a_hona の回答履歴
- 自民党一党多数で民主主義と言えるだろうか?
私は子供の頃から疑問でしたが 自民党独裁で世の中は良くなるのでしょうか? 何度選挙をしても何故か自民党が勝つ。 昔はマスコミを信じ込んでいたので 自民ばかりが勝つのはなぜかと不思議でした 詰まる所は利益の為。既得権益を守る為。自分たちが勝ちたいという人が集まって 自民党やらジャイアンツを応援すると。 地方選に至っては 自民 民主 公明 社民 維新相乗りの候補とか居て この選挙に選択の余地はあるのかと 疑問を持ちますねえ。 民主主義とはより良い意見を選ぶこと 政党政治など卑怯未練 己の信ずる所に従って 是は是とし 非は非とする。 この価値観お多様な時代に なんで自民党は100人以上みんな意見が同じなのか? 話し合いで決めるといっても 民主主義的な話し合いではなく 談合じゃないか? 自民一党独裁 是か非か?
- 金ぴかの大仏様や豪華な祭壇に祈るのはなぜですか
敬虔な教徒の方々には不躾な質問かもしれません。 気分を害してしまったらごめんなさい。 前提として、 当方は多額のお金を失った経験から贅沢や金銭そのものを嫌悪しているきらいがあり、 巨大で豪華な宗教施設への強い違和感があり、居心地が悪く感じてしまいます。 美しいものは好きですが、その為のお金や労力のことをどこかで考えてしまいます。 (こちらは精神医学の分野ですので言及はお控え頂ければありがたいです) そこで質問なのですが、なぜあれほどに豪華な像や建造物、品物を造り崇めるのですか? より多くの信心を集める為ですか? イエス様は誰よりも貧しくあるため、馬小屋で出生されたと聞きました。 お釈迦様は生に苦悶し王子という身を捨てて出家されたと文献で読みました。 過ぎる贅沢は教義に反しはしませんか? 食うに困り、着る物や雨風を凌ぐに困る人がいる世では、どれも空虚に思えます。 またこのような信心を持たない者でも、お話頂けるお寺さんや教会をご存知でしたら ぜひお教えください。
- 教育はこれでいいのか?
ハッキリ言って 勉強なんか嫌いだと言う子供は多い。 それなのに旧態依然として数学や英語の文法や物理も そりゃ好きな子供にはどんどん教えていでしょうけど 嫌いな子供に嫌いなことをやらせて 忍耐だけを覚えさせるなんて ナンセンス! スポーツや車の好きな子供にはその時間の枠を広げ スポーツや技術を通して問題をクリアして行く忍耐力を付けさせる必要があります。 料理の好きな子どいは料理を教え、ボランティアの好きな子供にはボランティアを教える そのようなワイドな教育をしないと。成る程数学や英文法も大切かもしれないが もう全然ついて行けてない子供が沢山いるじゃないですか。 僕は家庭教師業をやっていたので分かるのですが。どの子も可能性は持っているのです。 それでも好き嫌いはあるのです。 今や学校よりも塾や習い事の方が大切になり、親も先生を軽んじ 子供も道徳や倫社もやらずに「キモい」とか「ウザイ」とか「ガイジ」とか 「ありえない?」等と言って 言葉も軽いし いじめの温床になります。 無視や裏切りが当たり前になるとは・・・何たることか!? 今教育はどうあるべきか 哲学に問いたい。 どう思いますか?皆さん。
- とんで火に入る夏の虫?
我々は結局は跳んで火に入る夏の虫なのでしょうか? それとも本当の光 永遠の光の方向を目指して 未来を開き続けて行く事が出来る存在でしょうか。 人間の中から その様な未来が開けるか 否か?
- 教育はこれでいいのか?
