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日本のアニメ産業の変遷とは?
- 日本のアニメ産業は子供だけが消費するコンテンツという認識が変わったきっかけは何だったのか?
- 30年以上前から韓国で日本のアニメコンテンツが人気であり、多くのファンが存在している。
- 日本ではアニメが幅広い年齢層に受け入れられており、子供から大人まで様々なジャンルが存在する。
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質問者が選んだベストアンサー
漫画が浸透していることが第一の理由だと思います。 すでに絵になっているのでアニメ化しやすい。ドラゴンボールやセーラームーンです。 種類は豊富で最初が鉄腕アトムでも、そこから広がったのは家族向け、子供向け、青少年向け。スポ根などもあり時間帯さえ変えれば大人向けもできてきました。つまりスポンサーさえつけばアニメという形態での番組制作は可能なのです。 外国ではアニメという形態がなぜか子供が見るものと決められているのは不思議なくらいです。絵本といえば子供向け、というくらいの決めつけです。 また漫画読者層が幅広いので、アニメになっても支持層が広く一般のテレビ放映からDVDのみ、映画用から芸術的短編、アニメは表現の一つです。 また実写が弱い、ということが言えます。最近は俳優も達者になってきましたが40年前の演技者や映画会社群は裾野が広くなく一部の人たちで握られていたので、同じ人ばかりを登用し、知り合いだけで作られていた感があります。 そして芸術や映像はバブル期の飛ぶ鳥を落とす勢いの日本経済からは置いていかれました。役者や映画監督を目指すなんぞ跡取りのすることじゃない、という親の態度があちこちにみられますからこの世界は次男三男ばかりです。つまり教育費もかけない程度の学習で業界が作られています。 そこでコツコツと親の目を盗んで力を蓄えてきたのが漫画とアニメです。勉強部屋でこっそりできますから。こういう人たちの卓越した能力がアニメ界を牽引してきたと思ってます。このやる気があれば世の中に出すこともできるし、視聴者もそのレベルに上がってきているのでスポンサーがつかずともDVD直通にしても売れるという形が出来上がります。 日本のアニメはディズニーのように一般に売れそうなコンテンツを作って大宣伝をしてスーパーの棚を買い占めて買わせる、的なことはしません。地方のラーメン屋がうまいと話題になってそれがSNSを通じて回り回って評判になる。その場を提供しているのは少年少女雑誌であり、そこからヒット作が生まれたりアニメ化されます。読み手がすでに子供だけではなく、この受け手に向けてオリジナル作品を作ってもいいものは受け入れられるという土壌ができています。 またオタク文化はスポンサー文化であり、製作者の版権収入を支えています。オタク無くして製作は続けられません。
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- seibido
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日本は参考にならんと思うよ・・・手塚が居た国だし。参考にするなら、フランスとかの方が近いんじゃない? 週刊から季刊までの漫画雑誌が何誌あると思う?ライトノベル(ヤングアダルト)のレーベルがいくつあると思う? そういう国を参考にしようとしても、参考にならないと思いますね。 最初のアニメブームは、手塚治虫さんが鉄腕アトムをアニメーションにしてテレビ放映した1963年からの60年代。始まったのは、ココからなんですよ。 この時期にアニメを観ていた「子供」が、中・高や大学に進学した頃に起きたのが、宇宙戦艦ヤマトから始まる「第二次」アニメブーム。これが、70年代から80年代前半辺りで、機動戦士ガンダムもこのど真ん中。 この第二次アニメブームは、「小さい子(小学校就学前から小学校低学年)には判りづらいストーリー」のアニメが増えていった時期。 この「ヤングアダルト向けのアニメ」が作られた時期に、コミケ(コミックマーケット)が始まる。コミケの第一回は1975年の冬(暮れ)。 元々は、創作(オリジナル)・二次創作の同人誌を作ってる人たちが、自分達の作った同人誌と他のサークルの同人誌を交換する為のイベントだったんですよ、コミケって。 だから、コミケに出品者としてブースを確保した際は、向こう三軒両隣(通路を挟んだ向かいと机を並べる左右の隣)と発行誌を交換する慣わしになってる。 まだこの頃は、ヲタクはマイノリティ。ただ、アニメーション産業は、徐々にスタッフを増やしていく。このコミケが元でアニメーションに才能を開花させた人も少なくない。 そのスタッフが中堅どころまで成長して爆発したのが2000年前後。これが第三次アニメブーム。 この時に非情に大きな役割を果たしたのが、新世紀エヴァンゲリオン。