ghostbuster の回答履歴

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  • ハイデッガーが考えた歴史的運命を担うということ

    『存在と時間』の概説本を何冊か読みましたが、理解できない部分があります。例えば、それらの概説本の中には、「歴史的運命を自己のものとして担うことによって存在それみずからに立ち返る」という説明や、おそらく、それと同様のことを言っているのでしょうけれど、「自己が帰属する真の伝統、自己に固有の世界、自己を含めての共同体の運命―これを引き受け、受け取り直す」という説明がありました。存在と時間において、民族や伝統といったものが強調される理由がわかりません。概説本程度の知識を持ち合わせる人にも理解できるような説明をよろしくお願いします。

    • Fumius
    • 回答数1
  • 物語の登場人物と、倫理

     文学作品に限らず、なにかしらの物語を読むというとき、  「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」(たとえば、「物語の主人公が悪人→だから、この作品はくだらない」というような評価はアリエナイ)  というのは、現在、何かしらの物語を読み、評価するときのごくスタンダードな立場だ、と認識しています。私自身もまあまず殆どの場合、そのような読み方をする読者でありますし、私が会話する相手にもそのような読者であるということを期待します。  しかし、こういった「読み」の在り方は、特に物語の読者となるための基本的な教養として共有している層と共有していない層がいるよな、ということが最近どうも気にかかるようになってきました。言ってみれば、小説を読む/マンガを読む/映画を観るということの「メディアリテラシー」の在る層と無い層という言い方もできるのかもしれませんが、この問題は意外と複雑な議論を含みうるような気がしています。私自身、それがどういった議論になりうるのか、ということを、まだあまり整理して考えられていないのですが、  そもそもこういった「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」といった<読み方>の態度の要請は、おそらく極めて近代的な<読み方>の態度なのではないか、という気がするのですが、 (1)こうした<読み方>の態度は一体いつごろから普及したのか (2)誰が、どういう理屈を掲げて言い始めたのか (3)この<読み方>に対する論争史のようなものはあるのか といったことをご存じの方がいらっしゃったら教えていただけませんでしょうか。シャルチエなどの近代読書行為論みたいな領域で扱われてそうな気もするのですが、どうもそちらのほうに詳しい知人がいないので。  宜しくお願い致します。

  • 物語の登場人物と、倫理

     文学作品に限らず、なにかしらの物語を読むというとき、  「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」(たとえば、「物語の主人公が悪人→だから、この作品はくだらない」というような評価はアリエナイ)  というのは、現在、何かしらの物語を読み、評価するときのごくスタンダードな立場だ、と認識しています。私自身もまあまず殆どの場合、そのような読み方をする読者でありますし、私が会話する相手にもそのような読者であるということを期待します。  しかし、こういった「読み」の在り方は、特に物語の読者となるための基本的な教養として共有している層と共有していない層がいるよな、ということが最近どうも気にかかるようになってきました。言ってみれば、小説を読む/マンガを読む/映画を観るということの「メディアリテラシー」の在る層と無い層という言い方もできるのかもしれませんが、この問題は意外と複雑な議論を含みうるような気がしています。私自身、それがどういった議論になりうるのか、ということを、まだあまり整理して考えられていないのですが、  そもそもこういった「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」といった<読み方>の態度の要請は、おそらく極めて近代的な<読み方>の態度なのではないか、という気がするのですが、 (1)こうした<読み方>の態度は一体いつごろから普及したのか (2)誰が、どういう理屈を掲げて言い始めたのか (3)この<読み方>に対する論争史のようなものはあるのか といったことをご存じの方がいらっしゃったら教えていただけませんでしょうか。シャルチエなどの近代読書行為論みたいな領域で扱われてそうな気もするのですが、どうもそちらのほうに詳しい知人がいないので。  宜しくお願い致します。

  • 天賦人権論 と儒学の違いって

    天賦人権論は儒学が否定している欲望を肯定していて、平等である。 儒学には主と民がいて平等ではない、と聞いたのですが、比較をするには具体的にどのようなことを書けばいいのでしょうか? 悩んでいるのですが、どうしても上手くまとまらないのでご教授お願いします。

  • カントの市民資格

    カントの市民資格とはどういったものでしょうか。

    • sheeki
    • 回答数1
  • 東浩紀氏がいうスノビズムの定義って一般的なスノビズムの定義とは違いますよね?

