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英米史

ノルマンコンクェストが重要なのはわかるんですが どういった意味でイギリス史上の一大転換点といわれるか?と聞かれるとわからなくなってしまいます。 どなたか教えてくださいませんか?

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noname#58431
noname#58431
回答No.3

イングランドの歴史概観 〔1〕ケルト系民族の渡来 B.C.5cにケルト人が渡来。B.C.1cにはブリテンおよびアイルランドはケルトの世界となる。 最後に渡ってきたケルト人のことをローマ人はブリトン人と呼んだ。ここからブリテンという言葉が生まれた 〔2〕ローマ時代 A.D.50年ごろブリテンはローマ人の侵入を受ける。1世紀末には北部を除いてローマの属領ブリタニアとなる。 〔3〕ゲルマン民族の移動 ゲルマン民族の移動に対処するためローマ軍は大陸に撤収、アングロ=サクソンが侵入してくる。ケルト系のブリテン人は熾烈な闘争を繰り広げるが、ウェールズを除いて、土地を明渡し、服従を誓うようになる。ケルトは次第にウェールズやアイルランドに追われていく。(ケルトの抵抗者アーサー王伝説生まれる。) アングロサクソンは初め「7王国」に分かれていた。この中から9世紀にエセックスが頭角をあらわし、統一国家アングロサクソン王国ができる。 〔4〕デーン人の侵入 8世紀になるとノルマン人の一つデーン人が来襲。9世紀にはデーン人は定住を開始。アングロサクソンのアルフレッド大王が対抗。一時的にデーン人とアングロサクソンは平和共存に成功。しかし、デーン人の攻勢にアングロサクソンは屈服。デンマーク王子カヌートが王として即位。カヌートはノルウェー、スゥエーデンも支配し「北海帝国」を形成、政治的には北欧の一部に組みこまれた。 〔5〕ノルマンの支配 カヌートの死後、王位継承を巡り、北欧のノルマン人とフランスを領地としていた「ノルマン人」との間にイングランド争奪戦が起きる。1066年へースティングの戦いで後者が勝利し、ウィリアム1世が王となりノルマン朝がはじまる。 このころ「ノルマン人」は「ノルマンディに住むノルマン人」という意味になっていた。それゆえ「ノルマン・コンクェスト(ノルマンの征服)」と呼ばれる。 ノルマン・コンクェストはイングランド史の一大転換点である。 旧来の貴族は一掃され、ノルマンディをはじめとしたフランス各地の貴族によって占領される。イングランドはノルマンディの属領となる。(ウィリアムはイングランド王であるがノルマンディ公でもある) イングランドはフランス文化圏に組みこまれる。支配層はフランス語、被支配層は英語という二重文化が生まれる。 イングランド全域の征服者、ウィリアムは思いどおりに臣下に土地を分け与え集権的で強固な封建制を作り出せた。(有利な立場での軍事奉仕関係を認めさせる) →集権的性格の強い封建制 、軍役代納金による封建制の変質もはじまる。戦場はフランスが中心→王は軍事奉仕に代「軍役代納金」を徴収し、フランスで傭兵 →騎士が軍事的性質を失い土地の経営に専念していく(ジェントリーの発生) フランスの1領主がイングランド王を兼ねる状態が続く。(アンジュ帝国)

  • norikunny
  • ベストアンサー率21% (256/1168)
回答No.2

アングロ・サクソンのイングランド人がノルマン人に征服され、そしてイングランド人の文化に多大な影響を与えたからではないですか? たとえば英語のビーフはフランス語から来た言葉です。 こういった征服民族のフランス語が多く英語に入っています。

  • jakyy
  • ベストアンサー率50% (1998/3967)
回答No.1

簡単に説明いたします。 何が変わったかを考えるといいでしょう。 1066年、フランスからやってきたノルマン王のウィリアムが、 当時の英国王のハロルドを打ち破って新しい王になってしまった。 これがノルマン・コンクエストです。 ノルマン・コンクェストで変わったものは下記のような事です。 【支配者層の交代】 イングランドではアングロ・サクソン貴族が支配していたが、 これを機にノルマンの貴族が支配し、サクソン貴族から奪った土地を家臣の貴族に土地を分与する代わりに、 軍役に就かせる封建体制が確立した。 【西欧との関係強化】 イングランドは、9世紀以来、バイキングの襲来を受けたため、 北欧の文化が入り込んでいたが、ノルマンの貴族の支配で西欧文化が生活、風習面で入りこんできた。 西欧の国々とも関係が強化された。 【ノルマン・フレンチ】 ノルマン・フレンチ (ノルマンなまりのフランス語)が支配者層で使われ、上流階級はフランス語を公用語と使用されることになった。 知的エリートはラテン語、上流、 中流階級はフランス語、一般大衆は英語が使用されることになった。 その結果、従来のアングロ・サクソン語 (古英語) と融合して近代英語が作られることとなった。 こんなところが変わったところですね。 通貨、貿易なども大きな変化があったようです。