gesui3 の回答履歴
- 「論語」の厳選されてない部分も大事にすべきか?
「論語」は『全文解説』か『厳選解説』か、どちらが良いと思いますか? 『全文解説』だとボリュームがあって読むのにも血肉にするにも時間がかかりますが、厳選には無い教えも多く含まれてるので人としてより成長できるのでは無いかと思います。 『厳選解説』だとボリュームも少なく少数精鋭で集中的に血肉にできるし、「有名な物を厳選」なので有名では無い≒そこまで重要度高くない教えが省かれてるので効率的ではあると思いますか、「論語」は『人としてどう生きるかの教科書』のような物ですので、細々とした有名では無い文も必要なのかな?とも感じます。 前者だと『全文完全対照版 論語コンプリート:本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』が、後者だと『小学生のための論語』と『世界一役に立つ論語の本』を考えています。 つまり、前者を読んで抜粋されてない部分も大事に蓄積するのが良いか、それとも後者の2冊を少数精鋭で徹底するかの2択です。 全文現代語訳の本は試し読みで読んでみましたが、自分には難しすぎて断念しました。 どちらが良いと思われますか? 理由も添えてご回答頂けますと幸いです。
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- doremifaso123
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- 夏休みのレポート
夏休みの宿題として家庭科では幼児についてのレポートを作ることになりました。私は子育て支援について調べようと思いましたが、"幼児について"というテーマと違うのではないかと思いました。皆さんはどう思いますか?回答お願いします
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- EBIMAYO1208
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- 富山のほたるいか漁見学の宿
4月下旬、富山県滑川市の深夜のホタルイカ漁の見学したのですが、 地元の滑川市のホテルの予約がとれません。 こういう場合、富山市か魚津市の宿をとり、、深夜で車移動など 可能でしょうか。その他対策があれば教えていただけると幸いです。 当方は富山は来訪歴なしの関東人です。
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- 富山県
- higasi22miya
- 回答数1
- 文節に区切ってください
等身大の科学としての博物学を大いに広めたいと思っている。 と強調する理由はもう一つある。 (池内了先生の文です) 2行目は1マス空いていますので新たな段落です。 「と」が3個出てきて困っています。
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- 日本語・現代文・国語
- softwind
- 回答数10
- 文節に区切ってください
等身大の科学としての博物学を大いに広めたいと思っている。 と強調する理由はもう一つある。 (池内了先生の文です) 2行目は1マス空いていますので新たな段落です。 「と」が3個出てきて困っています。
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- 日本語・現代文・国語
- softwind
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- 不敬罪みたいなニュアンスの言葉
周りに政治、経済を語る人が多いです。 私と言えば、選挙は欠かさず行きますし、新聞やニュースは見るものの、それよりも休みの時間は趣味に時間を割いてきた人間です。 そして、うっすら感じるのは、政治経済のことを聞かれたからとは言え軽々しく口にすると、不敬罪?にでも問われる空気を感じます。 日本は民主主義国家であり、一市民も大いに政治経済に思いをはせ、論じる姿が好ましいと思います。 しかし、「圧」を感じると辟易しそうになります。 もちろん例えば政治家は国家の命運をかけて政治生命をかけて政治活動しているでしょうから軽々しく語らないでしょうが、僕はナメるのとは違い気軽に語りたいです。 下手に語ると不敬罪?(ナメてる罪?)に問われる一方、語らないと大人じゃないと言われそう。 質問なのですが、不敬罪というのは適切ではなく、この質問の文脈でもっと適切な言葉(○○罪)はないでしょうか? つまり例えば、大人として政治経済に対する適切な発言が出来ていないことを責めるみたいな意味合いです。 よろしくお願いします。
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- 日本語・現代文・国語
- noname#258364
- 回答数3
- 漢字や熟語の勉強法
効率的な漢字や熟語の勉強法はありますか 工夫していることでも構いません よく書いて覚えろといいますが、ただひたすら書くだけというのは あまり効率的ではないように思えます (ある程度は書いて覚えるべきだとは思いますが…)
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- 日本語・現代文・国語
- fossamagna
- 回答数4
- 卒啄同時ではなくて。。。
弟子が優秀で師が殻を破る手伝いする必要がない といったニュアンスの諺だったか、慣用句か、表現があるような気がして、ネット検索をしているのですが検索の仕方が悪いのか、しっくりくるものにたどり着きません。 少し皮肉めいた言い方だったような気もするのですが。。。 どなたかしっくりくるお言葉いただけませんでしょうか。
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- 日本語・現代文・国語
- inakaneko2
- 回答数6
- 石原莞爾について
石原莞爾は、なぜ満州事変の首謀者にも拘わらず戦犯にならなかったのですか?また、なぜ他の軍人達は、石原氏が反対したにも拘わらず中国との戦争を拡大してしまったのですか?