    東浩紀氏によると「与えられた環境を否定する実質的な理由が何もないにも関わらず、形式的な価値に基づいてそれを否定する行動様式のことをいう。」 (東浩紀著:動物化するポストモダンより抜粋)とありますが、一般的なスノビズムにいう俗物根性のようなニュアンスはないですよね。 なぜ、こんな用語の混同が起こるのでしょうか? 御回答よろしくお願いします。

  • 東浩紀氏がいうスノビズムの定義って一般的なスノビズムの定義とは違いますよね?

    東浩紀氏によると「与えられた環境を否定する実質的な理由が何もないにも関わらず、形式的な価値に基づいてそれを否定する行動様式のことをいう。」 (東浩紀著:動物化するポストモダンより抜粋)とありますが、一般的なスノビズムにいう俗物根性のようなニュアンスはないですよね。 なぜ、こんな用語の混同が起こるのでしょうか? 御回答よろしくお願いします。

  • ルソーの社会契約論

    ルソーの社会契約論の中で道徳的自由という言葉が出てきますが、「一般意思に従うことによって道徳的自由を得ることが出来る」というのはどういうことなんでしょう?

  • ルソーの社会契約論

    ルソーの社会契約論の中で道徳的自由という言葉が出てきますが、「一般意思に従うことによって道徳的自由を得ることが出来る」というのはどういうことなんでしょう?

  • ルソーの社会契約論

    ルソーの社会契約論の中で道徳的自由という言葉が出てきますが、「一般意思に従うことによって道徳的自由を得ることが出来る」というのはどういうことなんでしょう?

  • ベルクソン

    ベルクソンは何故直観を重視したのでしょうか。 哲学はまったくの素人ですのでわかりやすくご解説いただければ幸いです。

    • noname#49114
    • 回答数2
  • バタイユの眼球譚:エロス&タナトス

    お世話になります。この質問を文学のカテにするか迷いましたが、結局この哲学のカテにしました。今ジョルジュ・バタイユの眼球譚を読んでいます。私はこの彼のこの本をポストモダニズム・ゴシック文学(違うかもしれません)である事を証明してみたいんでが、そこでまずエロス&タナトス=生(性)の欲動と死の衝動の観点から眼球譚を読んでいます。まず眼球譚の中からそれらを匂わせる文章を引用します。 she(Marcelle) was hanging inside the wardrobe... i cut the rope, but she was quite dead. we laid her out on the carpet. Simone saw i was getting a hard-on and she started jerking me off. i too stretched out on the carpet. it was impossible to otherwise; Simone was still a virgin, and i fucked her for the first time, next to the corpse. it was very painful for both of us, but we were glad precisely because it was painful... as for the fact that Simone dared to piss on the corpse (Bataille, 1987, p.50-51) 上記の文章はちょっとショッキングな内容なので全ては訳さず部分的に訳していきます。まずマルセールという女の子が自殺します。そして主人公の男(名前はありません)は明らかに死体を見て欲情し、シモーンが彼のマスターベーションを手伝い、そしてふたりは死体のとなりで初めての性行為を行っています。それは精神的な痛みを伴う快楽である事をふたりはここで認めています。 necrophilia(ネクロフィリア)が内側に向いた時、人はマゾスティックな側面をみせ、それが外側に向いた時、人はサディスティックな側面をみせます。シモーンと男ははここでまず(死の衝動による、性の欲動)マゾ的な快楽を最初に味わい、そしてシモーンは最後の文章の部分でサド的な行為に及んでいると思います。ここでバタイユは死を通して両極にエロスを表現してるんですけど、僕はバタイユはこのエロスとタナトスという両極の(binary opposition)間に性行為という表現を使いliminal space(リミナル・スペース)をつくり出したと思っています。さらにここにゴシックとしてのスペースを持っていると考えています。 ここで質問があります。実際、バタイユ自身は死と性(生)についてどう考えていたのでしょうか? またバタイユについて有効な文献がありました教えて下さい。 これは文学として、または哲学としての質問なので削除されないことを... お手柔らかに。

