amenhotep2000 の回答履歴

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  • 《嫌いだけど》・・・

    ●よく、好きなことは続ける事が出来ると言いますが、逆に嫌いなことを好きになって続ける方法はあると思いますか?ちなみに、あなたが好きなケーキを教えてください。(モンブラン食べたい・・・)

    • sssv
    • 回答数7
  • ハゲのパラドックス

    ハゲに髪の毛を1本足してもハゲである。→(       )→すべての人間はハゲである。 この(  )の部分に入る言葉がわかりません。パラドックスの定義で教えてください。

    • ponyo7
    • 回答数6
  • ヒトは二度造られた?(創世記)

     聖書・創世記には 神がヒトを創造したという記事が二度出て来ます。二度ってどういうことか? について問います。  ○ 一度目:  ▲ (創世記1章 27節) ~~~~~~~~  神は御自分にかたどって人を創造された。  神にかたどって創造された。  男と女に創造された。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ○ 二度目は込み入っています。:  ▲ (創世記 2:7-24 ) ~~~~~~~~~  7: 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。  8: 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。  ・・・  18: 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」  19: 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。  20: 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。  21: 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。  22: そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、  23: 人は言った。   「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。   これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう   まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」  24: こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。  ・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 単純に解釈するなら 二度目は ヒトに男と女との区別があることを述べたまでという見方があります。しかし 一度目にすでに 男と女との性差については述べてある。  ほかに解釈はありますか?  また 問題はありますか?   一度造られているのに ふたたび造ったというところは おかしいと考えられます。  これは 聖書記者〔グループ〕が分かれていて それぞれの書いた記事をともに採用し載せたという見方があるようです。  そのほか自由なご意見をどうぞ。

  • ヒトは二度造られた?(創世記)

     聖書・創世記には 神がヒトを創造したという記事が二度出て来ます。二度ってどういうことか? について問います。  ○ 一度目:  ▲ (創世記1章 27節) ~~~~~~~~  神は御自分にかたどって人を創造された。  神にかたどって創造された。  男と女に創造された。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ○ 二度目は込み入っています。:  ▲ (創世記 2:7-24 ) ~~~~~~~~~  7: 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。  8: 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。  ・・・  18: 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」  19: 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。  20: 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。  21: 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。  22: そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、  23: 人は言った。   「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。   これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう   まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」  24: こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。  ・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 単純に解釈するなら 二度目は ヒトに男と女との区別があることを述べたまでという見方があります。しかし 一度目にすでに 男と女との性差については述べてある。  ほかに解釈はありますか?  また 問題はありますか?   一度造られているのに ふたたび造ったというところは おかしいと考えられます。  これは 聖書記者〔グループ〕が分かれていて それぞれの書いた記事をともに採用し載せたという見方があるようです。  そのほか自由なご意見をどうぞ。

  • 哲学する人間は 触媒ではない。

    同意したくないなら、回答する場所はこちら。 哲学する人間は 触媒である。 http://okwave.jp/qa/q8866566.html どちらの質問者も喜ぶ。これでまるくおさまるのではないか?

  • 哲学する人間は 触媒である。

     以下を問います。  カタリストという言葉は 《壊す》という意味から来ているそうな。  あたかも《つるぎを投げ入れる》かのごとくに。  つまり哲学するという生き方は それぞれがあたかもちいさなキリストになることである。  相手がけっきょくわれに還ることをうながす。  そういう化学反応が その相手に起こる。  こちらは さして変わらない。  もしくは ミラーニューロン現象にて同じように振る舞うように成る。  化学反応が完成すれば こちらも何ごともなかったように元にもどる。  カタリスト=触媒である。  韓国人は 話が出来ないというきちがい状態に落ち入っている。  また 事大主義というのは アマテラス予備軍症候群である。  これに対して触媒たらざるを得ないと思う。  中国人は 覇者たらんとすることしか頭にない。  アマアガリ・シンドロームである。  これに対して 面と向かって話をすすめて行くカタリストたらざるを得ないではないか。    欧米人は ただ自分たちの世界認識の枠をよその人びとに向けて嵌めようとする。  宗教も倫理も科学も人格もみな 世界の模範であると思い込んでいる。  表向きウワベだけ《われに還る》かたちである。  生きたわれに立ち還るように 哲学の徒は 触媒となって癒してやらざるを得ない。    哲学が自然の振る舞いであるにほんじんが ほかのアジアの人びとと一緒に世界の人びとに向けて触媒となって化学反応を推し進めて行くのが これからのときである。  ときは満ちたであろうか。

