ysk26 の回答履歴

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  • 古典文学って面白いですよね?

    こんにちは。大学生です。 周りの友人が全く理解してくれないので質問してみました。 高校の授業では古文が嫌いで、文法や活用事項に嫌気がさしたのですが、卒業後、家庭教師の準備も兼ねて適当に古典文学を漁ったところ、話の深さに感動してしまいました。 活用事項とか教えてる場合じゃないだろうというくらいに感動し、安っぽい連ドラよりも断然リアリティがあって、なんというか、、、ただただ圧倒されたんですね。 それを、友人に話したら「いまさら古文とかウケル、受験終わったろ」みたいなことをいわれ、 彼女には 「変わってるね(笑)、この本が面白いよ。」と東野圭吾の本を勧めてくれたのですが。。。 違うんです。僕が言いたいのはそういうことじゃないんですよ。 古典文学って面白いですよね??あと、別に僕は変じゃないですよね? ちなみに僕が感動したのは「筒井筒」です。 もしよければ、この古典文学が面白いよというのがあれば教えてください。

  • 君が代斉唱不起立

    大阪府で行われた32府立高校の卒業式のうち6校で合計8人の教職員が君が代を起立斉唱しなかったらいいのですが http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120224-00000135-jij-pol 一部の教職員はなぜそんなに必死に不起立を徹底するのでしょうか。まったく理解できません。 自分の子供の頃、そんな教師は見かけませんでしたし、 卒業式などで「起立」と声が掛かれば起立するのがマナーではないでしょうか。 しかも大阪では条例違反、職務命令違反を犯してまで、「教師」が立たない理由がわかりません。 強制されたくない?そこまで嫌なら教師やめればいいじゃないですか。 周囲みんな立ってるんですよね。意地はって座り続けるとか、完全に社会不適合者で、教師の資格などないと思います。 何かの宗教ですか?立たないことになにかメリットがあるんですか?

  • 「(食べ物)をいただく」という言い方について

    いただくって、相手に対してへりくだる謙譲語ですよね? 「上司から旅行土産の和菓子をいただきました」 これはOKですよ。上司に対してへりくだっている訳ですから。 「昨日はカフェでサンドイッチをいただきました」 疑問に感じるのはこれです。 これはサンドイッチに対してへりくだっているんですか? それとも、この文章からの推測では難しいところですが、サンドイッチを 作った料理人にへりくだっているんですか? こういう言い方をする人は 安い居酒屋でカイワレ大根サラダや枝豆を食べた時も 料理人やお店、もしくは枝豆にへりくだって 「昨日は居酒屋で枝豆をいただきました」と人に話すのでしょうか。 食べ物の価値が、自分にとっては身分不相応と感じたときだけ 食べ物にへりくだって「~をいただいた」と話すのでしょうか。 よく分からない・・・。 使い方がおかしいと思ってしまうのですが こんな考えの私に、納得できるアドバイスをおねがいします。

  • 「戦争はいやだ」の主語は何でしょうか

    「戦争はいやだ」の主語は何でしょうか。

    • ahkrkr
    • 回答数14
  • 道立高校卒業の方‐履歴書に「立」を入れますか?

    北海道立の高等学校を卒業された皆様へ、 履歴書の学歴表記についてお伺いします。 北海道立の高等学校は、他都府県立の高校とは異なり、 一部の例外を除いては、正式名称に「立」が入りません。 例1)北海道○○高等学校 一方、他都府県立の高等学校は、「都立」「県立」のように、 正式名称にも「立」の文字が入ります。 例2)沖縄県立○○高等学校 しかし、道外でそのことを知る人はあまりいないため、 正式名称である「北海道○○高等学校」と表記すると、 ミスをした、あるいは省略をしたと思われかねません。 この種の枝葉末節なことで採用を見合わせるような 下らない会社には就職すべきではないと私は考えますが、 念のため意識調査としてアンケートを行います。 あなたは本州などの道外で就職活動などを行う際に、 履歴書の学歴欄に高等学校名をどう記載しますか? 正式名称の通り「北海道○○高等学校」と書きますか? それとも、誤解を防ぐため、他都府県立の高校に合わせ、 「北海道立○○高等学校」と表記しますか?

  • 伊勢物語 中世 走る スピード について

    宜しくお願いします。 先の質問の関連事項です。 伊勢物語 あづさ弓 の章段を読んでいて気にかかっていることです。 女性が男性を後を走って追いかけて追いつけなかったという展開があるのですが、この当時、女性の走るスピードはそんなに遅かったのでしょうか? それとも男性の歩くスピードが速かったのでしょうか? 変な質問で申し訳ないのですが、中世に関して詳しい方、是非教えて下さい。

    • F T
    • 回答数1
  • 伊勢物語 中世 結婚 について

    宜しくお願いします。 先の質問の関連事項です。 伊勢物語 あづさ弓 の章段を読んでいて、この当時の結婚形態はどうだったのか気になっています。 中世の地方の人々(農民かもう少し上の身分なのか今はわからないのですが・・・)の結婚のしきたりとはどういうものだったのでしょう。 お互いの意志があり、周囲が認めて、通い婚が成立すると結婚なのでしょうか? また、3年音沙汰なしだと離婚が成立するのでしょうか?子供がいた時はどうなるのでしょうか? 中世に詳しい方、是非教えて下さい。

