JidousyaGaisya の回答履歴
- これ以上生きる意味が全く見いだせない。
タイトルの通りです。今20代です。 自分の前半生を考えると、不幸すぎて泣けてきます。 私はかなりの不美人なんですが、そのせいで、何も悪い事はしていなくても 小学生の時から理不尽ないじめに遭いまくってきました。 いつかは整形する事を目標に生き延びてきました。 とにかくどこに行ってもいじめられるので環境を変えればいいというものではないようです。 中学の時は勉強だけはかなり出来たのですが、 私より頭が悪くてもまともな容姿の子は普通に生活していて、偏差値75の私は「ただそこにいるだけで」嘲笑される。結局女の子が頭良くても全然意味なかったみたいです。内輪だけの友達は4人ぐらいいて一緒の大学に行こうと言っていましたが、顔で笑われるのが怖くて私だけ塾に行くことが出来ず。クラス替えとともにその子たちとも疎遠になり。 そんなある日 自動車の事故に遭い、脳の機能の回復にはかなりの時間を要すると言われました。 仕方なく高校を留年しましたが 新しい学年では友達が一人も出来ず毎日のようにいじめに遭い 自主退学。中身を知る以前に誰も話しかけてこないし 話しかけても無視されるか かなり冷たくされるか 笑われるのどれかです。 (過去の)友達はみんな東大京大なのに 私だけ早慶ランク。しかも滑り止め学部しか入れませんでした。 同窓会で友達にあわせる顔がありませんし事故の後遺症がなおも続いています。 大学でももちろんぼっち・・・と思いきや、いきなり男の子が声をかけてきて付き合わないか?と。 しかしこの彼は「境界例人格障害」だったらしく、毎日いう事が変わったり殴られかけたりしてかなり酷い目にあわされ 全力で逃げようとした所キレてサークルと学科全部に事実無根の悪い評判を流されました。というわけで入学後数か月にして、四年間のボッチ生活が確定してしまいました。 消化試合のように日々の授業を淡々とこなしていた頃 年収5千万の大金持ちと偶然知り合い告白され、玉の輿を狙っていましたが、たまたま再会した高校時代の同級生に嫉妬されて悪意のメールを送られ、つぶされました。 それとほぼ同時に二度目の事故にあい、就職活動は全部ボロボロ。説明会でも企業の人に顔を見ただけで笑われるなど理不尽な目に。 不細工すぎて話し相手もいない。男も女も寄ってこない。 中学の頃から親に整形したいと訴え続けてきたけれど、二百万近くかかるのもあり 金を貸してもらう事が出来ませんでした。それでも必死に説得して何とか金を借り、まずは目を整形したが、これが失敗。 鼻は今度は親ではなく親戚に資金援助してもらいましたがこれも、失敗とまでは言えなかったのですが、しばらくして、やや元に戻ってしまいました。この間も、祖母の不注意で鼻を蹴られたり 母親に引っ越しの手伝いを頼まれ術後なのに8キロ近くの荷物を担がされるなどが重なって 元に戻ってしまいました。それだけではなく、 生まれながらのアトピー体質なのでレーザー治療にも100万近くのお金がかかります。 すでに家族からの援助は得られない状況 この容姿ではパトロンを見つけるのも無理 整形しなおしたくても 水商売もできない。キャバで雇ってもらえるような顔じゃない。 自力で稼ぎたいけど もう精魂くたびれ果てたし もう一度整形したとしても 美人になる保障はナシ しかも骨格が太いので 顔のパーツが少々よくなったとしても ゴリラっぽさは変わらず。 次の整形がうまくいくかもわからないし どうせこの先の人生は余命を待つだけ 稼いで食っての繰り返しのルーチンのような人生しか待っていないと思う 出家したいけれど悲しいかな処女ではない これ以上生きる意味が全く見いだせない。たかが容姿されど容姿。 それをどうにも出来ない以上 活路も見いだせない。 容姿さえ何とかなればどうにでもなるのに。 この先生きていても、ただ生命の機械的な維持だけは出来るかもしれないけど、 充実した人生は無理だと思う。 そこまでして日々の糧を得て食いつないで、自分自身ではなく、自分を支配している生命の、 ただ生き延びたいという欲望にだけ奉仕して生き続ける意味はあるのか、 私は、自分の生命欲の奴隷だ、私自身はもはや生きたいと願ってない。 死んで、輪廻転生して新しい肉体を得て、やり直したい。 でも、自殺したバチが当たって来世でもっと不幸になるのが怖くて、自殺出来ない。 容姿ひとつで完全に終わった私の人生。ものすごく不幸です。 注・短絡的で全く参考にならない回答はおやめください。「贅沢」「もっと不幸な人の気持ちを考えろ」「地震の犠牲者のかわりになればよかった」等のありきたりな回答もおやめください。
- ノートパソコンのメモリー増設の仕方を教えて!