ハッキリ言って 勉強なんか嫌いだと言う子供は多い。 それなのに旧態依然として数学や英語の文法や物理も そりゃ好きな子供にはどんどん教えていでしょうけど 嫌いな子供に嫌いなことをやらせて 忍耐だけを覚えさせるなんて ナンセンス! スポーツや車の好きな子供にはその時間の枠を広げ スポーツや技術を通して問題をクリアして行く忍耐力を付けさせる必要があります。 料理の好きな子どいは料理を教え、ボランティアの好きな子供にはボランティアを教える そのようなワイドな教育をしないと。成る程数学や英文法も大切かもしれないが もう全然ついて行けてない子供が沢山いるじゃないですか。 僕は家庭教師業をやっていたので分かるのですが。どの子も可能性は持っているのです。 それでも好き嫌いはあるのです。 今や学校よりも塾や習い事の方が大切になり、親も先生を軽んじ 子供も道徳や倫社もやらずに「キモい」とか「ウザイ」とか「ガイジ」とか 「ありえない?」等と言って 言葉も軽いし いじめの温床になります。 無視や裏切りが当たり前になるとは・・・何たることか!? 今教育はどうあるべきか 哲学に問いたい。 どう思いますか?皆さん。
- 無用の用? 無があって有があるのか?
いま議論中ですが この世界、この宇宙は 無があって有があり得るのでしょうか? それとも有在るのみなのでしょうか? 無というものは無いのでしょうか? 無とは何でしょうか? 0とかヌルストリングスとか 現実にあるのでしょうか? それとも無は概念なのでしょうか?? ご意見をお聞かせください。教えてください。
- 論文: 聖徳太子は ただのくそったれ
まづ 憲法とやらを読みます。 ▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~~~~ 一に曰(い)わく、 (あ) 和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 (い) 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。 (う) しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 次のように問います。 (1) 最後の一文(う)は いわば民主主義に通じる自由な言論 表現の自由 これを 基礎とすると言っています。まづこれを確認します。明治維新でも 同じく《万機公論》と言いました。 ▼ (五箇条の御誓文) 一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ (2) 次に 同じ最後の一文(う)の中からですが ▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて これについては 眉唾物です。お上つまりお二階さんの論理と目線で ものを言っているといううたがいを拭えません。時代は違いますが われわれは次のような歴史を経て来ています: ◆ (上田正昭:『日本文化の原点』) ~~~~~~ 【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔(みことのり)に このころ聞く 諸国の役民 造都に労(つか)れ 奔亡するものなほ多し。 禁ずと雖(いへど)も止まず。 とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出す者が多い。禁止しても止まない。・・・ 【上田正昭】 その翌年の正月にも 諸国の役民は 郷(さと)に還へるの日 食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。 溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの その類少なからず。 というのが出ていますね。 【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけですね。 【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。 草枕 旅の宿りに 誰(た)が夫(つま)か 国忘れたる 家待たまくに (万葉集 巻三・426番) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (3) 先の(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣きの歌を見てみれば分かります。 ■ (万葉集 三・415) ~~~~~~~ 上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死〔み(身)まか(罷)〕れる人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首 家にあらば妹(いも=妻)が手巻かむ 草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ すなわち 人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりなさい ふるさとを思い出し 帰って休みなさいと声をかけています。聖徳ぼんくら太子の歌では ああ かわいそうに・気の毒にとだけ言っています。 (4) たとえば ▲ (あ) 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 と言われても 庶民はもともと けんかをしつつも仲間として和をもって暮らしていた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》うんぬんと言いだした。 口先だけ庶民のまねをして和をとうとぶのだと言われても けっきょく 人びとよ おれたちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよいことだけを言っているとしか聞こえません。 (5) 聖徳うすのろ太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と排仏派の戦いになり(そう言われています)そこで前者に味方し 後者の守屋ら物部氏を亡きものにすることにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》と言っちゃってもらっちゃってもねぇ。 権力は握った 文句あっか もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっしゃいます。 (6) 無念のうちに波に呑み込まれた人たちも――つまりあるいは お二階からのでっかく酷い津波に呑まれかけたこれまでの歴史上の数多くの人たちとともに―― われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きたと いまいちど起き上がって言って欲しい。 (7) しかも・しかも 聖徳へなちょこ太子の場合には そのウタに《旅人》として歌われた・みまかれる人は のちに聖人であったと分かったと伝えられることになります。聖と聖こそ互いによくわかり合えるのだという尊き教えであります。――ちゃんちゃらおかしいわい。 (8) スサノヲ人麻呂の心意気なら 和の精神をめぐって何が大ごとだと見ますか? どこでエラーが出て来ているのでしょう?