    • F T
    • 回答数1
  • 伊勢物語 中世 地方の生活

    宜しくお願いします。 先の質問と同じ、伊勢物語の あづさ弓 の章に関わることです。 この話の主人公二人の生活背景がどうなのか気になっています。 この二人は農民なのでしょうか。農民が宮仕えなどできたのでしょうか。農民に和歌の素養がどの程度あったのでしょうか。 もし農民でなかったとすると、どういう身分・生活形態の男女だったと想像できるのでしょうか。 中世に詳しい方、是非教えて下さい。

    • F T
    • 回答数1
  • 伊勢物語 あづさ弓 文末の連体形

    宜しくお願いします。 伊勢物語の あづさ弓 という章段に、文末が突如連体形で終わっている部分があります。  ~そこなりける岩に、指の血して書きつけける。 文末の助動詞「けり」が連体形で終わっているのですが、これは係り結びもないと思います。なぜ連体形なのでしょうか。単純に詠嘆の効果なのでしょうか。 詳しい方、宜しくお願いします。

    • F T
    • 回答数1
  • 「思へるなり」の「なり」は?

    完了の助動詞「り」の連体形の後に「なり」が接続して、 思へるなり といった表現になっている場合の「なり」は、ラ変型の連体形に接続しています。理論的には、断定でも伝聞推定でも構わないと思いますが、これまで見た用例だと断定ばかりだったような…考え方と用例を挙げていただければ助かります。よろしくお願い致します。

    • beart
    • 回答数2
  • 「たくさんお酒を飲んだ」は正しい表現でしょうか

    何となくですが、 『数えることのできないものに「たくさん」という表現は使えない』 と私は思っていました。 しかし、考えてみると、 「たくさんお酒を飲んだ」 や、 「たくさん泣いてすっきりした」 などという表現を私(たち)は普通に使っています。 そうすると、「お酒」や「泣くという行為」は数えられませんから、この考え方は間違いなのでしょうか。 私としては以下のように考えますが確信が持てません。 ----------------------------------- 「たくさんお酒を飲んだ」は、実は、 【数えることのできるもの】に対する表現である。 つまり、何度もグラスなどを口に運んだという「回数」を暗黙的に表現している。 ひといきにグウ~ッと大量の酒を飲んだような時には使わない表現ではないだろうか。 「たくさん泣いて」は、 「たくさん(の涙を流して)泣いて」の略で、やはり数えることのできる涙(の粒)についての表現である。 「たくさん嘆いて」とは(涙が必須条件ではないので)言わないだろう。 微妙に異なる状況においては、「いっぱい」「大量に」などという表現をすべきことも多いように思う。 ------------------------------------------- 以上のような理由で、 『数えることのできないものに「たくさん」という表現は使えない』 という定義は正しいと考えるのですが、 みなさんのご見解を教えていただければありがたいと思います。  

  • 「たくさんお酒を飲んだ」は正しい表現でしょうか

    何となくですが、 『数えることのできないものに「たくさん」という表現は使えない』 と私は思っていました。 しかし、考えてみると、 「たくさんお酒を飲んだ」 や、 「たくさん泣いてすっきりした」 などという表現を私(たち)は普通に使っています。 そうすると、「お酒」や「泣くという行為」は数えられませんから、この考え方は間違いなのでしょうか。 私としては以下のように考えますが確信が持てません。 ----------------------------------- 「たくさんお酒を飲んだ」は、実は、 【数えることのできるもの】に対する表現である。 つまり、何度もグラスなどを口に運んだという「回数」を暗黙的に表現している。 ひといきにグウ~ッと大量の酒を飲んだような時には使わない表現ではないだろうか。 「たくさん泣いて」は、 「たくさん(の涙を流して)泣いて」の略で、やはり数えることのできる涙(の粒)についての表現である。 「たくさん嘆いて」とは(涙が必須条件ではないので)言わないだろう。 微妙に異なる状況においては、「いっぱい」「大量に」などという表現をすべきことも多いように思う。 ------------------------------------------- 以上のような理由で、 『数えることのできないものに「たくさん」という表現は使えない』 という定義は正しいと考えるのですが、 みなさんのご見解を教えていただければありがたいと思います。  

  • 古文の自動詞他動詞がわかりません

    古文で「おどろかせ給へ」という言葉が出てきました. 訳には「お目覚めになってください」とありました. 「あどろく」が「目を覚ます」なら 「おどろかせる」は「目を覚まさせる」ではないのでしょうか? なので「あどろかせ給へ」は「お目覚めさせてください」のように他動詞になるのではないのでしょうか?

