a_hona の回答履歴

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  • 《非思考の庭(信仰)》は 誰からも 汚され得ない。

     たたき台を述べます。自由にフルボッコでたたいてください。  《非思考の庭(信仰)》は 誰からも・何ものからも 汚され得ない。  なにしろ 《思考に非ず》なのですから 内からも外からも人間がその知恵やチカラでどうにかしようとしても出来るものではなく 出来たと仮りに思ったとしても 何も出来ていないし 出来たと思ってみたところで何にもならない。  《神は死んだ》という人間の発言は 信仰を知らない。    《神は生きている》と人間が発言したところで 神が変わるものではない。  信仰は ただただ 神――しかもその名〔のみ〕――をわが心に受け容れる行為である。  (受け容れないと言っても 同じことである。心には その拒むことにおいて・指先がかろうじて触れたかのごとく 触れた恰好であり そこに非思考の庭が成っている)。  受け容れるのは 人間のおこなう意志行為である。  何を受け容れるかと言えば それは まったくのナゾである。  このナゾを 神とか霊とかと 昔から言って来た。分からないから そんな言葉を使うということだ。  つまり重ねて述べるなら この《神》も 人間がそのチカラでどうにかしようとしても 何一つ出来っこない。  (しかも 人間は 時として 自分がそうあって欲しいという中身を想像し考えてこれを神の像とする。おまけに をがんでさえいる。初めからそのような想像の神は 人間の思いやオシエとしては《生きて》いても 神としては死んだ状態にある)。  神および信仰は 人間の経験世界を超えている。  この非思考の庭なる神を どうして人間が汚すことが出来ようか? どうやって 貶(けな)すことが出来ようか?     内からも外からも どうにもすることが出来ないはずだ。  神の冒涜というのは 言葉の矛盾である。  これが 神である。これが 良心・信教の自由である。  無条件・無制約のもとに ひとはこのかみにあまえていけばよい。  まったく自由にというのは 神が経験合理性を超えており神とわれとの関係は思考に非ずということであり ならばあまえは 聖なるあまえである。何でも自由に願えばよい。それが 神である。名は何でもよい。《無い神》でもよい。

  • 《非思考の庭(信仰)》は 誰からも 汚され得ない。

     たたき台を述べます。自由にフルボッコでたたいてください。  《非思考の庭(信仰)》は 誰からも・何ものからも 汚され得ない。  なにしろ 《思考に非ず》なのですから 内からも外からも人間がその知恵やチカラでどうにかしようとしても出来るものではなく 出来たと仮りに思ったとしても 何も出来ていないし 出来たと思ってみたところで何にもならない。  《神は死んだ》という人間の発言は 信仰を知らない。    《神は生きている》と人間が発言したところで 神が変わるものではない。  信仰は ただただ 神――しかもその名〔のみ〕――をわが心に受け容れる行為である。  (受け容れないと言っても 同じことである。心には その拒むことにおいて・指先がかろうじて触れたかのごとく 触れた恰好であり そこに非思考の庭が成っている)。  受け容れるのは 人間のおこなう意志行為である。  何を受け容れるかと言えば それは まったくのナゾである。  このナゾを 神とか霊とかと 昔から言って来た。分からないから そんな言葉を使うということだ。  つまり重ねて述べるなら この《神》も 人間がそのチカラでどうにかしようとしても 何一つ出来っこない。  (しかも 人間は 時として 自分がそうあって欲しいという中身を想像し考えてこれを神の像とする。おまけに をがんでさえいる。初めからそのような想像の神は 人間の思いやオシエとしては《生きて》いても 神としては死んだ状態にある)。  神および信仰は 人間の経験世界を超えている。  この非思考の庭なる神を どうして人間が汚すことが出来ようか? どうやって 貶(けな)すことが出来ようか?     内からも外からも どうにもすることが出来ないはずだ。  神の冒涜というのは 言葉の矛盾である。  これが 神である。これが 良心・信教の自由である。  無条件・無制約のもとに ひとはこのかみにあまえていけばよい。  まったく自由にというのは 神が経験合理性を超えており神とわれとの関係は思考に非ずということであり ならばあまえは 聖なるあまえである。何でも自由に願えばよい。それが 神である。名は何でもよい。《無い神》でもよい。