  • スピノザの考え方について

    スピノザは、下記の問いにどういうふうに答えているのでしょうか? 1.人間は死んだらどうなるのか? 2.なぜ、人間は生きるのか?(理由がなければ自殺するはず)

  • スピノザの考え方について

    スピノザは、下記の問いにどういうふうに答えているのでしょうか? 1.人間は死んだらどうなるのか? 2.なぜ、人間は生きるのか?(理由がなければ自殺するはず)

  • メタファー

    メタファーという言葉はいったいどういう意味なんですか?

  • ガタリ、ドゥルーズ、フーコーの本を探してます

    デリダ、ドゥルーズ、ガタリ、バルト、フーコーあたりの構造主義哲学者の本を安く入手する方法を教えて下さい。 特にドゥルーズとガタリの共著「千のプラトー」が読みたいですが、高くて手が出ません。 地方なので図書館には構造主義の本はありません。頑張って夏に上京して神田まで行きましたが、おのぼりさんには広すぎてどこをどう探していいかわからず挫折…。調べて入ったとこでも結局、高くて買えず、タイトルだけ拝んできたようなかんじです。 Amazon以外でこういった哲学書の中古を扱っている古書店についての情報をご存知でしたらお願いします。 また、英文は読めますので、海外サイトでPDF文書があった場合はURLをお願いします。(フランス語は自信が無いです)

  • メタファー

    メタファーという言葉はいったいどういう意味なんですか?

  • 作品名がわかりません、近代の文学

    高校生のときに習った文学史に出てきた有名な作品の作品名が思い出せません。近代の文学(明治~昭和)だと思います。 先生の説明だけは覚えているのですが、手がかりはそれだけです。 先生の説明 「この話に出てくる家は一階と二階で実は表しているものがある。一階に住む母は前近代的な考え方、二階に住む男性は近代的な考え方。」 (もしかしたら一階と二階が逆だったかもしれません) また、登場人物は「若い男性」「若い女性」「若い女性の母」 登場人物の男性と女性の恋愛が禁じられた、といった要素もあったかもしれません。若い娘と上記の母は一緒に住んでいたような気がします。 話の中心はおそらく男女の恋愛です。 この話が読みたくなってしまったので、心当たりある方、よろしくお願いします。

    • hghrkyn
    • 回答数1
  • 聞き手や「聞く」という行為に関する理論ありますか

    哲学、社会学、言語学、心理学、教育学などの文野で、会話における聞き手や「聞く」という行為、あるいは相互行為一般における相手の行為の解釈者に関する理論はありますか? あるいは、これらについて考える上でヒントとなりそうな理論でも構いませんので、あれば教えて下さい。

    • noname#63019
    • 回答数6
  • ヘーゲルの自己意識にとってのもう一つの自己意識とは?

    ◆「自己意識にとってもう一つ別の自己意識が存在する。それは自分の外に出ているが、このことは、二重の意味を持っている。 一つには、自己意識は自己自身を失っている、ということである。 なぜなら、それは、自分をもう一つの他の実在として見出すからである。 第二に、自己意識はそうすることでもう一方の相手を破棄している。 というのは、それは、相手を実在としてみるのではなく、むしろ自己自身を相手のうちに見出すからである。」(141.109-19) ヘーゲルは、「自己意識が二重になりながら統一を成しているという概念」(141.109-9)に、「自己意識で実現されている無限性」をみる。 自己意識が二重になりながら統一を形成するというのは他者と人間関係を結ぶ中でこそ、自分に対する期待、自分の果たすべき役割、自分のなしうることなどについて、意識されるからである。 (加藤尚武編『「精神現象学」入門より』) という事は、自己意識にとってのもう一つの自己意識とは他者なのでしょうか? また他者は如何に、どうやって自己意識に把握されたのでしょうか?

    • rai317
    • 回答数4