sheep67 の回答履歴
- 無理解は無理解のままに。(11ぴきのねこ)
子どもたちが図書館で勝手に選んで借りてきて、母なる私(幸せな自称です^^)に「読んで!」と読ませます。 そんな一連の絵本群のなかに、最近我が子たちのはまっている「11ぴきのねこ」シリーズがあります。 毎週とっかえひっかえのねこたちのお話で、特に気になったのはこのふたつ。 11ぴきのねことへんなねこ 11ぴきのねことあほうどり 馬場のぼる ご存知の方、或いはお読みでなくとも私の質問で何か思うところのある方、どうかご教授ください。 私事ですが、このところ自分の頭のがちがち加減に困り果てております。。。 あらすじを書こうかと思ったのですが、うまく書けそうに無いので略させて頂きます。 「。。。へんなねこ」では、11ぴきのねこたちの水玉猫への偏見と思いやりの無さが見えますし、 「。。。あほうどり」では、アホウドリの丸焼きで頭を一杯にしながら、アホウドリを故郷へ案内させる、我が侭さが見えます。 勿論、ねこたちはねこたちなりに真剣です。 でも、ねこたちに、相手の水玉猫やアホウドリへの想像が抜け落ちていますし、水玉猫やアホウドリにも、猫たちへの想像が(おそらく、ですが)抜け落ちています。 両者はともに、考えているのは「わが身のみ」です。 両者の間に、無理解の溝が、どちらの岸からも理解を望む手が差し出されること無く、横たわっています。 あれあれーーと思いつつ、両者の無理解ぶりよりももっと私の興味を引いたのは、「無理解と共感の欠如と言うなんとも無味乾燥な筈の情景が、こうも暖かく感じられるのは何故だろう??」です。 子供向けの絵本だから、と言う理由は無意味です。 子供向けの絵本は時として、残酷で悲惨な現実を悲しみそのままに描き出します。 例えば、独断ですが「おこりじぞう」とか「スーホの白い馬」とか。 「無理解と共感の欠如」は、程度の大小/強弱はあれ、現実に生きる中でも見事にたびたび遭遇するものです。 そして、「分かり合えない悲しみ」と共に「分かり合えなくとも思い合える暖かさ」も存在します。 (ん?後者は理想主義な私が生み出した幻想でしょうか??) そうは言っても、「無理解と共感の欠如」状態から生まれるのは、多くの場合、やり場の無い悲しさや空しさ、脱力感、無力感、、、です。 この辛さをうまく浄化?超越?する鍵が、この絵本の暖かさに隠れている気がしてなりません。 11ぴきのねこたちの、見事なまでの無理解っぷりが、何故こんなに暖かく可愛らしいと思えるのか?、、、頭がちごちの私にうまく飲み下せる説明を頂けませんでしょうか。。。 よろしくお願いします。
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- 哲学・倫理・宗教学
- noname#122427
- 回答数15
- 無理解は無理解のままに。(11ぴきのねこ)
子どもたちが図書館で勝手に選んで借りてきて、母なる私(幸せな自称です^^)に「読んで!」と読ませます。 そんな一連の絵本群のなかに、最近我が子たちのはまっている「11ぴきのねこ」シリーズがあります。 毎週とっかえひっかえのねこたちのお話で、特に気になったのはこのふたつ。 11ぴきのねことへんなねこ 11ぴきのねことあほうどり 馬場のぼる ご存知の方、或いはお読みでなくとも私の質問で何か思うところのある方、どうかご教授ください。 私事ですが、このところ自分の頭のがちがち加減に困り果てております。。。 あらすじを書こうかと思ったのですが、うまく書けそうに無いので略させて頂きます。 「。。。へんなねこ」では、11ぴきのねこたちの水玉猫への偏見と思いやりの無さが見えますし、 「。。。あほうどり」では、アホウドリの丸焼きで頭を一杯にしながら、アホウドリを故郷へ案内させる、我が侭さが見えます。 勿論、ねこたちはねこたちなりに真剣です。 でも、ねこたちに、相手の水玉猫やアホウドリへの想像が抜け落ちていますし、水玉猫やアホウドリにも、猫たちへの想像が(おそらく、ですが)抜け落ちています。 両者はともに、考えているのは「わが身のみ」です。 両者の間に、無理解の溝が、どちらの岸からも理解を望む手が差し出されること無く、横たわっています。 あれあれーーと思いつつ、両者の無理解ぶりよりももっと私の興味を引いたのは、「無理解と共感の欠如と言うなんとも無味乾燥な筈の情景が、こうも暖かく感じられるのは何故だろう??」です。 子供向けの絵本だから、と言う理由は無意味です。 子供向けの絵本は時として、残酷で悲惨な現実を悲しみそのままに描き出します。 例えば、独断ですが「おこりじぞう」とか「スーホの白い馬」とか。 