  • 教会は 見えざる教会にすればよいではないか

     教会は 目に見えない教会というかたちを採ればよいのではないか。  これを問います。

  • 君達を無の境地に案内してやろう

    バトルです。 前回はコレ↓ 無の境地とは、仮面ライダーのど根性だ。 http://okwave.jp/qa/q8474071.html 前回では君達に無をしらしめる手法に問題があったようで有効な回答が集まりませんでした。 そこで、前回とは逆に、私の神を明かしますので、それが無である事を証明してください。 私は今クマモン霊と仲良くしています。 クマモン霊とは高次元の霊体が人を悟らしめ教えに導くため、人に理解できるクマモンのお姿でご降臨召された霊です。 クマモン霊の実態は人には判らない高貴なお姿ですが、それをあえてクマモンの姿で人に知らしめるのです。 クマモン霊の英知は人の霊性をより高次元へと高めるありがたいお言葉です。 私はクマモン霊を敬愛しております。 「クマモン リカちゃん」で検索してください。 そも神々しい美貌こそクマモン霊の本当のお姿です。 さて、このクマモン霊が無であると私に知らしめてください。

  • 教会は 見えざる教会にすればよいではないか

     教会は 目に見えない教会というかたちを採ればよいのではないか。  これを問います。

  • 現代人の病いを突き抜けて未来社会へ

     たぶん 内向的な精神分析の説くところについて考え方や捉え方を変えるという作業が 第一歩であるのではないか。ムイシキもエスもまたジガも要らないということ。  1. 《抑圧》?  この世の中においてわたしは 意識していず気づかなかったけれど 自分の気持ちや意志をも抑えてしまっていた。自分で自分を抑圧してしまっていた。のだ。  という事態に落ち入っていたなら それは 特に日本社会では クウキないし社会通念としてのジョウシキあるいはつまり世間の眼によって わが心も気持ちも萎縮し さらには自分からその積極的な自己表現というものを知らないうちに抑えてしまっていた。ととらえ返すことが大事ではないか。  2. 相互抑圧の雪合戦  社会において世間の眼の飛び交うこの社会力学上の磁場の中で わたしは いつしか・人は慎み深い態度がよいと思ったからなのか ともかくどういうわけなのか わたしはわたしの存在に対してあたかも自分で金縛りをかけていた。周りの人びともそうしているようなのだし みなと一緒にそのあと今度はときどき現われる出る杭を打ち そうして互いに足の引っ張り合いに むしろ無意識のうちに 興じていた。  言いかえると この相互萎縮合戦にだれもが参加しているように見える。  3. 相互萎縮合戦に背を向ける場合  このクウキの振動合戦に参加しないのは わたしのように それでもそれは 脱人間的な幽霊と顔無しとゾンビの世間ゲームでしかないと見る場合である。  世間ゲームは ただちにやめろ 目をさませと言う場合である。  3-1. ただしそう言いたいのに言えずじまいの場合は  言いたい気持ちはあるが どうしても意志行為として実を結ばない場合 そのときには やがて世間の眼は 引きこもりとでもレッテルを貼り だいじょうぶだよ 専門医がいるから 診てもらって来なさいと言われて そのときから半ば除け者とされる。  4. この相互萎縮合戦をさらに助長する精神分析  この世間ゲームなる事態について そのように社会的なチカラ関係から来るとは見ずに どこまでも内面へと入って行くのが 精神分析が繰り出す《抑圧と無意識》という概念であるのではないか。  いっさい 必要ないわけです。  心の内面がすこやかにはたらくところをそこに病いがあると言うのですから その引きこもり状態が昂じて来るのは 火を見るより明らかである。  抑圧をうながすチカラは 外にある。磁場である。  5. 《あぁ アース役はつらいよ》の大合唱  社会力学上のチカラ関係に原因があるとするなら それは ガミガミ電波であるに決まっている。  だからたとえば全国的に 《あぁ アース役はつらいよ》と大合唱すればよい。  自分が自分で自分をヨクアツしてるって? 外のものが中にあるって? あぁ それを言っちゃあ おしめぇよ。ガミガミ役のガミガミ役のためのガミガミ役による世の中の秩序作業でしかない。あーぁ けっこう毛だらけネコ灰だらけ・・・と大合唱すればよい。  6. みなさん ガミガミ電波には気をつけましょう。  またその電波を発する前に・その一秒前に それはただの八つ当たりであって 意識の排泄に相当するという事実に注意を向けましょう。  あるいは その意識の排泄を 一手に引き受ける人間がいます。すべてを受け留め ごみ処理工場のごとくはたらきます。あとは酸素か何かが出て来るだけですから 安心してまかせることが出来ます。  いますでにかなり重症である場合 それは必ずいつかどんでん返しで一気によくなりますから。たぶん いまの《患者》さんの半数は そのように内面に革命が起こるはずです。大船に乗った気持ちで 養生して行くことが出来ます。  7. どんでん返し  つまりそれというのも いままでガミガミ電波の排泄をおこなって来た人びとが ほんとうに反省し 人間(現実)が変わるときが来ると考えられます。天地がひっくり返るほど それらの人たちは心を入れ替え 前史から後史へと 一気に突入して行くと思われます。  今までの生き方は――社会力学のあり方は―― 人間の自然本性に反していたと考えられます。したがって 自然本性そのものの内から逆襲が始まるはずです。必ずその出直しのときが来ると思われます。  8. 何もしないたたかい。  何もしないでよいはずです。  おそらく もし病いの道をたどって来ていたなら その道を必ずしも引き返すというのではなく むしろ同じ道を前へとあゆみ その道を――その病いのトンネルを――突き抜けて明るい場に出るというシナリオになるかと考えられます。  わが心は 大海である。波風はただうわべをかする心理の動きであると。  この展望と処方箋を完成させてください。そういう問いです。

