- ベストアンサー
障害のある方ばかりが優遇される世の中
- 障害を持つ人々が特別扱いされる社会に疑問を感じています。
- 一部の人々や状況だけが優遇されることに不公平さを感じます。
- 少しの支援や理解があるだけで、障害のある人々は大きな助けを受けられる一方、それほど障害のない人々は見過ごされてしまうことが多いです。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
障害があり、杖をついている者です。 残念ながら障害者が優遇されている世の中とは思えません。 確かに駐車場には障害者用のスペースが用意されています。一般の駐車はご遠慮くださいと注意喚起があっても、空いていれば平気で一般車が停まっています。数が少ないので、障害者が使おうと思っても使えない事は多々あるでしょう。多目的トイレは、あくまでも多目的であり障害者専用ではありません。区別しているところもありますが、スペースの関係で専用が作れない場合は共用です。誰かが入っていれば使えません。それすら無い、普通のトイレだけの場所もまだまだ多いです。健常者だから障害者だからではなく、お互いが理解しあって利用する事が理想です。でも残念な事ですが、そんな状態に至っていないのが現実です。 優先席も、空いていれば健常者が使っても構わないでしょうが、必要な人が使いたい場合は代わってあげる…これが本来のあるべき姿でしょう。具合が悪い場合も使って問題ないです。でも全てが思い通りには行かないです。通勤時間帯…特に帰宅時間帯は皆お疲れで、空いていたらラッキーなぐらいに優先席が占領されます。杖を持っています、ヘルプマークもついています、代わってほしいと伝えます…が、何度か無視されます。目の前で声をかけて(これも結構勇気がいります)も、携帯を必死にいじって(でも確実にわかっている感じ)無視される事が何度もあります。代わってもらっっても、その時すごい嫌な顔をされたこともあります。もちろん、何も言わずに代わっていただける方もいらっしゃいますが、この差はなんなんだろうとよく思います。 障害は目に見えているものだけではありません。見た目は障害者に見えない人もいます。そのような人のためにもヘルプマークはありますが、残念ながらヘルプマークはまだまだ認知されていません。でも多くの人は見た目でしか判断できません。ヘルプマークを知らなければどうにもなりません。 もし具合が悪くなったら、遠慮なく声をかけても良いのです。でもなかなか勇気が出ないでしょうね。でも我慢しているのは良くありません。だから頑張って声をかけて欲しいです。難しいならヘルプマークを入手して、いざという時に出してください。ただそこで代わってもらえるかどうかは別の話になってしまいますが(でも、誰かは居ると思って)。ヘルプマークはヘルプが必要な人のものであり、障害者だけに限ることは無いと思います。 自己中の人が多い世の中、他人に気を配る事ができる人は少ないです。それでも自分の具合は自分にしか判りません。それを知らしめるためのアイテムは使うべきです。そして自分で守るしか無いのです。お呼ばれ等でも、最初に先方の方に伝えておいた方が良いと思います。
その他の回答 (5)
- aeromakki
- ベストアンサー率36% (870/2378)
ちょうど、良い記事がありました。 場所柄、圧雪バーンで転倒しやすいからか、杖をついている人は老若男女、結構多いです(白杖は除いてです)。 札幌市の地下鉄には、優先席がありません。 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/598191 専用席なんですね。 ちょっとした考え方で、ちょっとずつ人間らしく生きるのが楽な社会になれば、その積み重ねが随分違ってくると思います。
お礼
ありがとうございます
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
もしも、精神障がい者とわかるようなバッジや名札があれば、身につけてくれますか? そうなれば、こちらも色々助かったりしますから、Win-Winです 健常者側からそのようなバッジの導入を希望をすると、いろいろ問題があるので、そちら側から行政が動きやすい運動をしてくださると助かります
お礼
