littlekiss の回答履歴
- ダヰ゛デに何が起こったか?
次のようなうたをうたい続けていたダヰ゛デが 何を思ったか 王となってからは 人妻に恋慕し 挙句の果ては その夫を戦争の最前線に送りやって死なせた。女を自分のものにした。何が起こったのか? おしえてください。たたき台は ありません。 ▼ (詩編26:2) ~~~ わがかみ わたしをしらべ わたしをこころみ わがはらわたと わがこころを 火のなかに ためしてください。 ~~~~~ ☆ たとえば人妻強奪作戦に出たのは 神の指図であったかと言うと そんな運命論のような予定説には 興味がありません。思考停止となるか この世で良い目に会うためにのみ思考を勘考するだけとなる。 ダヰ゛デとて 人の子。あわれむべき人間である。といった見方も おもしろくありません。どんな事例にもあてはまりそうな事由です。思考放棄になりかねません。 果てさて ダヰ゛デにいったい何が起こったのでしょう? お考えがありましたら おしえてください。(質問者のたたき台はありません。上のふたつの場合の中間だとか そういう考えも起こりません)。
- ダヰ゛デに何が起こったか?
次のようなうたをうたい続けていたダヰ゛デが 何を思ったか 王となってからは 人妻に恋慕し 挙句の果ては その夫を戦争の最前線に送りやって死なせた。女を自分のものにした。何が起こったのか? おしえてください。たたき台は ありません。 ▼ (詩編26:2) ~~~ わがかみ わたしをしらべ わたしをこころみ わがはらわたと わがこころを 火のなかに ためしてください。 ~~~~~ ☆ たとえば人妻強奪作戦に出たのは 神の指図であったかと言うと そんな運命論のような予定説には 興味がありません。思考停止となるか この世で良い目に会うためにのみ思考を勘考するだけとなる。 ダヰ゛デとて 人の子。あわれむべき人間である。といった見方も おもしろくありません。どんな事例にもあてはまりそうな事由です。思考放棄になりかねません。 果てさて ダヰ゛デにいったい何が起こったのでしょう? お考えがありましたら おしえてください。(質問者のたたき台はありません。上のふたつの場合の中間だとか そういう考えも起こりません)。
- ダヰ゛デに何が起こったか?
次のようなうたをうたい続けていたダヰ゛デが 何を思ったか 王となってからは 人妻に恋慕し 挙句の果ては その夫を戦争の最前線に送りやって死なせた。女を自分のものにした。何が起こったのか? おしえてください。たたき台は ありません。 ▼ (詩編26:2) ~~~ わがかみ わたしをしらべ わたしをこころみ わがはらわたと わがこころを 火のなかに ためしてください。 ~~~~~ ☆ たとえば人妻強奪作戦に出たのは 神の指図であったかと言うと そんな運命論のような予定説には 興味がありません。思考停止となるか この世で良い目に会うためにのみ思考を勘考するだけとなる。 ダヰ゛デとて 人の子。あわれむべき人間である。といった見方も おもしろくありません。どんな事例にもあてはまりそうな事由です。思考放棄になりかねません。 果てさて ダヰ゛デにいったい何が起こったのでしょう? お考えがありましたら おしえてください。(質問者のたたき台はありません。上のふたつの場合の中間だとか そういう考えも起こりません)。
- ダヰ゛デに何が起こったか?
次のようなうたをうたい続けていたダヰ゛デが 何を思ったか 王となってからは 人妻に恋慕し 挙句の果ては その夫を戦争の最前線に送りやって死なせた。女を自分のものにした。何が起こったのか? おしえてください。たたき台は ありません。 ▼ (詩編26:2) ~~~ わがかみ わたしをしらべ わたしをこころみ わがはらわたと わがこころを 火のなかに ためしてください。 ~~~~~ ☆ たとえば人妻強奪作戦に出たのは 神の指図であったかと言うと そんな運命論のような予定説には 興味がありません。思考停止となるか この世で良い目に会うためにのみ思考を勘考するだけとなる。 ダヰ゛デとて 人の子。あわれむべき人間である。といった見方も おもしろくありません。どんな事例にもあてはまりそうな事由です。思考放棄になりかねません。 果てさて ダヰ゛デにいったい何が起こったのでしょう? お考えがありましたら おしえてください。(質問者のたたき台はありません。上のふたつの場合の中間だとか そういう考えも起こりません)。
- 「うつくしい」って何ですか?