  • 現代人の病いを突き抜けて未来社会へ

     たぶん 内向的な精神分析の説くところについて考え方や捉え方を変えるという作業が 第一歩であるのではないか。ムイシキもエスもまたジガも要らないということ。  1. 《抑圧》?  この世の中においてわたしは 意識していず気づかなかったけれど 自分の気持ちや意志をも抑えてしまっていた。自分で自分を抑圧してしまっていた。のだ。  という事態に落ち入っていたなら それは 特に日本社会では クウキないし社会通念としてのジョウシキあるいはつまり世間の眼によって わが心も気持ちも萎縮し さらには自分からその積極的な自己表現というものを知らないうちに抑えてしまっていた。ととらえ返すことが大事ではないか。  2. 相互抑圧の雪合戦  社会において世間の眼の飛び交うこの社会力学上の磁場の中で わたしは いつしか・人は慎み深い態度がよいと思ったからなのか ともかくどういうわけなのか わたしはわたしの存在に対してあたかも自分で金縛りをかけていた。周りの人びともそうしているようなのだし みなと一緒にそのあと今度はときどき現われる出る杭を打ち そうして互いに足の引っ張り合いに むしろ無意識のうちに 興じていた。  言いかえると この相互萎縮合戦にだれもが参加しているように見える。  3. 相互萎縮合戦に背を向ける場合  このクウキの振動合戦に参加しないのは わたしのように それでもそれは 脱人間的な幽霊と顔無しとゾンビの世間ゲームでしかないと見る場合である。  世間ゲームは ただちにやめろ 目をさませと言う場合である。  3-1. ただしそう言いたいのに言えずじまいの場合は  言いたい気持ちはあるが どうしても意志行為として実を結ばない場合 そのときには やがて世間の眼は 引きこもりとでもレッテルを貼り だいじょうぶだよ 専門医がいるから 診てもらって来なさいと言われて そのときから半ば除け者とされる。  4. この相互萎縮合戦をさらに助長する精神分析  この世間ゲームなる事態について そのように社会的なチカラ関係から来るとは見ずに どこまでも内面へと入って行くのが 精神分析が繰り出す《抑圧と無意識》という概念であるのではないか。  いっさい 必要ないわけです。  心の内面がすこやかにはたらくところをそこに病いがあると言うのですから その引きこもり状態が昂じて来るのは 火を見るより明らかである。  抑圧をうながすチカラは 外にある。磁場である。  5. 《あぁ アース役はつらいよ》の大合唱  社会力学上のチカラ関係に原因があるとするなら それは ガミガミ電波であるに決まっている。  だからたとえば全国的に 《あぁ アース役はつらいよ》と大合唱すればよい。  自分が自分で自分をヨクアツしてるって? 外のものが中にあるって? あぁ それを言っちゃあ おしめぇよ。ガミガミ役のガミガミ役のためのガミガミ役による世の中の秩序作業でしかない。あーぁ けっこう毛だらけネコ灰だらけ・・・と大合唱すればよい。  6. みなさん ガミガミ電波には気をつけましょう。  またその電波を発する前に・その一秒前に それはただの八つ当たりであって 意識の排泄に相当するという事実に注意を向けましょう。  