健常者側からそのようなバッジの導入を希望をすると、いろいろ問題があるので、そちら側から行政が動きやすい運動をしてくださると助かります >回答ありがとうございます。 まずはヘルプマークは誰でも取得できるとかじゃなく審査の上で決まります。しかし、無いからといって健康だと言い切るのも間違いですし、何かしらの疾患は誰でもが抱えてると思います。 健常者と障害や疾患のある人のボーダーラインもビミョーで無いからといっても健康とかそういう訳じゃないと思います。労りあいや、ねぎらい合うのはどの人にも当たり前であってほしいし「俺は(私は)障がい者だ!」と自己主張強めなのもいいけど少し位「あんたも大変な中助けてくれてありがとう」とか、言ってくれるだけで救われるものがあります。病気は自分持ちとか自己責任は皆がそうだとしても、「障がい者様だぞ!」と言うのも違うと思います。辛さのばろめーたーは見えないわけですから利
- watanabe04
- ベストアンサー率18% (295/1598)
お年寄りだと思って席を譲ったら 「わしはそんなに年取ってない」とか言って怒る人もいますね。 仕事で疲れてて始発駅だったので1本見送って座ったら あとから入ってきた人に「席譲れや」と言われたことあります。 言い返す元気もなかったので無視しましたが。
お礼
回答ありがとうございます ワタシの聞いた話重度鬱でも治療費を稼ぐために出勤しなければならなく、たまたまその時に優先席の端っこで気分悪くしてたら「おい若いの席譲らんか」と言われ手帳やお薬手帳を見せたのにも関わらず「そんなの知るか、俺だってコレコレの病気でこれこれで」と見当違いな説教をこかれ、「鬱はアマエダヨ」などと言われたひとがいるとききました。 そのおじいさんに「お兄ちゃんも大変だな」と労いの言葉があれば気持ちも変わったと思うんですけど、そういった「年寄りは優遇されて当たり前」とか「若いから心身ともに健康なんだろう」などといった偏見じみたイメージはいつになったら変わってくれるのかと思いますね。大体、年寄りだからと回りが優遇され過ぎて付け上がる老人ほど厄介なものはないのだけれど
- 121CCagent
- ベストアンサー率52% (15541/29863)
ボーダラインですか…難しいですね。 どうしても見た目などわかりやすい所で判断してしまう傾向はありますね。 特に精神的に苦しいのは見た目ではわからず他人には理解して貰うのが難しいですから。
お礼
ありがとうございます
- 121CCagent
- ベストアンサー率52% (15541/29863)
パッと見、健常者に見えてしまうので仕方ない面はありますね。 誤解されたときに一々説明するのも面倒ですね。 かと言って「これこれこう言う事で苦しんでいます」と言ったカードを首からぶら下げると言うのも無茶な話ですし。
お礼
ありがとうございます。もっと言えば健常者と障がい者、持病をお持ちの方のボーダラインってどこまでだと思いますか?パット見、なんも杖や車イスなどの移動手段とか、仕草とかそういうので判断されるんでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 優先席に関して言えば、無視と言うか「スマホいじってる元気があるのなら平気なんじゃないの?」も少し違うかなと思います。残念ながら五体満足で、ナニも悩みを感じず故に人の痛みを知らない人って世代問わずいますよ。ヘルプマークも取得には審査が必要です。逆に言えば少しの疾患や症状くらいで…と思われるのも少し違います。 世の中、誰かしらどこかしらはやんでるんだと思って生きています。 席を代わってくれない=意地悪、とか、持ってれば絶対と言う法律もルールもない。逆に縛ってしまったら一部の障害を持った人が「これがあると言うことは代われと言うことだ、助けろと言うことだ。あんたの、症状なんて知らんしヘルプマークがついてないのなら大したことないんだろう」と言う迫害も生まれかねませんから。 そうじゃなく、助けてもらってありがとうの気持ちもそうだけど「あんたもお疲れの中、ありがとうね」もっと言えば「具合悪そうだったね、悪い中ワタシを助けてくれてありがとう。」といった労いやイタワリに似たようなものがあれば助かる気持ちもあります。 健常者と障がい者のボーダーラインはなにも、杖や車イスを用いてるとか、酸素ボンベを使ってるとかそれに限らないと私は思ってます。 人間はいつ何処で障害をもつか知りません。それこそ、神のみぞ知るですけど、お互いがハートフルな世の中になってほしいなと思います。