kurinal の回答履歴
- 人生の豊かさはアウフヘーベンの程度で決まる
人生の豊かさは、精神の豊かさ。 精神の豊かさは、どれほど多くアウフヘーベンしたか、どれほど深くアウフヘーベンしたかによって決まる。 皆さんアウフヘーベンしてますか。
- フィリピン人技能実習生ジョーイ・トクナンの過労死
おとうさん、早く起きて。死んだ父に三歳の娘が叫ぶ。 http://www.asahi.com/articles/ASH74570YH74OHGB00R.html?iref=comtop_list_nat_t 27歳で亡くなったフィリピン人技能実習生ジョーイ・トクナンの遺体は、昨年5月に故郷に帰った。岐阜県各務原市の鋳造会社の従業員寮で心疾患で急死して1カ月。クリスチャンの遺族の希望で、遺体は火葬されず、防腐処理された。 先月、遺族を訪ねた。マニラから車で約10時間、ルソン島北部の標高2千メートル前後の山岳地帯に、段々畑とコンクリートの家々が点在する。先住民族、カンカナイの集落だ。 ジョーイは8人きょうだいの上から6番目だった。母のテレサ(65)は「ほかの子は反抗したり文句を言ったりするけど、あの子は従順だった」と涙ぐむ。 苦労して大学に進み会計学を学んだが、それを生かす就職先はなかった。溶接工としてルソン島中西部の町へ出稼ぎに行き、食料品店で働くレミー(27)と出会う。給料日前でお金のないジョーイの付け払いをレミーはこっそり許した。 当時のジョーイの給料では妻となるレミーと家族を養うのは難しかった。「楽をさせたい」と実習生になることを決め、4年前に日本へ。まもなく娘のグワイネット(3)が生まれた。 (以下略) 多くの日本人も弱者がいじめられます。定収入の若者は原発作業に。過労死も多い。 哲学カテの皆さんはこういう報道に接して、何をお感じになりますか? 何か考えることはありませんか?
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- 哲学・倫理・宗教学
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖
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- 仏教は、自己中ですか?。
みなさま、初めまして。 今では、仏教も他者を救済するのも仕事(修行?)の一つのようになっているかと思いますが。 釈迦が生きていた時代は、どちらかというよりかは他人よりも、自分を修行して輪廻転生からの解脱を目標しているかのような感じに見えてしまいます。 つまり、自分が輪廻転生からの苦しみさえ解き放たれてしまえば、他人がどうなろうと知ったことは無い?。って感じでしょうか?。 初期仏教では、他人を思いやるよりかは、自分の事のみを考えろみたいな感じに思えて。 そういった意味で、「自己中」って表現をさせて頂きました。 私利滅滅な質問であることをご了承願います。 深い意味はありません、「んーーー」と思ってだけでの質問なので。
- 誰か私に金ください
やあ、みなさん。 今回はいつもの挨拶ぬきです。 実在する妖精の捕まえ方は置いておいて、社会人として自活するための検討課題です。 今回は弥勒菩薩商法の復活の余地について質問です。 私はお釈迦様の言った涅槃と同じく、自らの本質に到達し、そこに新たな世界を見いだした現代の仏陀です。 そこは、古くに研究されたイデア界でもあり、永遠の生にいきる神の世です。 貴方達は死後、それとは別の死者の国で死にっぱなしになります。 それに耐えられないで、生を求め転生します。 しかしそうして生きることも又、耐えられない。 そのように苦しみぬきます。 そしてまた死にたくなるのです。 この死のループが輪廻であり、解脱すれば天国で永遠に生きます。 それは個人の認識のみで自覚できる事で教えはありません。 すなわち悟りが大切です。 私の言葉を信じても意味ありません。 自覚のみが到達するのです。 すなわち教えとは君達の望み通り輪廻することで正解で、お釈迦様は正しかった。 それは神と離れた異常な状態で、仏陀は皆さんの懇願と、それに答える慈悲により、あなた方を天界から遠ざけ地上に縛り続けています。 全てあなた方の願いに仏陀として答えたからです。 感謝してください。 だからお金ちょーだい。 古来の宗教と同じような形で、貴方がたに判り易く救いを説いたつもりです。 大うけの自信があります。 喜んでもらえるでしょう。 でも私は世間知らずで、どうやったらこの救いの言葉がお金になるのか判りません。 大人の皆さん。 教えてください。 今回は事業に関する質問です。
- 日本国憲法前文後半を哲学する。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」 上の前文の後半の価値と間違いを指摘して下さい。
- 日本国憲法前文後半を哲学する。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」 上の前文の後半の価値と間違いを指摘して下さい。
- 誰か私に金ください