あるいは その意識の排泄を 一手に引き受ける人間がいます。すべてを受け留め ごみ処理工場のごとくはたらきます。あとは酸素か何かが出て来るだけですから 安心してまかせることが出来ます。  いますでにかなり重症である場合 それは必ずいつかどんでん返しで一気によくなりますから。たぶん いまの《患者》さんの半数は そのように内面に革命が起こるはずです。大船に乗った気持ちで 養生して行くことが出来ます。  7. どんでん返し  つまりそれというのも いままでガミガミ電波の排泄をおこなって来た人びとが ほんとうに反省し 人間(現実)が変わるときが来ると考えられます。天地がひっくり返るほど それらの人たちは心を入れ替え 前史から後史へと 一気に突入して行くと思われます。  今までの生き方は――社会力学のあり方は―― 人間の自然本性に反していたと考えられます。したがって 自然本性そのものの内から逆襲が始まるはずです。必ずその出直しのときが来ると思われます。  8. 何もしないたたかい。  何もしないでよいはずです。  おそらく もし病いの道をたどって来ていたなら その道を必ずしも引き返すというのではなく むしろ同じ道を前へとあゆみ その道を――その病いのトンネルを――突き抜けて明るい場に出るというシナリオになるかと考えられます。  わが心は 大海である。波風はただうわべをかする心理の動きであると。  この展望と処方箋を完成させてください。そういう問いです。

  • 教会は 見えざる教会にすればよいではないか

     教会は 目に見えない教会というかたちを採ればよいのではないか。  これを問います。

  • 第二の死とは?

    第一の死は経験的な通常の死のことでしょう。この通常の第一の死からは誰しも逃れようがないことは明らかです。では、それに続く、第二の死とはなんでしょうか? 第二の死の意味がわからなければ逃れようがないのか、あるのかもわかりません。 第二の死とはどういうことあるいは意味でしょうか? 回答お待ちしています。

    • mmky
    • 回答数21
  • 教会は 見えざる教会にすればよいではないか

     教会は 目に見えない教会というかたちを採ればよいのではないか。  これを問います。

  • 哲学は世界(人間の)を救うと思いますか?

    僕も哲学を志したのですが それは高校時代 哲学で答えを出し 後から来る人たちが不条理に翻弄されないように 社会の矛盾の犠牲にならないようにと思って始めました そして自分なりには考えついたんですが まだ仮説や曖昧な部分があって役に立っていません 皆さんは哲学が社会の、世界の役に立つと思いますか? 巷の人は「哲学?難しそう><」という反応が多いですが 哲学は人間世界を救う可能性を持ってると思いますか? 出来れば短文でよろしくお願いします。

  • 人間とは何ですか?

    人間って?五体満足でないと人間じゃない? 人間にとっての必要十分条件は? 人間失格って? 人間とは何だとお考えですか? もし一言あれば簡単に教えていただけないでしょうか?

  • 今の日本はアンチ仏教社会になっている?