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- 歴史
- kiyurohi88
- 回答数3
- 本の一文には理由に相当する文がないこともあるのか?
本に書かれてる文章は一文一文筆者が意図を考えて書いていると信じるのは間違ってるんでしょうか? 本を読んでいると、なんでそうだと言えるのだろうという文にあたることがあるのですが、その理由もちゃんと文章中に書いてあるか探してみても見つからないことも多いです。 たとえば宮沢賢治の永訣の朝を引き合いに出して感情に対してありあわせの言葉で名付けてしまうのではなく行動の記述を通じて客観的に記述することの大切さが説かれている文があるのですが、そこで「客観的に感情を記述するによって賢治は救われる。賢治が救われることでトシもまた救われる」みたいなことがことが書いてあるわけです。 賢治が救われることはその文章自体がが客観的に感情を記述することの大切さを説いていることからそれとなく分かるのですが、なんで賢治が救われるとトシが救われるのかがまるで分からない。それで文章をくまなく見てみるがやっぱりどう見ても理由にあたる記述がなかったりするんです。 確かに明らかに「なぜなら~だから」という構文などになっているような何かに対する理由を述べた記述にまでは、その理由が無かったとしてもとりあえず不満はありません。だってそうすると無限背進に陥りますから。 しかしそうではない文についてはその文に関連した理由に相当する文があるのではないかと思います。 受験国語では「傍線部について、なぜそうだと言えるのか説明せよ」式の問題がありますが、あれが限られた部分について問うているのはまず試験時間の制約上がありその他種々の制約や事情のせいでそうなっているだけで、原理上は文章を構成する「なぜなら」構文等を除く全ての文に対して同じ問いを設定することは可能なのだと思うわけです。そして受験国語の鉄則としては答えは文章中にあることになっているのですから、なぜそうかとという問いにも必ず問題の文章中から解答になるものを引っ張り出せることになるわけです。そういう問いが全ての文に対して立てれるということは、ということは全ての文には理由に相当する文が存在することになるわけです。 あるいは受験のなかでそういう問いを問われ続けるせいで、まとまった文章には全ての文に対して理由に相当する文が存在するはずなのだとう信念が形成されてしまったとも言えます。 せっかく本を買ったのに、一文でもなぜか分からないところがあったらそれを放置してしまってはせっかく本を読んだ意義が減ってしまうと思って、いままでずっとそうしてきたのですが、実は本当に特に理由もなく筆の勢いでなんとなく書いてしまったという文も普通にあるものなのでしょうか? 私は答えのない問いを自分で立てたあげく探していただけなのでしょうか? 回答よろしくお願いします。
- 締切済み
- 日本語・現代文・国語
- dorawii
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- 本の一文には理由に相当する文がないこともあるのか?