  • 哲学する人間は 触媒である。

     以下を問います。  カタリストという言葉は 《壊す》という意味から来ているそうな。  あたかも《つるぎを投げ入れる》かのごとくに。  つまり哲学するという生き方は それぞれがあたかもちいさなキリストになることである。  相手がけっきょくわれに還ることをうながす。  そういう化学反応が その相手に起こる。  こちらは さして変わらない。  もしくは ミラーニューロン現象にて同じように振る舞うように成る。  化学反応が完成すれば こちらも何ごともなかったように元にもどる。  カタリスト=触媒である。  韓国人は 話が出来ないというきちがい状態に落ち入っている。  また 事大主義というのは アマテラス予備軍症候群である。  これに対して触媒たらざるを得ないと思う。  中国人は 覇者たらんとすることしか頭にない。  アマアガリ・シンドロームである。  これに対して 面と向かって話をすすめて行くカタリストたらざるを得ないではないか。    欧米人は ただ自分たちの世界認識の枠をよその人びとに向けて嵌めようとする。  宗教も倫理も科学も人格もみな 世界の模範であると思い込んでいる。  表向きウワベだけ《われに還る》かたちである。  生きたわれに立ち還るように 哲学の徒は 触媒となって癒してやらざるを得ない。    哲学が自然の振る舞いであるにほんじんが ほかのアジアの人びとと一緒に世界の人びとに向けて触媒となって化学反応を推し進めて行くのが これからのときである。  ときは満ちたであろうか。

  • 人は変わるものでしょうか、変わらないものでしょうか

    今年の冬も、帰れません。 ときどき何のために生きているのか分からなくなります。

  • アンドロイドは女王様の夢を見るか?

    とんちのような話なので、とりあえずこのカテゴリーで質問してみます。 見た目も仕草も言動も人間とそっくりなロボット、いわゆるアンドロイドが出来たとして、そういうのが普及する推進力となるのは…なんだかんだ言ってもエロだと思います。 パートナーを作れない人や、生身の人間より魅力を感じる人がそういうのに走ったり、生身の人間相手にやるのははばかられるようなアレやコレやをロボット相手にしちゃう輩が出てくるでしょう。 そこでふと思ったのですが、SMの責め側、女王様の役をアンドロイドにやってもらうことは可能でしょうか? ムチで叩いてもらったりロウソク垂らしてもらったり踏みつけにしてもらったり…。 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。 ロボット工学3原則の一条と二条に引っかかるためどう足掻いてもムリでしょうか? うまいことこれに引っかからないようにいぢめて貰うにはどうすればいいでしょうか?

  • ヘーゲルを補完する

    ヘーゲルと言えば、弁証法 正→反→合 ですが、正→正→正 であっても歴史は発展すると思います。同意していくことによる発展が考えられます。 これにについて、思うことがあればどうぞ。

  • ヘーゲルを補完する

    ヘーゲルと言えば、弁証法 正→反→合 ですが、正→正→正 であっても歴史は発展すると思います。同意していくことによる発展が考えられます。 これにについて、思うことがあればどうぞ。