「無理解と共感の欠如」は、程度の大小/強弱はあれ、現実に生きる中でも見事にたびたび遭遇するものです。 そして、「分かり合えない悲しみ」と共に「分かり合えなくとも思い合える暖かさ」も存在します。 (ん?後者は理想主義な私が生み出した幻想でしょうか??) そうは言っても、「無理解と共感の欠如」状態から生まれるのは、多くの場合、やり場の無い悲しさや空しさ、脱力感、無力感、、、です。 この辛さをうまく浄化?超越?する鍵が、この絵本の暖かさに隠れている気がしてなりません。 11ぴきのねこたちの、見事なまでの無理解っぷりが、何故こんなに暖かく可愛らしいと思えるのか?、、、頭がちごちの私にうまく飲み下せる説明を頂けませんでしょうか。。。 よろしくお願いします。
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- noname#122427
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- 宇宙と自分は存在しているのか
宇宙は真に存在しているとはいいきれません。 そうするとこれ程までに確実な自分の存在も曖昧となります。 どういう事態なのでしょうか。 宇宙が真に存在するとは、自分の存在、不存在に関わらず、宇宙が存在するということです。
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- noname#107440
- 回答数5
- シンプルな質問ですが、ちょっと気になったので。
シンプルな質問ですが、ちょっと気になったので。 よく恐竜は数億年も前にいたといいますよね (放射性C原子によって解明されてるようです) でもキリスト教では天地創造は今からおよそ6000年前だと聞きました。 この二つを結びつけることはできるのでしょうか。 できればクリスチャンの方に聞きたいのですが。 (そうでない方でもけっこうです) よろしくお願いします。
- 般若智における不異から即へ(感性による照合の深まり)
般若智は無分別智とか直感智とか言われますが その実際の内容は、感性による対象の把握と照合の働きだと思われます。 不異とは、ほぼ同じ 即とは、完全に同じ(完全に等しい、互いにそのもの) これらはいずれも、感性による照合の深さ(レベル)に準じた判断の結果なのではないでしょうか。 即という言葉は、完全に等しいという照合の結果(状態)を表すに相応しい言語として、これもまた照合により選択されたものなのでしょう。 (即)=即 感性による対象の直接の把握と照合なしには、即、はあり得ないものだとするならば その対象である二つのものは、いずれも実存的なものか、または概念的なものである可能性があります。 色と空はどちらも実存的である可能性があります。 諸法(即)空相は、前者の照合を基とした、より大きな概念的なもの同士の照合なのかもしれません。 般若(即)呪といった事においても上記の事柄を基に考察を進められるものと思っています。 阿即空という体験に入れば、これらの疑問も全て氷解してしまうのかもしれませんが、その前に試行錯誤を含めた考察をしておく事も必要かもしれないと思っています。 どなたか、ご教授願えれば幸いです。 よろしくお願い致します。
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- 哲学・倫理・宗教学
- noname#112847
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- 般若智における不異から即へ(感性による照合の深まり)
般若智は無分別智とか直感智とか言われますが その実際の内容は、感性による対象の把握と照合の働きだと思われます。 不異とは、ほぼ同じ 即とは、完全に同じ(完全に等しい、互いにそのもの) これらはいずれも、感性による照合の深さ(レベル)に準じた判断の結果なのではないでしょうか。 即という言葉は、完全に等しいという照合の結果(状態)を表すに相応しい言語として、これもまた照合により選択されたものなのでしょう。 (即)=即 感性による対象の直接の把握と照合なしには、即、はあり得ないものだとするならば その対象である二つのものは、いずれも実存的なものか、または概念的なものである可能性があります。 色と空はどちらも実存的である可能性があります。 諸法(即)空相は、前者の照合を基とした、より大きな概念的なもの同士の照合なのかもしれません。 般若(即)呪といった事においても上記の事柄を基に考察を進められるものと思っています。 阿即空という体験に入れば、これらの疑問も全て氷解してしまうのかもしれませんが、その前に試行錯誤を含めた考察をしておく事も必要かもしれないと思っています。 どなたか、ご教授願えれば幸いです。 よろしくお願い致します。