一瞬のきらめきをうつくしいと思います。 いつまでも変わらず在る姿をうつくしいと見つめます。 真冬の透明な川底をうつくしいと覗きます。 春先に雨ごとに濁りを深める川をうつくしいと思います。 周囲と溶け合って共存するものをうつくしいと思います。 圧倒的な存在感で環境を一変してしまうものをうつくしいと見ます。 「ハッとする」ものでしょうか。 でも危険や嫌悪対象にも人はハッとします。 ハッとした後の受容、が必須でしょうか。 同じ物をうつくしいと見る人、醜いと見る人、の違いも出て来ます。 ハッとしたその「心地よさ」が、うつくしいの認識でしょうか。 「よいもの」の総体的表現?が「うつくしい」であるようにも思います。 Wikipediaの「美」も覗いてみましたが、 もう少しわかりやすく、と言うか、全体的な表現は無いものか?と思いました。 私が「うつくしいと思う人の心の動き」を主眼に置いているからかもしれません。 「うつくしい」は様々な感性で語られますが、それらに共通する「心の動き」は何なのでしょうか? 当たり前のように「○○はうつくしい」と書かれ、その「うつくしい」って実は何?と言うあたりは不問の場合が多い気が致します。 人間に必要だから生み出された?発生した?概念であり感覚であると思うのです。 生活の視点で説明するとしたらどうなるのか?をお手伝い頂けないでしょうか? よろしくお願いします。
- 「うつくしい」って何ですか?
一瞬のきらめきをうつくしいと思います。 いつまでも変わらず在る姿をうつくしいと見つめます。 真冬の透明な川底をうつくしいと覗きます。 春先に雨ごとに濁りを深める川をうつくしいと思います。 周囲と溶け合って共存するものをうつくしいと思います。 圧倒的な存在感で環境を一変してしまうものをうつくしいと見ます。 「ハッとする」ものでしょうか。 でも危険や嫌悪対象にも人はハッとします。 ハッとした後の受容、が必須でしょうか。 同じ物をうつくしいと見る人、醜いと見る人、の違いも出て来ます。 ハッとしたその「心地よさ」が、うつくしいの認識でしょうか。 「よいもの」の総体的表現?が「うつくしい」であるようにも思います。 Wikipediaの「美」も覗いてみましたが、 もう少しわかりやすく、と言うか、全体的な表現は無いものか?と思いました。 私が「うつくしいと思う人の心の動き」を主眼に置いているからかもしれません。 「うつくしい」は様々な感性で語られますが、それらに共通する「心の動き」は何なのでしょうか? 当たり前のように「○○はうつくしい」と書かれ、その「うつくしい」って実は何?と言うあたりは不問の場合が多い気が致します。 人間に必要だから生み出された?発生した?概念であり感覚であると思うのです。 生活の視点で説明するとしたらどうなるのか?をお手伝い頂けないでしょうか? よろしくお願いします。
- ダヰ゛デに何が起こったか?
次のようなうたをうたい続けていたダヰ゛デが 何を思ったか 王となってからは 人妻に恋慕し 挙句の果ては その夫を戦争の最前線に送りやって死なせた。女を自分のものにした。何が起こったのか? おしえてください。たたき台は ありません。 ▼ (詩編26:2) ~~~ わがかみ わたしをしらべ わたしをこころみ わがはらわたと わがこころを 火のなかに ためしてください。 ~~~~~ ☆ たとえば人妻強奪作戦に出たのは 神の指図であったかと言うと そんな運命論のような予定説には 興味がありません。思考停止となるか この世で良い目に会うためにのみ思考を勘考するだけとなる。 ダヰ゛デとて 人の子。あわれむべき人間である。といった見方も おもしろくありません。どんな事例にもあてはまりそうな事由です。思考放棄になりかねません。 果てさて ダヰ゛デにいったい何が起こったのでしょう? お考えがありましたら おしえてください。(質問者のたたき台はありません。上のふたつの場合の中間だとか そういう考えも起こりません)。
- 「うつくしい」って何ですか?