  • 「あづさ弓 ひきみひかずみ こずはこず こはこそはなぞ こずはそをいかに」の文法的説明

    はじめまして。 どなたか古文力のある方に是非解読の手ほどきを お願いしたく質問します。 藤原公任の『和歌九品』の中の下下に 次のような歌が載せられています。 あづさ弓 ひきみひかずみ こずはこず  こはこそはなぞ こずはそをいかに 三句目までは分かるのですが、 四句、五句がどうなっているのか分からず 訳せません。 「こはこそはなぞ こずはそをいかに」は 〈来はこそはなぞ 来ずはそを如何に〉として 来るならどうして来るのか、来ないのならそれはどうしてか、 という訳でいいのでしょうか。 どなたかお知恵をお貸しください。 よろしくお願いいたします。

    • fu-sai
    • 回答数3
  • Yahoo国語辞書の仕様について

    こんにちは。 お時間があるかたはちょっと試していただきたいのですが たとえばYahoo国語辞書で「花崗岩」を 「一致する」で検索するとどうなりますか? http://dic.yahoo.co.jp/ 私の環境ですと「該当する情報は見つかりませんでした」に なりますが、みなさんも同じでしょうか? ちなみに、ひらがなの「かこうがん」で検索すると 「花崗岩」がヒットします。 なお、これは同サイトの仕様なのか、障害なのか あるいは私の環境の何らかの障害なのかも 知りたいところですが、こちらはお分かりになれば、で かまいません。よろしくお願いします。

    • noname#89645
    • 回答数5
  • 心愛づ(3)

     上記の標目で二つのご質問とご回答があります。  http://okwave.jp/qa4768042.html  http://okwave.jp/qa3533534.html  です。  ここで、“心愛づ”とは“片思い”の意味のある“片恋”であるとのご回答もあります。  うらなる心に思うのでありますから、そういうことにもなりましょう。  つまり端的にはっきりと“片思い”や“片恋”という意味の単語だという理解でよろしいのでしょうか?  そうすると、このご回答以外のご解説やご回答は無知だった私たちの理解と同じだったということになると存じますが。

  • 【古文】敬語が付く人物には常に敬語が付くか?

    例えば以下の文。 「やむことなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふ、ありけり。」 「あらぬが」の文節では敬語は使われていませんが、「時めきふ」の文節では敬語が使われています。 しかし、どちらも同じ人(桐壺の更衣)を指していますよね? そこで質問です。 Q1,上記の解釈に誤りはないか Q2,誤りがないとして、このような例は、古文の世界ではよくあるのか Q3,誤りがないとして、訳すときはどちらも敬語表現にして訳すべきか、それとも、厳密に敬語と敬語の使われていないところを区別して訳すべきか(特に、大学入試を想定した場合) ご助言頂けたら幸いです。

    • sakrant
    • 回答数5
  • (古文) 「鎖す」はサ変の複合動詞か?

    お尋ねします。 「門つよく鎖させよ」について 1)「鎖」は「くさり」と読んでよいか 2)「鎖す(くさりす?)」というサ変の複合動詞なのか、それとも名詞「鎖」にサ変動詞「す」が付いただけか。 3)2)で後者の場合、「鎖をする」と訳すことになりますよね。しかし、多くの文献の訳では、「(門をかたく)閉ざす」とかいったあたりの訳になっています。具体的に鎖をかける、というような訳は見当たりません。イメージとしては「厳重にロックする」というのはわかるのですが、であればサ変の複合動詞として存在していてもよさそうなのですが、辞書には出ておりません。名詞の「鎖」は辞書に出ていますが、鎖自体に「鍵」とかいう意味まではないみたいです。意訳しているだけ、といわれたらそれまでですが、厳密な解釈としてはどうなっているのでしょうか。

    • sakrant
    • 回答数3
  • 「小春日和」の解釈

    先日 (2月中旬)、父が「今日は小春日和の良い天気だ」と言ったので、私は「小春日和って、秋くらいに使うんじゃないの?」と突っ込みましたところ、「小春日和は冬の季語だからいいんだ」と返されました。 それで「小春日和」を調べてみますと 「小春の頃の穏やかな気候。」 (大辞林第二版) 「小春の頃の暖かいひより。小六月。」 (広辞苑第五版) 「陰暦十月のころの(ような)よく晴れた暖かい日和。」 (新明解国語辞典第五版) とあり、確かに季語は「冬」です。 「小春」をみると、おおむね 「陰暦十月の異称」というようなことが書いてありました。 陰暦十月は、現在で言えば11月ころ。しかし、陰暦の十月は「冬」に属する (と私は記憶しています) ので、季語が冬なのは納得できます。 (私の感覚では、陽暦の場合、11月末ころ~3月初めあたりが「冬」だと思っています) 「小春」自体は、2月ころまでを含んで指す言葉ではないと思うのですが、「新明解」の解釈だと、「小春日和」を 2月に使うのもアリ? ととれなくもありません。 さて、この場合、「2月中旬の暖かい気候を『小春日和』と言い表す」のは適切なのでしょうか? 気象関係者、俳句をつくる方、国語に強い方からのご回答をお待ちしております。 よろしくお願いいたします。

  • 違いを教えて下さい

    『源氏物語』などによく出てきますが、 「思う給へて」と「思ひ給へて」がよくわかりません。 この2つは、文法的にはどういう違いがあるのでしょうか?意味も多少違うのでしょうか? よろしくお願い致します。

    • noname#94148
    • 回答数2