本に書かれてる文章は一文一文筆者が意図を考えて書いていると信じるのは間違ってるんでしょうか? 本を読んでいると、なんでそうだと言えるのだろうという文にあたることがあるのですが、その理由もちゃんと文章中に書いてあるか探してみても見つからないことも多いです。 たとえば宮沢賢治の永訣の朝を引き合いに出して感情に対してありあわせの言葉で名付けてしまうのではなく行動の記述を通じて客観的に記述することの大切さが説かれている文があるのですが、そこで「客観的に感情を記述するによって賢治は救われる。賢治が救われることでトシもまた救われる」みたいなことがことが書いてあるわけです。 賢治が救われることはその文章自体がが客観的に感情を記述することの大切さを説いていることからそれとなく分かるのですが、なんで賢治が救われるとトシが救われるのかがまるで分からない。それで文章をくまなく見てみるがやっぱりどう見ても理由にあたる記述がなかったりするんです。 確かに明らかに「なぜなら~だから」という構文などになっているような何かに対する理由を述べた記述にまでは、その理由が無かったとしてもとりあえず不満はありません。だってそうすると無限背進に陥りますから。 しかしそうではない文についてはその文に関連した理由に相当する文があるのではないかと思います。 受験国語では「傍線部について、なぜそうだと言えるのか説明せよ」式の問題がありますが、あれが限られた部分について問うているのはまず試験時間の制約上がありその他種々の制約や事情のせいでそうなっているだけで、原理上は文章を構成する「なぜなら」構文等を除く全ての文に対して同じ問いを設定することは可能なのだと思うわけです。そして受験国語の鉄則としては答えは文章中にあることになっているのですから、なぜそうかとという問いにも必ず問題の文章中から解答になるものを引っ張り出せることになるわけです。そういう問いが全ての文に対して立てれるということは、ということは全ての文には理由に相当する文が存在することになるわけです。 あるいは受験のなかでそういう問いを問われ続けるせいで、まとまった文章には全ての文に対して理由に相当する文が存在するはずなのだとう信念が形成されてしまったとも言えます。 せっかく本を買ったのに、一文でもなぜか分からないところがあったらそれを放置してしまってはせっかく本を読んだ意義が減ってしまうと思って、いままでずっとそうしてきたのですが、実は本当に特に理由もなく筆の勢いでなんとなく書いてしまったという文も普通にあるものなのでしょうか? 私は答えのない問いを自分で立てたあげく探していただけなのでしょうか? 回答よろしくお願いします。
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- dorawii
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- 本の一文には理由に相当する文がないこともあるのか?
本に書かれてる文章は一文一文筆者が意図を考えて書いていると信じるのは間違ってるんでしょうか? 本を読んでいると、なんでそうだと言えるのだろうという文にあたることがあるのですが、その理由もちゃんと文章中に書いてあるか探してみても見つからないことも多いです。 たとえば宮沢賢治の永訣の朝を引き合いに出して感情に対してありあわせの言葉で名付けてしまうのではなく行動の記述を通じて客観的に記述することの大切さが説かれている文があるのですが、そこで「客観的に感情を記述するによって賢治は救われる。賢治が救われることでトシもまた救われる」みたいなことがことが書いてあるわけです。 賢治が救われることはその文章自体がが客観的に感情を記述することの大切さを説いていることからそれとなく分かるのですが、なんで賢治が救われるとトシが救われるのかがまるで分からない。それで文章をくまなく見てみるがやっぱりどう見ても理由にあたる記述がなかったりするんです。 確かに明らかに「なぜなら~だから」という構文などになっているような何かに対する理由を述べた記述にまでは、その理由が無かったとしてもとりあえず不満はありません。だってそうすると無限背進に陥りますから。 しかしそうではない文についてはその文に関連した理由に相当する文があるのではないかと思います。 受験国語では「傍線部について、なぜそうだと言えるのか説明せよ」式の問題がありますが、あれが限られた部分について問うているのはまず試験時間の制約上がありその他種々の制約や事情のせいでそうなっているだけで、原理上は文章を構成する「なぜなら」構文等を除く全ての文に対して同じ問いを設定することは可能なのだと思うわけです。そして受験国語の鉄則としては答えは文章中にあることになっているのですから、なぜそうかとという問いにも必ず問題の文章中から解答になるものを引っ張り出せることになるわけです。そういう問いが全ての文に対して立てれるということは、ということは全ての文には理由に相当する文が存在することになるわけです。 あるいは受験のなかでそういう問いを問われ続けるせいで、まとまった文章には全ての文に対して理由に相当する文が存在するはずなのだとう信念が形成されてしまったとも言えます。 せっかく本を買ったのに、一文でもなぜか分からないところがあったらそれを放置してしまってはせっかく本を読んだ意義が減ってしまうと思って、いままでずっとそうしてきたのですが、実は本当に特に理由もなく筆の勢いでなんとなく書いてしまったという文も普通にあるものなのでしょうか? 私は答えのない問いを自分で立てたあげく探していただけなのでしょうか? 回答よろしくお願いします。
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- 本の一文には理由に相当する文がないこともあるのか?