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- noname#112847
- 回答数6
- 般若智における不異から即へ(感性による照合の深まり)
般若智は無分別智とか直感智とか言われますが その実際の内容は、感性による対象の把握と照合の働きだと思われます。 不異とは、ほぼ同じ 即とは、完全に同じ(完全に等しい、互いにそのもの) これらはいずれも、感性による照合の深さ(レベル)に準じた判断の結果なのではないでしょうか。 即という言葉は、完全に等しいという照合の結果(状態)を表すに相応しい言語として、これもまた照合により選択されたものなのでしょう。 (即)=即 感性による対象の直接の把握と照合なしには、即、はあり得ないものだとするならば その対象である二つのものは、いずれも実存的なものか、または概念的なものである可能性があります。 色と空はどちらも実存的である可能性があります。 諸法(即)空相は、前者の照合を基とした、より大きな概念的なもの同士の照合なのかもしれません。 般若(即)呪といった事においても上記の事柄を基に考察を進められるものと思っています。 阿即空という体験に入れば、これらの疑問も全て氷解してしまうのかもしれませんが、その前に試行錯誤を含めた考察をしておく事も必要かもしれないと思っています。 どなたか、ご教授願えれば幸いです。 よろしくお願い致します。
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- 哲学・倫理・宗教学
- noname#112847
- 回答数6
- 日本という実験場
日本という国及びこの国でで生まれ育った人の特徴として、 ・無信仰 ・権威の崩壊 ・うつ病など精神疾患の増加 ・年間3万人の自殺者 ・様々な局面での2極化 などがありますが、 これは人類にとって最先端の「苦悩」ではないでしょうか。 相変わらず貧困という低次元の諸問題はありますが、多くは生き方のミスによって起こされたもので、生まれた環境が主原因というのは少ないと思われます。 そういう意味では日本人は人類の歴史上で最先端の領域で生きているのではないでしょうか。 神(神の定義は別として)の視点から見れば、地球上でもっとも最先端のラボと言えないでしょうか。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- shift-2007
- 回答数19
- <A HREF="HTTP://OKWAVE.JP/qa/q56609
<A HREF="HTTP://OKWAVE.JP/qa/q5660955.html">色に関するこの理解について</A><A HREF="http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5660955.html">osiete1.goo.ne.jp/</A>質問番号5660955は色に関する理解として適切と判断しました。この主観は適切か否か、適切かつ否か、適切でもなく否でもないか、これら以外なのかフィロの点から御回答ください。リンクはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa5660955.htmlです レンダリングテクストもコピーペーストしておきます。 よろしくおねがいします。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 色の三原色と光の三原色|加色混合と原色混合|波長と色|・・・ここまでひ 色の三原色と光の三原色|加色混合と原色混合|波長と色|・・・ここまでひとりブレインストーミング| || |色相は色温度であり周波数である(これを一とする) || |明度は光の波の振幅の大きさである(これをニとする) || |彩度は光の波の波形(これを三とする) || |色彩学としてこのような理解を素人なりにしてみました| || |誤解や誤りや理解不足があれば矯正ご指導ご鞭撻おねがいします:|| 投稿日時 - 2010-02-09 03:47:55 通報する QNo.5660955 7KISARAGI 困ってます ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
- 人に親切にするストレス発散法はないものか?