一瞬のきらめきをうつくしいと思います。 いつまでも変わらず在る姿をうつくしいと見つめます。 真冬の透明な川底をうつくしいと覗きます。 春先に雨ごとに濁りを深める川をうつくしいと思います。 周囲と溶け合って共存するものをうつくしいと思います。 圧倒的な存在感で環境を一変してしまうものをうつくしいと見ます。 「ハッとする」ものでしょうか。 でも危険や嫌悪対象にも人はハッとします。 ハッとした後の受容、が必須でしょうか。 同じ物をうつくしいと見る人、醜いと見る人、の違いも出て来ます。 ハッとしたその「心地よさ」が、うつくしいの認識でしょうか。 「よいもの」の総体的表現?が「うつくしい」であるようにも思います。 Wikipediaの「美」も覗いてみましたが、 もう少しわかりやすく、と言うか、全体的な表現は無いものか?と思いました。 私が「うつくしいと思う人の心の動き」を主眼に置いているからかもしれません。 「うつくしい」は様々な感性で語られますが、それらに共通する「心の動き」は何なのでしょうか? 当たり前のように「○○はうつくしい」と書かれ、その「うつくしい」って実は何?と言うあたりは不問の場合が多い気が致します。 人間に必要だから生み出された?発生した?概念であり感覚であると思うのです。 生活の視点で説明するとしたらどうなるのか?をお手伝い頂けないでしょうか? よろしくお願いします。
- ダヰ゛デに何が起こったか?
次のようなうたをうたい続けていたダヰ゛デが 何を思ったか 王となってからは 人妻に恋慕し 挙句の果ては その夫を戦争の最前線に送りやって死なせた。女を自分のものにした。何が起こったのか? おしえてください。たたき台は ありません。 ▼ (詩編26:2) ~~~ わがかみ わたしをしらべ わたしをこころみ わがはらわたと わがこころを 火のなかに ためしてください。 ~~~~~ ☆ たとえば人妻強奪作戦に出たのは 神の指図であったかと言うと そんな運命論のような予定説には 興味がありません。思考停止となるか この世で良い目に会うためにのみ思考を勘考するだけとなる。 ダヰ゛デとて 人の子。あわれむべき人間である。といった見方も おもしろくありません。どんな事例にもあてはまりそうな事由です。思考放棄になりかねません。 果てさて ダヰ゛デにいったい何が起こったのでしょう? お考えがありましたら おしえてください。(質問者のたたき台はありません。上のふたつの場合の中間だとか そういう考えも起こりません)。
- ダヰ゛デに何が起こったか?
次のようなうたをうたい続けていたダヰ゛デが 何を思ったか 王となってからは 人妻に恋慕し 挙句の果ては その夫を戦争の最前線に送りやって死なせた。女を自分のものにした。何が起こったのか? おしえてください。たたき台は ありません。 ▼ (詩編26:2) ~~~ わがかみ わたしをしらべ わたしをこころみ わがはらわたと わがこころを 火のなかに ためしてください。 ~~~~~ ☆ たとえば人妻強奪作戦に出たのは 神の指図であったかと言うと そんな運命論のような予定説には 興味がありません。思考停止となるか この世で良い目に会うためにのみ思考を勘考するだけとなる。 ダヰ゛デとて 人の子。あわれむべき人間である。といった見方も おもしろくありません。どんな事例にもあてはまりそうな事由です。思考放棄になりかねません。 果てさて ダヰ゛デにいったい何が起こったのでしょう? お考えがありましたら おしえてください。(質問者のたたき台はありません。上のふたつの場合の中間だとか そういう考えも起こりません)。
- ダヰ゛デに何が起こったか?
次のようなうたをうたい続けていたダヰ゛デが 何を思ったか 王となってからは 人妻に恋慕し 挙句の果ては その夫を戦争の最前線に送りやって死なせた。女を自分のものにした。何が起こったのか? おしえてください。たたき台は ありません。 ▼ (詩編26:2) ~~~ わがかみ わたしをしらべ わたしをこころみ わがはらわたと わがこころを 火のなかに ためしてください。 ~~~~~ ☆ たとえば人妻強奪作戦に出たのは 神の指図であったかと言うと そんな運命論のような予定説には 興味がありません。思考停止となるか この世で良い目に会うためにのみ思考を勘考するだけとなる。 ダヰ゛デとて 人の子。あわれむべき人間である。といった見方も おもしろくありません。どんな事例にもあてはまりそうな事由です。思考放棄になりかねません。 果てさて ダヰ゛デにいったい何が起こったのでしょう? お考えがありましたら おしえてください。(質問者のたたき台はありません。上のふたつの場合の中間だとか そういう考えも起こりません)。
- ダヰ゛デに何が起こったか?