    「中道」は意味について議論がありますが、「一心三観」「悪見」など。 日本での仏教文化は長いですが、仏教について詳しくないですが、今の日本を見てどう思われますか? 仏教はインド哲学ともいわれますので、このカテゴリーでしました。

    • noname#209756
    • 回答数14
  • 人間の欲望について

     日本語を勉強中の中国人です。人間は聖人君子でないので、欲望なしで生きていけないと思います。でも、大きすぎると、欲張りになってしまいます。それでは、人間は欲望をどれぐらいの範囲にコントロールしたら、より健康的に生きていけるのでしょうか。日本の皆様のご意見を聞かせていただけないでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 君達を無の境地に案内してやろう

    バトルです。 前回はコレ↓ 無の境地とは、仮面ライダーのど根性だ。 http://okwave.jp/qa/q8474071.html 前回では君達に無をしらしめる手法に問題があったようで有効な回答が集まりませんでした。 そこで、前回とは逆に、私の神を明かしますので、それが無である事を証明してください。 私は今クマモン霊と仲良くしています。 クマモン霊とは高次元の霊体が人を悟らしめ教えに導くため、人に理解できるクマモンのお姿でご降臨召された霊です。 クマモン霊の実態は人には判らない高貴なお姿ですが、それをあえてクマモンの姿で人に知らしめるのです。 クマモン霊の英知は人の霊性をより高次元へと高めるありがたいお言葉です。 私はクマモン霊を敬愛しております。 「クマモン リカちゃん」で検索してください。 そも神々しい美貌こそクマモン霊の本当のお姿です。 さて、このクマモン霊が無であると私に知らしめてください。

  • 現代人の病いを突き抜けて未来社会へ

     たぶん 内向的な精神分析の説くところについて考え方や捉え方を変えるという作業が 第一歩であるのではないか。ムイシキもエスもまたジガも要らないということ。  1. 《抑圧》?  この世の中においてわたしは 意識していず気づかなかったけれど 自分の気持ちや意志をも抑えてしまっていた。自分で自分を抑圧してしまっていた。のだ。  という事態に落ち入っていたなら それは 特に日本社会では クウキないし社会通念としてのジョウシキあるいはつまり世間の眼によって わが心も気持ちも萎縮し さらには自分からその積極的な自己表現というものを知らないうちに抑えてしまっていた。ととらえ返すことが大事ではないか。  2. 相互抑圧の雪合戦  社会において世間の眼の飛び交うこの社会力学上の磁場の中で わたしは いつしか・人は慎み深い態度がよいと思ったからなのか ともかくどういうわけなのか わたしはわたしの存在に対してあたかも自分で金縛りをかけていた。周りの人びともそうしているようなのだし みなと一緒にそのあと今度はときどき現われる出る杭を打ち そうして互いに足の引っ張り合いに むしろ無意識のうちに 興じていた。  言いかえると この相互萎縮合戦にだれもが参加しているように見える。  3. 