  • 油絵(風景画)の感想を聞かせて下さい

    油絵を描きました。 皆さんからの意見をお聞きしたいです。 感じたままで結構ですのでお願いします。 以後の参考にしたいと思っております。 よろしくお願いします。

  • 油絵(風景画)の感想を聞かせて下さい

    油絵を描きました。 一人で見ているのもつまらないので 皆さんからの意見をお聞きしたいです。 感じたままで結構ですのでお願いします。 以後の参考にしたいと思っております。 よろしくお願いします。

  • キリスト教の成立と初期の発展とは、地域に関して

    ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、一神教に分類されています。 一神教は、乾燥した、砂漠に近い場所で成立した、という見解があります。 ところで、キリスト教は、初期の段階では、南欧を中心としたローマ帝国内でも、発展しました。 キリスト教が、砂漠で成立したが、初期に砂漠とはいえない沃地で発展したことに、違和感を感じます。 質問は、キリスト教の成立と初期の発展とは、地域に関しては、別ものなのですか?

    • park123
    • 回答数8
  • 《絶対》という概念でなぜ共通の理解が得られ難いのか

     ふたたびの問いです。  おそらく互いのやり取りをつうじて 《絶対》は 互いのあいだに浮彫りになる。そういった問い求めのすがたを想い描きつつのぞみを持ちつつ 執拗に問います。  たたき台を示します。  1. ひとは おのれの存在が永遠ではなく有限で相対的であるにもかかわらず 《永遠=無限=絶対》という言葉を持つに到り これを使っています。  1-1.  その意味で 《神》ということばも――そして同じく《無い神》も―― 用います。  2. すなわち この経験世界を超えたところに《永遠=無限=絶対》を想定して それにもとづき言葉として・ゆえにそれなりに概念として使いこなしています。  2-1. 《経験世界を超えた》という意味は 経験事象における因果関係から自由だという意味です。ひとり満ち足りている存在。他のいかなるものにも依存しない存在。  3. ですから 不思議なことにひとつの逆説のごとくに 《ことば》そして《概念》としては 《絶対=無限=永遠》は、経験世界に属します。  3-1. 経験世界を超えた《非経験の場》が 言葉として表現されたならそれは 経験世界の内側において用いられています。  4. もうひとつに この《想定》のもとに 一人ひとりの主観の内にあっては あたかも《絶対なる者が この相対的で経験的な世界に 降りて来た》といった派生的な・第二次の想定をも持つことが自由であり これは ゆるされています。一般に梵我一如なる類型。  4-1. 良心・信教の自由あるいは表現の自由という公理であるようです。  5. 繰り返しですが 《絶対=永遠=無限》は 非経験の場であり 《非在》です。定義(想定)において こう確定します。  5-1. 存在するか存在しないか どちらとも人間にとっては分からない場であり 場としてのチカラだと思われます。  5-2. ゆえに 神としては 有神論か無神論かは どちらも――自由に――あり得て 互いに同等ないわゆる信仰の立ち場です。  6. 同じく確認として言えば 或るひとりの人間の主観のうちにあっては 定義とそこからの派生的な想定として 《絶対=永遠=無限》は 二重構造となって過程しています。  6-1. 《絶対》の――想定じょうの――二重構造:   ○ 《非経験の場》を受け容れたわが心なる非思考の庭:      : これは 無根拠である。      : これは 信じる(=ただ受け容れる)ものである。      : そもそも《絶対》を受け容れることが出来るかどうか      についての疑問すらが起きる。      : 《神》とも《無い神》とも言える。         ○ 《神》という言葉としてまた概念として用いられる《絶対》:      : すでに《非思考の庭》から《思考の緑野(また感性の      原野)》に移行している。      : 因果関係などの合理的な根拠を科学的に明らかに      する場合にすら用いられることがある。《真理》として。      : それは 《絶対》の仮りの像(すがた)である。つまり      《正解としての神本体をめぐって引かれた補助線》なり。        6-2. すなわち 《無根拠で非在なる非経験の場》が 主観の内なる経験世界に    《定義としてのまぼろし(非思考の庭)》  を成らせていると想定され そして    《その庭が 活きた信仰として動態であり その過程にあって仮りにでも姿かたちを表わしたと考えられるその現実(精神と身体 または思考の緑野および原生林)の活動》  が捉えられ これらふたつの領域から成る《二重構造》を呈しています。     以上です。ご批判をつうじて精緻なものにして行きたいと考えます。  なおちなみに 《絶対》をめぐる次のような文章もありますので ご紹介します。  ● (司馬遼太郎:絶対について) ~~~~~~~~  近代以後の日本の文学者が、西洋の小説を読み、読みおえてから小説を書きはじめたことは、いうまでもありません。  ただ日本には「絶対」という思想、慣習、あるいは日常の気分がなかったということが、決定的に不利でありました。・・・  むろん、絶対などは、この世にありはしません。宇宙にも、科学の中にも、存在しないのです。  しかしある、と西洋人は、千数百年をかけて自分に言いきかせつづけました。  絶対、大宇宙の神は存在する、うそではない、ということを、哲学として、神学として、論理をきわめ、修辞をきわめ、思弁のかぎりをつくして説きに説きつづけてきたのです。  ヨーロッパの荘厳さというべきものであります。(開高健への弔辞)    http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/S/sibaryotaro.html  ~~~~~~~~~~~~~~