次のようなうたをうたい続けていたダヰ゛デが 何を思ったか 王となってからは 人妻に恋慕し 挙句の果ては その夫を戦争の最前線に送りやって死なせた。女を自分のものにした。何が起こったのか? おしえてください。たたき台は ありません。 ▼ (詩編26:2) ~~~ わがかみ わたしをしらべ わたしをこころみ わがはらわたと わがこころを 火のなかに ためしてください。 ~~~~~ ☆ たとえば人妻強奪作戦に出たのは 神の指図であったかと言うと そんな運命論のような予定説には 興味がありません。思考停止となるか この世で良い目に会うためにのみ思考を勘考するだけとなる。 ダヰ゛デとて 人の子。あわれむべき人間である。といった見方も おもしろくありません。どんな事例にもあてはまりそうな事由です。思考放棄になりかねません。 果てさて ダヰ゛デにいったい何が起こったのでしょう? お考えがありましたら おしえてください。(質問者のたたき台はありません。上のふたつの場合の中間だとか そういう考えも起こりません)。
- 答えを出されてしまったことがそんなにくやしいか
1. 答えは むろん 相対的な・過程を経て行く上で段階ごとに――複数においても――得られて行くものであるのだ。なのに なんでくやしがるのか? 2. そんなにおのれがかわいいのか? ならば 次のあらたな答えを考えて出せばよいではないか? 3. それも出来ない。それもしない。あらたな答えを得るために考えることもしない。 4. ただただ おのれの到らなさを嘆くことには 長けている。うまく仲間をあつめて 気休めを言い合い 答えを出した人間を落としめる。 5. 足を引っ張ることに人生の生きがいを感じている。のか? 6. ただただ 自分はかなわないなと思ったその人間にやっかみを覚えている。一生覚え続けている。どうしようもない。のか? 7. そもそもきみたちは 勉強をしたことがあるのか? 人びとに勉強をするなと言い続けているだけではないのか? 8. ただただ おれのことをかまってくれ。と言い続けているだけではないのか? れじすたんすくんは そのきみたちの姿を 身をもって示しているだけではないのか? これくらいの猿回しの猿がいてもいいだろう。 ばか丸出しのほうが かしこいとは これ如何に? * さらに次の答えを問い求める姿勢を持たなければいけない。そうしないと すでに答えの出ていることを問うていると またまた へんないぶかりといちゃもんが後を絶たない。
- 答えを出されてしまったことがそんなにくやしいか
1. 答えは むろん 相対的な・過程を経て行く上で段階ごとに――複数においても――得られて行くものであるのだ。なのに なんでくやしがるのか? 2. そんなにおのれがかわいいのか? ならば 次のあらたな答えを考えて出せばよいではないか? 3. それも出来ない。それもしない。あらたな答えを得るために考えることもしない。 4. ただただ おのれの到らなさを嘆くことには 長けている。うまく仲間をあつめて 気休めを言い合い 答えを出した人間を落としめる。 5. 足を引っ張ることに人生の生きがいを感じている。のか? 6. ただただ 自分はかなわないなと思ったその人間にやっかみを覚えている。一生覚え続けている。どうしようもない。のか? 7. そもそもきみたちは 勉強をしたことがあるのか? 人びとに勉強をするなと言い続けているだけではないのか? 8. ただただ おれのことをかまってくれ。と言い続けているだけではないのか? れじすたんすくんは そのきみたちの姿を 身をもって示しているだけではないのか? これくらいの猿回しの猿がいてもいいだろう。 ばか丸出しのほうが かしこいとは これ如何に? * さらに次の答えを問い求める姿勢を持たなければいけない。そうしないと すでに答えの出ていることを問うていると またまた へんないぶかりといちゃもんが後を絶たない。
- 答えを出されてしまったことがそんなにくやしいか
1. 答えは むろん 相対的な・過程を経て行く上で段階ごとに――複数においても――得られて行くものであるのだ。なのに なんでくやしがるのか? 2. そんなにおのれがかわいいのか? ならば 次のあらたな答えを考えて出せばよいではないか? 3. それも出来ない。それもしない。あらたな答えを得るために考えることもしない。 4. ただただ おのれの到らなさを嘆くことには 長けている。うまく仲間をあつめて 気休めを言い合い 答えを出した人間を落としめる。 5. 足を引っ張ることに人生の生きがいを感じている。のか? 6. ただただ 自分はかなわないなと思ったその人間にやっかみを覚えている。一生覚え続けている。どうしようもない。のか? 7. そもそもきみたちは 勉強をしたことがあるのか? 人びとに勉強をするなと言い続けているだけではないのか? 8. ただただ おれのことをかまってくれ。と言い続けているだけではないのか? れじすたんすくんは そのきみたちの姿を 身をもって示しているだけではないのか? これくらいの猿回しの猿がいてもいいだろう。 ばか丸出しのほうが かしこいとは これ如何に? * さらに次の答えを問い求める姿勢を持たなければいけない。そうしないと すでに答えの出ていることを問うていると またまた へんないぶかりといちゃもんが後を絶たない。