相互萎縮合戦に背を向ける場合  このクウキの振動合戦に参加しないのは わたしのように それでもそれは 脱人間的な幽霊と顔無しとゾンビの世間ゲームでしかないと見る場合である。  世間ゲームは ただちにやめろ 目をさませと言う場合である。  3-1. ただしそう言いたいのに言えずじまいの場合は  言いたい気持ちはあるが どうしても意志行為として実を結ばない場合 そのときには やがて世間の眼は 引きこもりとでもレッテルを貼り だいじょうぶだよ 専門医がいるから 診てもらって来なさいと言われて そのときから半ば除け者とされる。  4. この相互萎縮合戦をさらに助長する精神分析  この世間ゲームなる事態について そのように社会的なチカラ関係から来るとは見ずに どこまでも内面へと入って行くのが 精神分析が繰り出す《抑圧と無意識》という概念であるのではないか。  いっさい 必要ないわけです。  心の内面がすこやかにはたらくところをそこに病いがあると言うのですから その引きこもり状態が昂じて来るのは 火を見るより明らかである。  抑圧をうながすチカラは 外にある。磁場である。  5. 《あぁ アース役はつらいよ》の大合唱  社会力学上のチカラ関係に原因があるとするなら それは ガミガミ電波であるに決まっている。  だからたとえば全国的に 《あぁ アース役はつらいよ》と大合唱すればよい。  自分が自分で自分をヨクアツしてるって? 外のものが中にあるって? あぁ それを言っちゃあ おしめぇよ。ガミガミ役のガミガミ役のためのガミガミ役による世の中の秩序作業でしかない。あーぁ けっこう毛だらけネコ灰だらけ・・・と大合唱すればよい。  6. みなさん ガミガミ電波には気をつけましょう。  またその電波を発する前に・その一秒前に それはただの八つ当たりであって 意識の排泄に相当するという事実に注意を向けましょう。  あるいは その意識の排泄を 一手に引き受ける人間がいます。すべてを受け留め ごみ処理工場のごとくはたらきます。あとは酸素か何かが出て来るだけですから 安心してまかせることが出来ます。  いますでにかなり重症である場合 それは必ずいつかどんでん返しで一気によくなりますから。たぶん いまの《患者》さんの半数は そのように内面に革命が起こるはずです。大船に乗った気持ちで 養生して行くことが出来ます。  7. どんでん返し  つまりそれというのも いままでガミガミ電波の排泄をおこなって来た人びとが ほんとうに反省し 人間(現実)が変わるときが来ると考えられます。天地がひっくり返るほど それらの人たちは心を入れ替え 前史から後史へと 一気に突入して行くと思われます。  今までの生き方は――社会力学のあり方は―― 人間の自然本性に反していたと考えられます。したがって 自然本性そのものの内から逆襲が始まるはずです。必ずその出直しのときが来ると思われます。  8. 何もしないたたかい。  何もしないでよいはずです。  おそらく もし病いの道をたどって来ていたなら その道を必ずしも引き返すというのではなく むしろ同じ道を前へとあゆみ その道を――その病いのトンネルを――突き抜けて明るい場に出るというシナリオになるかと考えられます。  わが心は 大海である。波風はただうわべをかする心理の動きであると。  この展望と処方箋を完成させてください。そういう問いです。

