ufoooo の回答履歴
- 哲学は何ひとつ答えを出していない?
こんにちは。 ある本に、「哲学は今までの長い歴史の中で、議論ばかりしてきて何ひとつ答えを出していない」ということが書いてありました。これは以前にも聞いた事があるような気がしますし、なんとなくわかるような気もします。ですが、説明しろといわれたらできません。 この文章はどういうことを言っているのでしょうか?また、この考えは一般に受け入れられたものなのでしょうか?
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- 哲学・倫理・宗教学
- noname#112724
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- 無我について
今初期仏教を習っているんですが、どうしても諸方無我について理解出来ません。。 今理解しているのは、人間とは五蘊からなっており、諸方無常、つまり全てのものは不変ではないということから、自分の存在も変り行くものであり、常に不変的な自分の存在は有り得ないということだと思うのですが。 そして、本当は無我なのに、あたかも我があるようにするのは妄想でしかなく、苦しむという考えだと思うのですが、 では何故無我なのに、何故人間は五蘊の中にもある考えたり、知覚したり、行動したり出来るんでしょうか? 自分がもしおなかが空いた時に、食べ物が目の前にあるとすると、その食べ物を食べたいという欲求が生まれるのですが、それも過去の自分の経験から来るものだと理解できます。 でも、自分ということは本当は存在しないんですから、「自分の」経験ではなくなります。ということは、何故その食べたいと言う欲求が生まれるんでしょうか? その回答として経験と今の自分を結ぶ何か不変の存在があるはずだと、ウパニシャッドの考えがあります。 その不変なもの=我の存在とウパニシャッドではしていると聞きました。 そして、仏教ではその考えに挑戦して「無我」という考えが出たと言われているらしいのですが、結局その答えが五蘊とか変っていくものは苦だから、我は苦でないから無我であるとか、最終的には又最初の疑問である、無我なのに何故考えることが出来るのか、じゃぁ考えている人は何者なのか?っという疑問に帰ってくるような気がするんです。。 そしてその答えがウパニシャッドによる我の存在となって矛盾してしまいます。。 どなたか、この矛盾を解ける方お願いします!!
- 輪廻転生説は 愚の骨頂
ではないでしょうか? 次の理由により 哲学が取り上げるには 値しない主題ではないでしょうか? 理由その一: わたしは 過去世のこれこれという人間から 生まれ変わった者であると言うのは 自由である。その自由というのは 証明もできなければ 反証のしようもないという意味である。 理由その二: 生まれ変わりというこの考え方には つうじょう 因果応報説も ついている。けれども このように 宇宙の始まり以来 いわゆる善因善果(ないし楽果)および悪因悪果(ないし苦果)のもとに 生まれ変わるとすれば ひとつの行為は つねに 例外なく 自業自得という意味である。仮りに人を殺しても 殺すほうも殺されるほうも まったく寸分たがわず それぞれが 自業自得だとなる。それ以外に考えられない。 理由その三: ひとつだけの生涯ではなく やり直しが効くように 転生の思想があるのだと反論を聞いた。けれども それだと この今の人生については もはや 努力をしないと宣言したようなものである。たとえ 来世があるとしても それを頼まずに 今世にて やれるだけのことをやっておくのが 筋というものである。つまり 生まれ変わることを 念頭に置くのは 意味がない。 理由その四: 民主主義ないし 思惟や行動をふくむ表現行為の自由ということ この自由が まだ 制約されていたときには 《たとえこの今の生において 達成し得なかったとしても 次に生まれて来たときには 必ず 成し遂げるぞ》という気概を表わしていたかも知れない。けれども 現代においては かえって 安易な考え方になってしまう。言いかえると 安易な考え方を持つなら 持った途端に 努力とそのための能力が 萎える。それゆえに 精神をめぐる病いが現われるのではないか。すべて ここに原因があるのではないか。 真実をおしえてください。
- 神は人間が幸せになってほしいと願っていますか?
神は人間が幸せになってほしいと願っていますか? はじめから神は幸福のみを築き上げるように人間の精神を作らなかったのですか? なぜ、その逆の可能性の発端をも人間に組み入れてしまったのでしょう? 神は人間が幸せになってほしいと願っていますか? それとも。 神はいないのでしょうか?
