• 締切済み

高校生 生きてるのが辛いです

高校生ですが、最近はどの物事に対しても気力を維持することが出来ずに、すぐに冷めてしまいます。恐らくその原因はどの物事を継続しても自分の想像を上回ることがないからです。なぜなら自分の想像の世界は現実よりも素晴らしく、また自分の都合の良い脚本しか存在しないため、わざわざ現実で想像以下の脚本を辛い思いをしてまで手に入れようとする必要がどこにあるのか理解しかねるからです。 また、自分は凡人であることを理解しており、才能に溢れる人との間にはどう足掻いても崩せない大きな壁が存在していることを認めれば、才能のある人を下から支えるような立場にしかなれない自分の無力さ凡庸さをあらためて実感し、無力感へとつながります。 以前は他人との比較が情動的なモチベーションとなっていましたが、今では他人との比較が全く意味をなさないと考えており、その理由は誰かより優れていても得れるのは周囲の羨望の眼差しや称賛だけで、それらによって自分が得れるのは高揚感以外に存在しないと考えるからです。ただ毎回ここの思考プロセスで自分が考えるのはどのようなものが自分の情動的なモチベーションを生み、活力のある毎日を送らせてくれるのかがわからないことです。少なくとも以前は高揚感を味わいたいという欲求が自分の情動的なモチベーションの根底に存在していましたが、それがまた刹那に失われてしまった要因はあくまで仮説ですが存在します。 (浅学のため、歴史に関しては自分の考えは的外れかもしれません。)それは、歴史を学ぶ毎に人々に非道だと酷評されるような歴史上の人物(スターリンやポル・ポト、元ルーマニアの大統領ニコラエなど)は、他人から評価されたいという欲求や誰かの思想に心酔することから、自分の思想に盲信的になり、周囲に敵を作った結果、地位の陥落を恐れて暴挙に出るパターンが多いことに気づき、その抽象化から自分が導き出した考えは、他人から評価されたいと思う欲求はいわば戦時下の日本で行われた金属類回収令によって梵鐘が悍ましい殺戮の道具である武器類に生まれ変わってしまうように、最初はかわいい物でも狂気に移ってしまう恐ろしい欲求だと考えたため、高揚感を味わいたい気持ちの一切を失ったのだと考えます。 またさらに最近は生きたいという気持ちを忘れました。理由は歴史から学べるが学べない人類の愚かさに絶望したからです。人生というのは、自分の力ではどうしようもできない要素が大部分を占めており、謂わばクソゲーです。社会環境に大きく左右され、未来は不安定です。そんな状況下で生きる気力が自分には存在しないのです。ただ一切の不安がない状況下が居心地がいいか言われたらそれも甚だ疑問ですが。 自分は最近他人とも上手く話せなくなりました。その理由は他人に興味がなくなってしまったからです。自分の頭の中に渦巻く思考を言語化するのは困難でしたが、解決策を教えてください。わかりにくい部分がありましたら補足します。まだ自分が何故この状態になってしまったのか理解しきれていないので。

みんなの回答

回答No.11

 実際にやってみたら、どれも自分の想像を下回って、やる気がなくなる。  プロ野球選手を夢見て、野球やってみたけど、とてもドラフト選手で注目されるには程遠いことがわかった、は誰でも経験しそうな事ですが、「わざわざ現実で想像以下の脚本を辛い思いをしてまで、手に入れようとする必要がどこにあるのか理解しかねる。」が全問題でしょうか。  クソゲーと思える人生の中で、実際にやってみる価値がどこにあるかを考えてはどうでしょう。高校生ということで、高校野球で敗北して悔しくて泣く選手をどう思うか?とか。個人的には、今の自分よりすごい経験している気がします。

  • HeyXey
  • ベストアンサー率26% (134/498)
回答No.10

 いまの自分を受け入れていないから辛いのではないでしょうか。他人から受け入れてもらえないのは、家の中で休めますが、自分が認めないなら四六時中つらくなりますから。  現状を受け入れ認め、自然体でいれば、恐れるもの、嫌悪するものなどありません。「なぜそうするのか?」に答える方法に、原因を言う方法と目的を言う方法とがあります。この2つは思考の枠組みが違います。  同じように、理想を掲げて前進する方法と現実を認めた上で歩を進める方法とがあると思います。思考の枠組みが違うと言えます。  理想からではなく現実的、すなわち実現可能なスモールステップ手法で取り組む人は、出来る事しか望みませんが、確実に実現して自分に自信を持ち、充実感も味わうでしょう。高い理想を持って自己不全感に沈むのか、実現可能な目標達成を重ねて「思ったことは叶う」と感じられる生き方をするのがいいのか、こたえは明らかです。

