したり、或いは、感情を認識する前に、勝手に筋肉が痙攣して涙がいきなり溢れてくるということがあります。そういう経験をする人がどの映画のどの場面でそうなるかは一様ではないように思います。例えば、見知らぬ路上の人が「タニタニック見てチョー泣いちゃった」というようなことを言っているのを耳にしたので、私も見たのですが、撮影技術やコンピューターグラフィックの出来には感心したものの、ストーリーそのものには無感動でした。一方、私だけが感涙してしまい、他人にはそれを理解しがたい映画もあります。映画に感動して泣くことはその人の内面の問題の現れなのでしょうか?また、映画を通じて自分の内面の問題を明らかにできた人がいれば、その方法や経験について教えてください。 あと、この質問内容に関係があると思われる文献(素人向け)をご存知であれば、ぜひ教えてください。
- 大人になるとは?
普通、大人になるとはどういことかと質問すると、 たとえば、自分の行動に責任を持つとか、自立するとかというような答えが返ってくるのですけれども、 そういうことがここで聞きたいのではありません。 <子供>として生まれてきた私たちがそれと異なる<大人>に<なる>とはいかなることでしょうか。 一般に彼は大人になったというとき、彼の人相や振舞い方が社会に適応するように変化したことをいうようですけれど、それによって彼が別の人間に変わったことではないようなのです。 いわば実体として自然に存在する彼と社会の中で認められた彼という存在との対立を窺わせているのです。 <大人>とはいったいどこに存在するのか、という問いでも構いません。 私たちは彼は変わったとみなし得たとき、 懸命にまだ変わっていないところを探し出し、発見すると安心するではありませんか。 絶対に彼が変わることはないと保障されているならば、このようなことはありません。 では、彼は変わったというときに私たちが混乱してしまうところの彼という存在とはいかなるものなのか。 それを踏まえたうえで大人になるとはどいうことか、ということを考察しなければ納得がいかないのです。
- キレやすい人はエゴディズム
タイトル通りなのですがキレる人が居ますがあれはひょっとしてエゴティズムなんじゃないんだろうか?という気がするのですがどうでしょう? このまえ同種の鳥がミカンをめぐって争っているシーンを見ました。 ミカンの中身は2羽分はゆうに超える程あるのにも関わらず1羽が飛んできてミカンを食べているとその周りにもう1羽現れてきて横から摘んでいました、しかし1羽が行き成りもう1羽にあっちいけー的な攻撃をしかけてきました。たまらず1羽は逃げてしまい、もう一羽がミカンを食べていました。 そのシーンがあまりにも人間がキレる時に似ていて、ひょっとしたら直ぐにキレる人はどちらかというとエゴティズムなのではないか?と思うのですがどうでしょうか?
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- 心理学・社会学
- noname#82286
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