- 答えを出されてしまったことがそんなにくやしいか
1. 答えは むろん 相対的な・過程を経て行く上で段階ごとに――複数においても――得られて行くものであるのだ。なのに なんでくやしがるのか? 2. そんなにおのれがかわいいのか? ならば 次のあらたな答えを考えて出せばよいではないか? 3. それも出来ない。それもしない。あらたな答えを得るために考えることもしない。 4. ただただ おのれの到らなさを嘆くことには 長けている。うまく仲間をあつめて 気休めを言い合い 答えを出した人間を落としめる。 5. 足を引っ張ることに人生の生きがいを感じている。のか? 6. ただただ 自分はかなわないなと思ったその人間にやっかみを覚えている。一生覚え続けている。どうしようもない。のか? 7. そもそもきみたちは 勉強をしたことがあるのか? 人びとに勉強をするなと言い続けているだけではないのか? 8. ただただ おれのことをかまってくれ。と言い続けているだけではないのか? れじすたんすくんは そのきみたちの姿を 身をもって示しているだけではないのか? これくらいの猿回しの猿がいてもいいだろう。 ばか丸出しのほうが かしこいとは これ如何に? * さらに次の答えを問い求める姿勢を持たなければいけない。そうしないと すでに答えの出ていることを問うていると またまた へんないぶかりといちゃもんが後を絶たない。
- 答えを出されてしまったことがそんなにくやしいか
1. 答えは むろん 相対的な・過程を経て行く上で段階ごとに――複数においても――得られて行くものであるのだ。なのに なんでくやしがるのか? 2. そんなにおのれがかわいいのか? ならば 次のあらたな答えを考えて出せばよいではないか? 3. それも出来ない。それもしない。あらたな答えを得るために考えることもしない。 4. ただただ おのれの到らなさを嘆くことには 長けている。うまく仲間をあつめて 気休めを言い合い 答えを出した人間を落としめる。 5. 足を引っ張ることに人生の生きがいを感じている。のか? 6. ただただ 自分はかなわないなと思ったその人間にやっかみを覚えている。一生覚え続けている。どうしようもない。のか? 7. そもそもきみたちは 勉強をしたことがあるのか? 人びとに勉強をするなと言い続けているだけではないのか? 8. ただただ おれのことをかまってくれ。と言い続けているだけではないのか? れじすたんすくんは そのきみたちの姿を 身をもって示しているだけではないのか? これくらいの猿回しの猿がいてもいいだろう。 ばか丸出しのほうが かしこいとは これ如何に? * さらに次の答えを問い求める姿勢を持たなければいけない。そうしないと すでに答えの出ていることを問うていると またまた へんないぶかりといちゃもんが後を絶たない。
- 答えを出されてしまったことがそんなにくやしいか
1. 答えは むろん 相対的な・過程を経て行く上で段階ごとに――複数においても――得られて行くものであるのだ。なのに なんでくやしがるのか? 2. そんなにおのれがかわいいのか? ならば 次のあらたな答えを考えて出せばよいではないか? 3. それも出来ない。それもしない。あらたな答えを得るために考えることもしない。 4. ただただ おのれの到らなさを嘆くことには 長けている。うまく仲間をあつめて 気休めを言い合い 答えを出した人間を落としめる。 5. 足を引っ張ることに人生の生きがいを感じている。のか? 6. ただただ 自分はかなわないなと思ったその人間にやっかみを覚えている。一生覚え続けている。どうしようもない。のか? 7. そもそもきみたちは 勉強をしたことがあるのか? 人びとに勉強をするなと言い続けているだけではないのか? 8. ただただ おれのことをかまってくれ。と言い続けているだけではないのか? れじすたんすくんは そのきみたちの姿を 身をもって示しているだけではないのか? これくらいの猿回しの猿がいてもいいだろう。 ばか丸出しのほうが かしこいとは これ如何に? * さらに次の答えを問い求める姿勢を持たなければいけない。そうしないと すでに答えの出ていることを問うていると またまた へんないぶかりといちゃもんが後を絶たない。
- 虚数とは その名のとおりに想像力の世界なのか?