  • 現代人の病いを突き抜けて未来社会へ

     たぶん 内向的な精神分析の説くところについて考え方や捉え方を変えるという作業が 第一歩であるのではないか。ムイシキもエスもまたジガも要らないということ。  1. 《抑圧》?  この世の中においてわたしは 意識していず気づかなかったけれど 自分の気持ちや意志をも抑えてしまっていた。自分で自分を抑圧してしまっていた。のだ。  という事態に落ち入っていたなら それは 特に日本社会では クウキないし社会通念としてのジョウシキあるいはつまり世間の眼によって わが心も気持ちも萎縮し さらには自分からその積極的な自己表現というものを知らないうちに抑えてしまっていた。ととらえ返すことが大事ではないか。  2. 相互抑圧の雪合戦  社会において世間の眼の飛び交うこの社会力学上の磁場の中で わたしは いつしか・人は慎み深い態度がよいと思ったからなのか ともかくどういうわけなのか わたしはわたしの存在に対してあたかも自分で金縛りをかけていた。周りの人びともそうしているようなのだし みなと一緒にそのあと今度はときどき現われる出る杭を打ち そうして互いに足の引っ張り合いに むしろ無意識のうちに 興じていた。  言いかえると この相互萎縮合戦にだれもが参加しているように見える。  3. 相互萎縮合戦に背を向ける場合  このクウキの振動合戦に参加しないのは わたしのように それでもそれは 脱人間的な幽霊と顔無しとゾンビの世間ゲームでしかないと見る場合である。  世間ゲームは ただちにやめろ 目をさませと言う場合である。  3-1. ただしそう言いたいのに言えずじまいの場合は  言いたい気持ちはあるが どうしても意志行為として実を結ばない場合 そのときには やがて世間の眼は 引きこもりとでもレッテルを貼り だいじょうぶだよ 専門医がいるから 診てもらって来なさいと言われて そのときから半ば除け者とされる。  4. この相互萎縮合戦をさらに助長する精神分析  この世間ゲームなる事態について そのように社会的なチカラ関係から来るとは見ずに どこまでも内面へと入って行くのが 精神分析が繰り出す《抑圧と無意識》という概念であるのではないか。  いっさい 必要ないわけです。  心の内面がすこやかにはたらくところをそこに病いがあると言うのですから その引きこもり状態が昂じて来るのは 火を見るより明らかである。  抑圧をうながすチカラは 外にある。磁場である。  5. 《あぁ アース役はつらいよ》の大合唱  社会力学上のチカラ関係に原因があるとするなら それは ガミガミ電波であるに決まっている。  だからたとえば全国的に 《あぁ アース役はつらいよ》と大合唱すればよい。  自分が自分で自分をヨクアツしてるって? 外のものが中にあるって? あぁ それを言っちゃあ おしめぇよ。ガミガミ役のガミガミ役のためのガミガミ役による世の中の秩序作業でしかない。あーぁ けっこう毛だらけネコ灰だらけ・・・と大合唱すればよい。  6. みなさん ガミガミ電波には気をつけましょう。  またその電波を発する前に・その一秒前に それはただの八つ当たりであって 意識の排泄に相当するという事実に注意を向けましょう。  あるいは その意識の排泄を 一手に引き受ける人間がいます。すべてを受け留め ごみ処理工場のごとくはたらきます。あとは酸素か何かが出て来るだけですから 安心してまかせることが出来ます。  いますでにかなり重症である場合 それは必ずいつかどんでん返しで一気によくなりますから。たぶん いまの《患者》さんの半数は そのように内面に革命が起こるはずです。大船に乗った気持ちで 養生して行くことが出来ます。  7. どんでん返し  つまりそれというのも いままでガミガミ電波の排泄をおこなって来た人びとが ほんとうに反省し 人間(現実)が変わるときが来ると考えられます。天地がひっくり返るほど それらの人たちは心を入れ替え 前史から後史へと 一気に突入して行くと思われます。  今までの生き方は――社会力学のあり方は―― 人間の自然本性に反していたと考えられます。したがって 自然本性そのものの内から逆襲が始まるはずです。必ずその出直しのときが来ると思われます。  8. 何もしないたたかい。  何もしないでよいはずです。  おそらく もし病いの道をたどって来ていたなら その道を必ずしも引き返すというのではなく むしろ同じ道を前へとあゆみ その道を――その病いのトンネルを――突き抜けて明るい場に出るというシナリオになるかと考えられます。  わが心は 大海である。波風はただうわべをかする心理の動きであると。  この展望と処方箋を完成させてください。そういう問いです。