経年によりかなり起動が遅くなってしまいました。買い換えることは先に延ばし,今はメモリーを増設したいと思います。簡単でしょうか?その方法を教えてください。また,それ以外に速度を上げる方法があればそれも教えてくださると助かります。
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- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
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この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- ノートパソコンのメモリー増設の仕方を教えて!
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この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- これ以上生きる意味が全く見いだせない。
タイトルの通りです。今20代です。 自分の前半生を考えると、不幸すぎて泣けてきます。 私はかなりの不美人なんですが、そのせいで、何も悪い事はしていなくても 小学生の時から理不尽ないじめに遭いまくってきました。 いつかは整形する事を目標に生き延びてきました。 とにかくどこに行ってもいじめられるので環境を変えればいいというものではないようです。 中学の時は勉強だけはかなり出来たのですが、 私より頭が悪くてもまともな容姿の子は普通に生活していて、偏差値75の私は「ただそこにいるだけで」嘲笑される。結局女の子が頭良くても全然意味なかったみたいです。内輪だけの友達は4人ぐらいいて一緒の大学に行こうと言っていましたが、顔で笑われるのが怖くて私だけ塾に行くことが出来ず。クラス替えとともにその子たちとも疎遠になり。 そんなある日 自動車の事故に遭い、脳の機能の回復にはかなりの時間を要すると言われました。 仕方なく高校を留年しましたが 新しい学年では友達が一人も出来ず毎日のようにいじめに遭い 自主退学。中身を知る以前に誰も話しかけてこないし 話しかけても無視されるか かなり冷たくされるか 笑われるのどれかです。 (過去の)友達はみんな東大京大なのに 私だけ早慶ランク。しかも滑り止め学部しか入れませんでした。 同窓会で友達にあわせる顔がありませんし事故の後遺症がなおも続いています。 大学でももちろんぼっち・・・と思いきや、いきなり男の子が声をかけてきて付き合わないか?と。 しかしこの彼は「境界例人格障害」だったらしく、毎日いう事が変わったり殴られかけたりしてかなり酷い目にあわされ 全力で逃げようとした所キレてサークルと学科全部に事実無根の悪い評判を流されました。というわけで入学後数か月にして、四年間のボッチ生活が確定してしまいました。 消化試合のように日々の授業を淡々とこなしていた頃 年収5千万の大金持ちと偶然知り合い告白され、玉の輿を狙っていましたが、たまたま再会した高校時代の同級生に嫉妬されて悪意のメールを送られ、つぶされました。 それとほぼ同時に二度目の事故にあい、就職活動は全部ボロボロ。説明会でも企業の人に顔を見ただけで笑われるなど理不尽な目に。 不細工すぎて話し相手もいない。男も女も寄ってこない。 中学の頃から親に整形したいと訴え続けてきたけれど、二百万近くかかるのもあり 金を貸してもらう事が出来ませんでした。それでも必死に説得して何とか金を借り、まずは目を整形したが、これが失敗。 鼻は今度は親ではなく親戚に資金援助してもらいましたがこれも、失敗とまでは言えなかったのですが、しばらくして、やや元に戻ってしまいました。この間も、祖母の不注意で鼻を蹴られたり 母親に引っ越しの手伝いを頼まれ術後なのに8キロ近くの荷物を担がされるなどが重なって 元に戻ってしまいました。それだけではなく、 生まれながらのアトピー体質なのでレーザー治療にも100万近くのお金がかかります。 すでに家族からの援助は得られない状況 この容姿ではパトロンを見つけるのも無理 整形しなおしたくても 水商売もできない。