おそらく日々のストレスからか、やたらと誹謗中傷攻撃貶め自己正当化人の不幸を喜ぶ野次馬根性が圧倒的な世の中ですが、逆に人に愛情とか共感を示すことがストレス発散法になるという考え方はないのでしょうか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- garcon2001
- 回答数4
- 宗教は無意識において成り立つか。そうならば、無意識での意識とは何か。
質問の概要はタイトルの通りです 複雑ですので質問の文脈をできる限り整理しておきます。 宗教的認識について。 宗教的認識とは生活の世界、つまり経験の蓄積によって我々が意味を与え、成立する世界におけるものなのか。 それとも、生活の世界の意識を対象化し、そこに架かる「認識のための梯子」を外すことで、より高次の直覚的認識の世界に至ろうとするものなのか。 私としては、これについては後者の解釈がより正確だと思われます。そこで以下の問いが浮かびます。 後者に至る認識的上昇は、「外界は存在する」「5+7=12」というような、自然的態度ないしは我々の生活における態度(これも曖昧で物議を醸しそうですが)の完全な放棄を意味するのか。これが質問の一つです。 仮にそうだとすれば、認識的上昇は無意識への到達と同じことになると思われます。 ここで、例えば「宇宙の本源」や「神」との意識の共有が行われることになる。 そう言うことは理解できますし、なかなか魅力があるとも思います。 ただ、ここで「無意識における意識」という一見したところの矛盾があるのは明らかです。あえて哲学の文脈で言えば「絶対矛盾的自己同一」の問題だと思われます。これを解消するのはどのようにしてか、というのが質問の二つ目です。 ピンと来られた方、ぜひ回答よろしくお願いします。
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- 哲学・倫理・宗教学
- dansunflux
- 回答数11
- 意識(顕在意識)と無意識(潜在意識)の境界はどうなっているか?
意識と無意識の関係を表した図を、見かける事があります。 それは、頂点が上の正三角形の上部1/3ぐらいの三角形が、意識であるとし、 残りの下の部分が無意識である。とした図です。 または、次の様な図も見かけます。 氷山の、水の表面に飛び出した部分が意識で、水の中に隠れている部分が無意識という図です。 しかし、自己の意識(無意識)を観察し、本を読んだり、考察した結果とてもそうとは思えません。 まず、 意識と無意識の境界ははっきりした物なのか? ぼやけてはいないか? 境界は、一定の位置ではなく、揺れ動いてはいないか? という疑問です。 さらに、意識と無意識の位置関係です。 本当に三角形の様な形で示されるのか? 無意識に底はあるのか? その関係は、卵の白身と黄身の関係の様に、意識が、無意識に包まれている関係ではないか? と言う疑問です。 問いが唐突なので、自分が疑問に思った点を、考える素材として提示したいと思います。 一つには、修行僧の瞑想の体験談の話です。 体験談によると、徐々に、心の深い所に降りている様な印象を受けます。 本当に、意識と無意識の境界をはっきりした物としていいのでしょうか? 一つには、サブミリナル効果です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB%E5%8A%B9%E6%9E%9C これを考えると、無意識は、意識以上に現実を、認識している様に感じます。 無意識が意識の下にあるという認識は正しいのでしょうか? 一つには、意識を失うほど酔っぱらった場合の行動です。 酒場から、自分の家までどう帰ってきたか分からないのに、財布にはタクシーの領収書が入っていたりします。 無意識は、意識が眠っている場合に、自動的に前面に出るのでしょうか? 一つには、意識の発生起源です。 意識より、無意識の方が先に発生したと考えられます。 意識は、何のために発生したのでしょうか? 等々・・・ 自由に、意見、感想等、お書き下さい。
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- 哲学・倫理・宗教学
- noname#136007
- 回答数13
- 意識(顕在意識)と無意識(潜在意識)の境界はどうなっているか?