やあ、みなさん。 今回はいつもの挨拶ぬきです。 実在する妖精の捕まえ方は置いておいて、社会人として自活するための検討課題です。 今回は弥勒菩薩商法の復活の余地について質問です。 私はお釈迦様の言った涅槃と同じく、自らの本質に到達し、そこに新たな世界を見いだした現代の仏陀です。 そこは、古くに研究されたイデア界でもあり、永遠の生にいきる神の世です。 貴方達は死後、それとは別の死者の国で死にっぱなしになります。 それに耐えられないで、生を求め転生します。 しかしそうして生きることも又、耐えられない。 そのように苦しみぬきます。 そしてまた死にたくなるのです。 この死のループが輪廻であり、解脱すれば天国で永遠に生きます。 それは個人の認識のみで自覚できる事で教えはありません。 すなわち悟りが大切です。 私の言葉を信じても意味ありません。 自覚のみが到達するのです。 すなわち教えとは君達の望み通り輪廻することで正解で、お釈迦様は正しかった。 それは神と離れた異常な状態で、仏陀は皆さんの懇願と、それに答える慈悲により、あなた方を天界から遠ざけ地上に縛り続けています。 全てあなた方の願いに仏陀として答えたからです。 感謝してください。 だからお金ちょーだい。 古来の宗教と同じような形で、貴方がたに判り易く救いを説いたつもりです。 大うけの自信があります。 喜んでもらえるでしょう。 でも私は世間知らずで、どうやったらこの救いの言葉がお金になるのか判りません。 大人の皆さん。 教えてください。 今回は事業に関する質問です。
- 誰か私に金ください
やあ、みなさん。 今回はいつもの挨拶ぬきです。 実在する妖精の捕まえ方は置いておいて、社会人として自活するための検討課題です。 今回は弥勒菩薩商法の復活の余地について質問です。 私はお釈迦様の言った涅槃と同じく、自らの本質に到達し、そこに新たな世界を見いだした現代の仏陀です。 そこは、古くに研究されたイデア界でもあり、永遠の生にいきる神の世です。 貴方達は死後、それとは別の死者の国で死にっぱなしになります。 それに耐えられないで、生を求め転生します。 しかしそうして生きることも又、耐えられない。 そのように苦しみぬきます。 そしてまた死にたくなるのです。 この死のループが輪廻であり、解脱すれば天国で永遠に生きます。 それは個人の認識のみで自覚できる事で教えはありません。 すなわち悟りが大切です。 私の言葉を信じても意味ありません。 自覚のみが到達するのです。 すなわち教えとは君達の望み通り輪廻することで正解で、お釈迦様は正しかった。 それは神と離れた異常な状態で、仏陀は皆さんの懇願と、それに答える慈悲により、あなた方を天界から遠ざけ地上に縛り続けています。 全てあなた方の願いに仏陀として答えたからです。 感謝してください。 だからお金ちょーだい。 古来の宗教と同じような形で、貴方がたに判り易く救いを説いたつもりです。 大うけの自信があります。 喜んでもらえるでしょう。 でも私は世間知らずで、どうやったらこの救いの言葉がお金になるのか判りません。 大人の皆さん。 教えてください。 今回は事業に関する質問です。
- 誰か私に金ください
やあ、みなさん。 今回はいつもの挨拶ぬきです。 実在する妖精の捕まえ方は置いておいて、社会人として自活するための検討課題です。 今回は弥勒菩薩商法の復活の余地について質問です。 私はお釈迦様の言った涅槃と同じく、自らの本質に到達し、そこに新たな世界を見いだした現代の仏陀です。 そこは、古くに研究されたイデア界でもあり、永遠の生にいきる神の世です。 貴方達は死後、それとは別の死者の国で死にっぱなしになります。 それに耐えられないで、生を求め転生します。 しかしそうして生きることも又、耐えられない。 そのように苦しみぬきます。 そしてまた死にたくなるのです。 この死のループが輪廻であり、解脱すれば天国で永遠に生きます。 それは個人の認識のみで自覚できる事で教えはありません。 すなわち悟りが大切です。 私の言葉を信じても意味ありません。 自覚のみが到達するのです。 すなわち教えとは君達の望み通り輪廻することで正解で、お釈迦様は正しかった。 それは神と離れた異常な状態で、仏陀は皆さんの懇願と、それに答える慈悲により、あなた方を天界から遠ざけ地上に縛り続けています。 全てあなた方の願いに仏陀として答えたからです。 感謝してください。 だからお金ちょーだい。 古来の宗教と同じような形で、貴方がたに判り易く救いを説いたつもりです。 大うけの自信があります。 喜んでもらえるでしょう。 でも私は世間知らずで、どうやったらこの救いの言葉がお金になるのか判りません。 大人の皆さん。 教えてください。 今回は事業に関する質問です。
- 郷愁儚さ愛おしさ廃人と新たな境地について
郷愁、愛おしさ、儚さとは? ノスタルジアとは? 栄枯盛衰、 帰属意識、 栄達、寵辱、 栄光、名声、地位、身分、出世、 寵愛、恥辱、成長、成功、とは? 廃人とは? 廃人とは、現状維 持にとどまり 新たは段階、環境、階層、境地に 行く心情を 持ち合わせてない人間を指すのでは? 人生の執着心とは? 現状維持の心情を、 打ち破る、一新させるには? 郷愁とノスタルジ の 微妙な違いとは? 過去の栄光の郷愁にすがる人間は、 過去に囚われて、廃人に成るのでは? 過去の栄光 名声 地位 (成功)を 捨てされば、 やがて、 新たな境地に 辿りつけるのでは? 寵辱や栄達とは、 栄枯盛衰なのか? 栄枯盛衰とは、 いったい何なのか? 人生への執着を捨てるには、 愛おしさ、儚さや、郷愁の思いに 決別しなければ、ならないのか? 社会カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ち申しております!