キャバで雇ってもらえるような顔じゃない。 自力で稼ぎたいけど もう精魂くたびれ果てたし もう一度整形したとしても 美人になる保障はナシ しかも骨格が太いので 顔のパーツが少々よくなったとしても ゴリラっぽさは変わらず。 次の整形がうまくいくかもわからないし どうせこの先の人生は余命を待つだけ 稼いで食っての繰り返しのルーチンのような人生しか待っていないと思う 出家したいけれど悲しいかな処女ではない これ以上生きる意味が全く見いだせない。たかが容姿されど容姿。 それをどうにも出来ない以上 活路も見いだせない。 容姿さえ何とかなればどうにでもなるのに。 この先生きていても、ただ生命の機械的な維持だけは出来るかもしれないけど、 充実した人生は無理だと思う。 そこまでして日々の糧を得て食いつないで、自分自身ではなく、自分を支配している生命の、 ただ生き延びたいという欲望にだけ奉仕して生き続ける意味はあるのか、 私は、自分の生命欲の奴隷だ、私自身はもはや生きたいと願ってない。 死んで、輪廻転生して新しい肉体を得て、やり直したい。 でも、自殺したバチが当たって来世でもっと不幸になるのが怖くて、自殺出来ない。 容姿ひとつで完全に終わった私の人生。ものすごく不幸です。 注・短絡的で全く参考にならない回答はおやめください。「贅沢」「もっと不幸な人の気持ちを考えろ」「地震の犠牲者のかわりになればよかった」等のありきたりな回答もおやめください。
- これ以上生きる意味が全く見いだせない。
タイトルの通りです。今20代です。 自分の前半生を考えると、不幸すぎて泣けてきます。 私はかなりの不美人なんですが、そのせいで、何も悪い事はしていなくても 小学生の時から理不尽ないじめに遭いまくってきました。 いつかは整形する事を目標に生き延びてきました。 とにかくどこに行ってもいじめられるので環境を変えればいいというものではないようです。 中学の時は勉強だけはかなり出来たのですが、 私より頭が悪くてもまともな容姿の子は普通に生活していて、偏差値75の私は「ただそこにいるだけで」嘲笑される。結局女の子が頭良くても全然意味なかったみたいです。内輪だけの友達は4人ぐらいいて一緒の大学に行こうと言っていましたが、顔で笑われるのが怖くて私だけ塾に行くことが出来ず。クラス替えとともにその子たちとも疎遠になり。 そんなある日 自動車の事故に遭い、脳の機能の回復にはかなりの時間を要すると言われました。 仕方なく高校を留年しましたが 新しい学年では友達が一人も出来ず毎日のようにいじめに遭い 自主退学。中身を知る以前に誰も話しかけてこないし 話しかけても無視されるか かなり冷たくされるか 笑われるのどれかです。 (過去の)友達はみんな東大京大なのに 私だけ早慶ランク。しかも滑り止め学部しか入れませんでした。 同窓会で友達にあわせる顔がありませんし事故の後遺症がなおも続いています。 大学でももちろんぼっち・・・と思いきや、いきなり男の子が声をかけてきて付き合わないか?と。 しかしこの彼は「境界例人格障害」だったらしく、毎日いう事が変わったり殴られかけたりしてかなり酷い目にあわされ 全力で逃げようとした所キレてサークルと学科全部に事実無根の悪い評判を流されました。というわけで入学後数か月にして、四年間のボッチ生活が確定してしまいました。 消化試合のように日々の授業を淡々とこなしていた頃 年収5千万の大金持ちと偶然知り合い告白され、玉の輿を狙っていましたが、たまたま再会した高校時代の同級生に嫉妬されて悪意のメールを送られ、つぶされました。 それとほぼ同時に二度目の事故にあい、就職活動は全部ボロボロ。説明会でも企業の人に顔を見ただけで笑われるなど理不尽な目に。 不細工すぎて話し相手もいない。男も女も寄ってこない。 中学の頃から親に整形したいと訴え続けてきたけれど、二百万近くかかるのもあり 金を貸してもらう事が出来ませんでした。それでも必死に説得して何とか金を借り、まずは目を整形したが、これが失敗。 鼻は今度は親ではなく親戚に資金援助してもらいましたがこれも、失敗とまでは言えなかったのですが、しばらくして、やや元に戻ってしまいました。