何をしたかというと、監督の庵野秀明(彼はコミケでブレイクスルーした一人)さんが「非商業目的の二次創作を認める」というトンでもない事をしでかした。 折りしも、Windows95に始まるパソコン~インターネットの広まりで、ネット上にエヴァ二次創作が雨後の筍のように増えていった。 もうひとつのブレイクスルーは、これも新世紀エヴァンゲリオンが始めた「製作委員会方式」という集金方法。 視聴率は、確かに深夜枠としては高かった(7~10%くらい)が、それはあくまで「深夜枠として」の話。TV放映のあとのメディア展開(当時だからレーザーディスク、DVDが普及する前の話よ)で、その売り上げを製作費の回収にも当てる、という方法。 この手法で、アニメが爆発的に増えた(特に深夜枠)。 PCの普及とそのメディアとしてのDVDが拍車をかける。なにせ「パーソナル」のデバイスでアニメを観られるようになった。情報の交換速度も、インターネットのおかげでタイムラグが格段に減った。 ここまでで、手塚氏が鉄腕アトムを作ってから40年以上。漫画としてはさらに10年以上前(鉄腕アトムは1952年掲載開始)だから、半世紀以上。 手塚氏のマンガやアニメを観た子供は、すでに「お爺ちゃん・お婆ちゃん」ですよ。今の子供の年齢・世代だと3~4世代前の人が、すでにアニメで育ってる、って事です。 そういう事情の国は参考にならないでしょう。だって、すでに大人が「アニメは子供の物」と思ってないんだから。 それは、結構前からですよ。同時に、キッカケ(ブレイクスルー)も無いです。 ヲタク、という言葉が生まれたのは・・・80年代初頭?まだコミケが晴海になる前です。発端は、超時空要塞マクロスじゃないかな。 この頃はまだ「いいトシしてアニメにしがみついてる大人になれない子供」扱いでしたね。 日本だって、ヲタクが市民権を得たのはつい最近でしょう。2000年代も後半になってからです。手塚世代から見れば、孫の世代でやっと、ですね。
- glee-glee
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個人的には『エヴァンゲリオン』がヒットしたからかな~と思います。 アニメがヒットと言うよりパチンコ台として出て、アニメは見てないけどパチンコで知る人が増えた…。 アニメ自体も放映当時から根強い人気があったので、パチンコでエヴァを知った人が見るようになったりして、いつの間にかみんなが知るようになって行った。また主題歌のインパクトも人気に影響したと思います。 エヴァンゲリオンが放映されてたのが1996年頃。 パチンコ台として登場したのが2004年頃。 1996年頃には深夜アニメがアニメファンの間で人気を得て来た頃です。 なので、その頃には既にアニメは大人も見るし大人向けのアニメを制作していたと言う事ですね。 でも1番はやはりエヴァのパチンコ台が出てからだと思うので、2000年代前半くらいから「大人もアニメを見る」と言う認識が広まったのではないかと思います。
- hahaha8635
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平安時代後期から明治時代初頭 往来物と呼ばれる漫画を初等教育用の教科書素 アニメの素は手塚治虫 漫画で稼いだ金をつぎ込みアニメのクオリティーを上げ 混迷期にドラマ性を重視 巨人の星などスポコン物がさらに年齢層を上げ 松本零士による宇宙戦艦ヤマトが中高生に指示→その後富野 由悠季のガンダム→wガンダム→庵野秀明 エヴァ → ガンダムシードなど これがメイン路線 サザエさん ドラえもん ちびまる子 くれおんしんちゃんなど長期放映アニメにより 世代をまたぐ ジブリによる一般大衆化 と歴史が長い
- tomo-tomo3579
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正確な回答にはなりませんが 現代の日本では、オタクは普通でヤンキーはかっこわるいという風潮になっています。 これが20年前だと、オタクはかっこわるくてヤンキーはかっこいいという感じでした。 時代は移り変わり、ヤンキーの行動を助長するような行動、言動は抑制され、そういう方面の笑いもとれなくなりました。(そういう芸風の芸能人も消えてきました) ここからは個人の考察ですが 「オタク」という言葉が作られてオタクが認知されたのが20年前くらいで、それが軒並み大人になっています。メディアは購買層に沿った展開をするので、大人になったオタクに合わせようと、例えばガンダムの絵を缶コーヒーに刷ったりもします。オタクに合わせなくても、その年代が懐かしむような曲の替え歌をCMに入れてきたりします。 質問の答えですが、韓国に蔑む表現であってもオタクのようなアニメ好きな人たちの言葉ができれば、その人たちが大人になればそういう時代になるのではないでしょうか。 (なお、当時のオタクは気持ち悪いと蔑む対象でした)