- 論文: 聖徳太子は ただのくそったれ
まづ 憲法とやらを読みます。 ▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~~~~ 一に曰(い)わく、 (あ) 和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 (い) 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。 (う) しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 次のように問います。 (1) 最後の一文(う)は いわば民主主義に通じる自由な言論 表現の自由 これを 基礎とすると言っています。まづこれを確認します。明治維新でも 同じく《万機公論》と言いました。 ▼ (五箇条の御誓文) 一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ (2) 次に 同じ最後の一文(う)の中からですが ▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて これについては 眉唾物です。お上つまりお二階さんの論理と目線で ものを言っているといううたがいを拭えません。時代は違いますが われわれは次のような歴史を経て来ています: ◆ (上田正昭:『日本文化の原点』) ~~~~~~ 【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔(みことのり)に このころ聞く 諸国の役民 造都に労(つか)れ 奔亡するものなほ多し。 禁ずと雖(いへど)も止まず。 とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出す者が多い。禁止しても止まない。・・・ 【上田正昭】 その翌年の正月にも 諸国の役民は 郷(さと)に還へるの日 食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。 溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの その類少なからず。 というのが出ていますね。 【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけですね。 【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。 草枕 旅の宿りに 誰(た)が夫(つま)か 国忘れたる 家待たまくに (万葉集 巻三・426番) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (3) 先の(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣きの歌を見てみれば分かります。 ■ (万葉集 三・415) ~~~~~~~ 上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死〔み(身)まか(罷)〕れる人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首 家にあらば妹(いも=妻)が手巻かむ 草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ すなわち 人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりなさい ふるさとを思い出し 帰って休みなさいと声をかけています。聖徳ぼんくら太子の歌では ああ かわいそうに・気の毒にとだけ言っています。 (4) たとえば ▲ (あ) 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 と言われても 庶民はもともと けんかをしつつも仲間として和をもって暮らしていた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》うんぬんと言いだした。 口先だけ庶民のまねをして和をとうとぶのだと言われても けっきょく 人びとよ おれたちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよいことだけを言っているとしか聞こえません。 (5) 聖徳うすのろ太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と排仏派の戦いになり(そう言われています)そこで前者に味方し 後者の守屋ら物部氏を亡きものにすることにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》と言っちゃってもらっちゃってもねぇ。 権力は握った 文句あっか もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっしゃいます。 (6) 無念のうちに波に呑み込まれた人たちも――つまりあるいは お二階からのでっかく酷い津波に呑まれかけたこれまでの歴史上の数多くの人たちとともに―― われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きたと いまいちど起き上がって言って欲しい。 (7) しかも・しかも 聖徳へなちょこ太子の場合には そのウタに《旅人》として歌われた・みまかれる人は のちに聖人であったと分かったと伝えられることになります。聖と聖こそ互いによくわかり合えるのだという尊き教えであります。――ちゃんちゃらおかしいわい。 (8) スサノヲ人麻呂の心意気なら 和の精神をめぐって何が大ごとだと見ますか? どこでエラーが出て来ているのでしょう?