  • 現代人の病いを突き抜けて未来社会へ

     たぶん 内向的な精神分析の説くところについて考え方や捉え方を変えるという作業が 第一歩であるのではないか。ムイシキもエスもまたジガも要らないということ。  1. 《抑圧》?  この世の中においてわたしは 意識していず気づかなかったけれど 自分の気持ちや意志をも抑えてしまっていた。自分で自分を抑圧してしまっていた。のだ。  という事態に落ち入っていたなら それは 特に日本社会では クウキないし社会通念としてのジョウシキあるいはつまり世間の眼によって わが心も気持ちも萎縮し さらには自分からその積極的な自己表現というものを知らないうちに抑えてしまっていた。ととらえ返すことが大事ではないか。  2. 相互抑圧の雪合戦  社会において世間の眼の飛び交うこの社会力学上の磁場の中で わたしは いつしか・人は慎み深い態度がよいと思ったからなのか ともかくどういうわけなのか わたしはわたしの存在に対してあたかも自分で金縛りをかけていた。周りの人びともそうしているようなのだし みなと一緒にそのあと今度はときどき現われる出る杭を打ち そうして互いに足の引っ張り合いに むしろ無意識のうちに 興じていた。  言いかえると この相互萎縮合戦にだれもが参加しているように見える。  3. 相互萎縮合戦に背を向ける場合  このクウキの振動合戦に参加しないのは わたしのように それでもそれは 脱人間的な幽霊と顔無しとゾンビの世間ゲームでしかないと見る場合である。  世間ゲームは ただちにやめろ 目をさませと言う場合である。  3-1. ただしそう言いたいのに言えずじまいの場合は  言いたい気持ちはあるが どうしても意志行為として実を結ばない場合 そのときには やがて世間の眼は 引きこもりとでもレッテルを貼り だいじょうぶだよ 専門医がいるから 診てもらって来なさいと言われて そのときから半ば除け者とされる。  4. この相互萎縮合戦をさらに助長する精神分析  この世間ゲームなる事態について そのように社会的なチカラ関係から来るとは見ずに どこまでも内面へと入って行くのが 精神分析が繰り出す《抑圧と無意識》という概念であるのではないか。  いっさい 必要ないわけです。  心の内面がすこやかにはたらくところをそこに病いがあると言うのですから その引きこもり状態が昂じて来るのは 火を見るより明らかである。  抑圧をうながすチカラは 外にある。磁場である。  5. 《あぁ アース役はつらいよ》の大合唱  社会力学上のチカラ関係に原因があるとするなら それは ガミガミ電波であるに決まっている。  だからたとえば全国的に 《あぁ アース役はつらいよ》と大合唱すればよい。  自分が自分で自分をヨクアツしてるって? 外のものが中にあるって? あぁ それを言っちゃあ おしめぇよ。ガミガミ役のガミガミ役のためのガミガミ役による世の中の秩序作業でしかない。あーぁ けっこう毛だらけネコ灰だらけ・・・と大合唱すればよい。  6. みなさん ガミガミ電波には気をつけましょう。  またその電波を発する前に・その一秒前に それはただの八つ当たりであって 意識の排泄に相当するという事実に注意を向けましょう。  あるいは その意識の排泄を 一手に引き受ける人間がいます。すべてを受け留め ごみ処理工場のごとくはたらきます。あとは酸素か何かが出て来るだけですから 安心してまかせることが出来ます。  いますでにかなり重症である場合 それは必ずいつかどんでん返しで一気によくなりますから。たぶん いまの《患者》さんの半数は そのように内面に革命が起こるはずです。大船に乗った気持ちで 養生して行くことが出来ます。  7. どんでん返し  つまりそれというのも いままでガミガミ電波の排泄をおこなって来た人びとが ほんとうに反省し 人間(現実)が変わるときが来ると考えられます。天地がひっくり返るほど それらの人たちは心を入れ替え 前史から後史へと 一気に突入して行くと思われます。  今までの生き方は――社会力学のあり方は―― 人間の自然本性に反していたと考えられます。したがって 自然本性そのものの内から逆襲が始まるはずです。必ずその出直しのときが来ると思われます。  8. 何もしないたたかい。  何もしないでよいはずです。  おそらく もし病いの道をたどって来ていたなら その道を必ずしも引き返すというのではなく むしろ同じ道を前へとあゆみ その道を――その病いのトンネルを――突き抜けて明るい場に出るというシナリオになるかと考えられます。  わが心は 大海である。波風はただうわべをかする心理の動きであると。  この展望と処方箋を完成させてください。そういう問いです。

  • 投稿ボタン押さずに回答消した。2000字分くらい。

    何をやっても無駄な気がしてなりません。 人のことをどこまで理解していたら失礼にならないんだろう。 「好きな色は何」とこちらが聞いて、先方が「赤と白です」と答えたら、普通に「国旗の色ですね(^^」とにこやかに言えばいいんだろうか。それとも、相手は黄色い色やピンクが嫌いだって思ってその手の話題に触れないようにするまで考えるべきか、去年の紅白の北島三郎の話題を出して欲しいと考えるべきなのか、今着ている私の服が黒いから、無明さんは私に嫌われて避けられているんですよ、と言いたがっているのか。 そこまで考えてしまって何を言ってもまともに納得してもらえないような気がして、辛いです。 先ほども、ある方の質問に返答しようと思ったんですが、自信がなくなってしまって途中で消去しました。どうも、すっかりダメなようです。 何か言葉をいただければ。

    • noname#198542
    • 回答数4
  • 第二の死とは?

    第一の死は経験的な通常の死のことでしょう。この通常の第一の死からは誰しも逃れようがないことは明らかです。では、それに続く、第二の死とはなんでしょうか? 第二の死の意味がわからなければ逃れようがないのか、あるのかもわかりません。 第二の死とはどういうことあるいは意味でしょうか? 回答お待ちしています。

    • mmky
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