  • habataki6
  • ベストアンサー率12% (1182/9781)
回答No.9

他人と話すことはどうでも良いです、貴方のする事は勉強して 、クラスの1番の成績をとる事です、なぜなら高校生は勉強 するのが、生きる手段なのです、遊んでいては辛くなるだけです。

  • nagaineko
  • ベストアンサー率28% (563/1990)
回答No.8

>どの物事を継続しても自分の想像を上回ることがないからです。 自分の想像していることが高すぎるんでしょうね。 >才能のある人を下から支えるような立場にしかなれない自分の無力さ凡庸さをあらためて実感し、無力感へとつながります。 これは、自分のことを凡人だと認識していそうで、していない人の話ですよ。 もっと、自分に正直でいいんじゃないですか? 今の若さで、自分が凡人であることを受け入れるのは無理ですよ。 表面的には、達観したような内容ですが、やはり、それは本心からそう思っているものではなく、 わかった人を演じているように感じてしまいます。 もっと万能感全開で、高い理想を掲げ、自分の才能を発揮し、人からの称賛を得たい! それでいいじゃないですか。 何の根拠もない自信。あとで振り返れば顔から火が出るほど恥ずかしいことであったとしても、 それがあるからこそ、若者はがむしゃらになれるんだと思います。 それが健全な姿だし、若者の特権でもあります。 もちろん、同じことを中年になって言ってたら笑われますけどね。 何の根拠もない万能感を片手に、がむしゃらに足掻き、もがき苦しむべきだと思います。 自分の思い描くような結果が出れば、それはそれでいいし、出なければそこで初めて自分は凡人なんだということがわかります。 現実の厳しさを身をもって知ることができます。 これらは通過儀礼です。 そうやって大人になっていくのです。 何もしないうちから、頭の中だけで考えて、 全てをわかったような気になることほど 愚かなことはありません。 将棋のような人間が作ったゲームなら、最後まで指さなくても 先を読んで、参りました、的なことってあるんでしょうけど、 人生はもっと複雑です。やってみないとわからないんですよ。 >人生というのは、自分の力ではどうしようもできない要素が大部分を占めており、 確かに。 ゲームは人間が作ったものですから、よくできていますよね。 最初から、正解が設定されているし、 間違わなければ必ずうまく行きます。 それに比べて人生は不条理です。そもそも正解がありませんし、 いくら努力をしても結果が出ないこともあれば、何の努力もしてないのに、大成功を収めることもあります。そういう意味では、人生がもし人間が作ったゲームだとすれば、間違いなくクソゲーでしょうね。笑。 人生とは現実を生きることだと思います。 思考はとても大切なことだと思います。 しかし、思考は、人生をよりよく生きていくための助けには なりえても、現実を越えることはできません。 今のあなたは、思考に偏りすぎているように思います。 考えることは大切ですが、そこを突き詰めて出た答えが 全てではありません。 そもそもは、思考したことを現実の人生に落とし込んで はじめて、なんぼ、ではないでしょうか? 思考した時点で停止してしまったのでは、本末転倒だと思います。 あなたの文章を読んでいて、書いてあることは非常に論理的だし、 それほど的外れでもないように思います。 頭がいいんだろうと思います。頭がいいからこそ、 考えてしまうんだろうと思います。 考えて、考えて、突き詰めたくなってしまうのはわかります。 でも、私は逆に、賢いからこそ、 あえて突き詰めない賢さ、もあるんじゃないかと思うのです。 世の中には、知らない方が幸せなことが あるように、考えすぎない方がいいこともあると思うんです。 人生とか、生きるってことは、その最たるもののように私は思います。 考えたところで、明確な答えって多分ない。なら、敢えて考えないという選択もあっていいように思います。 頭で考えて、わかったような気になるものではなくて、若いうちは、自分の万能感に任せて、 いろいろやってみたほうがいいんじゃないですかね。 もちろん、思ったようになることもあれば、 ならないこともある。のたうち回りながら、その中で貴方なりの真実がみつかっていくんじゃないのかな、って思います。 若い時は、どう生きてやろう、なんて思うものなんですけど、これが年を取ってくると、生かされているんだな、みたいな心境になってくるんですよね。不思議と。 人生は不条理です。思ったようにはならないし、どこで突然に終焉を迎えるかもわからない。 それでも、生きていかなければいけない。そういう意味ではクソゲーかもしれない。 でも、見方を変えれば、だからこそ面白いのかもしれない。 もっと足掻いて、もがいて のたうちまわって 一番大切なことは現実から目をそらさないこと 空想の世界に逃げてはダメ。 空想のステーキより、現実のちくわですよ。 空想のステーキでは腹の足しにはなりません。 ちくわでも、あれば、ないよりましです。 生きていくって、思ってるより、全然泥臭いことですからね。

