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私の学校では集団行動の練習に力を入れています。

気をつけ、休めの姿勢などを繰り返し訓練します。 「我が校の生徒として自覚と責任ある行動が取れるよう、厳しく指導します。厳しい指導を乗り越えてもらいます。」 と、先生は常々仰っていて特に休めの姿勢に拘りがあるみたいで、「両手は後ろで組み、足を広げて立つ」姿勢が保てているかどうか細かくチェックされます。 「集団行動において個人の意思は二の次です。1人が全体の事を考えて、また全体が1人の事を考える意識を持つ。その為にこの休めの姿勢は重要です。」と先生は仰いますが、休めの姿勢ってそんな意識を持てるように役立つものなんでしょうか?

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noname#247529
noname#247529
回答No.5

集団行動をきっちりできることが必要な時はたくさんあります。 こういうのを見ると、すぐ軍隊を思い出す人は多いのですが、それは、言い換えると、緊急時に必要ということです。消防士や海上保安庁、警察など、普段よりも、緊急時、非常時に活躍するお仕事では同じようなことをやります。 そういうお仕事でなくとも、大きな災害時はまとまった行動が必要ですね。 個人の力ではできないことに対してはまとまってやることが有効な時があります。そのために必要なことを聞こうと、みんなで休めの姿勢を取り、話に耳を傾けることができると、物事が早く運びます。まとまりのない時に話が長くなることは、思い当たることがあるのではないでしょうか。 休めの姿勢は、無駄な動きをせず、『気を付け』の姿勢よりは楽にじっとしていられます。何もできない姿勢ですから、人の話に集中しやすく、話を聞き取りやすくなります。同時に、そういう姿勢を取って、話をする人の方向を見ていれば、聞く準備ができていることの意思表示にもなります。話をする側はしやすくなりますね。 そして、普段からそういう姿勢で話を聞いていると、休めの姿勢を取っている時に人の話を聞くように気持ちが動くことがあります。 それは、ユニフォームに着替えたら気持ちが切り替わるように、気持ちの切り替えに形から入ることが有効だったりするからです。 気持ちが動かない時には、着ている物を変えたり、髪型やメイクを変えることも使えますよ。 ちなみに、集団行動の怖いところは指揮を取る人の力量次第で悪い方向にも強い力が働いてしまうことです。必要な時と、そうではない時を見極めることを大事にしてください。

noname#248482
質問者

お礼

やっぱりそうですよね。 平常時はともかく、非常時にどう対応できるかが問題になってくると思います。 初めはどうしてこんなことやらなきゃ…と否定的でしたが、集団行動の重要性に気づき初めました。 「休めの姿勢」を取ると精神統一の効果があるように思いますし、確かにリラックスしつつ先生のお話しに集中することができます。 両手を後ろで組むから、悪戯やスマホを取り出したりすることもできませんものね。(笑) ユニフォームで気持ちが切り替わるのも解ります。 私の学校では靴下も拘りがあって、式典に参加する時は専用の校章入りのワンポイントのソックスを着用することになっていて、体育の授業では別の刺繍入りのワンポイントのソックスも用意されています。 姿勢や服装で気持ちの切り替えの効果は高いと思います。 よく日本は、「他の国はそんなことしてない。無駄なことが多すぎる」と批判されてるみたいですけど、日本の細かい拘りの文化は大事なんじゃないかなと思います。 集団行動は、指揮者の力量によって悪い方向に向く可能性があることは肝に銘じておこうと思います。 回答ありがとうございます。

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回答No.7

日本人の気質? 江戸時代にはそんなものはありませんでしたよ。 「葉隠れ」は武士のたしなみとして、死を重んじ一戦ある時は立ち 振舞うというのが日本人の気質だったような。 明治になって、近代化した軍隊を創るためにフランスから軍事訓練 の教官を招いて陸軍の制度を確立したのが始まりです。 それ以前にはありませんし、武士は行進などはせず馬に乗って皆を 鼓舞するのが役目です。ただ雑兵は騎馬武者を追いかけるだけです。 どうも、明治の軍隊が日本の伝統だと勘違い為されてるようにも 思えます。もう少し歴史を勉強しましょう。

noname#248482
質問者

お礼

解りました。 再度の回答ありがとうございます。

  • Don-Ryu
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回答No.6

集団行動の意味って、大人に(特に中年世代に)なると、何となくわかってきます。 今はとにかく個性、個性と言われる時代です。ダイバーシティという言葉が勝手に一人歩きをしてしまい、何の我慢もしなくても親が面倒を見てくれる、何でもありの時代です。この傾向はこれから加速度的に強まるでしょう。社会に出て集団に属さなければ生きてゆけないのに、その集団の水準の行動が取れない若者が、びっくりするほど増えています。格差格差と叫ばれる時代ですが、ほんのちょっとの我慢ができる若者とそうでない若者の差がすごく極端です。いくら「我々は格差社会の犠牲者だ」なんて言われても、まず勤め人として働く時点集団行動が取れずでスタート地点にも立てない若者を、救いようがないですよね。嫌なことでもちょっとぐらいはやらなければならない、その入り口である「気を付け」「休め」ができなくてどーしますか?立て、と言われて別に2時間3時間も直立不動を強いられるわけではないでしょ?僕なんかはついついそう思います。 若い学生の頃くらい、ちょっとぐらい古臭い集団行動に付き合ってみても、いいんじゃないでしょうか?一通りを経験して、やがて社会に出て後輩ができて、自分よりずっと若い後輩ができて、その時に彼ら彼女らの言動を見てなお集団行動に意味を見出せなければ、その時にすべて忘れてしまえばいいと思います。