本に書かれてる文章は一文一文筆者が意図を考えて書いていると信じるのは間違ってるんでしょうか? 本を読んでいると、なんでそうだと言えるのだろうという文にあたることがあるのですが、その理由もちゃんと文章中に書いてあるか探してみても見つからないことも多いです。 たとえば宮沢賢治の永訣の朝を引き合いに出して感情に対してありあわせの言葉で名付けてしまうのではなく行動の記述を通じて客観的に記述することの大切さが説かれている文があるのですが、そこで「客観的に感情を記述するによって賢治は救われる。賢治が救われることでトシもまた救われる」みたいなことがことが書いてあるわけです。 賢治が救われることはその文章自体がが客観的に感情を記述することの大切さを説いていることからそれとなく分かるのですが、なんで賢治が救われるとトシが救われるのかがまるで分からない。それで文章をくまなく見てみるがやっぱりどう見ても理由にあたる記述がなかったりするんです。 確かに明らかに「なぜなら~だから」という構文などになっているような何かに対する理由を述べた記述にまでは、その理由が無かったとしてもとりあえず不満はありません。だってそうすると無限背進に陥りますから。 しかしそうではない文についてはその文に関連した理由に相当する文があるのではないかと思います。 受験国語では「傍線部について、なぜそうだと言えるのか説明せよ」式の問題がありますが、あれが限られた部分について問うているのはまず試験時間の制約上がありその他種々の制約や事情のせいでそうなっているだけで、原理上は文章を構成する「なぜなら」構文等を除く全ての文に対して同じ問いを設定することは可能なのだと思うわけです。そして受験国語の鉄則としては答えは文章中にあることになっているのですから、なぜそうかとという問いにも必ず問題の文章中から解答になるものを引っ張り出せることになるわけです。そういう問いが全ての文に対して立てれるということは、ということは全ての文には理由に相当する文が存在することになるわけです。 あるいは受験のなかでそういう問いを問われ続けるせいで、まとまった文章には全ての文に対して理由に相当する文が存在するはずなのだとう信念が形成されてしまったとも言えます。 せっかく本を買ったのに、一文でもなぜか分からないところがあったらそれを放置してしまってはせっかく本を読んだ意義が減ってしまうと思って、いままでずっとそうしてきたのですが、実は本当に特に理由もなく筆の勢いでなんとなく書いてしまったという文も普通にあるものなのでしょうか? 私は答えのない問いを自分で立てたあげく探していただけなのでしょうか? 回答よろしくお願いします。
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- dorawii
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- 問題発言について
私は学校のことで色々悩んでいて、一昨日学校を早退することになりました。 早退するときに先生に職員室に入って早退することを伝えてから帰ってと言われたので普通に職員室に入って失礼します〜〜。と先生に伝えました。 ここまではいいのですが、そのあと先生に態度悪いね。だからみんなに助けて貰えないんだよ。と言われました。 これは問題発言ですか? そしてわざと私に向かっていったのですかね? 私がもうめんどくさかったのか、ただ単に追い詰めたかったのか😅 正直もっと学校嫌になりました。来週から行ける気がしません。 ※私は職員室に入る際、いつも通り普通に言ったつもりです。 また、相手は私が悩んでいるのを知っています。 出来れば沢山の方、返信お願いします
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- kdmwkgk_pd
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