  • キリスト教の成立と初期の発展とは、地域に関して

    ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、一神教に分類されています。 一神教は、乾燥した、砂漠に近い場所で成立した、という見解があります。 ところで、キリスト教は、初期の段階では、南欧を中心としたローマ帝国内でも、発展しました。 キリスト教が、砂漠で成立したが、初期に砂漠とはいえない沃地で発展したことに、違和感を感じます。 質問は、キリスト教の成立と初期の発展とは、地域に関しては、別ものなのですか?

    • park123
    • 回答数8
  • 次の《対話》を解釈し解説してください。

     ◆ 【Q:真の唯物論は宇宙の公理から始まる】 ~~~~~          宇宙の公理  第1公理 宇宙は存在する  第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である  第3公理 宇宙における全ての現象は宇宙の法則に支配される  第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である  第5公理 宇宙の法則は永遠不変である  第6公理 宇宙の法則は永遠不滅である     投稿日時 - 2014-12-13 16:02:07  ☆☆ (ANo.6:bragelonne) ~~~~~~~~~   こんにちは。阿呆に講義します。   ◆ 第2公理 宇宙と宇宙の法則は一体である   ☆ しかるに これらふたつのものは 次のように規定されます。:     ◆ 第1公理 宇宙は存在する   ◆ 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である   ☆ すなわち 《存在する》のは 経験事象でしょうか? 人間が理性や感性の能力で知覚・認識することが出来る経験現象のことですか?   もしそうなら 経験的で《相対的なものごと》です。   つまり 《絶対》ではありません。   ところが この経験的にして相対的な存在である宇宙は 絶対である宇宙の法則と一体である。ことになります。   投稿日時 - 2014-12-13 18:40:58  ◆ (お礼) ~~~~~~~~~~~~~~  真理のためならたとえ相手がアホであっても導いてあげなさいという心優しきアルケーの教えに従いアホのお相手をします。  宇宙の法則に絶対も相対もありません。  絶対とか相対ってのは人間の考えることである。  宇宙の法則は永遠無限の存在であり、人間が存在する遥か以前から絶対的に存在したものである(第5公理、第6公理)。  公理という言葉の意味もよく考えて。    投稿日時 - 2014-12-13 19:20:11  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ なお引用は 全文です。