  • pipipi911
  • ベストアンサー率22% (1029/4602)
回答No.7

いまの高校には、 不本意入学ということはないでしょうか。 だとすれば、本意のステージに 移られるのがベストなのですが、物理的に 無理ならば……アナタ様のライフデザインの目標を 描き直してみることを、お勧めしたいです。 ふろく: 問題解決の有力なツールである「マインドマップ」 「マトリックス図法」「特性要因図」を活用して、 諸問題をクリアしてみませんか。 書き方は、検索すれば解ります。 「あなたが使う言葉が、あなたの人生を操っている。(Anthony Robbins)」 自身の侮蔑・侮辱になるような思念等を脳髄の中に 生かしておくのは危ういです。他自比較に起因する過剰な自己批判・ 自己攻撃は止めにして、いまいま可能なことで、地域奉仕・ 社会貢献を行ってみることを検討してみませんか。 とにかく、絶望・幻滅・失意に至らせがちな垂直思考を休止して、 水平思考を採り入れて、しなやかハート・やわらかアタマに なってみることを、お勧めしたいです。 ふろくⅡ: 公立図書館等で、以下を読んでみませんか: 『学びを結果に変えるアウトプット大全』 『幸せになる百通りの方法』 『夢のねだん図鑑』 『失敗図鑑』こちらは、2種ありますので、双方を。 [平凡な人生って感じても星に住んでいるって思えばステキ  (冨田真朱)] [手の届かない目標を目指して歩んできたあの道この坂  (狩野和紀)] [生れきて目指すものなしなめくぢら苔の築地を越えゆきにけり  (緒形光星)] [近頃は過去の失敗が次々に思ひ出されて切なき日日よ (三馬昭一)] 「萬華鏡この世は夢を見るところ   (中尾藻介)」 [ふだん着でふだんの心桃の花   (細見綾子)] 〈凡人 & 才能〉思考のジャグリングは、大学の哲学科等に行ってから に先延ばしして……各教科の勉学に集中しませんか。 「Le talent est une longue patience. (=才能は長い忍耐である。 Georges Louis Leclerc Buffon伯爵)」 駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人 どうしても逝かれるのであれば、これまでの人生体験を 題材にして、小説・童話・絵本を 遺してくださいませな。 Good Luck.

  • Don-Ryu
  • ベストアンサー率24% (256/1051)
回答No.6

>自分は凡人であることを理解しており、 全然理解していないです。(笑ってしまいます) そもそも劣等感に打ちのめされて自分が嫌いになってしまうのは、 「自分を過大評価しているから」なんです。 自分を過大評価しているからこそ、そうでない現実を受け入れたり正面から向かい合うことができずに、苦しんでいるんです。 「本当は自分は優秀なんだ、だのにみんな認めてくれない」 と言って、いじけているだけです。何もできないのに、勝手に自分を過大評価しているだけ、ただプライドだけが高い、プライドにしがみついている、それだけです。 本当の意味で「自分は出来ないヤツ」と認識しましょう。 そうして、 「この先何があっても自分はこれ以上悪くなることはない、だから、一歩ずつやろう」 と思うことですね。

  • tuyosik
  • ベストアンサー率4% (130/2735)
回答No.5

生は苦。私の思い通りにならない、因縁で変化生滅する一時的な現象、ずっとではない。今ここ自分に集中する、気づく、確信する。生命が幸せで悩みなく願い叶うように考える話す動く生活する、理解する、精進する、悪いことしない、良いことする。人と比べない。自由に、ふさわしく。決めつけない。柔軟に。輪廻転生から解脱する、モチベーション、涅槃が得られるように。妄想しない、ありのままに知る。学ぶ。欲ばらない、与える。生命を慈しむ、哀れむ、ほめる、放っておく。ちゃんとまっすぐやり終える。執着しない、軽快に。上手く、冷静に。悪を恥じる恐れる。焦らない、落ち着く。私ではない、私のものではない、私はいない、空、心と体。過ち認める、清める。と思います。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9143)
回答No.4

