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寄り添う事が大切

子どもの事を気にかけて学習障がい、発達障がい等の可能性があるのかも?と考えていただける事はとても子どもにとってもありがたい事だと思います。 保護者の中には周りの保護者からの見られ方を気にして受診されない方もいます。診断が出ていても特別支援学級に入れさせない方もいます。 1番辛い想いをするのは子ども本人です。 障がいというのは本人の意思に反して出てしまう行動、言動等です。 歳が上がるにつれて自分へのフラストレーションが積もる可能性もあります。 保護者が違和感を感じて動いてくださるならまずは受診をオススメします。 それで診断が出なかったなら安心できます。 診断が出たなら対策が打てます。 最終的には誰のため? を考えて子どもの気持ちを大切にして欲しいです。

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回答No.1

 小学生の頃,理由がわからない事が自分をめぐって色々とあった。列挙すると (1)2年生になってから顕著だが,突然先生に叱られる。効果がないと判断されたのか,さらに教室の後ろに立たされる。次には廊下に出される。 (2)給食(先生も一緒に教室で食べる)の際には「お預け」を命ぜられる。みんなが食べているときに,姿勢を正してジッとしていると「食べてよし」と許しが出て自分も食べ始める。この「お預け」は殆ど毎日の出来事だった。 (3)中学校に入学する(公立小学校⇒公立中学校,田舎ですから私立はない)前年に,中学校で「面接」があった。多分クラス分けの資料にするためなのだろうと(今なら)思う。その際に面接の先生から「できると思って天狗になっていないか?」とにらめられた。何のことかわからずキョトンとしたことを覚えている。  そんな子供時代を送って来て,ン十年後に,その真相を知った。叔父から聞いたのである。  「お前の母さんは頻繁に学校に呼び出されていたよ。その理由は……」と。  授業中に先生の話を聞かないで,隣の子や後ろの子に話しかけたり,ちょっかいを出したりしている。先生は,「教室の後ろに立ってなさい」と指示する。すると教室の後ろの「観察箱」を眺めたり絵本を読んでいたり,後ろの席の子に話しかけたりちょっかいを出したりする。つまり,まったく応えない。先生は益々怒って,廊下に出す。すると窓から外の景色を眺めていたり廊下で遊んでいたりして楽しんでいる。それで母親が呼び出されて「お宅のお子さんは……」となったのだろう。しかし,一向に効き目はなかったようだ。6年生になっても改めなかったから,(3)になったのだろう。中学校に情報が言ったのだと思われる。 (2)は給食当番が配膳しているときは「静かに待つ」のだろうが,それが出来なかったから「お預け」の罰なのだろう。  現代なら,おそらく「ADHD」と言われるかも知れないが,幸いなことに当時はそんな言葉もなかったし,そんな障害も知られていなかったのだろう。「ちゃらんぽらんで落ち着きがない」としか言いようがなかったのだ。  逆にADHDのレッテルを貼られて分類され,「それに適した対応や指導」をされていたら,今の自分はなかったと思う。  叱られながらもみんなの中で成長するうちに,(今でもその傾向はあると家内は笑うが)あまり目立たなくなった。普通に社会人として生きてきたと思っている。  診断する方は得意気に「あなたのお子さんは……」というかもしれませんが,それですべてが決まってしまうのではないと思います。診断の結果は参考になるでしょうが,それで矯正しようとするよりも,「ああ,あれか」と覚悟できる視点を得たと開き直っては如何ですか。

tkai
質問者

お礼

リアルな意見をいただきありがとうございます。とても勉強になりました。 今後ともよろしくお願い致します。