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- 哲学・倫理・宗教学
- noname#84158
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- (芭蕉の句)「旅に病で」と「旅に病み」
1 旅に病(やん)で夢は枯野(かれの)をかけ廻(めぐ)る 2 旅に病(や)み夢は枯野をかけ廻る 1はご存知、芭蕉の句です(表記は小学館、日本古典文学全集70による)。 仮に私が芭蕉と同じ句想を得たとします。その場合、字余りはよくないとの知識があるので私の作は2になると予想します。一方、俳句の心得がある方は、2ではなく1であらねばならないと、あるいは1の方が断然優れていると、判定する筈です。どんな理由に拠りますか、芭蕉の代弁を希望します。 字余りに加えて、「旅に病(やん)で」は「旅に病(や)み」に比して幾分か口語色が強くなる気がする点からも私だと2にしてしまうと思います。ご回答には注文といって特にはありませんが、字余りと口語色をどう考えるかに触れて下さるとありがたいです。 よろしくお願いします。
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- sono-higurashi
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- 唯名論と実在論について
哲学はまったくの素人です。 薔薇の名前という小説を調べて普遍論争に興味を持ちました。Wikipediaで見ても専門用語が多くてよく分かりませんでしたが、私なりに以下のようなものではないかと思ったのですが、見当違いかもしれません。哲学を知らない人でも分かる言葉で説明していただけないでしょうか 唯名論:人間というのは田中さんや鈴木さんの集合体に付けられたラベルのようなもので人間という存在が入るわけではないという考え方 実在論:人間の特殊事例として田中さんや鈴木さんが存在しており、どこかに一般的な人間がいる(あるいは、かつてそういう存在があった)という考え方
- 時間は相対的なのか?
時間というものの正体がどうやら相対的であることは それこそ釈迦以来の仏教哲学や最近ではアインシュタイン以来 サイエンスの理論上も、真理であるようですが しかし、私には どうしてもその「相対性」が納得できません。 詰め将棋や数学の例を借りて言ってみましょう。 ここに、ひとつの問題があるとします。 それが何分も「解けない」状態にあって、 あるきっかけでやっと「解けた」とします。 そうやって解けた後で、解けなかった過去を 振り返ってみると分ることがあります。 それは、解けない状態にある間は、 xxxxという道筋をたどれば解けそうな気がする そういう道筋に自分の思考が空回りして しまっていたと言うことです。 さて、時間という哲学的課題に関して 私はどんなところで、どういう迷路に 入り込んでしまっていてどんな空回りを しているのでしょうか? かつてこの問題をお考えになったことの ある方の回答をお待ちします。
- なぜ、どのようにして人間は存在しているの?多くの人は考えないのか?不思議ではないのか?
現在18歳です。小学生の頃から死について考え恐怖していたのですが、朝になれば自然と忘れていました。しかし最近は昼間でも忘れることができず無気力状態で生活に支障がでています。思えば私を私として認識するこの私とはなんなのでしょうか?人間の脳は物質でできていますが、意思や考えや感情は物質なのですか?今は両親も健在ですが、あるとき突然存在し、突然どこかへ消えていく事が不思議で仕方がありません。宇宙の始まりはビックバンだと本で見た事がありますがその前はどうなっていたのですか?宇宙が存在している事があきらかな以上それを作ったもの(神?)のようなものが存在するのではないですか?すると(神?)のようなものを作った(神?)のようなものが実際に無限に存在する事になり訳が分かりません。漫画やアニメの世界だとばかり思っていたのに私の知っている事などほとんど何もないではないですか?あたりまえだと思っていた事が全然あたりまえでない事にとても驚いています。自分の生死に関わる事なのに多くの人はなぜ存在するのかが不思議ではないのでしょうか?なぜ誰も大声で叫ばないのでしょうか?私たちはどこに向かっていけばよいのかを知らないで生まれ、いずれ死んでいかなければならないし、長生きすればするほど家族や友人をどんどん失っていかなければならないなんて絶望以外のなにものでもない気がするのですが、どうですか?それともこの世界はすべて夢なのでしょうか?夢を見ている私とはなんなのでしょうか? かなりまいっています。
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- noname#85845
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- なぜ世界は存在するのでしょうか
私は小さいころから世界が存在すること自体が不可解かつ恐ろしくて仕方ありません。「神が作った」といえばそれまでです。しかし、そうなるとその神の「存在」そのものがなぜ存在するかを説明できません。 仏教では無記と言って、問うことが妥当ではない疑問、回答不可能な問題としているようです。けれども、そう言われたからと言って、この疑問が私の頭から止むわけではありません。 なぜ世界は存在するのでしょうか。この問いが寝入り際など、心が隙を見せる時に突然蘇り、私を先の見えない不安へと駆り立てるのです。(どうもこのような心理状態を離人症というようです。) 世界の存在の理由について皆さんのお考えや、哲学者、宗教者の考えをお聞かせください。よろしくお願いします。