※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ピアノ協奏曲イ短調作品16:エドヴァルド・グリーグ)
ピアノ協奏曲イ短調作品16:エドヴァルド・グリーグ
このQ&Aのポイント
エドヴァルド・グリーグのピアノ協奏曲イ短調作品16について質問があります。
作曲者の意図や悲劇を表現した要素について教えていただきたいです。
美しさと悲劇の融合による解釈に悩んでいます。ご意見を頂けますでしょうか。
ピアノ協奏曲イ短調作品16:エドヴァルド・グリーグ
こんにちは、タイトルの曲の第1楽章について質問があります。
https://www.youtube.com/watch?v=I1Yoyz6_Los
(冒頭箇所です。)
まず断っておきますと質問者は素人です。基本的な事も分からないので、お手柔らかにお願いします。
よくテレビなどで「悲劇の場面のBGM」として流される事が多いと思うのですが、実際にエドヴァルド・グリーグは悲劇を表現しようとしてこの曲を作曲したのでしょうか?
と言いますのも、もしかしたら途轍もなく美しいものを見て「感激・賞賛」しているようにも感じられるような気もして私のような素人は、解釈に悩んでおります。
ご意見を頂けましたら幸いです。
宜しくお願い致します。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私も「悲劇」には聞こえません。 (私の場合は質問文でも書きましたが「感激・賞賛」に聞こえました。) >私には「劇的な情況」に聞こえます。決意をして1歩踏み出すイメージです。 なるほど、そう思って聞いてみますと、確かにそう聞こえますね! >曲の解釈について作曲家自身も「こう感じてください」というような作り方はあまりしません。 >こう捉えるべきというある種の「正解」は芸術にはないのです。 昔、抽象画のそこそこ有名な画家の方が開かれたワークショップみたいなもので、その先生が「絵画の解釈に決まった、解釈は無い。 鑑賞者しだい。」と言っていたのを思いだしました。まったくその通りでした。 普段は気にしないのですが、今回の曲はそれでも個人的に「悲劇」と「歓喜」という相反する両方に聞こえたので、「一体これは?」と20年位悩んでしまいました。 >その時々で印象は変わります。むしろ同じに聞こえることの方が珍しく思います。 確かにそれはありますね。 特に昔聞いた曲を久しぶりに聞いた時などにそう感じます。 >また、人により解釈が変わるからこそ芸術なのだと思いますよ。 本当にその通りでした。 ありがとうございます。