まづ 推測がゆるされるとしたらのお話です。 ( あ ) 虚数は 現実とどうかかわっているのか? この問いから出た考え(推測)ですが その名のとおりに ( い ) 虚数とは 《想像をめぐらしたその観念の世界》である。 と言えるものであるのか? これが質問です。おしえてください。 * さらに推測を交えた世界に入りますが 趣旨説明を述べます。 まづ ことは ひとの意志行為です。これに注目します。 たとえば実数であれば 意志のあり方は――その表明にまで到ればなおさらですが―― イエスかノーかあるいはその中間でまだ決められないか この二つないし三つに分かれると思われます。まづほかにはないでしょう。 ところが 虚数の概念を仮りに導入したら どうなるか? たとえば イエスもノーもまだまだ決める段階にはない。いえ その情況は相手からその答えを求められ決断をも迫られている段階ではあるのですが どういうわけか(つまり これが 虚数の世界であるかも知れないのですが) 実数としての意志決定をしぶっている。 つまりは言いかえると これは 大きく見れば いまの段階としては不確かな実数の世界( a )とそして同じくいま考えあぐねているその想像の雲に乗った小世界( bi )とで構成される複素数( a+bi )としての実態である。ということになりましょうか? いえ どうなのでしょうか? いまもし ひとがたとえば人間不信に落ち入っていて もはや実数としての意志決定を成し得なくなっているとしたら どうなるでしょう? いまの仮説のかぎりで その人は 虚数の世界にのみあることになります。すべては 想像をめぐらしつづけている。と言えばまだ恰好がついているかも知れませんが 実際は その想像というのは うたがいに満ちさらにはその猜疑心が敵対心にまで広がっているかも分かりません。 もし人の生きることが 自己表現であり 自己表現は それとしておのれの文体を成すとしたら おそらくそれは《わたしがわたしであるそのわたしが わたしする》動態であると見ます。 言いかえると わが自己表現の文体は 《わたしがわたしである》その自己同一性のさらに自乗として限りなくつづく過程である。 《わたし》が 数として一であるならば 一の限りなき自乗として・つまりやはり一でありつつ また多少そこから脱線しても元の一に戻りつつ 生きる。 ところが 現実は 複素数である。かも知れない。虚数の動きが 心に忍び込んで来るのかどうなのか 起きる。おまけに《一》から脱線したときには 元の動態とその軌道が分からなくなる。もはやそこでは あたかもあの悪名高きムラカミハルキ・ワールドつまりモヤモヤ・ワールドのごとく 虚数なる想像一色の世界となる。 自己表現の動態としてありつつも 実数としての意志決定が・したがって意志表明も できない。できなくなる。代わりに ひょっとするとその想像力をたくましくしてあたかも巨大な繭の中にあそぶかのような時空間をすごすということかも知れない。 もしこの現実としての複素数なるわが文体が その中で実数が消えてゼロになり 虚数のみによって成るかたちを取ったとしたら どうなるか? 《わたし》の自乗の動態は あたかも マイナス一(いち)( -1 )となる。 これでは 社会における交通(まじわり)が成らない。成し得ない。 という憶測としての発見をきょう得ました。 ご教示ください。 * おまけもしくは余分: 悪名高きモヤモヤ・ワールドは 精神分析ワールドでもありますが 日本人のあいだでは やはりむしろブディズム――その悪しき部分――に放射能源はあるのではないか? 余計でした。つまり《さとり》についてのゴミ解釈が社会の処理能力を超えて無限に造り出されていまいか? 虚数としてかんたんに誰でも言えるのですよ。 ご教示を願います。
- 虚数とは その名のとおりに想像力の世界なのか?