出来ることをきちんとやってみたらどうでしょう。いわゆる日常茶飯のことのことです。歯の磨き方でもご飯の食べ方でも、とにかくすべてきちんとやって見ればなる程と思えるのではないでしょうか。

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.3

なにかしら経験があって、その経験を言語化するのが人間ですから、今の思考・妄想を言語化するには、確かに限界があるのでしょう また、承認欲求がないとのことですが、それは、とても当たり前のことで、何も行動しない人が、その欲求を叶えることは難しいのです お時間があるようでしたら「マズローの欲求5段階説」を読み解くと良いと思います ただ、読み解く側の心が正常でない場合は、おそらく理解が難しいとは思います というのも本来、いろいろな学術書や歴史書などは、無意識下でも自分の経験則と照らし合わせながら読み解くしかありません 故に、同じモノでも、5年後10年後と、段階を経て読むと、全く内容が違うことが書かれているという、印象を受けるのです つまりは、あまりにも質問者様は経験則が足りていません 家庭や社会などの保護化にある年齢を脱していないことにも、気づかれると良いかと思います 簡単なんですよ 例で挙げれば、小中の教科書代は無料だったでしょう?、まだまだ社会の保護下なのです 確かに無理くり「法」のもとで平等を課せられ、不自由に感じうる部分も多いかと思いますが、そりゃまだ保護下ですから・・・ また、私などは幼少期時代~社会に出るまでの期間、まったく歴史に興味がありませんでしたので、質問者様とは同列に語る資格はありませんが、その読む時間は、確かに他の事柄での経験則を蓄えました また、今の世の中は、ちょっとした疑問でもスマホやネットで直ぐに調べられる時代ですから、逆に、何もしない馬鹿で溢れています ジジババさんたちも、この世相に流され、自ら直ぐに調べることをしなくなっています また、情報が多いので、自分の思考を肯定する情報だけを選択できてしまうので、どんどん馬鹿になっています 経験則が最大の知識であるのに、そのことさえも承認欲求の材料にしかしていない高齢者が・・確実に増えています 目の前の行動できることなんて、無限です 誰が見ていなくともできてしまうことのほうが、圧倒的に多いのです このことも、理解できないとは思いますが、過去の文章にしか興味を見いだせないのであれば、自我を肯定するものは、少し遠ざけたほうが良いと感じます

  • zabusakura
  • ベストアンサー率14% (2383/15960)
回答No.2

書かれている内容の感想ですが・・・ 思考の中だけだから、そうなるんじゃないですか? 実際、行動していれば、予想もしないことが次々、起こったりするものです。 辛いことも有るでしょうが、楽しいこと、嬉しいこと、感動することも多いです。 私の体験ですが、高校で、夫に出会い(夫に一目ぼれされて)結婚しました。その間、別の方と婚約もしていたり、夫も別の方との結婚話が出てたり・・・それでも結婚するなんて当時は考えもしなかったです。 看護学生をしてた時に、物凄く多くの貴重な体験をさせて貰いました。 たまたま卒論で、まだ登校拒否は、怠け病だと言われた頃に、卒論のテーマに選びました。 結果、その子は学校に行けるようになったし、そういう子のフォローのシステムも私の後を引き継いでしてくれた人が居て、その存在を偶然、子供の小学校で知りました。それを教えてくれた先生と二人で感動を分かち合いました。 実習中に担当をさせて頂いた患者さんや、そのご家族に救われた(命も心も)と考えられないような感謝をされたことも私の人生の大きな目標になりました。 あれこれ考えるだけだと、きっと何も起きないと思います。全て「私やります。やらせてください。」と手を挙げたからこそ体験できたことだと思います。 たかが20歳ぐらいで、あなたが手を挙げて無かったら救われてなかった命だとか、あなたが気付いてなかったら生きてなかったよとか、しかも 想像を絶する感謝をしてくださって、人生の大きな目標になりました。 ただ道を歩いてるだけでプロポーズされたり、拉致されそうになったり そんなこと想像もしないです。 阪神の震災にも遭ったし。目の前で亡くなる人も居たし・・・ 人生、何が有るか判らないです。辛いことがあっても乗り越えれば確実に成長を感じます。 高校生の頃は大恋愛してました。楽しい高校生活でした。当時の友達も本当に楽しかったよねと今でも話します。 勿体ないわ~って思います。その時にしかできないことって、有ると思いますよ。

関連するQ&A