- 論文: 聖徳太子は ただのくそったれ
まづ 憲法とやらを読みます。 ▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~~~~ 一に曰(い)わく、 (あ) 和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 (い) 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。 (う) しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 次のように問います。 (1) 最後の一文(う)は いわば民主主義に通じる自由な言論 表現の自由 これを 基礎とすると言っています。まづこれを確認します。明治維新でも 同じく《万機公論》と言いました。 ▼ (五箇条の御誓文) 一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ (2) 次に 同じ最後の一文(う)の中からですが ▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて これについては 眉唾物です。お上つまりお二階さんの論理と目線で ものを言っているといううたがいを拭えません。時代は違いますが われわれは次のような歴史を経て来ています: ◆ (上田正昭:『日本文化の原点』) ~~~~~~ 【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔(みことのり)に このころ聞く 諸国の役民 造都に労(つか)れ 奔亡するものなほ多し。 禁ずと雖(いへど)も止まず。 とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出す者が多い。禁止しても止まない。・・・ 【上田正昭】 その翌年の正月にも 諸国の役民は 郷(さと)に還へるの日 食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。 溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの その類少なからず。 というのが出ていますね。 【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけですね。 【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。 草枕 旅の宿りに 誰(た)が夫(つま)か 国忘れたる 家待たまくに (万葉集 巻三・426番) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (3) 先の(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣きの歌を見てみれば分かります。 ■ (万葉集 三・415) ~~~~~~~ 上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死〔み(身)まか(罷)〕れる人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首 家にあらば妹(いも=妻)が手巻かむ 草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ すなわち 人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりなさい ふるさとを思い出し 帰って休みなさいと声をかけています。聖徳ぼんくら太子の歌では ああ かわいそうに・気の毒にとだけ言っています。 (4) たとえば ▲ (あ) 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 と言われても 庶民はもともと けんかをしつつも仲間として和をもって暮らしていた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》うんぬんと言いだした。 口先だけ庶民のまねをして和をとうとぶのだと言われても けっきょく 人びとよ おれたちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよいことだけを言っているとしか聞こえません。 (5) 聖徳うすのろ太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と排仏派の戦いになり(そう言われています)そこで前者に味方し 後者の守屋ら物部氏を亡きものにすることにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》と言っちゃってもらっちゃってもねぇ。 権力は握った 文句あっか もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっしゃいます。 (6) 無念のうちに波に呑み込まれた人たちも――つまりあるいは お二階からのでっかく酷い津波に呑まれかけたこれまでの歴史上の数多くの人たちとともに―― われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きたと いまいちど起き上がって言って欲しい。 (7) しかも・しかも 聖徳へなちょこ太子の場合には そのウタに《旅人》として歌われた・みまかれる人は のちに聖人であったと分かったと伝えられることになります。聖と聖こそ互いによくわかり合えるのだという尊き教えであります。――ちゃんちゃらおかしいわい。 (8) スサノヲ人麻呂の心意気なら 和の精神をめぐって何が大ごとだと見ますか? どこでエラーが出て来ているのでしょう?
- 貴方が全知全能の神だったら どういう世界を創るか?
全知全能の神は居ない様ですねえ もしあなたが全知全能の神だったら「この現実」ではなく どの様な世界を作りますか? 人間を作るか否か 作るならどういう風に作るか。 もしあなたの自由になるとしたら・・・どの様な世界を?創りますか
- 貴方が明日死ぬと分かったら 何をして死ぬか?