この間も、祖母の不注意で鼻を蹴られたり 母親に引っ越しの手伝いを頼まれ術後なのに8キロ近くの荷物を担がされるなどが重なって 元に戻ってしまいました。それだけではなく、 生まれながらのアトピー体質なのでレーザー治療にも100万近くのお金がかかります。 すでに家族からの援助は得られない状況 この容姿ではパトロンを見つけるのも無理 整形しなおしたくても 水商売もできない。キャバで雇ってもらえるような顔じゃない。 自力で稼ぎたいけど もう精魂くたびれ果てたし もう一度整形したとしても 美人になる保障はナシ しかも骨格が太いので 顔のパーツが少々よくなったとしても ゴリラっぽさは変わらず。 次の整形がうまくいくかもわからないし どうせこの先の人生は余命を待つだけ 稼いで食っての繰り返しのルーチンのような人生しか待っていないと思う 出家したいけれど悲しいかな処女ではない これ以上生きる意味が全く見いだせない。たかが容姿されど容姿。 それをどうにも出来ない以上 活路も見いだせない。 容姿さえ何とかなればどうにでもなるのに。 この先生きていても、ただ生命の機械的な維持だけは出来るかもしれないけど、 充実した人生は無理だと思う。 そこまでして日々の糧を得て食いつないで、自分自身ではなく、自分を支配している生命の、 ただ生き延びたいという欲望にだけ奉仕して生き続ける意味はあるのか、 私は、自分の生命欲の奴隷だ、私自身はもはや生きたいと願ってない。 死んで、輪廻転生して新しい肉体を得て、やり直したい。 でも、自殺したバチが当たって来世でもっと不幸になるのが怖くて、自殺出来ない。 容姿ひとつで完全に終わった私の人生。ものすごく不幸です。 注・短絡的で全く参考にならない回答はおやめください。「贅沢」「もっと不幸な人の気持ちを考えろ」「地震の犠牲者のかわりになればよかった」等のありきたりな回答もおやめください。
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 滅びる者にとっても キリストの良い香りと言うのは
どうしてか? 次の文句をどう解釈するかを問います。 ▲ (パウロ:コリントの信徒への第二の手紙) ~~~~ 2:15 ・・・救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。 2:16 滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ( a ) 《救われる者には命から命に到らせる香りである》のは分かるとして 《滅びる者には死から死に到らせる ≫良い香り≪ である》のは どういうことか? ちなみに いづれの場合にも 《キリストを知るという知識の ≫良い≪ 香り》(2:14)であるようです。同じ《香り》であるようです。 ( b ) 《滅びる者》あるいは《死から死に到らせる》というのは どうも 十字架上のキリスト・イエスから目を離す人びとを言っているのではないか? その意味は 神をではなく 無い神を心に抱く人びとのことではないか? ( c ) 《滅びる》とは 有る神が滅びるという言葉による表現上だけの問題であって そのような別様に(十字架から目を背けて背中越しに)キリストを見る人びとは いわゆる無神論の信仰を抱く者として その信仰によって救われる。こう言っていまいか? ( d ) したがって《死》も ただ表現上の問題であって 十字架上から目を背けることを言うのみではないか? ただ もし多少とも《死》とかかわりがあるとしたなら それはそのように目を背けたあと 神も無い神もいづれも抱かなくなった場合 そうすると きわめて相対主義的な顔も目鼻もないのっぺらぼうの思想(生活態度)によって生きることになる。これは《死》ではないか? ( e ) 《良い香り》が そのような生活における慣性の法則にしたがうような心のくせを死に至らしめたことになる。いわゆる独我論は この良き香りによって(あるいは 酔って)みづからをみづからが殺したその結果である。のではないか? やや特殊な主題ですが 湯気が立っている生まれたてほやほやの考えですので おしえてください。
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?