意識と無意識の関係を表した図を、見かける事があります。 それは、頂点が上の正三角形の上部1/3ぐらいの三角形が、意識であるとし、 残りの下の部分が無意識である。とした図です。 または、次の様な図も見かけます。 氷山の、水の表面に飛び出した部分が意識で、水の中に隠れている部分が無意識という図です。 しかし、自己の意識(無意識)を観察し、本を読んだり、考察した結果とてもそうとは思えません。 まず、 意識と無意識の境界ははっきりした物なのか? ぼやけてはいないか? 境界は、一定の位置ではなく、揺れ動いてはいないか? という疑問です。 さらに、意識と無意識の位置関係です。 本当に三角形の様な形で示されるのか? 無意識に底はあるのか? その関係は、卵の白身と黄身の関係の様に、意識が、無意識に包まれている関係ではないか? と言う疑問です。 問いが唐突なので、自分が疑問に思った点を、考える素材として提示したいと思います。 一つには、修行僧の瞑想の体験談の話です。 体験談によると、徐々に、心の深い所に降りている様な印象を受けます。 本当に、意識と無意識の境界をはっきりした物としていいのでしょうか? 一つには、サブミリナル効果です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB%E5%8A%B9%E6%9E%9C これを考えると、無意識は、意識以上に現実を、認識している様に感じます。 無意識が意識の下にあるという認識は正しいのでしょうか? 一つには、意識を失うほど酔っぱらった場合の行動です。 酒場から、自分の家までどう帰ってきたか分からないのに、財布にはタクシーの領収書が入っていたりします。 無意識は、意識が眠っている場合に、自動的に前面に出るのでしょうか? 一つには、意識の発生起源です。 意識より、無意識の方が先に発生したと考えられます。 意識は、何のために発生したのでしょうか? 等々・・・ 自由に、意見、感想等、お書き下さい。
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- 哲学・倫理・宗教学
- noname#136007
- 回答数13
- 世界(宇宙)が自分の相補、て思えないのはなぜ?
世界(宇宙)が自分の相補、て思えないのはなぜ? 私も含め一般的に、人は「自己」と「それ以外」という認識で生きている。だが、経験的に(感性から)己が進歩すれば外界も変化していくようだ。 より良い「生」を得るには、まず自己変革=環境認識を深める、ことが重要に思えますが、なぜスピードが遅いのか?(宇宙が自分の相補と感じにくいのか?)
- 「矛盾」てどう認識すれば正しいのか?
「思想」は全てのものを意味づけるものだから、物理などと矛盾してはならない。しかし、世界の事象には「矛盾を包含」した形で存在するものもある。対極図の2つの点=「矛盾を包含」。日々生活していても「矛盾を包含」することに出くわすことがある。 いったい「矛盾」て、どう認識すれば正しいのか? 「矛盾」を言葉で正確に定義できるのか?
- 僕の考えた哲学は 何かの役に立つでしょうか?
僕の考えた哲学は 何かの役に立つでしょうか? 人間は存在する為に生きている 存在肯定です 存在しないものは 無いのですから 人間は精神 精神は性質で出来ている 人間は存在性を駆使して生きる 実は人間の正体は存在性の塊 存在の為の存続 存続を目指して未来に存在する 永遠への存在を目指す 唯物論と唯心論の合体 危険な急速な進化を避けてゆっくり進化しよう 存在とは「個性ある性質を持ったエネルギー」として捉え 人間の精神はその性質と同じ質である・・・ 等など
- 僕の考えた哲学は 何かの役に立つでしょうか?
僕の考えた哲学は 何かの役に立つでしょうか? 人間は存在する為に生きている 存在肯定です 存在しないものは 無いのですから 人間は精神 精神は性質で出来ている 人間は存在性を駆使して生きる 実は人間の正体は存在性の塊 存在の為の存続 存続を目指して未来に存在する 永遠への存在を目指す 唯物論と唯心論の合体 危険な急速な進化を避けてゆっくり進化しよう 存在とは「個性ある性質を持ったエネルギー」として捉え 人間の精神はその性質と同じ質である・・・ 等など