noname#248482
質問者

お礼

初めは、「指導厳しすぎ!」と引き気味でした。 でも、人間は、どうしても集団の中で生活していきますし、忍耐力を身に着けなくてはならないんだと思うようなってきました。 今の世の中は「個人主義」っていう考えが根付いて集団に属することができなくなった人が増えたんじゃないかなと。 堀江貴文さんとか典型的な個人主義者じゃないでしょうか? 先生自身、指導の仕方が古臭いと疑問に思っていなくもないみたいですけど、「中学生という大人になっていく段階で集団に帰属することの重要性を理解してほしい」と色々考えてやっておられるみたいです。 それに厳しいばかりじゃなくて、達成できた時は褒めてくださるので、付いていく気になります。 「信賞必罰」という今の時代に欠けてるんじゃないかなと思うことを教えてくださっていると思います。 後輩ができた時に、改めて集団行動の意味を考えてみたいと思います! 回答ありがとうございます。

  • eroero4649
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回答No.4

関西圏などに、まだ少数ながらそういう中学校は残っているみたいですね。「市立平壌中学校」って感じですね。リベラルな校風で育った私にとっては「時代錯誤」としか思えないですけどね。 1970年代頃から暴走族などが出てきて全国の中学校が荒れるようになったんですね。で、当時はそれを抑え込むのがやり方だったのです。「管理教育」というのですけれど。特に70年代初頭に第二次ベビーブームがあって子供の数がやたらと多くてとてもとても「生徒ひとりひとりの声を聞く」なんてことはやってられませんでしたから、とにかく厳しい校則で拘束して学校の治安を維持するってことをやっていたのです。 こんなことをいっては失礼ですけれど、おそらく質問者さんが通っている中学校はあまり偏差値が高くない地域なのだと思います。だから力づくで管理しているのではないかな。

noname#248482
質問者

お礼

なるほど。こういう教育指導は、古臭くて時代遅れだという印象を持たれてしまう訳ですね。 でも日本は平和な時代が長く続きすぎて「富国強兵」の重要性を忘れてしまってるんじゃないでしょうか。 お隣の国が慌ただしくなってる今、こういうビシッとした教育は必要なんじゃないでしょうか。 ちなみに偏差値は標準レベルです。 回答ありがとうございます。

回答No.3

役に立たない。 会社(仕事)で休めの姿勢など何になる?と私は思うね。 学校は、納税者(児童や生徒)をおとなしくさせることに力を使ってる。 これで得をするのは、役人である。 クーデターや反乱が無く、 仕事してもしなくても成功しても失敗しても役人は 給料と手当を確実にもらえるので。 例えば、成果が無くても日頃役人は給料貰ってる。 武漢ウイルスが蔓延しても自粛をお願いするだけで、貧乏人に税金をばらまきはするが、有効な対策をしない。 でしょ?

noname#248482
質問者

お礼

やっぱり消防士とか自衛隊を目指すなどの目的でもない限り、こういう教育指導は無駄ってことなんでしょうかね。 ブラック企業で無理難題突きつけられても大人しく言うこと聴くための訓練って、そんな風にしか受け止められないんでしょうか…。 回答ありがとうございます。

  • tzd78886
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回答No.2

統一行動をさせることによって見た目が美しくなるし、教師としてはクラス運営がやりやすくなります。軍隊と同じです。そういうことに価値を見出している学校や教師は今でもたくさんいます。面倒がないからです。あくまで教師や学校のためであり、児童生徒を思ってのことではありません。

noname#248482
質問者

お礼

指導は厳しいけれども統一行動に多少なりとも達成感を覚えてる私は変なんでしょうか。 回答してくださる皆さんは、どの方も学校側や教師の自己満足の為、というお考えのようですね。 そんなに変なんでしょうか。 回答ありがとうございます。

回答No.1

役立ちませんね。 集団行動での規律、連帯、笑顔無しはロボット教育そのものでし ょう。 つまり、津波に向かって行進した小学生のように、リーダーが間違 っていたら、全体が死ぬ訓練です。とても、人の命を守るようなも のではありませんね。 それに恐怖を感じて山へ逃げた生徒は助かって、津波に突っ込んだ 生徒は全員死にました。 これは、教師の表向きの尊厳を大事にしろ。という生徒に対する 押し付けです。 危険ですね。 今、これをやっているのは刑務所や甲子園の球児くらいなもので オリンピックでは、すでにやっていません。 世界を見ても軍隊なら普通にやっていますが、教育現場では排除さ れていますよ。

noname#248482
質問者

お礼

世界ではどこの国もやってないから、日本の学校の集団行動なんか無意味ということですか。 でも他の国は他の国で、日本は日本人の気質を守るために必要なんじゃないでしょうか。 回答ありがとうございます。