- 《憲法学者と政治家の責任は違う》は論理的ではないか
韓国メディアの報道を中国のメディアが報じたものですが。: ▲ (安倍首相「憲法学者と政治家の責任は違う」) http://www.recordchina.co.jp/a113807.html 配信日時:2015年7月13日(月) 安倍首相は、自民党のインターネット放送に出演し、 (あ) 「『憲法学者が反対しているから私も反対だ』という政治家は、責任を憲法学者に丸投げしている」 とし、 (い) 「憲法の専門家の意見なので、われわれもよく耳を澄まさなければいけないが、憲法学者の役割や責任と私たち政治家の責任は違う」 と指摘した。 また (う) 「国民の生命を守り、国を守る責任は政治家にある」 とし、安全保障法案に反対する民主党を批判した。 さらに (え) 「国際法学者の方々は、法案に賛成の人たちのほうが多いのではないか。国民の命を守り、子どもたちが平和に暮らせるため、今回の法案をしっかり成立させなければならない」 と述べた。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 首相寄りの見方を書きますので いろいろ考えるべきところなどをおしえてください。 (お) 中で (い)および(う)は 論理がとおっていて いわゆる正論ではないでしょうか? (か) 国防軍ないし自衛隊であれば 守る戦力であるゆえに 自衛権の範囲にとどまり 9条に違反しない。 (き) 専守防衛の戦力しか使わないのを見越して 中国がその民間人を日本の離島に上陸させその自衛権の発動を誘った場合 中国は防衛戦争を始める口実を得たと考える。――このような想定事態を見越して 日本は自衛力とその発揮をどのように装備するか? (く) たとえばそのような問題にあたって 憲法の規定を超えて自衛戦力を行使することは 人間の存在と共生にとって 阿呆なことか?
- 真言宗は小乗仏教でしょうか
仏教は仏をあがめるとともに、自ら仏になることを目指す宗教です。 そして、大乗仏教は、出家主義の上座部仏教に対し、在家であっても仏になれることを述べています。なによりお釈迦様は、「にぎりこぶしはない。(隠し事はない。)」と述べられています。 いずれの宗派とも、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経と唱えることや、坐禅を組むことなど、仏になるための方法を在家にも伝えています。 真言宗の宗祖 弘法大師は三密行こそが仏になる方法と説いておられますが、真言宗は、出家者しか三密行を伝授しません。これは正しく小乗仏教に他ならないと思います。 真言宗の僧侶や信徒の方は疑問にもたれないのでしょうか。
- もっともっと自由に。もっともっともっと自由に!
