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コートや傘等を帰る時に持って帰るのを忘れていて置い
コートや傘等を帰る時に持って帰るのを忘れていて置いていきそうになった時に「コート(傘)、忘れているよ」と気遣いを相手にするという事はその人とはとても仲の良い関係である事が多いと思いますか。
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補足を受けて少しだけ。真実はその二人にしか分からない部分。本当に仲が良くて、本当に良い波長でつながっている関係もある。温度差は多少あるけれど、でも基本的には仲が良いという感覚は共有できている二人もいる。以前は心地良い温度があったけれど、最近は何だがぬるくなってしまって、本当に親しいと感じているから一緒にいるのか?昨日まで一緒にいたからとりあえず今日も一緒にいる、位の感覚なのか?その辺りがぼんやりした状態でつながっている関係もある。お互いにそこまで(以前ほどは)親しいとは感じていなくても、一人になるのはそれはそれで嫌だからとりあえず一緒にいておく。そういう感覚で一緒にいる場合もある。それは本当に分からない。外側からは中々分からない。わからないけれど、相手の気持ちを疑って心配しながら一緒にいるよりは、自分の知っている、相手から伝わる部分を信じて仲良くしていく姿勢は大事だよね?どうしても相手の変化や温度差が気になるなら、正直に気持ちを伝えてみることも必要になる。物理的な距離は近いのに、心の距離は何だか遠く感じる、それをごまかしながら付き合っていくこと、そしてそういう関係って見た目以上に疲れるから。気づいたら考えなくてもいいことを考えてしまったり、相手の良いところが見えなくなってしまったり、そうならないようにお互いに良い関係を築いていけるといいよね。
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「コート(傘)、忘れているよ」と気遣いを相手にするという事だけでは分かりません。私なら気が付けば誰にも言います。私なら待ち合わせをしてどこかに出かけるのは仲が良い人限定です。仲良く出かけたりしていて、何かしら勧誘してくる人もまれにいましたが、断われば疎遠になり口も利かないなんてのもいましたよ。
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回答ありがとうございます。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20251/40149)
確かに仲が良いからこそ、細かい部分まで繊細に気づける部分もある。ただ、気遣い自体は単体でも行える。相手との距離感や間柄に関係なく、相手に対して親切の手を差し伸べる事は可能。目の前の相手に対する親しみの程度や個人的な打算云々は関係なく、気付いた時に自然な一歩(一言)が踏み出せる人っている。そういう人は本当に素敵だよね?先に相手との親しさを踏まえて考えてしまうと、自然な一歩や声かけがうまく出来ない場合もある。気づくことはできても、私なんかが声をかけて良いのかな?大して親しくもない私からフォローされても嬉しくないんじゃないかな?動く前に余計なことを考えてしまうと、気づいたら動くタイミングを逸してしまう場合もある。その行動だけで二人の間柄は測れないけれど、シンプルな気遣いは間柄を越えて伝わっていくもの。その気遣いがきっかけで、その後の良い関係の潤滑につながっていく事もあるんだと思うからね。
お礼
回答ありがとうございます。
補足
誰にでも優しい人は誰にでも気遣いをする人もいますよね。blazinさんは前、回答の中で「外側からは仲良く見えても実は、心がバラバラになっているのかもしれない。どちらかがしんどいと思っているかもしれない。」と書いてあったんですけど「二人で一つの机を使ったりどこかで待ち合わせをしてどこかに一緒に行ったり喋ったりしている仲の人」はどうだと思いますか。やっぱり相手に言い出す勇気がなくて渋々待ち合わせ等をしたりしている人っていると思いますか。
- candymint1120
- ベストアンサー率27% (288/1052)
普通に知り合いなら言うでしょうね 嫌いな人なら分かっても言わない人もいるでしょう
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。