  • アウグスティヌスと《愉快な乞食》

     ▼ (アウグスティヌスと《愉快な乞食》) ~~~~~~~  私は 名誉と利得と結婚とを渇望していましたが あなたはそういう私を嘲笑なさいました。    私はこれらの欲望のために さんたんたる苦難をなめていましたが ご自分以外のものに甘さを感ずることをお許しにならなかったあなたは それだけ恵み深かったのです。  主よ わが心をみそなわしたまえ。あなたは これを心に想い起こして御前(みまえ)に告白することをおのぞみになりました。いまはもう 私の魂はあなたによりすがって そこからはなれることがあってはならない。その魂をあなたは あんなに粘り強い死のとりもちから ひきはなしてくださったのですから。  私の魂は何とみじめだったことか。しかもあなたは その傷の痛いところをつかれました。それは 私の魂が 万物をこえながらしかも万物がそれなしには無であるあなたを目ざして 万物を投げすててむかい むかうことによって傷をいやされるためでした。  だから わたしは 勇敢にも悲惨に耐えることをせず あなたが 《わたしの力は 弱さの中でこそ十分に発揮される》(コリント後書2:9)と言われたように 《その傷の痛いところをつかれました》。 もういちど繰り返します。傷の痛いところをつかれて わたしは おろかにもなって その悲惨に勇敢にも耐え ただわたしの好むところに従い 可能なことを為そうとは欲しませんでした。  じっさい 私は何とみじめであったことか。ある日 そのみじめさを痛感するために あなたはどのようにとりはからいたまうたことか。  その日 私は皇帝にむかって讃辞を朗読する準備をしていましたが それは 讃辞の中でたくさんのうそをつき うそつきの私が それをうそと百も承知の人びとのお気にめすようになるためでした。私の心は心配であえいでおり 身もほそる熱い思いに燃えていましたが ミラノのある街路をとおりながら 一人のみすぼらしい乞食をみとめました。  もう満腹していたのでしょう。冗談を言いながらはしゃいでいました。私はためいきをつき 自分たちのばかげた仕事から何という多くの苦痛が生じてくるかということについて つれの友人たちと語りあいました。  じっさい 当時 骨折っていたそういう努力のかぎりを尽くして 欲望の突き棒につつかれながら おのが不幸の重荷をひきずり ひきずりながら重荷をつみかさねつつ そういう努力によって得たいと願っていたものは ほかでもない 安全確実なよろこびでした。ところが そのよろこびにあの乞食は すでに先に到着しているのに ひょっとすると私たちは けっして達することができないかもしれないのです。  彼が乞食をして得たごくわづかな金ですでに手に入れてしまったものを 私はこのように辛苦にみちた紆余曲折をへてさがしまわっていますが もとめているのはすなわち 現世の幸福のもたらす快楽にすぎません。  たしかに乞食とても 真のよろこびを得ていたわけではありません。しかし私とても そのように奔走しながらさがしもとめていたものは かの乞食のそれよりも もっと虚偽のよろこびだったのです。  たしかなことは 彼はよろこんでいるのに私は苦しんでおり 彼が安心しているのに私は動揺しているということでした。もしだれかが 《君はよろこびたいか それとも心配したいか》とたずねたとしたら 私は《よろこびたい》と答えたことでしょう。さらに あの乞食のようになりたいか それともこのままでいたいかと問われたならば 心配と不安とで疲れはてていたにしても やはりこのままでいるほうをのぞんだことでしょう。  けれども この判断はまちがっていました。どうして真でありましょうか。  じっさい私は かの乞食よりも学問があるからとて 自分のほうがすぐれていると思うべきではありませんでした。なぜなら 私はその学問から よろこびを得ていたのではなく ただ人びとの気にいることをもとめていたにすぎないのですから。しかもそれは 彼らを教えるためではなくて ただ彼らの気にいるためにすぎなかった。だからこそ あなたは こらしめの杖でもって 私の骨を打ち砕かれたのです。  それゆえ 私の魂にむかってこういう者は 遠ざかってもらいたい。  何によってよろこぶか そこにちがいがある。あの乞食は 酩酊によってよろこんでいたが 君は栄光によってよろこぼうとしていたのだ。  主よ それはどのような栄光でしたろう。あなたにおける栄光ではありませんでした。じっさい あの乞食のよろこびが真のよろこびではなかったように 私ののぞんでいた栄光も真の栄光ではなく かえってそれは私の精神をますます逆転させてゆくばかりでした。乞食の酔いはその晩さめたことでしょうが 私は酔いながら眠り 酔いながら起きました。将来も同じように眠っては起きたことでしょう。その状態は まあ 何日つづくことであったか。  もちろん どこからよろこびを得るか そこにちがいがあることは 知っています。信仰にもとづく希望から生ずるよろこびは あの虚妄とは比較にならぬほどへだたっているのです。しかし当時においても 私と乞食とのあいだにはへだたりがありました。疑いもなく 彼は私より幸福でした。その理由は 一つには 私が心配でふぬけになっていたのに 彼はまったくの上機嫌だったということにありますが それだけではありません。彼は道行く人の祝福を祈って酒に ありついたのに 私のほうは うそをつきながらからいばりの地位を追いもとめていたのですから。  当時 私はこういった意味のことを 何回となく親しい友人たちに話し そのような場合 自分がどういう状態にあるかをしばしば考えてみました。そして状態がかんばしくないことに気づいてかなしみましたが 悪い状態をいやがうえにも悪くするばかりでした。そして何か幸運じみたものがほほえみかけることがあっても 手を出す気になれませんでした。なぜならそれは とらえようとすると飛びさっていったからです。  (『告白』 6・6・9-10 山田晶訳)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この《乞食》の手放しの愉快さ・底抜けの明るさ これが われわれのベースになるのではないか? 飾りの要らない樅の木だけのクリスマスツリーのごとく。ベースは 悩みでも苦(ドゥッカ)でもない。  ――これが 問いです。あなたの哲学は 何と言いますか?