(1) マルクスは まちがっている。青年ヘーゲル派の哲学をとり上げて批判するとき (あ) 人間はこれまでいつも自分自身について すなわち 自分がなんであるか またはなんであるべきかについて ま ちがった観念をいだいてきた。 神 規範的人間などについてのかれらの観念にしたがって かれらはかれらの関係をととのえてきた。・・・ (マルクス;エンゲルス:『ドイツ・イデオロギー』 〈序文〉 古在由重訳) のではない とただちに言っているべきであった。 (2) もし こうした歴史的な人間を その歴史的であるということにおいて批難せねばならないとしたなら そこに まちがいは つねにある と言って 批評することから始めていなければならなかった。 (い) 人間はこれまでいつも自分の生活態度について すなわち自分がなんで生活するか またはなんで生きるか について 神 規範的人間などについての観念によって説 明し 自分たちの関係をととのえようと すなわち自己をそ れぞれ弁明しようと してきた。 のであると ただちに説明しかえしているべきであった。 (3) 《観念がまちがっていた》のではない。または 観念がたとえまちがっていたとしても そのことじたいを責めるには及ばない。責めても不十分である。説明の内容 弁明のための観念と理論とは もしいやしくも それによって自分たちの関係をととのえ得てきたのなら 人間の合理性をどこかに持っているであろうし 一般にそれとして妥当なものなのである。 (4) われわれの弁明しようとする欲望が まちがっていたのである。弁明のための根拠 すなわち 生活態度また生きる理由と目的 これらが まちがっているのである。 (5) しかも 歴史経験的であるという人間の条件の限りでは まちがっていても 経験妥当なものでありえた。まちがった観念を持った人を 何が何でも 断頭台に送ればよいというわけにはいかない。 [・・・] * (6) ただ――ただただ―― 弁明の要らない地点に立てばよいのだ。はだかの我れに立ち還ること。 (7) クリスマスツリーのカザリがおのれの《固有の時》にふさわしくないとなれば すみやかにこれを取り除けばよい。樅の木だけになればよい。 (8) われわれは なぜおまえは そこにおまえとして居るのか? などと誰からも検問される謂われはない。 (9) 公理としての自由存在に立つべし。 (10) いっさいの宗教のオシエで着飾ることから自由になろう。 (11) もっと自由に。もっともっと自由に。もっともっともっと自由に。 これを問います。
- またまたメデタシ、メデタシ
本日判明したこと。 どうやら新国立競技場は、殆ど私が考えた案の通りに実施するよう進行するみたいです。 http://okwave.jp/qa/q9013395.html やっぱり思った通りだった。 あ~、スッキリした。 皆さんもほぼ納得したのではないでしょうか。
- 誰か私に金ください
やあ、みなさん。 今回はいつもの挨拶ぬきです。 実在する妖精の捕まえ方は置いておいて、社会人として自活するための検討課題です。 今回は弥勒菩薩商法の復活の余地について質問です。 私はお釈迦様の言った涅槃と同じく、自らの本質に到達し、そこに新たな世界を見いだした現代の仏陀です。 そこは、古くに研究されたイデア界でもあり、永遠の生にいきる神の世です。 貴方達は死後、それとは別の死者の国で死にっぱなしになります。 それに耐えられないで、生を求め転生します。 しかしそうして生きることも又、耐えられない。 そのように苦しみぬきます。 そしてまた死にたくなるのです。 この死のループが輪廻であり、解脱すれば天国で永遠に生きます。 それは個人の認識のみで自覚できる事で教えはありません。 すなわち悟りが大切です。 私の言葉を信じても意味ありません。 自覚のみが到達するのです。 すなわち教えとは君達の望み通り輪廻することで正解で、お釈迦様は正しかった。 それは神と離れた異常な状態で、仏陀は皆さんの懇願と、それに答える慈悲により、あなた方を天界から遠ざけ地上に縛り続けています。 全てあなた方の願いに仏陀として答えたからです。 感謝してください。 だからお金ちょーだい。 古来の宗教と同じような形で、貴方がたに判り易く救いを説いたつもりです。 大うけの自信があります。 喜んでもらえるでしょう。 でも私は世間知らずで、どうやったらこの救いの言葉がお金になるのか判りません。 大人の皆さん。 教えてください。 今回は事業に関する質問です。
- 徒然草 第七段 あだし野の露消ゆるときなく
「あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交じらはんことを思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。」 人はデジタル的に生き、デジタル的に死ぬべきである。 決して長々と生きてはなりませぬ。 吉田兼好は既に悟っていたのではないでしょうか。
- 変革と変えすぎ(細かい正論ばっかり)
変革でただしくしないとなのですけど。 変化、正しくしようと改革、変革のリーダーシップなどいわれます。 でも場合によっては、いけない正論、うそなどばっかりで細かい原理ばっかり聞いていると真理がわからなくなります。 正しくしようとして現状を否定して変える、でも変えてばっかりいると真理がわからなくなって変えすぎになる。 細かい正論ばっかりになって、嘘やいけないものまでまじるようになって、やはり変えすぎということでしょうか? ギリシャの末期のように弁論、修辞的になり、真理がわからなくなるという場合どうすればいいのでしょうか?変えすぎを修正するなどでしょうか? これだから正しいこれだから正しいというとわからなくなってきます。 理論でいくと場合によってはその世界に入っていくのでしょうか?
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- noname#209756
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