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米国の警察
米国のニュースや映像で警察が市民の家に押し入ったり 知的障碍者であろう人を射殺したり 黒人の男性が大したこともしていないのに射殺、テーザーで撃たれたり ホームレスの男性が警察にリンチに合ったりと、あまりにも酷い 一般市民への暴力に驚きますが こうした風潮は、いつぐらいから多くなったのでしょうか。 私が見た映像で、知的障害の人やジャンキーは殺されるなと思いました。 何故なら、ポリスの云うことを理解できない、もしくは奇声を上げたりしただけで 撃たれたりしていました。 また、下半身露出の男性は目撃者が2人おりましたが証拠もないまま手錠をかけられていました。 日本では現在どうかわかりませんが、なかなか捕まえてくれませんね。 証拠がないと。 ある事件はサイレンを鳴らさず一般道をものすごい速さで走った結果 若い日本人男性がひき殺されても、日本ではほとんど報道がないようですし 警察の横暴がこれほど許されている国は先進国でほかにないように思いますが 20年前には、このような話を聞いたことがなかったのですが インターネットの影響で明るみになってきたのか いつぐらいからこのような状況なのか 詳しい方教えてください。
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- 92128bwsd
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アメリカの警察と社会の構造は、時代とともに変わってきているものの基本は変わっていないので、警官が絡んだ暴力・醜聞は今に始まったことではないと思います。 日本と比べるとアメリカの社会、自治体の成り立ちや警察組織の構造が複雑すぎてここで説明しきれないの端折りますが、地域や住民格差とプラスして警官の属人性によるところが大きいと思います。 ニュースを見ていると、警官の資質そのものに問題があるように見える場合もありますが、それ以上に職務質問や取締中に突然撃たれて死ぬと言う恐怖感、ストレスがあるように思えます。警官による暴力の映像はショッキングで無抵抗の被疑者を取り囲んで殴ったり蹴ったり、あるいは銃で射殺したりと言う映像が流れたりします。明らかに警官による犯罪ですが、その中には極度のストレスでまともな思考回路でない警官がいても不思議ではないと思います。現在は警官の制服にカメラを取り付けてすべてを記録する様になってきていて、警官の暴力や過剰防衛の経緯がトレースできるようになりましたが、逆に危険を回避するための自己防衛を遅らせてストレスが更に高まる原因にもなりそうです。 昨年は特に警官による黒人殺しや黒人による警官殺しがハイライトされて人種差別問題にもなりましたが、治安の悪い地域での警官による暴力は警官が黒人のときにも起こっていて人種差別は根本的な原因ではないと思います。 警官が勤務中に殺されるケースが減っていると書きましたが、その逆の警官による射殺、暴行がどうかと言うと実は統計化しにくいくらい情報が複雑らしいです。ただ、昨年大きく取り上げられた車に載った黒人青年の警官による射殺事件は助手席に載っていたガールフレンドが一部始終をスマホで移してFacebookに上げたもので、他のケースでもSNSに目撃者が投稿して騒ぎになっているのでインターネットによってより広く知れ渡っているのは間違いないでしょう。 一方で、アメリカ社会の基本構造が変わっていないと書きましたが、どんどん良くなっているところがある一方で(例えばニューヨークの治安は2000年になる少し前から劇的に良くなった)、貧富の格差は広がっていて地域によるギャップは大きくなっていると思います。一旦貧困に陥ると二度と抜け出せず麻薬や犯罪に手を出すしか生きる道がないと言う状況が今年アカデミー賞作品賞を受賞した「ムーンライト」に良く描かれています。 ちなみに私は、南カリフォルニアの中流の住宅街に住んでいましたが、おそらく日本よりも治安が良く、また2回ほど交通違反で警官に捕まったことがありますが、とても紳士的で親切でした。同じ国でも全く状況が違っていて、一生関わることも無いような地域が間近で混じり合っていると言うのがアメリカです。
- yuklamho
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『米国のニュースや映像で警察が市民の家に押し入ったり知的障碍者であろう人を射殺したり黒人の男性が大したこともしていないのに射殺、テーザーで撃たれたり、ホームレスの男性が警察にリンチに合ったりと、あまりにも酷い、一般市民への暴力に驚きますが、こうした風潮は、いつぐらいから多くなったのでしょうか。』 詳しいわけではありませんが、まず、街によってもあなたのいう“警察の横暴”もだいぶ差があると思います。 次に、いつからかと考えると、恐らく建国後に警察ができてからでしょう。なぜアメリカの警察が“横暴”なのかと言えば、治安を守るためです。そういう国なのです。ある意味、そうせざる負えないのです。 “あまりにも酷い、一般市民への暴力に驚きます” 別に、通りを歩いていていきなり警官に暴力を振るわれることはないです(町人や農民がお侍に道を譲らなかったから切られるというようなことが昔日本でありましたが、そういうのとは全然違います)。
- eroero4649
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1982年の映画「ランボー」は、アメリカの田舎町で見慣れぬよそ者であるランボーを見かけた保安官が理不尽な理由で拘束していじめをして、それにブチ切れたランボーが反撃するというストーリーになっています。 あの映画があれだけ大ヒットしたのは「田舎の保安官がよそ者に横暴な態度をする」ということがアメリカ人の間で「ありうることだよね」と認識されていたことですよね。 また1969年に公開された「イージー・ライダー」のラストシーンは、ハーレーダビッドソンを乗り回す主人公たちを南部の白人青年が面白半分にショットガンを撃つ場面で終わります。それは何を意味しているのかというと、アメリカ南部でお尋ね者のような風体の男が射殺体で見つかっても警察は犯人捜しなんてしやしない(から地元の青年は躊躇せず引き金を引くことができた)ということでもあると思います。これだって観客が「ああ、南部の田舎町だったらそういうこともあるだろうね」って思うからこそストーリーとして成立するわけです。
- tzd78886
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昔はもっとひどかったようですよ。アメリカに限ったことではありませんが、警察官というのは国家権力の手先です。黒人に対する虐待などが表面化するようになったのは、国民として概ね平等に扱われるようになったからで、昔は差別が当然のような雰囲気があったようです。