まづ 推測がゆるされるとしたらのお話です。 ( あ ) 虚数は 現実とどうかかわっているのか? この問いから出た考え(推測)ですが その名のとおりに ( い ) 虚数とは 《想像をめぐらしたその観念の世界》である。 と言えるものであるのか? これが質問です。おしえてください。 * さらに推測を交えた世界に入りますが 趣旨説明を述べます。 まづ ことは ひとの意志行為です。これに注目します。 たとえば実数であれば 意志のあり方は――その表明にまで到ればなおさらですが―― イエスかノーかあるいはその中間でまだ決められないか この二つないし三つに分かれると思われます。まづほかにはないでしょう。 ところが 虚数の概念を仮りに導入したら どうなるか? たとえば イエスもノーもまだまだ決める段階にはない。いえ その情況は相手からその答えを求められ決断をも迫られている段階ではあるのですが どういうわけか(つまり これが 虚数の世界であるかも知れないのですが) 実数としての意志決定をしぶっている。 つまりは言いかえると これは 大きく見れば いまの段階としては不確かな実数の世界( a )とそして同じくいま考えあぐねているその想像の雲に乗った小世界( bi )とで構成される複素数( a+bi )としての実態である。ということになりましょうか? いえ どうなのでしょうか? いまもし ひとがたとえば人間不信に落ち入っていて もはや実数としての意志決定を成し得なくなっているとしたら どうなるでしょう? いまの仮説のかぎりで その人は 虚数の世界にのみあることになります。すべては 想像をめぐらしつづけている。と言えばまだ恰好がついているかも知れませんが 実際は その想像というのは うたがいに満ちさらにはその猜疑心が敵対心にまで広がっているかも分かりません。 もし人の生きることが 自己表現であり 自己表現は それとしておのれの文体を成すとしたら おそらくそれは《わたしがわたしであるそのわたしが わたしする》動態であると見ます。 言いかえると わが自己表現の文体は 《わたしがわたしである》その自己同一性のさらに自乗として限りなくつづく過程である。 《わたし》が 数として一であるならば 一の限りなき自乗として・つまりやはり一でありつつ また多少そこから脱線しても元の一に戻りつつ 生きる。 ところが 現実は 複素数である。かも知れない。虚数の動きが 心に忍び込んで来るのかどうなのか 起きる。おまけに《一》から脱線したときには 元の動態とその軌道が分からなくなる。もはやそこでは あたかもあの悪名高きムラカミハルキ・ワールドつまりモヤモヤ・ワールドのごとく 虚数なる想像一色の世界となる。 自己表現の動態としてありつつも 実数としての意志決定が・したがって意志表明も できない。できなくなる。代わりに ひょっとするとその想像力をたくましくしてあたかも巨大な繭の中にあそぶかのような時空間をすごすということかも知れない。 もしこの現実としての複素数なるわが文体が その中で実数が消えてゼロになり 虚数のみによって成るかたちを取ったとしたら どうなるか? 《わたし》の自乗の動態は あたかも マイナス一(いち)( -1 )となる。 これでは 社会における交通(まじわり)が成らない。成し得ない。 という憶測としての発見をきょう得ました。 ご教示ください。 * おまけもしくは余分: 悪名高きモヤモヤ・ワールドは 精神分析ワールドでもありますが 日本人のあいだでは やはりむしろブディズム――その悪しき部分――に放射能源はあるのではないか? 余計でした。つまり《さとり》についてのゴミ解釈が社会の処理能力を超えて無限に造り出されていまいか? 虚数としてかんたんに誰でも言えるのですよ。 ご教示を願います。