人間すぐには死なないだろうと 老後にでも楽しむかと ライフワークや道楽を取っている人もいるかもしれませんが でも何時死ぬかは誰にもわかりません。 脳溢血で植物人間になったり、死んでしまう人もいるかもしれません。 交通事故で死ぬかも。天災で死ぬかもしれません。 そうなるかもしれないと思って 死ぬまでにこれだけはやりたい事って何ですか? 人間としての本音を聞かせて欲しいのです。 何をやり残していますか。それは貴方にとって、社会にとってどういう意味があるのでしょうか? もしよかったら教えてください。
- もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・
つぎの命題をめぐって考えるところを明らかにしてください。 もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・・ ・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。 聖徳太子批判としていちど尋ねましたが この命題そのものをめぐって みなさんのお考えが聞きたいと思います。 これでよいと思っているのですが さらにいろんな角度からのご見解をつのりたいと思います。
- もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・
つぎの命題をめぐって考えるところを明らかにしてください。 もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・・ ・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。 聖徳太子批判としていちど尋ねましたが この命題そのものをめぐって みなさんのお考えが聞きたいと思います。 これでよいと思っているのですが さらにいろんな角度からのご見解をつのりたいと思います。
- 人間とロボピューター どういう関係?
人間とロボット+コンピューター どちらもそれぞれ能力の違いはありますが 将棋の電脳戦ではやっとプロ棋士が勝ち越したそうです。 今でさえロボットやコンピューターに仕事を取られて 引っ張りだこである筈の少子化の新人さんたちは職探しが大変 外国の安い労働力とも競争してるわけですが 今はまだロボピューターが高いので 人間を使ってる会社が多いですが 安いとなれば人間を大幅に減らしてロボットとコンピューターで作ろうと 言う事になるかもしれません。 本当ならロボットとコンピューターで楽を出来るはずの人間が 何故かロボピューターと競争するために 長時間低賃金労働を強いられる そうなりそうなこの社会は 何処かおかしいのではないだろうか? 介護なども人間は盆正月もGWもなくこき使われています。 失業者も多いのにどうなってるのでしょうか? 資本主義を根本的に考え直すべきなのか? 政治・経済の分野の人も その様な事が実現するとは考えてないのではないでしょうか? 人間とロボット+コンピューターの関係はどうなのでしょうか? 人間など無能だから要らないのでしょうか??
- 性質とはエネルギーの働き方、真理の現れである?
性質はただの属性ではない エネルギー保存則も言ってみれば一つの性質です。 エントロピー増大も減少も一つの性質を表しています。 性質はただの物事の特色やそれによって種類を区別されるものではなく。 事物が本来固有する真理に法った働きであり 真理の現れなのです。 性質を独立させなければなりません それはあたかも女性が男性の付属の様に見られていた頃のごとく。 千変万化のエネルギーに対して性質は真理に則って変わらずに現れる エネルギーが真理に従っているのであります。 そのエネルギー(物質)が真理に従って働く働き方が性質なのです。 そして性質は精神を形成し我々自我と成ったのです。 精神の独立を言うならこの性質の独立を認識しなければなりません。 真か偽か?
- 民主主義よりいい社会はあるか?
正義がぶつかる今 民主主義を否定する人は 宗教家陰茎者か財閥でしょうか? 共産主義者も自分達の方が民主的だと言います。 しかし民主主義の日本や西欧に問題がないかというと どうでしょうか? 資本主義を肯定して 多数決で沖縄に基地を造り、原発を再稼働して、自衛隊を軍と呼び始めました。 そんな日和見的な 今までの憲法は処世術でしたと言う様な情けない事でいいのでしょうか? 誰か民主主義よりいい思想を知りませんか? 仏教・キリスト教? イスラーム? 哲人政治? 鼓腹撃壌? ?
- 民主主義よりいい社会はあるか?
正義がぶつかる今 民主主義を否定する人は 宗教家陰茎者か財閥でしょうか? 共産主義者も自分達の方が民主的だと言います。 しかし民主主義の日本や西欧に問題がないかというと どうでしょうか? 資本主義を肯定して 多数決で沖縄に基地を造り、原発を再稼働して、自衛隊を軍と呼び始めました。 そんな日和見的な 今までの憲法は処世術でしたと言う様な情けない事でいいのでしょうか? 誰か民主主義よりいい思想を知りませんか? 仏教・キリスト教? イスラーム? 哲人政治? 鼓腹撃壌? ?