  • 母権主義

    母権主義 "母権主義"でGoogle検索してごらん。今やったところ約 937 件 (0.21 秒) だった。 一方、"父権主義"約 15,800 件 (0.20 秒) "パターナリズム"では、約 78,300 件 (0.21 秒) "paternalism"では、約 639,000 件 (0.18 秒) バランスが悪いと思わないか。 目的は、母権主義という語と父権主義という語とのバランスだ。 それと、普段話されている言語の人口比とのバランスだ。 3位 英語 3億2800万人 9位 日本語 1億2200万人 母権主義、父権主義をバランスよく広めたい。こういう趣旨である。これらの語を用いて回答していただくと。いくぶんかは趣旨は満たされる。 自分は、生命倫理がらみで、パターナリズム(父権主義)を知ったばかりだ。 家族「お医者様に頼るしかありません」 医者「全力をつくして治療しましょう」 このとき、患者を死なせた場合、医者が罪悪感を引き受ける。 パターナリズム(父権主義)をこのように私は解した。 で、自分は常々論理思考するものだから、母権主義という概念に関心を持ったわけだ。

  • 母権主義

    母権主義 "母権主義"でGoogle検索してごらん。今やったところ約 937 件 (0.21 秒) だった。 一方、"父権主義"約 15,800 件 (0.20 秒) "パターナリズム"では、約 78,300 件 (0.21 秒) "paternalism"では、約 639,000 件 (0.18 秒) バランスが悪いと思わないか。 目的は、母権主義という語と父権主義という語とのバランスだ。 それと、普段話されている言語の人口比とのバランスだ。 3位 英語 3億2800万人 9位 日本語 1億2200万人 母権主義、父権主義をバランスよく広めたい。こういう趣旨である。これらの語を用いて回答していただくと。いくぶんかは趣旨は満たされる。 自分は、生命倫理がらみで、パターナリズム(父権主義)を知ったばかりだ。 家族「お医者様に頼るしかありません」 医者「全力をつくして治療しましょう」 このとき、患者を死なせた場合、医者が罪悪感を引き受ける。 パターナリズム(父権主義)をこのように私は解した。 で、自分は常々論理思考するものだから、母権主義という概念に関心を持ったわけだ。